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伯爵夫人クラリス=ダンヴァーズの憂鬱

 思い当たる節が、ないわけではない。ここ数ヶ月の間、あの子は家事と勉強に明け暮れてなかなか休みを取ろうとしなかったのだ。



「前は社交的でお友だちと遊びに出かけることも多かったのに、言われてみれば変だわ」


「一緒に遊べるようなご学友は、お嬢様にはもういないんです。みんな離れていってしまったんですよ」



 スティーブンは寂しそうにそう呟くと、さっきまで隠そうとしていた報告書を机の上に広げて見せた。


 そこには、ロザーナに関する悪評の数々が書き連ねてあった。



『近頃のロザーナ嬢は態度が悪い。少し成績が上がっただけで、調子に乗っている』


『貧乏貴族のくせに贅沢な習い事をいくつも掛け持ちしている』



 王子と結婚などという分不相応な望みを抱いているようだが、ダンヴァーズ家の人間は気でも違ってしまったのか、という箇所まで読んで私は報告書を握り潰してしまった。



「どうして……あの子がひどい事を言われないといけないの……?」



 歪んだ文字に涙が落ちて、黒いシミとなっていく。



「貴族社会なんて、出る杭は打たれるつまらない代物なんですよ」



 だからって、ここまで……。反論しようとしても、涙がぐっとこみ上げて声を詰まらせてしまう。横からハンカチを差し出されたが、心が悲しみで一杯でそれを取る余裕もない。


 しばらくそのまま何も言わずに泣いていると、痺れを切らしたのか、スティーブンはハンカチを持っていない手を私の肩にのせて半ば乱暴に自分の方へと向かせた。



「全くあなたってお方は、いつまで経っても手のかかるお嬢さんなんですね」



 そう言いながら、ゆっくりと優しく涙を拭ってくれる。見上げると、小さい頃にケガの手当をしてくれた時と同じ、困ったような笑顔をしていた。



◇◆



「謙虚になるよう諭すべきかと存じます。本気で王妃にさせたいのなら、尚のこと」



 私が落ち着いたのを確認してから、スティーブンは険しい表情でそう提案した。


 でも、ほんとうにロザーナの態度には問題があるのだろうか。いまだに信じられない私は、それからしばらくの間、娘を注意深く観察することにした。


 娘の振る舞いは、以前よりも堂々としてきたようだ。もちろん悪いことではないのだが、闘争心も強くなっているのかいちいち他の生徒と比べて優秀だったと自慢してくる。これは、確かに良くない傾向だ。



 ロザーナは必死なあまり、同級生がみんな敵に見えてしまっているのかもしれない。一度それとなく注意しておかないといけないのかしら。でも娘の頑張りに水を差す真似をするのは気が進まない。


 私は娘がいつも少し無理をしていることも、頑張りすぎて時々体調を崩すことも知っている。だからこそ、成果が出たら誉めてあげて、素直に喜びを分かち合いたいのに……。



「あの位の年頃ですと、夢を追いかけるよりも社会に合わせてうまく立ち回る術を身につける方が大切ではないでしょうか」



 報告の最後にスティーブンが残した言葉が頭をよぎる。


 時には立ち止まって、周りを見ることも大切なのかもしれない。きちんと指摘してあげた方が、きっとロザーナ本人のためにもなるのだろう。


 私は自分を無理やり納得させることにした。



◇◆



 その日は朝から雨で、屋敷の中も薄暗くどんよりとしていた。


 広間が雨漏りしている。この間、庭師の真似事をして親子で木の剪定をしてみたけれど、さすがに屋根の修繕は頼まないとダメよね。最近始めた針子の内職を増やさないといけないわ。


