半竜人族の少女、東国を知る。
「そろそろ陽が落ちる。円門に行くか。」
「うぇっ?」
そのディースの声にウォルとホールンさんはその手を止める。
今は話していた理論の確認をしながら、それを文書に起こす作業をしていた。
『せっかくならそのまま論文を書いてしまえ』という暴論の元、ウォルとホールンさんは口述筆記の要領でお互いを正面にして机に向かっている。
今はその論文も中盤。
これからまとめに入っていくという段階だったがために水を差された二人は少し嫌な顔をする。
「円門の上で夕日を見るという話では?」
ディースは昼間の話を覚えていたのだ。
もし今ここでディースが声をかけなければ、ウォルもホールンさんも夜遅くまでこの話を続けていたに違いない。
「そうじゃん!」
「そうでした!危うく約束を反故にするところでしたな。」
二人は慌てて立ち上がり、椅子にかけてあった上着を着る。
白熱した議論の余波で二人とも汗ばみ、途中で上着を脱いでいたのだ。
「まだ時間はあるからゆっくりでいい。
明日からの続きがしやすいように片付けておいてくれ。私はこの研究室をいじらないから。」
ディースに諭され、三人はある程度散らかった研究室を片付けた。
書いて失敗した紙を捨て、術式を付与してそのままになっていた実験器具からそれらを解除する。必要なものは纏めて机の上に置いた。
「このくらいでいいでしょう。
そうですねぇ、門に向かう時に暖かい飲み物でも買っていきましょうか。上は思った以上に冷えますから。」
三人は昇降機に乗って下に降りる。
もうの魔術具屋は閉まっていて、店内は真っ暗だ。
明かりを持ったディースを先頭に、商品にぶつからないように気をつけて進む。表に出る扉は内側から鍵の術式を開けて外に出る。
少しづつ陽が落ちて、影の部分にはもう既に闇が広がっていた。
道の随所で灯りがつき始め、夜の首都がやってくる。そこはもう大人の世界だ。
昼間には姿を見せなかった酒場が立ち並び、仕事帰りの竜や竜人達が徒党を組んで店の中に入っていく。既にお酒が回っている人もいた。
ウォルはディースと一緒に歩く。
ホールンさんは後で合流すると言って暖かい飲み物を買いに行ってくれたようだ。
急に人が多くなってきた。やはり円門に近づくほど人の量が増えるようだ。
「ウォル、大丈夫か?」
ディースがウォルに手を伸ばす。
波に飲まれかけていたウォルは咄嗟にその手を掴んだ。
ディースが手を繋いだウォルを引き寄せてその波から守る。
「ちょっとした小技を使ってみよう。ホールンには内緒だぞ。」
ディースがウォルに耳打ちする。何をするかと見ていると、その身体から龍力が膨れ上がった。明確にその圧を感じる事はできないが、無視はできないその微妙な力加減。
すると二人が通れるだけの隙間ができる。
二人はその間を悠々と歩いていった。
「竜や竜人には無意識のうちに龍力を感知する能力がある。
それを応用して、ちょっとした圧を作ってやればこんなこともできるんだ。」
「私もそれに当てはまっちゃうんじゃないの?」
ウォルだって、半竜人族だ。こんなに近くに居れば、その圧を感じるのではないかと思ったが、一向にそんな様子はない。
「それは手を繋いでいるからだ。私が龍力を放っているのは身体の外。こうしていればウォルにもその龍力が流れるから同じような効果を得ることができる。
さらに言えば、ウォルは龍力を視れる。それによって普段の無意識的な感知力が下がっているかもしれないな。」
龍力に、こんな使い方があったとは。龍を象徴する高尚なものだと思っていたので、少し反則の使い方に驚いた。
とはいえ龍力は龍力。その力は健在で、二人はあっという間に円門の下までたどり着いた。
