半竜人族の少女、友に教える。
“幻想龍”が超高度の空を飛んでいる。
目指すはシェーズィン・ハイン。
風警笛は鳴り響いているものの、そんなものを気にする『仙天楼の五龍』ではない。
莫大な龍力と神力を纏い、風にぶつけることでそれを相殺して突き進んでいく。
あっという間に風の吹く高度を突き抜け、無風域に到達する。そこからは龍力を後方に向け、さらに加速していく。
天が青から黒になり地平線と水平線が遥か遠くに見える。
強い風が吹かない時、経験を積んだ竜であればシェーズィン・ハインから滑空して地上に降りることは可能だ。龍であれば通常の飛行と変わらない。だが、これを逆に昇っていくことができるのはごく一部の龍に限られた。
白い繭が近づく。“幻想龍”は自室の陸屋根に降り立った。
「よう、話は聞いた。なんとも傷ましい結果になってしまったな。」
待っていたのは“銀角龍”。
二人は階段を降りて下層を目指しつつ話を続ける。
「ええ、私の責任よ。“世界龍”様は否定してくださったけれど。」
「その通りだ。お前が気に病むことはない。隠蔽されていれば気づく方が困難だ。」
「そうね…。でもそれがわかっていても、事前に手回しをしておけば助けることができた命。」
そう言って下を向くステアをホールンは厳しく諌める。
「そこまでだ。ステア。
結果を変えることは不可能に近い。それよりも再度そのようなことが起こる前に根本的な原因に肉薄できたことを喜ぶべきだ。
お前は規定通りの侵攻計画でことを進めたのだから。さらには短剣まで持ち帰って物的証拠まで残している。誇っても良い実績だぞ。」
「そうね、ホールン。そう思うことにするわ。」
そう口にしても、ステアはあの光景を忘れることができなかった。
黒衣集の報告を受けて自らも向かった人間の国の地下施設。瞬間的に自身の領域に取り込んだものの、それがもう手遅れだということを実感するだけだった。
「このことは今後“世界龍”様が動かれる様よ。
神域存在は二つの文字まで行使すると仰っていたわ。」
「何!?そうなのか。すると国内での竜の暴走との関連は薄いか?」
「それはわからないわ。相手が複数の神域存在であることも否定できない。」
そこまで聞いてホールンは腕を組み、目をつぶって少考する。
「これは再度話し合いをしなければいけないな。龍議を申請するか?」
「私もその方がいいと思うわ。」
龍議とは、五龍会議や二十九評議会とは別の臨時の諮問機関。
黒衣集に所属する龍が複数集められ、五龍会議での議決には国家的関連が過大であり、二十九評議会での議決には複雑すぎる題について話し合いが行われる。今回のように【原初の言葉】などが関わると召集されることがあった。
あくまでも国家法的な拘束力は持たず、二十九評議会に議題が降るか五龍会議からの命として、間に別の機関を挟むことで国民に公表された。
ここまで話して、ホールンは少し話題を転換させた。
「ところで通常の侵攻についても滞りなく進んだそうじゃないか。何かあったのか?」
そう、事前の軍議でも侵攻制圧には数日かかるであろうという試算が出されていた。
それが蓋を開けてみれば半日以内で全制圧が完了してしまったのだ。
「それは、相手国がこちらの侵攻しやすい状態になっていたのよ。
侵攻直前に最後の談合の場を設けたのだけれど、そこで『女子供は全て城の中に避難している。街にいるのは武装した男だけだ。この渓谷を落とせるものなら落としてみろ。』そう言って直後に開戦したのよ。
なぜそう言ってきたかはまた分からないわ。こんなふうに敵に甘塩を送ることがある?
