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「あんなたぬき親父の言うことなんて聞かなくていいですよ、お嬢様!」
馬車の中、気炎を吐くリリーにミーリアは苦笑した。
ミーリアは、オーディスに別れの挨拶をしたその日の内にリリーとナタリエを伴って辺境を後にした。逃げるようにしてローエを発ったのは、やはり、オーディスへの未練があったから。グズグズしていては、折角の決意が揺らいでしまいそうだった。
「お嬢様を政治の駒にしようなんて、旦那様は酷いです!あんまりです!お嬢様のことを何だと思っているんでしょう!?」
雇い主である父に対して暴言を吐くリリーの姿に、ミーリアの心は少しだけ慰められた。リリーは本気で怒っている。ミーリアのことを思って。
「……ありがとう、リリー。だけど、お父様のことをそう悪く言うものではないわ」
「ですが、お嬢様!お嬢様の初恋が踏みにじられたのですよ!これがどうして悪く言わずにいられましょう!」
リリーの憤怒に、ミーリアは「そうね」と口にした。
「私だって、お父様がただ私腹を肥やすだけの下衆親父だったら、言うことなんて聞かないわ」
「だったら逃げましょう!愛の逃避行です!辺境伯閣下に匿ってもらいましょう!」
無茶を言うリリーに、ミーリアは首を横に振った。
「あのね、リリー。お父様がどうしてあんなに権力に固執するのか知ってる?」
「いえ!旦那様は私が初めてお会いした時からあんな感じでした!」
「……ああ見えて、お父様、この国が大好きなのよ」
父の姿を思い浮かべたミーリアは、自身の口元が弛むのを自覚する。
「お父様はお母様のことが大好きでしょう?それに、お兄様や私のことも」
「それはまぁ、そうですけど……」
渋々と認めるリリーの姿に、ミーリアの口角がますます上がる。
「お父様ったら、家族が好き、領地が好き、おまけにこの国も大好きで、それで、この国を一番うまく回せるのはご自分だと思っていらっしゃるから……」
父が権力に固執するのは仕方のないこと。そう笑うミーリアにリリーが「ですが」と不満な顔を向ける。ミーリアは、それにも笑って答えた。
「困ったことに、私もお父様の考えには賛同しているの。お父様が一番、とまでは言わないけれど、お父様はこの国に必要な方。仮にお父様が失脚でもなさったら、それこそ、私腹をこやす下衆共にこの国は荒らされてしまうわ」
ミーリアの言葉に、リリーは少しだけ考え込む様子を見せる。それから、ミーリアのことをチラリと窺い見た。
「……ですが、旦那様はお嬢様を辺境伯閣下に近づけるのが目的だったのではないのですか?お嬢様が仰ってたじゃないですか、王家への牽制だって」
「そうね。実際、お父様がオーディス様にどのような話をされたのかは分からないわ。けれど、恐らく、私との縁談も打診されていたのではないかしら?」
ただ、父にはいくつもの腹案があって、ミーリアの辺境への輿入れはその内の一案に過ぎない。オーディスがミーリアを見初める、或いは、ミーリアがオーディスを射止めることができていれば、ミーリアがオーディスと結ばれる未来もあった。が、必達ではなかった。
(……ままならないわね)
ミーリアはオーディスとの未来を望んだ。けれど同時に、オーディスがミーリアを選ばないであろうことも承知していた。領地をあんなに優しい目で見守る彼が、中央の政治に巻き込まれることを良しとしないのは容易に想像ができる。そして、ミーリアはそんなオーディスが好きなのだ。
「……あら?」
つーっと頬を流れるものを感じて、ミーリアは自身が泣いていることを自覚した。
向かい合わせに座っていたリリーが立ち上がり、ミーリアの隣に座る。伸ばされる手、ミーリアはリリーの柔らかな身体に包まれた。抱きしめられる腕の向こうから、ナタリエが手にしたハンカチがミーリアの頬を優しく拭う。
「……ありがとう」
そう二人に礼を言い、フッと笑ったミーリアに、リリーの呟くような声が聞こえた。
「……恋ってすごいですね」
リリーの腕に力がこもる。
「うちのお嬢様をこんなに可愛くしてしまうんですから」
ミーリアをギュッと抱きしめたリリー。その声が震えていた。