円門の輪の近くまでやってくると、そこに一つの扉があることに気づく。
「ここに上に登る昇降機がある。
本来は上で監視の任務にあたる兵の生体認証で開くのだが…。」
そう言ってディースは扉に自分の手を押し当てた。
その周りに光の輪ができ、一度強く光った後に扉が開く。
「我々なら大丈夫。」
そのままウォルを手招きして中に入るディース。
「ちょうどよかった。間に合いました。」
そこへやってきたのは手に飲み物のカップが入ったトレーを抱えたホールンさん。
そのトレーにはカップの形状に穴が開いていて、そこにはめることで安定して持ち運べる構造だ。
三人を乗せた昇降機はゴトゴトと音を立てて動き始める。
円門の内部の昇降機は、通常のものと違って丸いゴンドラのような形。
円門の輪の中を円を描くように上がっていく。
円門には硝子の窓がついていたりするわけではないので、ウォル達三人はただ機械的な空間をゴトゴトと運ばれていった。
しばらくするとガチャンと何が機械が組み合わさった音がして、昇降機が止まる。
「外に出るが、風が強いから気をつけて。」
扉を開けて出ると、そこは既に円門の上だった。
「うわ…、なんかすぐ落ちちゃいそう。」
簡単な柵が付けられているだけで、風があればすぐに振り落とされてしまいそうだ。
遥か下に大通りと中央線、そこを行き来する人が見える。人ひとりを判別する事は難しいが、その人の波ははっきりと見えた。
陽と反対の方を見ると、二つの鐘と宮殿が橙色の光を纏って輝いている。
ただその円門の高さ故に、ウォルは宮殿の天辺と同じ高さににいた。
ディースについて円門の上を歩く。
柵を辿った先には簡易的な硝子張りの建物があった。
その中心を通る柱の上、建物の屋根の上には巨大な燈がある。
半球状の金属に覆われていて、中心には水晶のようなものが安置されていた。
「あれは?」
「あれは誘導灯だ。
中央線以外からここを目指す竜や龍はこれを目印に飛んでくる。
あの金属板が回転してその光を強める仕組みになっているんだ。」
その時じんわりと燈に灯りが点る。
それは少しづつ強くなって、すぐにウォルが直視できないほどの光を放ち始めた。
さらに、それについている半球の金属覆いが高速でその周囲を回転し出す。
急に強い風が吹いて、バランスを崩しかけそうなウォルはちょうど前にいるディースの風下に入る。そうすれば風に当たらず暖かいのだ。
それで風は凌げたので、古代魔術を使うまでもないと判断した。
硝子張りの建物の中には何人かの竜と竜人がいた。
武器は持っていないが、鎧を着て万全の体制だ。皆それぞれの方向に向く望遠鏡を覗いている。
三人が扉を開けて中に入ると、それに気づいた何人かがこちらに敬礼をする。
「…っ、“銀角龍”様、“死眼龍”様。」
「よい、私用だ。そのまま続けてくれ。」
そうディースが言い、再び敬礼してその任務に戻る兵達。
三人は西側に行き、その陽が落ちるのを待った。
ホールンさんが二人に飲み物を渡してくれる。砂糖たっぷりのミルクティーだ。飲むには少し熱いが、手で包むように持っているとその温かさがじんわりと伝わってくる。
赤、紅、紫とその表情を変えていく空。
ここはまさしく特等席だった。三人は言葉を交わすこともなくただその光景を見つめる。
完全に陽が沈む寸前、世界が一瞬緑に染まる。
『緑閃光』。
ごく稀に起きる幸運な現象だ。
「これは珍しい。いいことがあるかもしれませんねぇ。」
その後は次々と灯っていく首都の光を楽しんだ。
強烈な明かりでくっきりと大通りが浮かび上がり、煌びやかな空間が広がる。
円門の昇降機を降りて夜の街に踏み出したウォルは、その道がまだ昼間かのような錯覚を覚える。明るすぎて昼間と変わらないのだ。
強いて言うならば天が暗いことぐらいだろうか。
