半竜人族の少女、短剣を披露する。
「せっかくだからあの子たちも呼びましょ!」
そう言ってステアは手を振る。
その瞬間伝言の術式が部屋を飛び出し下の幻想舎まで一直線に向かって行く。ウォルはその一瞬でステアが作り出した術式がどのようなものか見抜くことができた。すぐに来るようにと言うステアの声が込められていて、任意の人の目の前で開封される仕組み。その対象はロノにキコリコ姉妹、さらにシャレンやアンスタリスまで呼んでいる。それに気づいてウォルは慌てる。
「うわぁ!そんなに集めなくていいのに!」
「だってウォル?これからあの子たちに一回ずつ説明するのは大変でしょ?」
「それはそうだけど….!」
確かに短剣を見せるたびにその話をするのは大変だ。手間は省けるものの、この場所に一度に集めてしまってはいろいろ聞かれるに違いない。
「っていうか、ここに呼んじゃっていいの?みんなここに来たことないんじゃない?」
「あら、そうだったわね。ウォルと同じように友達感覚で呼んでしまったけど、あの子たちからしたら急に“幻想龍”に呼ばれたってことよね…。」
二人は呼んでしまってからその事実に気づいたが、時すでに遅し。
“幻想龍”からの召集を受けて複数の足音が階段を上がってくるのが分かった。一番はじめに姿を見せたのはロノだ。
「失礼します!“幻想龍”様、ロノです…ウォル!」
初めは畏まって扉をノックし足を踏み入れたロノだが、ウォルの姿を見てステアの前だと言うことも忘れ思わず駆け寄ってくる。
「まだ後から何人か来るから、好きなところにお座りなさいな。」
そのステアの呼びかけて“幻想龍”の私室にいることを思い出す。
「はい!ご、ごめんなさい!」
ロノは反射的に頭を下げて、近くにあったソファに腰掛けた。しばらく待っていれば、ロノに続いて続々とみんなが集まってきた。ステアに呼ばれたので皆何事かと訝しげだ。今までこのステアの部屋に入ったことのなかったキコリコ姉妹はお互いに支え合って恐る恐ると言った具合。
「これからみんなにウォルから話があるの。言っておくけど私もこの話を聞くのは初めてよ。私もびっくりしたから急遽みんなを呼んだの。」
ステアはそう集まった面々に断りを入れた。
「ウォル、みんなに見せてあげて。」
「うん!」
ウォルはあえて大仰にマントを開き、ポーズをとって腰に佩した短剣を見せる。
一斉に息を呑む音が聞こえる。龍であるロノ、シャレンとアンスタリスはその短剣が古き龍のものであることを即座に見抜いた。キコリコ姉妹も相手が誰かはわからぬもののウォルにそのような関係の人がいることを知って愕然とする。つい先日ウォル達と短剣の話をしたばかりだ。
「うそ!」
「いつから!?」
「何で言ってくれなかったのさ!」
この反応も至極当然だろう。ここを出かけていくまではそんな気を微塵も見せていなかったのに、帰ってきたらこうだ。
「これをもらったのは授与式の後だよ。」
「うわ、めっちゃ最近じゃん!」
ロノにシャレン、アンスタリスは誰の短剣かわかっているので共通認識で問題なく話が進むが、単純に龍力だけで判別できないキコリコ姉妹は完全に蚊帳の外だった。
「え、ねぇ、誰?誰!?」
リコがロノをつついて聞く。
「“死眼龍”様。」
ロノが囁きにならない声でリコに伝える。
その相手を知ってキコリコ姉妹が再度固まった。この国で『仙天楼の五龍』に次ぐ超大物。龍の中でも最古かつ最強と呼ばれる存在。今この場には“幻想龍”たるステアがいるので感覚が麻痺しがちだが、『六至龍』は他国で言えば国王や教皇クラスの立場。いや、それよりも上かもしれない。思ったよりもウォルの相手が遥かに上の存在だったことで一瞬状況を飲み込めなくなってしまったのだ。
「ね、びっくりよね。」
ステアが、もはやなんでも来いというような諦めの境地で声を漏らす。そこから始まるのはロノによる尋問の時間だ。
「まず初めにウォル、馴れ初めはこの前ルイン様がここにいらっしゃった訓練の時よね?」
「うん。」
それを聞いて他の面々もウォルの担当が“死眼龍”であった事を思い出す。他のペアとは違い、護身術だけでなく他の技術まで教わっていたはずだ。さらに二人が古代魔術の模擬戦をして引き分けたことは記憶に新しい。
「その時から?」
「ううん、そのときはまだ…。」
「でもウォル帰りの時に何か渡されてたよね。」
ロノはその師弟にしては距離が近い関係にちょっとした違和感を覚えていたようだ。
「でも、それはただ通信ができるやつだよ。私が古代魔術で引き分けたからさ、これからも話をしたいって事で。」
「ふうーん?本当かなぁ。ま、いいや。…で、“死眼龍”様を意識した時は?」
ロノは尚も怪しんでいたが、話を進めることにしたようだ。
ステアまでもが食い入るようにウォルの声を聞いている。その場全員の視線を受けて、少しづつウォルは恥ずかしくなってきた。
「え、えーっ…!いつかはわかんない…。なんか話しているうちに、というかなんというか…。」
ヒュウ、とアンスタリスが口笛を鳴らしてヤジを飛ばした。
「じゃあ、確信に変わったのは?」
「なんかめっちゃ聞くじゃん!」
「そりゃそうでしょ!
