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3-2 Side O

「え?ミーリア嬢が見当たらない?」


自身の執務室、遣いを済ませて部屋に戻ってきたケヴィンからもたらされた報告に、書類をめくっていたオーディスの手が止まる。


「部屋には?こもっているわけではないの?」


「いえ、朝から出かけて、それきり戻ってきていないようです」


ケヴィンの言葉に一つの可能性がよぎり、オーディスの胸がキュッと痛んだ。


「……王都に、帰ったのでは?」


動揺する心を押し隠してそう尋ねたオーディスに、ケヴィンは再び「いえ」と言って首を振る。


「ミーリア嬢が乗っていらっしゃった馬車はあります。御者も、何も言われていないとのことでした」


ミーリアは王都へ帰ったわけではない。そのことに安堵したオーディスだったが、なぜ安堵したのかを考えたくはなかった。考えてしまえば、認めたくはない感情に行きついてしまう。


「ただ、厨房の者が、ミーリア嬢は森に入った可能性があると……」


「森?なぜ森に?」


ケヴィンの言葉に、オーディスはギョッとした。思わず、椅子から立ち上がる。


「分かりません。ですが、厨房でそのような話をしていたらしく、セディを連れて出たとのことです」


「セディを?」


厨房の下働きを務める少年は、近くに住む猟師の息子だ。地元の人間が「森」と呼ぶ、隣国との境目にあるその場所は、彼らに生活の糧を与えてくれる森林地帯。浅い場所であるなら問題はないが、万が一、森で迷うようなことがあれば――


「……探しに行く」


「え?オーディス様が行かれるのですか?」


深く考える前にオーディスが口にした言葉に、ケヴィンが驚きを見せた。その反応に、オーディスは確かに、と思い直す。


(確かに、捜索するにしても私が出る幕はない……)


それこそ、森を熟知するセディの父親や、そうでなくとも、領軍に命じた方が何倍も効率が良い。


「……捜索隊を出す」


「分かりました。直ぐに軍の隊長格を何名か呼び出しましょう」


「いや。私が行く。……指揮は私が執る」


「は?」


ケヴィンが再び驚きの声を上げるのを聞きながら、オーディスは部屋を出た。後ろをついてくるケヴィンが「そこまでの大事ではないでしょう」と言うのに対し、オーディスは前を向いたまま首を横に振って答える。


「大事も何も、お預かりしているご令嬢が怪我でもしたら……」


自分の言葉に、オーディスは足早になるのを止められなかった。廊下を曲がり、階段を駆け下りるようにして玄関に向かう。が、途中ですれ違う人間の多さに足を止めた。なぜか、男性の使用人達が慌てたように厨房へと向かっている。オーディスは、その内の一人、普段なら庭で花の手入れをしているはずの庭師を呼び止めた。


「オットー、これは何の騒ぎだ?」


「オーディス様。いや、それが良くわからんのですが、人手がいるとかで、厨房に呼ばれております」


「人手?」


「はい。なんでも、王都のお客人が大変なことに」


そこまで聞いて、オーディスは厨房へと駆け出した。使用人用の狭い通路、他の者を半ば押しのけるようにして追い越した先、厨房の前に人だかりができていた。男も女も。興奮したように、入口から中を覗いている。彼らをかき分けてオーディスは厨房に踏み入った。


踏み入った瞬間、オーディスは目の前の光景に絶句した。


オーディスが心配していたミーリアはいつかと同じセディの服を身に着け、厨房の壁に吊るされた雌鹿を前に立ち尽くしている。そして、なぜか、全身が血まみれだった。


「……ミーリア嬢?」


「オ、オーディス様!?」


オーディスの呼びかけに、ビクリと反応したミーリアが振り返る。振り返ったその顔にも、血の拭われた跡があった。一体、ミーリアの身に何が起きたのか。彼女が平然と立ち、周囲が彼女を心配していないことからも、血が彼女のものでないことは分かる。だが――


「わ、私、着替えてまいります!」


「え?あ、ミーリア嬢!?」


厨房の奥、別の扉から飛び出していったミーリアを、オーディスは為す術もなく見送った。本当に何が起きているのか。答えを探して厨房の中を見回したオーディスの視界に、目をキラキラとさせた少年の姿が映った。目をキラキラとさせて、死んだ雌鹿を見上げている。


「……セディ」


「はい!あ、オーディス様!」


オーディスの存在にたった今気付いたらしいセディが、オーディスの下へと駆け寄ってくる。興奮していることがありありと分かる表情でオーディスを見上げたセディが口を開く。


「オーディス様!ミーリア様、すごいんですよ!」


「ミーリア嬢?彼女が何を……?」


「森で鹿を仕留められました!」


オーディスはセディの言葉の意味がわからず、混乱する。


(鹿を仕留めた?公爵令嬢である彼女が?)