「外に出たことですし、夕食にしましょうか。」
三人はそのままホールンさんの行きつけだと言う店に向かった。
そこはなんとウォルが幻想舎の本と料理店で知識を得て、食べたいと思っていた東洋料理の店。
ウォルはメニューの中から華散らし ー 櫃まぶし。 ー というものを注文する。
「なかなか通なものを頼みますねぇ。」
ホールンさんも楽しそうだ。
「じゃ、鎌焼き定食を。」
ディースさんは焼き魚の定食を頼むようだ。
「お待ち!華散らし。」
目の前に置かれたのは米の上に細かく切った何種類もの海鮮を散らして、薬味を添えたもの。横にある小さな急須には出汁が入っている。
ホールンさんにその食べ方を聞いて、ウォルは慣れない箸をすすめる。
「まずは一杯目。そこにある取り椀に四分の一の量を入れてください。
これは醤油と言って、豆から作られた濃い味のソースです。ここで魚を食べるときは必須ですね。」
一杯目の海鮮そのものを楽しんだウォルは、二杯目に突入する。
「二杯目は薬味を入れましょう。食感や味が変わりますよ。それぞれ半分の量を入れるのがポイントです。」
「それぞれ半分?」
「ええ、後からもう一度使うんです。」
山葵や胡麻、漬物にあられ。薬味をこれでもかと入れていく。
「ウォルは山葵が食べれるのですか?」
ホールンさんの問いかけにウォルは頷いた。
「向こうの料理店で食べさせてもらったことがあったの。
なんかその日だけ手に入ったって言ってて。そのままたれたら辛いけど、他の料理と合わせたら美味しいじゃん。」
「大人ですねぇ!」
そう言うホールンさんがニンマリと笑ったのをディースは見逃さなかった。そしてその理由さえ思い当たる。
「ステアか。」
「そうなんです。山葵食べられないんですよステア。はっはっは!」
その後もホールンさんの笑いは続く。
口の中にあられと漬物の食感が響く。先ほどと違って幾重にも香りが続くようだ。
「さあ、次は三杯目です。取り椀に入れたら、そこの出汁をとってください。」
ウォルは小さな急須を手に取る。取り椀に回しかけると、出汁のいい香りが広がった。
三杯目は出汁の味で、四杯目はとっておいた薬味も入れて。
ウォルは次々に変わっていく味を楽しんだ。なんでもかんでも入れている気がするが、不思議とその味には一体感がある。
最後に残った出汁を取り椀に入れて飲む。〆の味だ。
ディースも最後のひと口を食べ終わるところ。ホールンさんの頼んでいた四角い箱の中身は既に無くなっている。
「ごちそうさま!」
「「まいど!」」
店を出る時に大きな声で奥に声をかけると、何人もの返事があった。
この店で、ウォルは一気に東洋料理が好きになった。
「この店は東洋の中でも最も東にある国の料理を作っているんです。
他にも多種多様の東洋料理がありますよ。」
「私、その国に行ってみたいなぁ。」
ウォルの呟きに、ホールンさんは考える。
「どうでしょう、ウォルなら行けるでしょうか。」
隣のディースがその思考の理由を答えてくれた。
「向こうに行くには国境の他に『壁』を超えなければいけないんだ。
それの原理はまだ完全に解明されているわけじゃない。龍ですら弾かれてしまうんだよ。
あとは向こうの大気に順応しなければいけない。龍力や神力、それに他のさまざまな力がこちらと異なる濃度なんだ。」
「それを突破すればいける?」
「そのあとは向こうの国々の抗争に巻き込まれることになるな…。
資源の奪い合いで数多の小国が戦争を続けていると言われている。」
「そうなんだ…。
このエンデアみたいに大きな国があるわけじゃないの?」
何千年何万年と戦争が続いていれば、どこかの国が力を持って台頭してきそうなものだ。
「それは向こうの神域存在が関係しているんです。