友達が急に帰ってきたと思ったら短剣を持ってて、しかもそれが“死眼龍”様のものって言うんだもの。ここで何も聞かないとかあり得ない!」
ディースを好きだと言うことが確信に変わった時…。ウォルはあの時を思い出していた。それまでも、他の人よりかは身近に感じていたが、その場面で自分がこの龍を好きだと確かに感じることができた気がした。
「助けに来てくれた時、かなぁ。なんか目があったような気がして…。」
「うわぁ…!噂の“赤煌龍”様を止めた時?」
「うん、その時。」
「ピンチに現れる英雄ってところね…。分かるわぁ。」
そう言うのはシャレン。彼女にしてみれば、“死眼龍”がウォルと婚約したと言うことはかなりの重みを持つ。“死眼龍”は自らの好きな“銀角龍”と並ぶ龍であるので、ウォルの情報は自分の恋を叶えるための重要な手掛かりなのだ。
「ね、彼のどこが好きなの?」
キコからも質問が飛ぶ。
「どこ!?ええーっ、どこだろう…。全体としてかっこいいけど、特に挙げるとすれば『眼』かなぁ。」
「やっぱり他の龍とは違うものなの?“死眼龍”様の眼って。
流石に目を合わせると失礼かなって思って眼は見れなかったんだけど…。」
『失礼かも』とは言うものの、おそらくそのアンスタリスの思考には敬意だけでなく恐れも入っているのだろう。『死眼』と言う単語だけが独り歩きをしているので、目を合わせればもしかすると何か自分に害があるかもしれないと思ってしまうものだ。やはりその真実はウォルのように直接本人に関わった者でなければ分からない。
「うん、ディースの眼って黒だけど、その力が込められた時に紫色の光が入るの。それがとっても綺麗なんだ…。」
力が上がった時、それはつまり『死』の力を使っている時。何人かはその紫色の光が入る理由にギョッとして身を少し引いたが、目の前のウォルは生きている、と思い直す。
「なんか、全然実感がないと言うか…。
ウォルの相手が“死眼龍”様だなんてまだ信じられない。あ、いい意味でね?」
「確かに、『帝国最強の鉾』でしょ?