でも、正式な使者の言葉だったし、実際斥候を放って確認してみれば本当に武装した男しかいない。中には小さな子供もいたけれど、率先して斥候に切り掛かってきたわ。」
「そんなことがあるのか!?」
これにはホールンも驚いたようだ。
そう、その様子を見て“幻想龍”達は急遽初期構想であった竜形態による面制圧に切り替えたのだ。その結果半日以内に侵攻は終結した。
「人間は小さな子供でもそれだけの思想を持っている。無視するわけにはいかなかったのよ。」
過去には武装した子供を殺さず生かしたがために少年兵によるゲリラに背後から剣で刺され、補給線が分断されるという事案が起きた戦争があった。すぐに鎮圧されたが、補給線は軍の生命線。特に一日数食の補給を必要とする竜人族にとっては重要だ。
エンデアの『武器を持つ者は容赦をしない』という命令はここからきているのだ。
「黒衣集の間で『人間族の国は全て滅ぼした方が良いのでは』という過激な思想まで出てきている。
発端はあの“数賢龍”と“紫鋏龍”だぞ?やはり捕虜交換の際に音沙汰なかったのが大きいようだ。」
「今回の侵攻で人間の国が我らの国に害をなすことはほぼ抑止されたと思っているけど。それでもかしら。」
「おそらく人間という種族の思考が受け付けないのだろう。我々ですら捕虜は無条件で解放したというのに。」
「そう…。一度“数賢龍”から話を聞いてみないとだめね。あの龍のことだからおそらく合理に足る理由があるのでしょう。」
二人は同時に窓の外を向く。雲ひとつない空だが、遥か下に広がるのは水平線。あの人間の闊歩する大陸は遥か向こうにあるのだ。
“幻想龍”が舎へと帰還した時、ちょうどウォルは古代魔術の訓練中だった。
ロノと向かい合って座り、目をつぶって術式を展開している。
ステアはそのウォルの成長具合に驚いた。
ホールンから『ウォルの古代魔術は実戦の練度だ。』ということは聞いていたが、実際に自分の目で確かめてみると想像以上の事態になっていた。
なんと無詠唱で多重展開しているではないか。今もまた無音のまま新たな文字が浮かび上がる。合計で七つの術式がウォルの周りに浮かんでいた。
「“天星の眼”。」
それが広範囲視認の術式であることに発動直前で気づき、ステアとホールンは自らも古代魔術を展開して自分の姿を隠す。
「“回折の天蓋”。」
「“銀反射の隠し鏡”。」
もう少し隠れてウォルのことを見ていたいと思ったのだ。
「なんと、もう天眼系統の術式を習得していたのですか!」
ホールンは驚いてさらに観察の目を細かくする。
その後もウォルは次々と術式を行使していった。
風が吹き荒れたと思えば、小さな星々のようなものが周囲を旋回したりもした。それのほぼ全てが一瞬で展開され、ほぼ声も出していない。
目の前にいるロノも次々と術式を展開していくが、その数倍の速度と正確性を誇るウォル。その一瞬で技術力、それに適正の高さが垣間見える。
古代魔術において相反する二つの術式がぶつかった時、その軍配は技術的な練度と具体的な術式の細かさが高い方に上がる。
今回の場合ウォルが使用した術式は『周囲の様子を視覚以上の範囲規模で視認する』というもの。この範囲は鍛えれば都市全体に及び、あらゆる状況を知ることができる。
対してステアの使用した術式は『術者の存在を隠す』もの。
ただ全体を観るだけの術式に対し、隠蔽を目的とする術式。今回の場合はステアの方が強力だ。だが、もしウォルの術式が『隠れたものを暴き出す』ものだった場合はウォルがステアを見つけることができていただろう。
ウォルは既に古代魔術の熟達者の技術力を獲得している。今やウォルの術式から逃れるためにはそれより細かい術式の構築が必要なのだ。
古代魔術の全術者と謳われるホールンでも、同時展開の個数は十五式が限界。ウォルは習得からわずか数日でその半分に迫ろうとしている。
「休憩っ!」
ウォルが叫ぶと同時に二人は術式を全て解いてその場に倒れる。
二人とも肩で息をしてかなり消耗しているのが見てとれた。
「ねぇ、ロノ?」
「ん、どうしたの?」
ウォルが起き上がってロノに話しかける。
「今私たちは『古代魔術』の練習をしているじゃない。」
「うん。」
「じゃあさ、【原初の言葉】ってどんなものなの?
