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「あら?ノーラ様しかいらっしゃらないの?」
「あ、は、はい……」
「そう。それは困ったわね」
ミーリアはその日、学園の生徒会室へと押しかけていた。と言っても、一方的な襲撃ではない。学園内でフィリップと顔を合わせる度に「話がしたい」と交渉し続けた結果、放課後の生徒会室での逢瀬を取り付けたのだ。粘り勝ちと言える。
ただ、魔術科はまだ終業前なのか、生徒会室にはフィリップの姿も、ジークベルトの姿もなかった。
(うーん。ここは一旦、撤退したほうが賢明かしら?)
ミーリアには、ノーラへの「嫌がらせ」という前科がある。今更、彼女をどうこうするつもりはないが、二人きりという状況はまずいかもしれない。現に、ノーラの態度はどう見てもミーリアに怯えている。
「……私、一度失礼しますわ。後ほどまた伺いますとフィリップ様にお伝えいただけるかしら?」
「え!?あ、そんな、どうか遠慮なさらずに、ここでお待ちになってください」
(あら?これは予想外……)
引き留めようとするノーラに、ミーリアは小首を傾げた。彼女はミーリアを嫌っている。少なくとも、苦手としているのは明らかだ。同じ空間に居るのも苦痛であろうミーリアを何故呼び止めたのか。理由として考えられるのは、今後王太子妃となるノーラの足場を固めるため。アーレントを切り捨てるのではなく、取り込む方向に舵を切ったのかもしれない。
(だとすると、殿下の指示があったと見るべきね)
大方、「ミーリアと仲良くするように」とでも言われているのだろう。キョドキョドと落ち着かなげにこちらを窺い見るノーラに、ミーリアはニッコリと笑った。
「ありがとうございます、ノーラ様。では、お邪魔させていただきますね?」
ミーリアは、ノーラが座る長椅子の向かいに腰を下ろす。二人の間には、ローテーブルがあり、その上にいくつかの書類が無造作に広げられていた。何気なく視線を落としたミーリアは、それが一月後に行われる卒業式典後のパーティの計画案だと、一目で分かった。
「ノーラ様が主催される初めてのパーティですね。楽しみにしておりますわ」
「え?」
ミーリアの言葉に、ノーラは一瞬、キョトンとする。広げられた書類に視線を落とし、次の瞬間、慌てたように首を横に振った。
「そんな、私が主催だなんて恐れ多い。私はあくまで補佐、主催は殿下でいらっしゃいます」
言ってはにかむノーラは、確かに、見た目だけなら非常に可愛らしい。ミーリアもそれは認める。だが――
「殿下もノーラ様には甘いですわねぇ……」
「え?」
卒業生に王族が含まれる場合、卒業パーティはその王族の名で行われる。だが、その王族が男性で、既に婚約者がいる場合に限っては、その婚約者が主催となる。
(要するに、試金石。今後、国政にかかわる社交行事を回す立場になるのだから、当然といえば当然でしょうけれど……)
王族の妃としての手腕を問われる、その第一歩となるわけだ。本来なら――ジークベルトに婚約を解消されなければ、今回の卒業パーティはミーリアが主催する予定だった。
(妃教育が間に合っていないのかもしれないわね。……ノーラ様もお気の毒に)
惚れた腫れただけではどうしようもない相手に求められるというのも酷な話。彼女がジークフリードを慕っていることがせめてもの救いだろうか。
ミーリアがぼんやりと物思いにふけっていると、居心地悪そうにノーラが身じろぎした。
「……あの、ミーリア様、いつかはお伝えしなければならないと思っていたのですが……」
「何かしら?」
首を傾げて問い返したミーリアに、ノーラがビクリと反応する。それでも、「決死」と言わんばかりの表情で、彼女は頭を下げた。
「……申し訳ありませんでした」
「それは何に対する謝罪でしょう?」
「……ジークフリード様との婚約解消について、ミーリア様には多大なご迷惑をおかけしました」
そう言って頭を下げ続けるノーラを、ミーリアは「ふーん」と白けた思いで見つめる。
(迷惑、ね……)
正直、王太子との婚約解消を「迷惑」の一言で片づけられる彼女に驚く。一々説明する義理はないが、王家と公爵家の約定はそんな軽いものではない。
