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「刺繍作戦はまずまずの結果だったと思うわ。我ながら、見事な出来栄えだったもの」
「見事過ぎて、マントの重量、変わってましたけどね。辺境伯閣下、あんなもの身に着けて戦えるんですかね?」
「……」
リリーの指摘に一瞬黙り込んでしまったミーリアだったが、「いいや、問題ないはず」と首を横に振る。
「私はオーディス様のお力を信じるわ」
ミーリアの言葉に、隣でナタリエが頷いた。
「あれだけの厚みになったのだ。下手な斬撃程度なら防ぐことができる」
防具としても申し分ないと言うナタリエの言葉に、ミーリアは強く頷き返した。
「……お嬢様がそれでいいのでしたら、リリーはもう何も申しません」
そう投げやりに口にしたリリーだったが、「次はどうします?」と首を傾げて見せる。その言葉に、ミーリアは一つの懸念を口にした。
「ねぇ、リリー。家庭的な女性というのも悪くないのだけれど、私、オーディス様とほとんど会話が出来ていないのよね」
ミーリアの言葉に、リリーは「ああ、確かに」と頷いた。
「お嬢様、こちらに来られてから、ほとんど部屋に籠りっぱなしですもんね。王都に居た頃には考えられないくらい、なんにもしておりません」
「……なにもということはないわよ。お菓子作りに挑戦したし、刺繍も完成させたわ」
ただ、それが貴族令嬢として正しい姿か、或いは、父がミーリアをこの地に送り込んだ目的と合致するかは甚だ疑問だった。
(そうよね、私の本来の目的は辺境との交流。お父様としては、オーディス様に顔を売り込んで来いということでしょうから)
もっとオーディスとの仲を深め、できれば、領の視察などにも同行させてもらえると有難い。書類でしか知らなかったこの地を知ることが出来れば――
(って、別にもう、私がこの国の将来を考える必要なんてないのよね……)
ミーリアはジークベルトの婚約者ではなくなった。王太子妃、ひいては王妃となる道の断たれた自分がこの先どうなるのか。ミーリアには薄々見えている未来があったが、それを認めたくはなかった。
「お嬢様?どうされましたか?」
「……別に、何でもないわ」
考え込んでしまったミーリアにリリーが声をかけるが、ミーリアはそれに首を振って答える。ミーリアをじっと見つめたリリーが「それなら」と言葉を続けた。
「今朝仕入れて来た新情報です。辺境伯閣下は、毎朝、遠乗りに出られるそうです」
「あら、そうなの?」
「お嬢様、そうなの?ではありませんよ。どうしたんですか、一体。一の情報から二手も三手も先を考えて悪事を練る。あのお嬢様はどこに行ってしまわれたんですか?」
ミーリアはリリーの言葉に鼻白んだ。彼女が、ミーリアを茶化すのは、ミーリアを元気づけようとしているからだ。小細工のできないリリーの態度は分かりやすいが、それにしても「悪事」はない。
「悪事なんて練った覚えはないわね」
切り捨てたミーリアに、リリーはニッコリと笑って答える。
「そうでした。いつでもお嬢様は正しいことと楽しいことをお考えになるんですよね?」
「……」
それもどうだろう?と思ったミーリアだったが、リリーが「それでは今回も楽しいことを考えましょう!」と張り切り出す。
「楽しいことって、まさか、オーディス様の遠乗りについて行けとでもいうの?」
「そう!それです、その通りです!二人きりのお出かけ、お嬢様の体格なら閣下との相乗りも可能。お嬢様の柳腰に触れた閣下はドキリ!女性として意識し出すわけですよ。密着した体にムラムラとオスの本能を刺激され、って、イタッ!」
リリーが言いかけた言葉は、ナタリエの手刀により止められた。「痛い」と自分の頭を撫でるリリーの横で、ナタリエが「ミーリア様のお耳を汚すな」と窘めている。
(……女性として意識、か)
ミーリアは自身の身体を見下ろす。自分でも、そこそこに発達した体型をしているとは思う。ただ、如何せん、全てが小さめ、身長のあるオーディスと並ぶとチグハグな印象となってしまうことは否めなかった。
それに――
「……だいたい、オーディス様の遠乗りは訓練や視察を兼ねたものでしょう?呑気に相乗りなんかで会話する暇などないわ。私がついていくなんて、邪魔になるだけよ」
そう言い切ったミーリアに、リリーが可哀そうなものを見る目を向けて来る。
「お嬢様って、変なところで真面目ですよね?」
「どういう意味?」
「訓練だろうが視察だろうが、一日くらい、女の子とイチャイチャする日があってもいいじゃないですか!」
「イチャイチャ……」
リリーの口にした言葉に、ミーリアは思考が停止しかけた。自分とオーディスのそのような姿を想像しようとして、顔に熱が集まる。
「いいですか、お嬢様?お忙しい閣下と過ごせる時間なんてそもそもそんなに無いんですから。ここは多少我儘を言ってでもお時間をいただくしかないんです!」
「それは、確かに。……でも」
「お任せください、お嬢様!このリリーが、辺境伯閣下とのお約束をなんとしてでも取り付けて参りますから!」