時々みんなの話に出るけど…。」
「んー、【原初の言葉】ね…。」
そこまで言ったところでロノはあることを思い出す。
「あ!ちょうどいいじゃん。今日の午後の講義はね、それなんだよ!」
ロノは苦笑いをして続ける。
「私の結構苦手なんだよね、それ。なんか細かいのが色々あってさ…。」
そう、今日の講義は“幻想龍”の担当。【原初の言葉】についての内容ということが決まっているのだ。
ステアはそんな話をするウォルとロノに満足そうに頷いて、隠蔽の術式を解除して扉を開ける。
「ウォル、元気にしてたかしら?」
「ステア!」
突然の訪問だったにも関わらず、ウォルは瞬時に反応した。
満遍の笑みを浮かべてステアに駆け寄る。
「ここには慣れたかしら?」
ステアはそんなウォルを抱きしめる。
「うん、みんなと友達になったし、古代魔術をたくさん覚えて使える様になったの!」
「そう、それは喜ばしいことね!
ウォルがとても頑張って練習をしていたのが分かったわ。」
ステアはウォルの肩に手を置いて、目線を合わせる。
「ほんと!?見てたの?」
「ええ、少しだけ、ね。」
そんな二人を見てロノが驚いた声を上げる。
「え!?ね、二人ってどんな関係なの!?」
その声に二人は同時に答えた。
「友達なんだ!」
「お友達なのよ。」
ロノは少し複雑そうな顔をする。『仙天楼の五龍と友達というのは…それ、アリなのか?』という顔だ。
「ロノは三人目の友達だって言ったでしょ?
一人目がステアで、二人目がホールンさんなの!」
そう満面の笑みを浮かべるウォルを前にすれば、ロノもそんなものか、と思い始めてきた。
嬉々として『一番と二番目の友達』について話すウォルのことを知っていたからだ。まさかそれが“幻想龍”と“銀角龍”だとは思いもしなかったが。
「ウォルの異様な古代魔術への適性を目覚めさせてしまったのは我々ですから、その責任というものも混じっているかもしれないですな。はっはっは。」
ステアの後ろから姿を見せたホールンさんもそう言って笑う。
「ちょうどいい時間ですから昼食としませんか。ほら、ロノ、貴女も。」
ホールンさんに促されてロノも立ち上がる。四人で階段を上がって昼食に向かった。
ウォルは部屋に掛かった時計を見て、読んでいた本を閉じる。時は午後の講義の開始十分前を示していた。
『実践的使用と術式の即時構築について』
古代魔術について書かれた本で、著者は“銀角龍”。幻想舎の書庫にあったのを見つけ出して借りているのだ。
そこに書かれているのはウォルの古代魔術の実体験を文章化して書き起こしたものに近い。なんといえばいいのかわからなかった感覚的なことを文書として追体験できるのだ。さらにはこれからウォルが習得すべき術式の使用法なども書かれている。
ちょうど部屋から出ると同じことを考えていたロノと合流する。
「ウォル、行こー!」
ここ数日でウォルは自分の生活リズムがロノとほぼ同一であることに気づいた。必然的に二人で行動するようになる。
「ちょっと時間遅いかな。」
「大丈夫、そんなことないよ!まだ開始時間にはならないし。」
二人が講義室に着いた時、既に机には他の九人が座っていた。
ウォルたち二人が席についたのを確認して教壇に立つステアは話を始める。
【原初の言葉】
『意志を持つ言葉』、『世界の支配者の言葉』とも言われるそれ。
強力な強制力と独立力、存在力を持つ、世界の根幹に作用する言葉である。
世界そのものを構成している訳ではないが、意志の力の元に存在や行動を紐付けたり、物理法則に干渉することができる。強靭な意志、世界への理解、何より莫大な神力がある者が行使できる。神力を持つ者は主にこの言葉を利用して力を用いる。圧倒的な力の強制力を持つことから戦闘でも用いられる場合がある。