王都に住む貴族が余興の一つとして狩猟を楽しむことはある。だが、嗜むのは男性のみ。辺境でも、女性が狩りに出るなど滅多に聞かない。混乱するオーディスに、セディが興奮したままに告げる。


「ミーリア様は今日、初めて弓を取られたそうです!それが、ものの数時間で弓を引けるようになって、最後にはあちらの鹿を一矢で!」


そう言ってセディが指さす先には、彼が見上げていた雌鹿がぶら下がっている。


(初めての狩猟で鹿。……いや、そんなことよりも)


「……ミーリア嬢のあの血は?」


疑問は色々あれど、一番の気がかりをオーディスが口にすれば、セディは「あれは」と口にして笑った。


「ミーリア様、血抜きも初めてだったらしく、お一人でなされようとした結果があれです」


そう言って、その時のことを思い出しているのか、クスクスと笑い続けるセディ。オーディスは唖然としたまま、壁の雌鹿を見つめた。


ミーリアの謎の行動。彼女が狩猟を好むとは聞いていない。実際、弓をとったのが初めてだというのなら、なぜ彼女は急にそんなことを思い立ったのか。


オーディスがその答えを知ったのは、その日の晩餐のことだった。






「……オーディス様、お誕生日おめでとうございます」


「え?」


その日の夜、オーディスはミーリアを晩餐に招いていた。夕刻の姿が幻だったかのように、美しく着飾り貴族令嬢然としたミーリア。メインディッシュを前に彼女が口にした言葉に、オーディスは虚を衝かれた。ついで、「そう言えば」と思い出す。


「……私の誕生日など、よくご存じでしたね?」


「はい。……私の侍女が、ケヴィン様よりお教えいただきました」


「そう」


ケヴィンはそんなことは一言も言っていなかった。後で彼を問い詰めようと考えていたオーディスの前で、ミーリアが恥じらう様子を見せる。


「それで、あの、私よりささやかながら贈り物をさせて頂きたいのです」


「そんな。祝いの言葉を頂けただけで十分ですよ?そのように気を遣っていただかなくとも」


オーディスの返事に、ミーリアはフルフルと小さく首を横に振った。


「どうぞ、お受け取り下さい。たくさん用意いたしましたので、受け取って頂けないと……」


困る。そう聞こえた気がしたミーリアの言葉に続き、二人の前に本日のメインディッシュが運ばれてくる。それに、オーディスは目を見開いた。


「これは……?」


「はい。オーディス様は鹿肉のシチューがお好きだとお聞きしました。前領主夫人が自ら仕留めた鹿を振る舞われていたとか。それで、あの、私も同じものをご用意したかったのですが……」


言ってモジモジと恥じらい始めたミーリアの姿を、オーディスは信じられない思いで見つめた。そのオーディスの視線をどう勘違いしたのか、ミーリアが焦ったように首を横に振る。


「あ!ご安心くださいませ!なにぶん、料理は初めてなものですから、調理はほとんど料理長にお任せしております!私は、肉を切る程度のことしかしておりません」


そう主張するミーリアは「だから、安心して食べて欲しい」と言うが、問題はそんなことではなかった。


(私の好物だから?だから、用意したというのか?素材から?)


オーディスの脳裏に、血まみれのミーリアの姿が蘇る。オーディスの記憶に鮮烈に刻まれた彼女の行いは、ともすれば奇行。だがそれが、オーディスのためだったと言うのなら――


「……ありがとう、ミーリア嬢。早速、頂いてもいいかな?」


「はい、もちろんです!どうぞ召し上がってください」


オーディスの言葉に安堵を見せるミーリア。彼女に見守られながら口をつけたシチューは、お世辞抜きにオーディスの舌を喜ばせた。


「うん、美味しい……」


たった一言、その一言に満面の笑みを見せたミーリアを見つめながら、オーディスは自身の胸の内に湧き上がる思いを認めない訳にはいかなかった。


(……まいったな)


胸の内で独り言ちて、オーディスは漏れそうになるため息を飲み込む。


次の日、オーディスは食事の礼として、自身の子ども時代の乗馬服をミーリアに贈った。






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