4-6
(勝ったわ!)
逃げ出すフィリップの背を見送って、ミーリアは内心で勝利宣言をする。逃げ出す寸前、彼がミーリアの姿に動揺したのは間違いなかった。
今日まで、自分を徹底的に避け続けたフィリップにミーリアは腹を立てていた。おまけに、パーティの同伴にも現れなかったのだから、流石に堪忍袋の緒も切れるというもの。けれど、ミーリアはその怒りを言葉にはせず、代わりに自分を飾り立てることを選んだ。
今のミーリアの姿は、フィリップの好み、ノーラのような繊細で儚げな雰囲気に近づけようと悪戦苦闘した結果だ。こんな色合いのドレスを人前で着るのは初めて。「私にお任せを!」というリリーに施された化粧は何とも頼りなく、実は今も落ち着かない。ナタリエの「世界一可愛い」という言葉を信じ込むことで、何とかこの場に立っている。
いつもなら、それでも何でもない顔で前を向いて歩くのだが、今日は意図的に目線は下、僅かに顔を伏せて歩く。リリー曰く、その方が庇護欲をそそるらしいが、これはこれで心許なかった。
ミーリアがしずしずと歩む先、行く手を阻むようにしてジークベルトが立っている。その傍らにノーラが寄り添う。彼女が今日纏うのはミーリアと同じ色合いのドレス。周囲の刺さるような視線を意識しながら、ミーリアは本日の主催者である二人の前に立ち、軽く膝を折った。
「本日は、このような素敵な会を開いていただき、ありがとうございます。お招きに感謝しますわ」
招かれた立場として、ミーリアが主催者への挨拶を口にすると、ジークベルトの眉間にぐっと皺が寄った。その口元が歪む。が、周囲を気にしてか、彼が口にしたのはありきたりな返答だった。
「……ミーリア嬢も、楽しんでゆかれよ」
「はい」
ジークベルトを見つめながら、できるだけ柔らかく微笑んでみせたミーリアに、ジークベルトはサッと背を向ける。その動きにノーラが一瞬ふらついたが、ジークベルトは彼女を支えてその場を後にした。
二人の背中を見送ったミーリアが内心でやれやれとため息をつく間もなく、今度は、周囲を取り囲んでいた生徒たちが動き出した。
「ミーリア嬢!」
ミーリアは興奮した様子の生徒たちに、あっという間に囲まれてしまう。
「ミーリア様、今日のお召し物、素敵ですわね?」
「後ほど、私と一曲踊っていただけませんか?」
「私とも、是非!」
今までにはなかった反応。中には、興奮した様子でミーリアに詰め寄る男子生徒もいる。ある程度予想はしていたが、装い一つでここまで露骨に態度を変えられるとは。それほど、今までのミーリアの装いは「男ウケ」が良くなかったというのか。内心のモヤモヤを押し殺して、ミーリアはまた薄く笑んだ。
「ええ、是非。皆様とは今後も良いお付き合いをさせていただきたいですわ」
ミーリアは、この場に爪痕を残すつもりでいる。ミーリアを取り巻く彼らは、王国の次代を担う者たちばかり。例え、このままフィリップとの仲が上手くいかずとも、彼が無視できない存在となるためには、彼らとの繋がりは大切になる。そのためなら、いくらでも笑うし、阿る。媚態を愚かと嗤うなら嗤え。そんなことでは止まれないほどに、ミーリアには望むものがあった。
場の中心にありながら、どこか冷めた心のまま、ミーリアは微笑み続ける。
(流石に、疲れるわね……)
ミーリアは、申し込まれるままに次々と男子生徒たちとダンスを踊った。そのほとんどが「卒業記念に」と誘われただけで、一曲を終えると、自身のパートナーや他の女性へと移っていく。決まった相手のいない男性には、同じく決まった相手のいない女性への橋渡しのようなことをしながら、ミーリアは一通りの相手を終え、一息をついた。
ただ、完全に気を抜くことはできない。気を抜くと、どこまで真剣なのかは不明だが、ミーリアに二曲目を申し込もうとする人間が近づいてくるのだ。流石に、婚約者でもない男からの二曲目の誘いには乗らない。巧みに避けながら、ミーリアはフィリップの姿を探し続けていた。
どこに逃げ込んだのか、国王陛下が会場に姿を現した後も、フィリップが見当たらない。ミーリアと、そして、アーレント家としては、陛下への挨拶にフィリップを伴うことで、両家の婚約を確かなものとしたい。その絶好の機会に逃げ続ける彼にイライラしながら、会場の内も外も見て回ったミーリアの視界に、漸く、見覚えのある銀の髪が飛び込んで来た。
フィリップは、講堂の奥、陛下臨席のために設置された壇上に現れた。陛下の隣に立つジークベルトとノーラの背後に、影のように控える。どうやら、こちら側へ降りて来る気はないらしい。
(本当に、往生際が悪いのだから……!)
ミーリアは視線を会場の一角へ向ける。我が子らの卒業を祝う傍らで、政治の話に花を咲かせる集団。その中にあって、ひと際丸みを帯びたシルエットの男性、ミーリアの父であるアーレント公と目が合った。
ぶ厚い瞼の肉で細まった父の目が言っている。「やれ」と――
(ハァ、もう、全く……)
天を仰ぎたい気持ちを押し殺し、ミーリアは前を向く。全ての女性がエスコートされて陛下の前に立つ中、ミーリアは一人きり、挨拶の列へと並んだ。周囲のざわめき、潜められたようで聞こえてくる声に、もう顔を伏せてはいられなかった。毅然と胸を張り、自身の順が回ってくるのを待つ。
フィリップの態度は腹立たしく、屈辱であったが、それ以上に、ミーリアの胸を占める想いがあった。
(……オーディス様)
彼との別れは既に済ませた。二人の道は分かたれたのだから、ミーリアは別の誰かの隣に立つしかない。オーディスを守るため、辺境に再び戦禍が訪れることのないよう、強い国を造る。ミーリアはフィリップの隣で国の礎となる覚悟を決めていた。
それでも、こんな風に隣にだれもいない時、考えてしまう。もしもあの時、泣いてすがることができたのなら、と――
不意に、ミーリアの背後でざわめきが起こった。
(……何かしら?)
振り向いた背後、人の多さに、その原因を知ることはできない。だが、皆が一様に同じ向き、会場の入口へと視線を向けている。
次第に、ざわめきが大きくなる。人波が左右に割れていく。その中心を、真っすぐにこちらへ向かって歩いて来る人の姿にミーリアは息を呑んだ。
(ああ!そんな、うそ……!)