その文字は記述された数が少なくなるに従って強力になっていく。特に一字で表されるものは『一つの文字』と言い、あらゆる他の【原初の言葉】の干渉を受け付けず、シングル同士がぶつかった場合は相殺されるて消える特性を持つ。力の及ばない者がより文字数の少ない【原初の言葉】を用いようとするとそれが実行される前に消去されたように霧散してしまう。逆に実行できるに足る力を持って書かれた言葉は消去又は相殺されない限り半永久的に効果として残り続ける。法則や生死、過大な力は文字数の多い言葉では表せないようになっている。
原初の言葉を扱うにはそれぞれの動作に対する意志、知識と宣誓が必要。
上位者、熟達者であれば無言で扱うこともできる。
次の宣誓過程を辿って【原初の言葉】は効果を発揮する。
・記述
文字を記述すること。声に出した言葉に沿って目の前に文字が形作られる。
・収束
記述した文字を実行可能段階に移すこと。清書することに近い。
・実行
その言葉の動作を発生させること。
書かれた言葉は記述者の実行の意思によって初めて効果を発揮する。
・拡散
実行可能段階の原初の言葉を文字の形に戻すこと。
後述する再記、変更、消去などが可能になる。
・再記
一度書かれた原初の言葉を書き直すこと。
単語のみを変更するなど根本から動作を変えない場合に用いる。
・変更
一度書かれた原初の言葉を別の文で置き換えること。
既に書かれた言葉以下の文字数であれば可能。
・消去
記述された文字を消去すること。意識した文字が霧散する。
他にも発展技として物体に効果を与える方法や記述を容易にする方法も存在する。
・付与
物体などに文字を与えること。これによってその物体はその文字の能力を得る。
付与された物体は原初の言葉を認識する者なら認識が可能。
・剥奪
物体などに与えられていた文字を切り離すこと。通常は記述者のみ行うことができる。
・写記
既に書かれた言葉をもうひとつ同じように記述すること。
長文であっても宣誓のみでもう一文書き出すことができる。
大量の説明文字が前にある黒板に書かれ、ウォルは途中から訳がわからなくなってしまった。古代魔術ならすぐに理解することができるのに、これになるとさっぱりだ。
神力を持たないウォルは【原初の言葉】を使うことを想像することすらできなかったが、ロノやアンスタリスは頷いている。やはり龍の中では共通認識なんだろうか。
特異点を除いて一般的に神力は龍しか持つことができない。この幻想舎で神力を持つのは“時龍”ロノ、“晶龍”アンスタリス、“音龍”シャレンの三龍だけだ。
それでも、他の七人は軍などの国の組織に入る時その知識が必要となる。同僚となる龍や敵が使用する場合があるからだ。使えなくともその作用を知っているだけでかなり対応に幅を持たせることができる。
講義の後は神力を持つ三龍が訓練室で練習をするのを見守った。
聞いた話では、この訓練室には二つの文字による防御が施されている。どれだけ攻撃性の古代魔術を撃っても傷が付かずに消滅するのにはそんな理由があったのだ。
ステアとホールンさんに教えられて【原初の言葉】を作り出さんとする三龍。
その周囲を莫大な龍力が渦巻いているのがウォルには見えるが、古代魔術と違って三人とも文字を全く作り出せていない。
「私ですら『二つの文字』はひとつしか使うことができないの。
四つの文字が使えたら確実にこの世界の上位者。三つの言葉が使えたら神域存在の仲間入りよ。」
龍の中でも三つの文字を使えるものは手で数えるほどしか存在しないのだという。それを超えるステアの二つの文字というのはどのようなものなのだろうと突っ込みたくなるが…。
ステアによるとその言葉は強すぎるが故にここで手本を見せることも難しいらしい。
確かにウォルも、今まで見てきたものは強い効果を発揮するものだけだ。思い出せるもので言えば、ホールンさんがロイアで竜を捕らえた時のものがそうだった気がする。
「そうですねぇ、これは異様に難しいですから、少しづつ訓練していくしかないですね。
私でも数十年かかった記憶がありますから。
一応極限状態で使用することができたという例がないわけではないですがね。」
後ろで様子を見ていたホールンさんが泣きそうな三龍に見かねて声をかける。
その声を聞いて三龍はその顔が一気に明るくなった。
