4-1
王都へと帰還した日より僅か三日、アーレント邸の庭で、ミーリアは新たに婚約者となる男と対面していた。父親であるノイナー伯爵に連れて来られた彼は、当初から憮然とした顔を隠そうともせず、銀縁の眼鏡の奥からミーリアを睨めつけている。
彼と二人、庭園へと追いやられ、リリーの用意してくれたお茶の席へと着いたところで漸く、ミーリアは苦笑とともに口を開いた。
「そこまで私との婚約がお嫌なのでしたら、どうしてお断りなさらなかったのです?」
こうなることは分かっていたでしょうにと続けたミーリアの言葉に、男、ジークベルト殿下の側近候補であるフィリップ・ノイナーは苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「あなたは、こうなることが分かっていたというのですか?」
「ええ。そうですね、薄々は」
あの父が、殿下との婚約解消ごときでおめおめと引き下がるはずがないのだ。政権の中枢、そこに留まり続けるために、現宰相を務めるノイナー家と繋がるくらいのことはするだろう。例え、ノイナー家がミーリアの婚約解消に一枚噛んでいたとしても。ノイナー家にそれだけの力があるということなのだから。
澄まして笑うミーリアに、フィリップはギリと奥歯を噛んだ。
「……事前に把握できていたとしても、公爵家からの申し込みをこちらから断ることなどできるはずがないでしょう」
フィリップの言葉に、ミーリアは首を傾げて見せる。
「あら?それでも、避けようと思えば避けられたのではありませんか?そうですね、一番、手っ取り早いのは他のご令嬢と婚約されてしまうことでしょうか?」
ミーリアは酷く意地悪な気持ちでその言葉を口にした。彼が、例えミーリアとの婚約を避けるためとは言え、その選択を嫌がると分かっていながら。案の定、フィリップはミーリアを忌々し気に睨みつける。けれど、反論はしなかった彼に、ミーリアはフィリップの気持ちを言い当てた。
「他のご令嬢を選ばれなかったのは、ノーラ様を好かれているから?」
「なにを、馬鹿なことを……!」
否定するフィリップの言葉は冷たいが、銀縁の奥の彼の瞳が僅かに揺れるのをミーリアは見逃さなかった。ミーリアは小さく笑い「見ていれば分かります」と告げる。
「別に、私相手に嘘をつく必要などないでしょう?あなたの気持ちを否定するつもりも、喧伝して回るつもりもありません」
「……」
「ただ、そうですね……」
言って、ミーリアはフィリップの瞳を見つめる。剣呑な眼差し、それを崩さない彼とどこまで歩み寄れるかは分からないけれど――
「私と、協力関係になりませんか?」
「なに?」
フィリップの訝し気な視線に、ミーリアは笑んで見せた。
「私、恋をしました」
「は?」
「生涯一度の恋ですわ」
呆気にとられた様子のフィリップに、ミーリアは自身の思いを明かす。
「殿下やあなたがノーラを想う気持ちを、漸く理解することができました。ですから、今の私なら、あなたと協力関係を結べると思うのです」
「……どういう意味です?」
訝し気に、しかし、先程よりは僅かに興味を覗かせて尋ねるフィリップに、ミーリアは頷いて返す。
「あなたはノーラをお好きなままで構いません」
「……」
「私も、私の中の恋心を抱えたままあなたに嫁ぎます」
ミーリアの言葉に、フィリップは考え込む様子を見せた。もう一押しだろうかと、ミーリアは言葉を重ねる。
「二人で上手くやっていきませんか?この国のため、延いては、殿下やノーラのためにも」
その言葉の真意を探るように、フィリップの紫紺の瞳がミーリアをじっと見つめる。彼の視線を真っすぐに受け止めたミーリアに、フィリップは直ぐに顔を逸らしてしまった。その眉間には深い皺が刻まれたまま。「否」とも「応」とも答えない彼に、ミーリアはもう一度苦笑する。
「だから申し上げましたのに。後で吠えづらかかれませんようにと……」