ねぇ、シャレン、あなたも参考にいろいろ話を聞いたら?」
「う、うん…。」
その言葉に反応したのはステアだ。どうやらシャレンの恋愛話を知らなかったらしい。
「え、なになに!?」
本当に友達感覚でそのまま言葉の真意を聞く。
「あ、やべ!」
ロノが口を滑らせたことに気づいたがもう遅い。
「シャレンちゃん?怒らないから私に教えてごらんなさい?」
顔を赤くして黙ってしまったシャレンにステアが追及を開始する。口を開かないシャレンの代わりにアンスタリスが暴露してしまった。
「シャレン、“銀角龍”様が好きなんです。」
「本当に!?あの馬鹿の元凶を!?あら、ちょっと言いすぎたかしら。
まぁ誰かを好きになるのはそれぞれだから何も言わないけれど、シャレンもウォルもよりによってあいつらを好きになるなんてね…。」
自分の直弟たちを好きな者が目の前にいる、というのはなかなか複雑な心境のようだ。意図せずしてステアをこの話に巻き込んでしまったが、ステア自身はとやかく言うつもりはないらしい。
「まあ、私からは何も言わないわ。自分達の好きにしなさい。
でも、シャレンちゃん?しっかりとお話は聞かせてもらうわよ?」
「ふぇ、はいぃ…。」
ステアの言葉が終わると、ロノがウォルへの追及を再開する。
「ね、キスはしたの?キスは。」
その一歩踏み込んだ質問に何人かの顔が赤くなる。ウォルも慌てて手を振って否定した。
「それはまだ!ディースが、私がもっと成長してから、だって…。」
ウォルはその時の様子を想像して、そのまま撃沈。両手で顔を覆ってしまった。
「じゃあ、ハグはした?」
「…ハグはした。」
小さく答えるその声に湧き上がる拍手。
「はぁー。なるほどね。分かった気がするわ。」
しばらく考え事をしていたステアが急に膝を打った。
「ウォル、幻想舎で護身法を教わった時にもらったその通信具、多面体の黒い石でしょう?」
「え、なんで分かるの!?」
その声にウォルは思わず顔を上げて目を見開く。
あの石は受け取った時に隣にいたロノしかどんな色形なのかわからない筈だ。
「あいつの心理なんて手に取るように分かるわ。あいつ昔連れ合いがいたのよ。昔って言っても九万年前くらいかしら。でもすぐに大戦に巻き込まれて永遠にその相手を失うことになったわ。言われてみればウォルと最初に会った時の感覚がその龍そっくり。だからあいつは同じようにその石を贈ったんだわ。」
「そうだったの!?」
ウォルは自分が“皓灰龍”に似ていると言われて驚く。
「そうよ。でも少し話していればその龍とウォルが全然違うことはすぐ分かる。でも一度意識しちゃったら簡単に離れられないものなのよ。ウォルの場合は見た目は若くても精神年齢は十分大人だから龍から見れば恋愛対象に入る。それにあいつは自分より秀でた何かを持っている人が好きだからぴったりウォルが当てはまったのよきっと。」
それに相槌を打ったのはロノやシャレン。
「確かにウォルは竜人の女の子ってよりも龍の女の人って言われた方がしっくりくる!」
「それは言える。私の少し上、くらいの感覚かも。」
ウォルにとっては全くそんな自覚はないので、首を傾げるばかり。
「私ってそんなに大人っぽく見えるかなぁ。」
「見えるよ!」
「いいなぁ、私もウォルみたいに大人になれれば…。」
そう言うロノを前にして、ウォルはディースが言っていたことを思い出す。
「あ、ロノ?」
「ん?」
「ディースがね、『ルイン様はロノがもう少し大人になったら考えてくれると思う』って言ってたよ?」
「え゛?」
ロノ、思考停止。今度はウォルによる反撃の時間だ。
「大人になったら…大人になったら…。」
その単語だけがロノの口から漏れる。
「嫌ってわけじゃないんだって。ルイン様もロノの気持ちを優先してくれると思うよ?」
「ほんと!?」
そこに口を挟んだのはステア。
「そんなロノにいいことを教えてあげるわ。
“世界龍”様は今ひとりのパートナーがいらっしゃる。その前にもおひとりいらっしゃったわ。その方はこの世を去られたけど、そのお二方に共通することがあるの。」
みんなの目が一斉にステアの方を向く。あの“世界龍”様の情報なのだ。そんなものを聞く機会など滅多にない。ステアにしか分からぬものもあるのだろう。
「黒髪なのよ。お二人とも。」
全員の目がロノの髪に向く。黒髪だ。
「はっきりとはおっしゃられた事はないけど、“世界龍”様は黒髪の方が好きなのだと思うわ。こっち側では黒髪ってとても珍しいから、ロノはとっても運がいいわね。」
確かにウォルが知る限りで黒髪なのはロノとディースくらいしか居ない。
見るからにロノの顔が明るくなる。
「思った以上に時間が解決してくれるかもしれないわね。
ウォルに精神年齢の上げ方を教わるのもいいかもしれないわ。肉体年齢はロノ、自分の力である程度操作できるでしょう?」
それはアリなのかどうか疑問に残るところもあるが、確かに大人になろうと思えばできないことはない。
「ウォル!思考を早める方法を教えて!今すぐ!」
「ええっ!?いいけど、複雑な術式だよ?」
「何でも来い、よ。今なら全てが成功する気がするわ!」
ウォルは急遽ロノに下層の幻想舎で思考を加速させる術式を教えることになってしまった。
どんなものかとキコリコ姉妹もついてきたが、シャレンはステアに捕まり、アンスタリスもそれを冷やかすために残った。きっとステアに“銀角龍”のことをとことんしぼられるに違いない。ウォルやロノはアンスタリスからことの次第を聞こうという算段だ。
「じゃあ、今から教えるのは思考速度上昇の術式だよ。
これは空間系術式、魂魄系術式と並んで扱いが危険な部類に入るからしっかり聞いて、正確に術式を組んでね。」
「分かった。」
ウォルとロノが向かい合って座り、その横にキコリコ姉妹が座るという構図だ。
「ねぇ、ウォル?