ただ、「心痛をおかけして」や「名誉を傷つけて」の言葉がなかった分、ミーリアにとってはまだマシと言えた。
「ノーラ様、頭をお上げください」
「……ミーリア様にお許しいただけるまでは」
「殿下の妃になられようという方が、軽々に頭を下げるものではありませんわ」
そこまで言って漸く、ノーラが頭を上げる。眉尻の下がった顔。これが、「庇護欲をそそる」というのであろう。弱り切った様子のノーラに、ミーリアは笑みを浮かべた。
「私は気にしておりません。ですが、ノーラ様のお心がそれで安くなるのでしたら、謝罪を受け入れます」
ここで突っぱねたところで、ミーリアに益はない。これがオーディスに出会う前であればまた話は違ったが、今は彼女と――延いては殿下と事を構えるつもりはなかった。
折れるほどでもない。ささいな不快を呑み込んで、ミーリアは笑みを浮かべ続ける。それが不審だったのか、ノーラはウロウロと視線を彷徨わせた挙句、ポツリと呟いた。
「……ミーリア様は、お変わりになられましたね」
「あら、そうでしょうか?……それが、良い変化であればいいのですが」
笑って続けたミーリアに、ノーラが困ったような笑顔を浮かべる。
「どこが、とは具体的に申し上げられませんが、何だかお優しくなった気がします……」
彼女の的外れな感想に、ミーリアは笑って頷く。
「私、恋をしましたの」
「えっ!?」
「恋が私を変えてくれました」
驚きに目を見開くノーラに、ミーリアは「内緒ですよ」と告げる。ノーラは、コクコクと何度も頷いて返した。
「お、お相手は、フィリップ様ですか?」
「いいえ、違います」
「え!?」
ミーリアの返答に、ノーラが再び驚きの声を上げる。戸惑いを浮かべた表情で「よろしいのですか?」と尋ねる彼女に、ミーリアは頷いた。
「ええ。私の想いはフィリップ様もご存じですから」
「そうなのですね……」
納得のいかない顔でそう口にしたノーラは、「でも」と言葉を続ける。
「それでは何だか、フィリップ様がお可哀そうな気がします……」
「あら……」
ミーリアは内心で驚愕する。「あなたがそれを言うのか」と。だが、そんな思いなどおくびにも出さず、言葉を続けた。
「私はフィリップ様と同志になりたいのです」
「同志……?」
「ええ。……互いに、想う方がいる。その方のために、この国をより良くすることを私たちの使命にしませんか、と」
そこで、一瞬、ミーリアの胸に「彼の想い人はあなただ」と伝えてみようかという意地の悪い思いが浮かぶ。けれど、結局、ミーリアは代わりの言葉を口にした。
「フィリップ様が、今更、私相手に色恋をお望みだと思いますか?」
「それは……」
「彼が本気でそれを望むのでしたら、……そうですね、その時は私も考えを改めようと思います」
主に、どうやって円満に婚約を解消しようかという考えに改めるわけだが。
こちらの言葉に黙り込んでしまったノーラに、ミーリアは内心でため息をついた。間を持たせるため、「それにしても」と言葉を紡ぐ。
「フィリップ様達はなかなかいらっしゃいませんね?」
「あ、それは……」
途端、ソワソワと落ち着かない様子を見せ始めたノーラの姿に、ミーリアは「なるほど」と得心する。
(どうやら、フィリップ様にはめられたみたいね……)
ノーラとの仲を取り持つつもりなのか、彼女と二人きりという状況はどうやら意図的に作られたものらしい。フィリップやジークベルトのお膳立てによるもの、だとしたら、いつまで待とうとフィリップがこの場に現れることはない。
(とんだ時間の無駄だったわね……)
今度は、隠すことなくため息を零して、ミーリアは立ち上がる。
「あ、あの、ミーリア様?もう少しお待ちいただければ……」
「いいえ、結構。残念ながら、これ以上、フィリップ様をお待ちする時間がないの」
言って扉へと向かうミーリアを、ノーラが何とか引き留めようとする。それら全てに笑って応えて、ミーリアは生徒会室を後にした。
(本当にもう、無駄な足掻きをなさるんだから……!)
歩み寄る気配の見えないフィリップに対する焦りは、次第に、彼に対する怒りへと変わる。そちらがその気なら、否が応でもこちらを振り向かせようではないか。いくらフィリップがミーリアを無視しようと、無視できないほどの存在になってみせる。
そう決意したミーリアの口角が僅かに上がった。