「やはり【原初の言葉】の専門は『仙天楼の五龍』です。
“幻想龍”をはじめ五龍にはそれぞれに運用法がありますから他の四龍にも聞いてみるのがいいでしょう。」
「ええ、それは確実に言えるわ。
私は結構感覚で使ってしまう場合が多いから、無理やり言語化していると無理があるのよね。」
中でも“白金龍”と“世界龍”はこれを常用している熟達者だ。
「この機会ですから“世界龍”様にでも話をしてみましょうか。」
ホールンさんがそう提案する。それに飛びついたのはロノ。
「ほんとですか!?」
「ええ、三龍が同時に舎にいるのは稀ですからね。おそらく来てくださると思いますよ。そう思いますよね?ドーン。」
いつの間にか来ていたドーン卿にも話が飛ぶ。
ウォルも頭を使いすぎて半分意識を失っていた。みんなもその声に初めてドーン卿に気づいたようだ。
「そ、それは私には分かりかねますな。やはりお二方から話をお願いしたいです。」
ドーン卿はあまり関わりたく無いようだ。
本人からすれば“世界龍”を相手にして何か失敗をした時の責任が大きすぎるのだろう。
この日の講義は終わったが、ロノはまだ訓練室で練習をしていくようだ。
ウォルとキコリコ姉妹もそれに付き合って残ることにした。
ここ数日夕方の訓練室はロノとウォルがいつもいる状態。
時々ホールンさんが来るのでそれ目当てでシャレンもいることが多かった。
このところシャレンはずっとホールンさんの横にいる。その指導もあって古代魔術の腕も幻想舎で頭ひとつ飛び抜けて上手くなっていた。
流石に『古代魔術の天才』ウォルには及ばないが、『好きな人パワー』はすごいと本人には内緒で話題になっている。
そんなシャレンに感化されたのだろう。このところ幻想舎のみんなの学習への熱気が高まっている。
昨日は樹竜のガジアゼードがウォルのところにやってきて古代魔術のコツを教えてほしいと頼み込んできたほどだ。
今はロノに並ぶ形で赤竜のアイシャが古代魔術の多重展開を練習している。
「少しだけ、意識を残すようにするの。
ご飯を食べてる時におかずを全部覚えておく感覚に近いかも!」
ホールンさんがいるときはホールンさんが教えるが、そうでは無いときはウォルがちょっとした助言をするようになってきた。身近な例を出して、わかりやすいように工夫する。
ウォル自身もそうするにつれて古代魔術への理解が深まってきている。書庫から本を探し出して読むのはみんなから何かを聞かれた時に答えられるようにする目的もあった。
そんなウォルは術式を構築するときの細かな文字、それが個々によって違うのはその人の持っている力に由来することも発見していた。
ウォルが術式を作るときの青っぽい色はよく見ると鱗と同じ色だ。所々に緑色が混じっている。竜人族はその鱗の色になるらしい。ロノが透明なのは『時』が色を持たないから。ガジアゼードは樹竜なので緑と茶色の文字。アイシャは赤色だ。
それに、術式自体にもその力が乗りやすい。
キコリコ姉妹は竜人で特殊な力を持たないので一般的なものが多いが、シャレンが作るものはほぼ『音』が入る。おそらくこれがホールンさんに指摘された弱点の一つでもあるのだろう。
アイシャはこの幻想舎で最年長。おそらく今年でここを旅立つことができる。
そのためには『赤・第一軍』の入軍試験、それに近衛推薦試験を通過しなければいけない。
そこで必須になるのが古代魔術の無言展開と多重展開。
相手の術式に合わせて最適なものを繰り出す戦闘勘も必要だ。
「無言展開と多重展開が同時にできたら試験でかなり有利になる。
そこでなんだけど、ウォルにそれを教えて欲しいんだ!」
強引に頼み込んでは来たものの、ウォルは練習に付き合うことにしたのだ。
ホールンさんならどう考えてどう教えるだろうか、それを意識して言葉足らずながら無言展開と多重展開を教えている。目標はウォルのようにほぼ無意識にそれができることだ。
「できた!ウォル、できたぞ!」
そう言ってアイシャがウォルに笑顔を向けてくる。その周囲には三つの術式の文字が浮いていた。
「いい感じ!