私たちもその術式を教わってもいい?」
そう聞いたのはリコ。
「うん、聞くだけなら問題ないよ。
実際にそれを術式として起こせるかどうかはその技量次第だから、二人も試してみて。」
「ねぇ、危険っていうのはどんな感じに危険なの?私たちが試してみる感覚で居ていい?」
キコは少し心配そうだ。確かにキコリコ姉妹はここ数日で古代魔術の腕を伸ばしている。だがまだ空間系、魂魄系にまでは辿り着いていないのだ。
「今回の場合は大丈夫。私が失敗した時のための対応術式を組んでおくから。
でも私が居ない時に試さないでね?頭が物理的にぶっ飛んじゃうから。」
流石は魔術師。『私が対応できるから無茶をやる』というのは“世界龍”に似た動きだ。
「怖っ!ウォルは信用できるから挑戦するけど…。その対応術式って組めるのは…?」
「多分私とホールンさん、ルイン様くらいかな。」
「うわぁ…。」
それっきり声が出なくなるキコリコ姉妹。
「じゃあ早速やってみよう!」
思考速度上昇の術式にはいくつかの種類がある。
まず単純に脳の時間を加速させ、老化が進まないように緩和させるというやり方。これは時間の操作と肉体の操作が可能であれば容易に行えるものだ。多くの龍は既に処理能力の高い脳を持っているので、その方法のみで事足りる場合が多い。今回ウォルがロノに教えるもののメインがこれだ。既に時間の操作に対して高い適性と技術を有しているロノであれば容易に習得できると考えた。だがこの術式は一番容易に構築・使用できる反面、最も危険度が高いものでもある。時間の加速と脳の修復が適切な対応量で作用していないと、肉体的な脳の消失、または思考的な自我の消失を引き起こすのだ。時間の加速が大きければ単に老化に向かうだけ。修復が早過ぎれば脳内で情報が伝達される前に修復されてしまい自我を失う。その間合いを測りながら術式を使用する必要がある。
他には術式的空間内で自身の脳を複製するというやり方や、思考を分割してそれぞれに補充を与えるというものなどいくつか存在し、高位の術者はそれを自身に合う最適な形で併用している。
ロノがその方法や考え方などを一通り教えると、時間については既に我が物としているロノが脳の修復術式を組む。その周囲をウォルの防御術式が囲み、いざという時に備えていた。キコリコ姉妹はというと、やはりその術式を扱うにはまだ早かったようでもう既に諦めの境地にいた。
「なんかもうちょっとだと思うんだけど…。」
「対応術式の反応を見る限りいい感じよ!そのまま続けてみて!」
「わかった…!」
二人の様子を見ているキコリコ姉妹にウォルが説明を加える。
「修復術式の中でも自然老化に対するものってとっても組みづらいの。
若いうちならまだまだ簡単な方ではあるんだけど、被術式者が高齢であればあるほど困難なのよ。その点で言えばルイン様はほんとに凄い。」
「“世界龍”様はこの術式をどこかで使っているの?」
ウォルはその問いに授与式典で知った事実を伝える。
「オリガ様…えーっと、“原初”様はね、ルイン様による術式を組み合わせた正の効果がかけられているの。」
「そうなの!?」
「うん、言わば延命措置ってところかな…。」
「知らなかった!ウォルってそんなことも分かるのね!」
「まぁね、古代魔術に関しては、かな。」
実をいえばその効果がかけられているのをウォルは片眼鏡に表示されるよりも早く見つけていた。その探索・解析速度はかの“世界龍”の片眼鏡よりも早いのだ。
「よし!」
その声と共にロノの喋り方が変化する。