西洋は神域存在といえば龍、それに龍以外の少数と言った具合です。ただ、向こうは群雄割拠。さまざまな神域存在が自分の国を持って覇権を競っています。
さらに、神域存在は高い不滅性を持ちますから滅ぼすのが困難。なので長期間の戦争が続いているんです。」
そう、神域存在は何も龍だけではない。
西洋で有名なのは上位人間族から成った『神』や森人族の国主である上位森人族の『森君』だろう。特に『神』は西洋の人間の国の七割近くで信仰され、神殿が多くある。それらが『仙天楼の五龍』に追随する形で西洋の信仰系統は確立されている。他にも各地に地神や聖人と呼ばれる存在はいるが。
東洋はと言うと、虎人族や象人族、地人族、それに人間族など数多くの国が神域存在を擁立して国家を形成している。西洋ほど際立った神域存在は居らず、強いて言えば『麒麟』や『四神』、『神命の一族』くらいだろうか。
このように、精霊種族、神霊種族が力を持てば、神域に達する可能性は十分にある。ただその中で強い力を持てるかどうかは別の話だが。中には神域存在の中でも異彩を放つ者もおり、決してひとまとまりに考えることはできないのだ。
夕食を終えた三人は、今晩ウォルが泊まる旅館に向かう。
それはちょうどディースの拠点がある建物の対角にあった。
食事は出ないが、一部屋の中に風呂もあり、ウォルが一晩過ごすには十分だった。何か欲しいものがあれば受付に連絡をすれば用意してもらえるサービスもあった。
今回は“幻想龍”の名義で先に宿泊費が払ってあるので、案内されて真っ直ぐに部屋に向かう。
「じゃあ、我々はこれで拠点に帰るよ。
また明日の朝に連絡をくれ。ここまで迎えにこよう。」
「しっかりと寝て、疲れを取ってくださいね。」
「わかった。今日は一日ありがとう。とっても楽しかった!」
「ええ、我々もとても楽しい時間を過ごしましたよ。」
二龍と別れて部屋に入ったウォルは、すぐに部屋にあるベッドに飛び込んだ。
そのまま全身の力を抜いて大きくため息をつく。朝から色々ありすぎて、とっても疲れてしまったのだ。
服を着替えたりお風呂に入ったりしようと思っていたのだが、ウォルはそのまま寝てしまった。
青黒いマントを纏い、フードを被って顔を隠した人物がひとり、何も無かった石畳の場所に姿を現す。その唐突さから転移してきたことが分かる。
『【・解・】』
その男の前に現れた赤橙色の文字が、その男の動きに先行してゆっくりと進み始めた。
石畳の先には地下へ続く大きな階段が続いていた。
コツリ、コツリとその男が階段を下る音が響く。
地下の迷宮への入り口。
階段を下った先は少し広い廊下のような場所。だが横にそれるような道は無い。
男が手を振ると、その文字だけが前に進む。
すると、その文字を拒み逃げるように赤橙色の陣のようなものが地面から滲み出して溶けた。その陣のようなものはいくつもあったようで、廊下の端に押し込められるように集められ、耐えきれずに弾けて消える。
『【・破・】』
次に創り出した文字も、前をゆく文字を追って進み出す。それはその廊下の突き当たりの壁まで到達すると、それを無造作に爆砕する。
その壁の向こうには、まだ道が続いていた。
そのまま進んでいくと思われたその男は、壁を壊した文字を手を振って消すと立ち止まる。
『【・視・】』
しばらくその場に留まっていたが、やがてその手を地面に向ける。
『【・貫・】』
その男の真下に遥か下まで続く黒い穴が出現する。
その文字の力で瞬時に迷宮を抉ったのだ。そのまま重力に引かれて落下を始める男。
だがマントは少しはためくだけで大きな風を受けている印象は無い。
しばらくするとその男は何事も無かったかのように地面に降り立った。