次は他の術式と『入れ替え』をしてみるといいかも。」
「い、入れ替え!?」
自分でもかなり無茶を言っているのはわかるが、本人から厳しめで、と言われているのでそのまま突き進む。
「対応力と円滑な術式の展開の練習だよ!こんな感じ!」
そう言って自分も三つの式を瞬時に展開、それを順番に別の三つの式と入れ替えてみせる。
「ウォルのそういうところ、厳しいよね。」
「ね、アイシャが練習してるやつをしれっとやっちゃうし。」
横でキコリコ姉妹が頷き合っている。
あまりに自然に目標にしていることをしたウォルを見てアイシャの動きが止まる。
キコリコ姉妹の呼びかけでやっと意識を取り戻したアイシャはまたもやうんうんと唸りながら試行錯誤を始めた。
『みんなー!晩ご飯に集合!イリアル様から話があるようよ!』
その時幻想舎に響き渡ったのはシャレンの声。自らの『音』の力で声を拡散させて全体に響かせている。
ウォルやロノ、キコリコにアイシャはそれを聞いて練習を切り上げた。
「何かしら、夜にイリアル様から話があるなんて初めてよ。何かあったのかな。」
アイシャは不安そうな面持ちだ。
「シャレンを使ってるってことは悪いことではないんじゃない?」
ロノの言葉を聞いて四人は確かに、と安堵する。
もし緊急事態などであれば“幻想龍”自らが力を用いて連絡をするだろう。
五人が中階層に着いた時、既に他の六人とホールンさん、そしてステアは席についていた。
その周囲には幻想舎で研究活動などを行ったりしているステアの配下やドーン卿まで立っている。何事かと五人が急いで席に着くと、ステアが一呼吸置いて話を始めた。
「明日から二日間“世界龍”様がここ幻想楼に滞在されることになりました。
幻想舎のみんなに【原初の言葉】をご教授くださるとのことです。」
その言葉に全員が一斉に反応する。中でも興奮が隠しきれていないのがロノだ。
「ルイン様!ルイン様!!」
椅子の上で跳ねている。
「イリアル様、ここに二日間滞在されるのですか!?」
「ええ、お食事や就寝もここで過ごされるわ。
くれぐれも粗相のないように。
子供達はとてもいい機会だから【原初の言葉】意外にもたくさんのことを教えていただくといいわ。舎の一つに“世界龍”様が来られるのは初めてよ。」
その場の熱気が数段高まる。なんせ“幻想龍”と並ぶ、いや、それ以上の至高の存在が自分達と同じ場所で過ごすと言っているのだ。興奮しない方がおかしいだろう。
「他にも何龍か来ることになっているから、しっかりと挨拶をしてくださいな。」
「「「「「はーい!!!」」」」」
そして、と最後にステアは最も衝撃的な話を伝える。
「来ていただいた龍が皆さん一人一人に付いて護身術を教えてくださることになったわ。」
それを聞いた十人は空いた口が塞がらない。
ウォルだけはそれがどれだけ凄いことかわからなかったので困惑といった具合だが、周囲の反応から普通ならあり得ないことなのだろうと察する。
エンデアの国民全ての憧れ『黒衣集』。超常の力を持ってこの国を守護する存在。
そんな龍から一対一の個人教授を受けられるというのだ。
ほぼ全ての龍が自分の舎を持っているので、そのトップがたくさん来て生徒ひとりづつに教えると考えればその凄さがわかるだろう。