「ネ、コレッテズット術式ヲ展開シテイテイイモノナノ?ズットコノ状態ダト…。」
「ロノ、加速されているのは思考だけだから喋り方は普通に戻さないといけないんだよ。
これ、慣れるまでに少し時間がかかるんだよねぇ…。」
「ウワ、ほんとだ!」
ロノがシェーズィンに跳んだ時、首都では、ディースが活動を行なっていた。
その目の前には一龍が居る。薄汚れた服に整っていない伸びた髪、その目の下にはクマができ、頬も痩せこけている。溢れ出るような覇気も無く一見龍には思えないが、彼もまた二つ名を持つ古き龍だった。
「急な連絡で時間をとってもらってすまないな、デシアス。」
「ああ、全く問題は無いぞ?お前のことだ、重要な要件であることはわかっているからな。」
それは『隠された龍達』の中の一龍、“傀操龍”だ。彼は『操』と言う要素を持ち、生命非生命に関わらず物体を操りその周囲の様子を知ることができる。
「ああ、一・八区画に送り込んでいた糸操人形が軒並み破壊された。私の深層術式を見抜き、かつ的確に破壊している。」
「一・八区画…。分かった。私の方から“世界龍”様にお伝えしよう。」
「頼んだ。我が方でも新たにいくつかの糸操人形を向かわせるつもりだ。その経過もまた報告する。」
「感謝する。して、お前に対しての対抗式等は組まれていないか?」
「その点は問題ない。送り出す時点で術式のみの糸だ。私の精神と連結していないからこちらに対する攻撃は無いな。強いて言えば向こうから探知の【原初の言葉】を使われた。結局私の存在は知れ渡っているから問題ないだろう。」
「いつもの型通りだな。だが、ここ数年で不穏な空気が高まってきている。くれぐれも注意してくれ。」
「承知。
ああデシアス、おめでとう。」
「ん?ああ、これか。」
“死眼龍”はマントの上から短剣に触れる。
「我の力の行使対象にならないとは。強力な力よ。良き星を見つけたな。」
「まだ決まったわけではないがな。」
「それでも、短剣を持つと言うのはそういうことだ。ではな。」
その龍はディースと別れると足速に立ち去っていった。
彼の操る糸操人形はさまざまなものが該当するが、そのほとんどが人間族。彼が人間の国に直接足を運び、犯罪者として地下で生活している者や奴隷などに自らの術式を施して使っている。彼こそエンデアにおける質量情報戦の要。人間はそれに気づく事はない。無意識に彼に情報を提供し続けることになるのだ。
そんな“傀操龍”と別れたディースはさらに宮殿を進む。
「どうだったかな?」
「これは、“世界龍”様。」
ディースはその声に振り向いて立ち止まり、頭を下げる。宮殿の廊下を歩いていたディースに後ろから声をかけたのは“世界龍”だった。
「あの歳の娘に短剣が欲しいと言われてしまいました。なんでもまた会うための守り刀だとか。」
「ふむ、それで其方も彼女の短剣を持っていると言うことか。なるほどなるほど。」
二龍はそのまま壁に隠されていた昇降機に乗り込み宮殿の地下へ。
「どうだ、あの娘は似ているか?白灰の龍に。」
「当初、その面影のようなものを感じ取りましたが次第に薄れていきました。あの娘は既に自らの力を確立しています。もう何者にも代わり得るものではないでしょう。」
「そうかそうか。せっかくだから挙式の時は私が立ち会いをしてやろう。はっはっは。」
そう言う“世界龍”にディースは焦る。
「“世界龍”様!まだまだ先の話です。ウォルもまだ魂魄年齢は幼い。もっと経験を積めと言ってきたところですから。」
「そうだな、少し先になるか…。いや、それは分からぬやもしれんぞ?