言うや否や、部屋を飛び出していったリリーを、ミーリアは呼び止めることはしなかった。結局、また、己の欲に負けてしまったのだ。
それから暫くして部屋へと戻ってきたリリーは、満面の笑みだった。「私にかかればチョロいもんです!」と鼻息荒く言うリリーに、ミーリアは苦笑して、それから三人で、乗馬のための服選びを始めるのだった。
「オーディス様、本日は私の我儘にお付き合いくださり、ありがとうございます」
「……ああ、うん。いや、こちらも、ミーリア嬢との遠乗りは楽しみにしていたんだけど、あー、えっと、ミーリア嬢?……その恰好は?」
オーディスとの朝駆け当日、ミーリアは借り物の服を身にまとっていた。リリーが厨房に出入りして仲良くなった下働きの少年の服が、ミーリアにピッタリだったのだ。その少年が十二歳であることには、ミーリアは目を瞑ることにした。大事なのは、服の機能性なのだから。
「これは、厨房のセディという子に借りたものです。私、生憎と乗馬用の服を持ち合わせていなかったものですから……」
そう告げたミーリアに、オーディスは「ああ、なるほど」と呟いた。
「そういうことでしたら、言っていただければ母の乗馬服がどこかに……」
言いかけて、オーディスの視線がミーリアの全身を眺めるのを、ミーリアはしっかりと見ていた。彼が言いかけて止めた理由は分かる。先の領主夫人は元騎士というだけあって、非常に恵まれた体格をしていたそうだ。彼女の服を小柄なミーリアが着るのは難しいだろう。
結局、困ったように笑ったオーディスは、「そのような恰好もお似合いです」と社交辞令の一言を告げて、自身の馬へと跨る。
ミーリアは動けなかった。目の前、ミーリアのためにと連れてこられた大人しい牝馬を前に、俯き震えた。
(……分かっているわ。今のはただの社交辞令よ)
ミーリアだって、同じような場面だったら同じことを言う。なのに、好きな相手からの一言とはなぜこうも響いてしまうのか。似合うと言われただけ。可愛いと言われたわけでもなく、自分は少年の恰好をしている。下手をすれば誹られたと感じてもおかしくない一言に、ミーリアは顔が赤くなるのを止められなかった。
「……ミーリア嬢?どうしました?やはり、私の馬でご一緒しますか?」
「いえ、大丈夫です……」
馬を前にミーリアが困っていると思ったのか、相乗りを提案してくれるオーディスに、ミーリアは首を振った。そのまま、馬丁の手を借りて馬の背に跨る。
「失礼しました。私も、乗馬は多少、嗜んでおります。オーディス様は手加減などなさらず、いつも通りの訓練をなさってください。ついて参ります」
そう毅然と胸を張ってオーディスに告げたミーリアだが、自身の頬が未だ熱を持つことは自覚していた。「締まらない」と思いながらも素知らぬ振りでいれば、オーディスが笑ったまま「では」と言って馬を走らせ始めた。ミーリアは、その後を追う。
様子見か、並足で走り始めたオーディスだったが、背後をついてくるミーリアの姿を確かめると、次第に速度を上げ始めた。その後ろを遅れることなくついていきながら、ミーリアはオーディスの背中に見とれていた。眼鏡をかけているせいか、普段のオーディスは王都の国立図書館で司書でも務めていそうな知的な雰囲気をしている。なのに、こうして馬を駆けさせる彼の背中はやはり逞しい。ミーリアの知る学園の生徒たちの未発達の身体とも、運動不足のたたった父の丸々とした身体とも違う。大人の男を感じさせるオーディスの背中に、ミーリアの顔の熱はいつまでも引かないままだった。
「……ミーリア嬢は乗馬がお上手なのですね」
小高い丘の上、速度を落としたオーディスに合わせて、ミーリアも馬の手綱を引く。ゆっくりと馬首を並べて走りながら、オーディスが話しかけて来た。それに「ありがとうございます」と小さな声で答え、ミーリアは顔を伏せた。
なぜだろう。漸くオーディスに慣れてきたと思っても、彼の新たな一面を見つけては、またドキドキしてしまう。その度に、彼の顔がまともに見られなくなる。いっそ、もうずっとこちらを見ないで欲しい。オーディスの背中だけを見ていたい。ミーリアのそんな勝手な思いを知るはずもなく、オーディスが「こちらへ」とミーリアを誘った。
「……まぁ!」
たどり着いた丘の上、見下ろす景色にミーリアの口から感嘆の声が漏れる。どこまでも続く小麦畑、青々とした葉が風で波を作る様子に、この秋の実り、この地の豊かさを感じて、ミーリアの顔は自然に綻んだ。
ミーリアは、こういう景色が好きだ。アーレントの領地にも同じような光景が広がっている。幼い頃より、領地へ帰る度に父に言って聞かされた。これがこの国に住まう者の暮らしであり、ミーリア達が守っていかねばならぬものなのだと。
「……風が心地よいでしょう?」
オーディスの言葉に、ミーリアは隣に並ぶ人を見上げた。彼の視線は、丘の下を見下ろしている。
「見晴らしも良いですから、時々こうやって足を運んでいるんです」
そう言って穏やかな笑みを浮かべるオーディスに、ミーリアの胸が詰まった。
(私はやはり、この人が好き……)
ミーリアは前を向く。この景色も、彼の横顔も、この先一生、忘れられないだろうと思いながら。




