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ミーリアがガゼボに突撃した日以降、殿下方がガゼボで昼食を摂ることはなくなった。ミーリアの襲撃を恐れてか、どうやら、昼食の場所を生徒会室に替えたらしい。ミーリアはいずれ再挑戦するつもりでいるが、役員でもない身で生徒会室に突撃するのは問題があろうと控えている。今のところは。
代わりに、ミーリアはフィリップの所属する魔法科の実習を見学に向かった。そうでもしなければ、休日の呼び出しにも応じないフィリップとは顔を合わせることもできない。
(さて、今日は上手くいくかしら……?)
いつかと同じように、右腕にバスケットを下げて向かうのは、魔法科の鍛錬場。本日は騎士科との合同訓練ということもあり、ミーリアが所属する淑女科のご令嬢方もこぞって見学に訪れている。
キャアキャアと黄色い声援が飛び交う中、ミーリアがフィリップの姿を探せば、彼の姿は直ぐに見つかった。陽光を受けて輝く銀糸は目立つ。遠目にする彼は、今日は眼鏡をかけていない。
暫くフィリップの鍛錬の様子を見守ったミーリアは、やがて、胸の内で「なるほど」と呟いた。ミーリアの視線の先では、フィリップが騎士科の生徒にコテンパンにやられている。彼は弱かった。フィリップはその明晰な頭脳で称えられることが多いが、戦闘面においてはからっきしだということを、ミーリアはこの日初めて知った。
ミーリアが見守る中、対戦形式の鍛錬を終えたフィリップが、周囲の生徒たちと共に鍛錬場の端へと移動し始める。休憩時間らしく、思い思いに座り込み、水分を補給し始めた集団。その内の数名と会話をするフィリップに向かってミーリアは歩き出した。
フィリップがその容姿で目立つのと同じく、ミーリアも他からは一目置かれる存在だ。ジークベルトとの婚約が解消されても――いや、解消された分、悪い意味で――周囲の注目を集めるミーリアの接近に、フィリップは直ぐに気付いた。
顔をしかめたフィリップが立ち上がり、周囲も倣うように次々と立ち上がる。ミーリアを出迎えるように向かい合った生徒たちに、ミーリアは「ごきげんよう」と声を掛け、フィリップに向かって笑顔を見せた。
「鍛錬、お疲れ様でした。フィリップ様」
ミーリアの言葉に、フィリップの表情はますます険しいものになり、その口元に皮肉気な笑みが浮かぶ。
「こんなところに何をしに来たんです?私を笑いにでも来ましたか?」
「笑う……?」
フィリップの意外な言葉にミーリアが首を傾げると、フィリップの口から「ハッ」という嗤いがもれる。
「御覧の通り、私に攻撃魔法の才はありません。無様に転がる私を見て、満足いただけましたか?」
「……」
ミーリアは内心、少しだけ驚く。フィリップがこのような自虐を口にするとは。虚を衝かれて、それから思わず、ミーリアは笑ってしまった。
「フィリップ様がそのようなことを気にされるとは思っておりませんでした」
「……」
ミーリアが笑ったことが気に食わないのか、フィリップは憮然とした表情でミーリアを見下ろす。笑いをひっこめたミーリアは、眼鏡越しでない紫紺の瞳を見上げた。
「今日のフィリップ様は、いつもより好感が持てますわ」
「は?あなたは何を……」
「得意を振りかざすあなたより、不得手を克服せんと無様に転がるあなたの方がよほど好ましい。そう申し上げております」
ミーリアの言葉にフィリップは絶句して、それから、フイと顔ごと視線を逸らす。その眉間には深い皺が刻まれていた。フィリップの態度に、ミーリアは小さく苦笑して、手にしていたバスケットを掲げてみせる。
「差し入れですわ」
「……」
チラリと向けられたフィリップの視線に、ミーリアはバスケットの蓋を開く。
「焼き菓子を持ってまいりました。よろしければ、皆様で召し上がってくださいませ」
ミーリアの言葉に、フィリップを囲む男子生徒たちが俄かに沸き立つ。この年頃の若者、しかも、鍛錬後ともなれば、お腹を空かせていないわけがない。「皆様で」と伝えたことで、周囲を巻き込むことに成功したミーリアは腹の中で笑った。
どうやら、ミーリアの思惑をお見通しらしいフィリップの顔に忌々し気な表情が浮かぶ。苦虫を噛み潰したような顔で、しかし、周囲の雰囲気に押された彼は「いただきます」とミーリアの差し出したバスケットを受け取った。
早速という風に、周囲の生徒たちがバスケットの中を覗き込む。「おお」という嬉しそうな声を上げる彼らに、「どうぞご遠慮なく」とほほ笑めば、我先にと手が伸びて来た。奪い合うようにして焼き菓子を口に運んだ彼らから、更なる驚きの声が上がる。
「美味い!」
「ああ、信じられないくらいに美味い!」
「こんな美味いクッキーは初めて食べる!」
多少の誇張、ミーリアへの世辞もあろうが、おしなべて賛辞を口にする男子生徒たちに、ミーリアは笑みを深くする。フィリップも、周囲に促されて不承不承といった体で焼き菓子を口にした。菓子を飲み込んだ彼の眉間には皺が寄ったまま、それでも、礼儀として何か言わねばならない彼は口を開く。
「確かに、美味しいです。……公爵家の料理人は腕が良いですね」
フィリップの言葉に、ミーリアはここぞとばかりにはにかんで見せた。
「お褒めに与り光栄ですわ。お恥ずかしながら、私が手慰みに作ったものですの」
「……は?」
訝しげな顔をしたフィリップが、バスケットの中とミーリアを見比べる。今回、差し入れた焼き菓子はいずれも簡素な作りにしてあった。味は別として、「手作りらしさ」は損なわれていないはず。いつぞやの失敗を活かしたミーリアの作戦に、フィリップは半信半疑の眼差しを向けてくる。
(完全に嘘だとは思われていない分、私の勝利よ)
ミーリアは作戦の成功に満足し、ニコリと笑った。
「気に入って頂けたのなら嬉しいですわ。……ああ、それから」
言って、ミーリアはポケットから白いハンカチを取り出す。
「こちら、よろしければ受け取っていただけますか?」
衆人環視の中、拒否のできないフィリップの手を取ったミーリアは、その掌にハンカチを押し付けた。銀糸で描かれたノイナー家の百合を模した紋章を見えるようにして。
「……これは?」
「以前、お伝えしましたでしょう?いつか、フィリップ様に刺繍したものを差し上げたいと。どうか、受け取ってくださいませ」
「……」
ミーリアの言葉に、複雑そうな顔でハンカチを睨みつけていたフィリップだが、やがて、聞き取れないくらいの小さな声で呟いた。
「……ありがとうございます」
「いいえ、めっそうもない」
礼の言葉に、ミーリアは今日一番の笑顔で答える。
「婚約者ですもの。フィリップ様の身を案じるのは当然のことですわ」