そこは大きな広間。とは言っても巨大な柱が所狭しと立てられて、苦しいような空間だった。
「クケケ、侵入者かぁ?」
その広場に響いた耳障りのする声。
姿を現したのは細い手足に蝙蝠のような羽、大きなギョロ目の生物。体格はゆうに人間の男の二倍はある。人間の間では小鬼又は下鬼と呼ばれる怪物。
その手には人間の子供を掴んでいる。だがもう息は無く、両足が太腿から噛みちぎられていた。
小鬼は男の前まで来て、手に持っていた子供を地面に叩きつけた。血が飛び散って一番近くの柱を濡らす。
「おめぇどこぉから来た。道をぉ通って来れば仲間の笛がするぅはずだぁ。」
「クケケケ、そうぅだなぁ。」
その後ろから二体がやってきて男を囲む。
それぞれの手にはやはり人間だったものがあった。股から半分に裂かれて内臓がボタボタと落ちている。
「なんか答えろぉ!」
そう言って男に向かって振られた手。長く鋭い爪があり、薄い鎧なら容易く切り裂く。
が、切り裂かれたのはその手の方だった。
『【・断裂斬・《断ち裂し斬る》】
いつのまにか男の手には文字がある。
小鬼の手や爪がぶつ切りにされて地面に転がり、鈍い音を立てる。
「なにしやぁがっ…。」
手を斬られた小鬼は慌ててもう一方の手をその男に振るが、最後まで言葉を発することはできなかった。
男が手を振る動作をすると、突然その小鬼は倒れ込む。
もうピクリとも動かない。命を奪われたのだ。
それを見たあとの二体は二の足を踏む。
「君たちの主はどこにいる?」
初めてその男が口を開いた。
「あるじぃ?王のことか?」
「違う。君たちに力を与えた者のことだ。」
「知らぁ…。」
男が手を振る。
『知らない』そう言おうとした小鬼の首が飛ぶ。人間の血よりも黒っぽいものが隣の小鬼に降りかかった。
「君たちに力を与えた者だ。どこにいる?」
男が再度問いかけると、残された小鬼は怖気付いて後ろに数歩下がる。
「待ってぇくれ、斬らぁないでくれ。
そうだ、女、人間の女がぁいる。まだ死んで無い。殺すもぉ遊ぶも自由だ。」
「どこにいる?」
男が一歩近づき、小鬼が一歩離れる。
「金、財宝が山ほどある。そぉれを全部やる!」
「どこにいる?」
その小鬼は喉の奥から声を振り絞って答える。
「奥だ、王といるっ…。」
「そうか、情報提供感謝する。」
男がくるりと振り向いて奥の方へ歩き出すと同時に、小鬼の身体に真っ直ぐ線が入る。頭のてっぺんから鼻、顎を通り腹の方まで。
ズルリ、とその巨体が崩れ落ちる。
男が更に細い廊下を通り、一番奥の広間に足を踏み入れた時、周囲に文字が浮かび上がる。
男が足を止めると、奥の迷宮の玉座から声が飛んだ。
「ようこそ我が迷宮へ。ゆるりと過ごされよ。
まぁ、このお方の力を受けてまだ立っていれるのなら、だが。」
小鬼よりもさらにひとまわり大きな体格、筋骨隆々の大男。いや、男と言うには尖った耳と額から伸びる角が邪魔をする。
何体もの武器を持ち鎧を着た小鬼がそばに控え、当に王者の風格。
玉座のすぐそばには裸の人間が何人か鎖で繋がれている。皆寒さと恐怖に震え、己の死を待つのみだった。
鬼。小鬼の上位種族であり、高い知性と規格外の身体能力を持つ。人間などを主食とし、生きたまま食う。大抵は小鬼を率いて集団で生活しており、定期的に人間などの街を襲う。
中には魔法を使う個体もおり、一体で人間の中核都市を壊滅させるほどの世界の強者。友好性などを除いて強さだけ見れば、経験を積んだ竜に匹敵すると言われる。
その隣で椅子に座って足を組んでいるのは人間の男。上等な服に身を包み、この場に似合わない。
その男は侵入者を誰何する。
「ここまでの我の防御を突破してくるとは、褒めてやろう。
だが数多の文字の解除というものは文字通り骨が折れただろう。違うか?