 刺繡を縫い付ける手を止めて考え込んでいると、ロザーナが駆け寄ってきた。



「雨漏りしている場所に、水を受けるための鍋と食器を置いてきたわ。これで床は濡れないはずよ」


「ありがとう、面倒かけたわね」



 そう言って力なく微笑んだ私の手を、ロザーナがぎゅっと握ってくれる。



「わたしが大きくなったら、お母様にこんな惨めな思いをさせないようにするわ。……だから、そんな辛そうな顔をしないで」



 真っ直ぐな力強い瞳で元気付けてくれる娘を見ていると、ふいに目頭が熱くなった。


 ああ、この子は変わっていない。小さい頃からずっと、ロザーナはとても優しい子なの。


 娘を抱きしめて、頭をそっと撫る。このまま誤解されたままでいてほしくない。私はロザーナを胸に抱いたままで、思い切って話を切り出した。



「家事やお勉強ばかりでつらくない? そんなに無理しなくても大丈夫よ」



 つらくないわ、と即座に返事した娘がかえって心配で私は直球の質問を投げかけた。



「でも、最近ぜんぜん遊んでないでしょう? お友だちと過ごす時間だって大切にしないと」


「お母様は甘いわ。周りは全員ライバルなの。王妃様への道のりが厳しいことなんて、最初からわかりきってたじゃない」



 うろたえる私を見て、ロザーナは安心させるように力強く笑った。



「確かに同級生の中には、いきなり必死に勉強しはじめた私を変な目で見てくる子もいるわ。だけどお母様が応援してくれるなら、他の皆がわかってくれなくても平気なの」



 真っ直ぐに私を見つめるロザーナの瞳には、強い意志が宿っていた。


 スティーブンの助言は、聞かなかったことにしよう。実力で勝負できない、先祖の築き上げた財産を自慢することしか能のない人たちのやっかみなんて、どうでもいいじゃない。


 誰になんと言われても、私だけは娘の決意を信じて最後まで守り抜いてあげよう。そう心に誓った。



◇◆



 夏が来る。普段ロザーナが通っている学校は長期休暇に入った。


 娘は念願叶ってサマースクールの淑女養成集中コースに参加できることになり、何日も前から入念に準備をしていた。一流の貴婦人になるためにどうしても受けたい授業があるのだという。



「別人みたいに成長して帰ってくるから、楽しみにしてて! 行ってきます」



 大きな旅行鞄を両手に勇ましく宣言して、ロザーナは家を出て行った。



 サマースクールの期間は1ヶ月。こんなに長い間、ロザーナと離れて暮らすのは初めてだわ。なんだか心細い。


 今頃、ロザーナは何もない田舎で一生懸命勉学に励んでいるのだろうか。娘のいない静かな屋敷で退屈しのぎにパンフレットを開くと、衝撃のフレーズが目に飛び込んできた。



『有名マナー講師から徹底的に作法を学び、玉の輿婚に必要な令嬢マインドを養う地獄の強化合宿!

ついて来られる自信のある者だけが参加すること!!』



 私は、料金欄ばかり見て肝心の内容をチェックしていなかった自分を悔やんだ。



 サマースクールを修了して帰ってきた娘は、見違えるように立派な貴族令嬢となっていた。


 自分でセットしたのだろうか。髪型が少女らしい三つ編みから縦巻きロールに変わっている。目つきも鋭くなったように思うのだが、気のせいだろうか?そして何よりおかしいのが……。



「お母様、ただいま帰りましたわよ。やっぱり街中は山よりもずっと暑いですわね、オーッホッホッホ……」



 そう言って突然、手の甲を口元に添えて高笑いしだした。何が面白いのかさっぱりわからない私は、娘を呆然と見つめるしかなかった。



「疲れているみたいね。だいぶ厳しかったんじゃないの?」


「余裕でしたわ、オーッホッホッホ」



 スパルタ教育で頭が変になってしまったのかと思いきや、どうやらそうではないらしい。


 まさか、この話し方こそが特訓の成果だとでも言うのだろうか……。



 地獄の強化合宿を経て、見た目も中身もすっかり『典型的な高飛車系お嬢様』になってしまった我が娘ロザーナ。


 果たして娘は夢に近づいているのだろうか。振り返ると、後ろに控えているメアリーとスティーブンが笑いをこらえて小刻みに震えている。



「返金保証ってありましたっけ?」



 目が合った執事が小声で聞いてきたが、私は何を言わずに力なく首を横に振った。

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