あの娘は常日頃から思考の加速を行なっている。その処理能力はかなり高い。私が与えた片眼鏡を使いこなせるほどに、な。
つまりはあの娘の精神年齢は既に大人の域に達している。」
「それは感じていましたが、それほどなのですか。」
「ああ、今すぐに婚姻を結んでも不自然ではない。確かに魂魄年齢が少し幼くはあるがな。」
そこまで言って笑った“世界龍”は、急に動きを止める。
「少し待てデシアス。」
突如として変化した“世界龍”の雰囲気にディースの背筋が伸びる。一歩先を歩いていた“世界龍”は急に振り向き、ディースを見る。
「デシアス、あの星をなんとしてでも守り抜け。これは助言ではなく命だ。血の守りや死越式を使っても構わん。先の取り決めよりもそれを最優先にしろ。」
「はっ!」
先の取り決めというのは敵対する神域存在が侵攻してきた場合のディースとホールンの動きのことだ。ディースの返事を聞いて“世界龍”は続けて言う。
「禍の到来が早まった。原因は解らぬがかなり近い。デシアス、龍を集めよ。」
「最速で本日の夜となりますがよろしいでしょうか。」
“世界龍”はその卓越した先を見る力で何かを察知したのだろう。ディースにもその微かな焦りが伝わってきた。“世界龍”がここまで焦るなどディースは今まで経験したことがない。
「構わん。舎にいる龍まで全て集めるのだ。」
二龍は早足で廊下を進み始める。
「高等舎に所属する者はどれほどいる?」
「幻想舎に十一、白金舎に四十二、紅鱗舎に六十八です。」
「よし、それだけ居れば良いな。」
その瞬間ディースはその“世界龍”の言葉の真意を理解する。
「卒業認定による即時参画ですか。」
「その通り。高等舎に三年以内に入った者はウォルを除いていない筈だ。そのウォルも既に魔術師。どのような惨状になるか断定できない今、新たな指導者的立場になる若い者たちに実践を経験させる必要がある。」
“世界龍”の予測では現在の上層部が来る大戦で一定数失われることになる。その時急に繰り上がって上の立場になる者は総じて全く使えない。右も左も分からぬ場所に急に放り込まれるのだからそれも当然だろう。なので先を見越して候補官として各部署に配属しておくことでその仕事を簡単に引き継げるようにすると言うことだ。
「檄を発せ。優先度第一位。黒衣集を召集し、二つ名持ちを対応に当たらせろ。」
「“影鎗龍”を使いますか?」
「そうしよう。
イリアル、アズウェン、オリガにも先に伝達してくれ。」
「はっ、直ちに。
“世界龍”様、ひとつ“傀操龍”から言伝が。
一・八区画の糸操人形が軒並み破壊されたようです。継続して情報収集に当たるとのことでしたが…。」
「既に始まっていたか。現時点で“傀操龍”に直接害を及ぼすことはなさそうだ。そのまま継続せよと伝えてくれ。」
「はっ。」
ディースは転移の力を発動して即座に行動を開始する。
転移した先、宮殿内のディースの執務室でディースは本棚の影に向かって声をかける。
「シャラウド。」
「ここに。」
その影には黒いマントの龍が現れた。
「全ての龍を召集。時刻は今夜。行け。」
「承知。」
その一瞬で影の龍は消える。
次にディースが手を伸ばしたのは机の上のダイヤルキー。
「デシアスだ。今夜に龍を召集。第三手順に従って行動せよ。」
相手方からいくつもの了承の声が聞こえる。
最後までそれを聞かぬうちにダイヤルキーから手を離し、その手を壁の方に向ける。
「来い。」
その何の変哲もない壁に、姿を隠していた大鎌がゆらりと現れる。『死穫の斬刃』は“死眼龍”の主武器。龍鱗から加工した刃はほぼ全てのものを切り裂く。これまでも多くの大戦をディースと共に潜り抜けてきた。
それはゆっくりと浮遊してディースの手に収まった。
そのまま歩いて執務室を後にする。
「閉じておけ。」
扉から出て、二つの像への命令を出した後、その場で一気に転移する。
“界裂の狭間”
『帝国最強の鉾』が動いた。それはすぐさまその対をなす『楯』にも情報が回る。
「始まりましたか。」
同じく宮殿内の執務室に居たホールンもその腰を上げた。部屋の小上がりに飾られていた大きな剣を手に取り部屋を出て行く。
龍の国の軍部が人知れず動き出した。