許す、名を名乗れ。」
だが侵入者は答えることなく質問をする。
「お前はどいつの眷属だ?
過去の記憶と照合してもお前は出てこないが。」
「眷属?我が?ああ、聞いて戦け。我が主人は『神』。
その第三従神、『禍』なるぞ。」
傲慢不遜を地で貫くようなその男。
それもそのはず、その男は人間の生活域で最大の力を持つ神域存在『神』に従って自身も神域へと到達した人間族。
既に複数の二つの文字を用い、複数の国に渡って暗躍していた。
多くの人間族に【原初の言葉】の力を与えた武器を下賜するだけでなく、今回のように力を持つ種族に直接その力を分け与えていた。立場としては人間族の守護者であるはずだが、人間族など自分の道具の一つであるとしか見ていない。
今回も鬼を支配するのではなく取り入って自分の都合のいいように街を襲わせたりしていたのだ。
現に神域存在の中でも中位に位置する実力派。彼の行動は『神』ほどの力が無ければ止めることはできないだろう。
だがその自信は一瞬で崩れ去る。
『【・散・】』
「は?」
自分が作り出し、あらかじめ仕掛けておいたことでまんまと侵入者を封じることに成功したその文字が、相手の一文字で霧散したからだ。
「なぜ一つの文字をーっ!!!?」
「なぜ?それに答える必要がどこにある?
中途半端な力を持ったが為に増長して視野を失った木偶に?」
「我が主人ですら行使に莫大な力を使うその文字を、なぜ貴様が、なぜ貴様が平然と行使できるのだ!」
曲がりなりにも神域存在。その中の絶対的な法則は忘れたわけではない。
シグアは自分がその侵入者の足元にも及ばないことを瞬時に判断する。
「王、あいつを殺せ!」
瞬時に生き残りを選択する。相手が一つの文字を使えたとしても一つか二つ。まだ詰んだわけではない。
鬼の王に命令を出し、自分は身を翻して逃走を図る。
「殺せ!」
王の命を受けて侵入者に殺到する小鬼。
その様子に時間稼ぎに成功したと確信して頷き、転移の力を使おうとする。
「ぐっ!?」
目の前に侵入者が現れた。
その腕がシグアの頭を掴み、その身体を吊り上げる。相手にそれほどの体格は無いはず、その相手の腕を見たシグアはそれが人間の腕では無いことに気づいた。
いつから相手が自分より格下の人間族に由来する神域存在だと錯覚していたのだろうか。
青い菱形の鱗を持つ腕。その指は六本…いや、七本。鋭い爪が頭に食い込んでいる。
「離せぇっ!!」
『【・久・痛・夢・檻・】』
一文字増えていくごとにシグアの眼に絶望が浮かぶ。もう、どのようにしても逃げられないことを悟って。悪夢に囚われ永遠の痛みに苦しむことを悟って。
「いやだぁぁぁーーーー!!!!」
広間中に大絶叫が響き渡り、ぷつりと消えた。
残されたのは鬼と小鬼達。
一瞬の出来事、自分達がこの世界の強者だと思っていた、いや、実際にその強さを目の当たりにしたシグアが一瞬にして大絶叫を残し敗れた。その事実に思考と行動が停止する。
「君たちは竜人を殺したことがあるか?」
その問いは、何を意味するのだろうか。竜人を殺せる力があるのなら自分の配下として迎え入れようということなのだろうか。
「は、はい。私は過去に三度竜人を殺したことがあります。
この者たちも徒党を組めば竜人を殺すことなど容易いでしょう。
必ずお役に立ちます。ぜひ配下、いえ、僕としてお使いください。」
鬼の優秀な頭脳を持ってしても、まさかそれが自らの死を確定させる答えだったとは気づかなかったようだ。
もしそれが分かったとしても嘘をついた時点で詰み。鬼達の運命は過去に竜人を殺めたときに決したのだ。
「そうか、残念だ。」
「え?」
『【・死・】』