一応そこでステアの話は終わり、解散、食事となったもののその熱気は冷めることを知らない。晩ご飯を食べながらも、どの卓でも話の話題は“世界龍”と龍達で持ちきりだった。
ウォルは初めてステアに出会った時に行った宮殿の最奥、そしてあの時出会った“世界龍”ルインのことを考えていた。とても優しそうな人に見えたが、ステアですら『様』をつける相手だ。
半島を作り出した、ということは聞いたが、それ以外の力を全く知らないのだ。
ウォルの記憶にあることといえば、柱に寄りかかって笑っていたことと、黒衣集を自由に使っている姿だけだ。もしかしたら明日明後日の二日間で“世界龍”ルイン様のことをもっと知れるかもしれないと考えるとやはり楽しみになってきた。
確かにロノが好きだという理由もわからなくはない。その整った顔立ちに、飴をくれる意外さ、それにあの時は支配者然としていたが、優しいに違いない。
その日のお風呂では女子達が大興奮だった。
「“世界龍”様が来られるなんて!」
「服、どうしたらいいかしら!?」
「ルイン様ー…ルイン様ー…。」
「うわぁ、ウォル!ロノが溺れないうちにお風呂から引き上げてちょうだい!!」
「他に来られる方はどなたなんでしょう。“死眼龍”様?“魂醒龍”様、“地楯龍”様かも?」
「“数賢龍”様、“万鍵龍”様、“聖鐘龍”様、“霆翼龍”様もあり得るわね。」
シャレンやアンスタリスはそれぞれ来るであろう龍を予想している。
次々と挙がる龍の名前。ウォルが知っているのは一度このシェーズィン・ハインに昼食を食べに来た“霆翼龍”だけだ。全身に雷を纏い、その雷の翼で人の姿のままここまで飛んできていた。
遠くから見ただけだが、ホールンさんと歓談している様子からはとても良いお兄さんと言った印象だった。しかもその龍が“霆翼龍”と呼ばれていることを知ったのはホールンさんに聞いてからだ。
「みんな黒いローブを纏っていますが、その下には個々に特色のある服を着ています。
それを見れば見分けるのは容易いですよ。
そうですねぇ、全員が個性的な面子ですから、ひとりづつ話しかけてみても面白いかもしれませんねえ。ふっふっふ。」
そう言ってホールンさんは“霆翼龍”について教えてくれた。
彼はホールンさんの八つ後に誕生した龍。大気を操るホールンさんに匹敵する速度を持ち、広範囲知覚と転移の能力に優れることからエンデアの空域監視を担っている。
空を飛んで移動する龍と竜の国にとって空というものは主要な道路のようなもの。
今までの千五百六回の敵国の領空侵犯を許したことはなく、その全てを単身で排除しているという折り紙付きの実力者。
二人の予想はまだまだ続く。
「大穴で“紫鋏龍”様や“風鎚龍”様!」
「あの武闘派ツートップの!?」
「でも、ひとりづつ付いて護身術を教えてくださるのよ?
ウォル達がいるから護身術と言っているけど、確実に戦闘術じゃない。
これ、夢じゃ無いわよね。」
「そうね、その目的を考えれば全然ありそうね。」
お風呂から上がった十一人は大きな期待と共に自分の部屋に戻る。その中に興奮で眠れないのは何人いるだろうか。