この迷宮にいた全ての小鬼と鬼の王がその瞬間に死んだ。
その数は優に五百を超える。
捕らえられていた人間も、吹き荒れた死という根源的恐怖の圧に耐えきれずにその意識を失っている。一斉にその場に崩れ落ちる小鬼。
疑問の表情を浮かべた鬼は、立ったままその命だけが抜け落ちている。
鎮まり帰ったその広間を男がゆっくりと歩く。
玉座に拘束されていた人間の鎖がひとりでに外れ落ちていく。
意識を失った人間は空中に持ち上げられ、横たわるようにその男の後ろに従う。
男の力で運ばれているのだ。
生命の反応が極限まで小さくなった広間。その闇から、ある存在が姿を現す。
「貴方でしたか。
大半の力を失ってもなお吾の力を凌駕する。」
漆黒のマントが闇を包んでいる。その周囲を大鎌がゆっくりと動く。
『死神』は死という恐怖そのものを畏怖する生命の意識によって自発的に生まれた主神級の神域存在。故にそのものの実体が存在せず、闇がそのものを構築している。
「すまんな、『神』の眷属を名乗る存在がいたので力を使わせてもらった。」
「あの小娘、このところ力を増大させておる。
貴方の国もその手を伸ばされているのではないか?」
二柱は並んで歩き出す。
「ああ、だが私の国にも希望の星などが続々と誕生している。二の舞にはならんよ。」
「そうか…。
檄を発せばいつでも参じる。吾の力はこの世界のもの。」
「感謝する。そんな時が来るやもしれん。」
闇に飲まれる形で死神が消えた。
彼は全ての生命の到達点である死を管理する。不適切な力の使用があれば、巻き戻す形でそれを制止し、その力の使用者を罰することができるのだ。
今回は青黒いマントの男が力を行使したことによって、蘇生不可能の魂が大量に彼の元に流れ込んだ。その現象の是非を問い、審判を与えるために現れたのだ。
男は生命の反応が残る場所へと向かう。
迷宮の地下牢。ここにも多くの小鬼の死体が転がっていた。
大きな地下牢の隅で身を寄せ合い震えている人間を見つける。
殆どが女で子供もいるようだ。服はズタズタに引き裂かれ、身体中に傷がある。特に足首は念入りに傷つけられているので、脱走防止のために腱を切られたのだろう。
食糧用、はたまた繁殖用、娯楽用であったかもしれない。
啜り泣く声だけが響く冷たい場所に、足音が聞こえてくる。
ある少女が抱き合った他の囚われた人間の間から見たのは、地下牢の前に立つ人物。その後ろには人間が浮いて運ばれている。よく見ると、少し前に運び出されて行った隣の牢にいた数人だということに気づいた。
その人物が手を振ると、牢の格子が溶けるように無くなる。
緑の光が自分の体に纏わりつく。また何か痛い事をされるのだろうかと目を瞑るが、思っていたことと真逆の現象が起こる。
足を始め全身の傷が塞がっていく。無くなっていた末端の感覚が戻り、その地下牢の地面が冷たいと感じる。
次に身体を包んだ暖色の風。全身に温かさが戻ってきた。
同時に何もないところから布が作られ、それはあっという間に服の形になる。そこにいた全員に見えない何かがその服を着せていくようだった。
少女が覚えていられたのはそこまで。安堵か疲れか、恐怖か不安か、その意識を失った。
その男は転移する。この地に来た時と違い、保護した人間達を連れて。
姿を現したのは、龍の国の兵士が巡回する人間の国。王城の一角、広い部屋に。
「お待ちしておりました。」
彼に向かって頭を下げたのは黒いローブを着た二龍。
「私はすぐにゆく。
この人間達を保護せよ。元いた国に返すのは危険かもしれん。
それから、常時 帝國之覇剣を携帯せよ。」
男は二龍の前から消えた。
横たわって眠る人間達を残して。




