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それぞれの結末

 ロザーナが冒険者ギルドに登録して3ヶ月が経った。娘は戦友モニカと共に、国内外の各地を渡り歩き、討伐や探索に明け暮れる毎日を送っている。


 狭苦しい貴族社会を抜け出して、自由に飛び回るようになったロザーナ。家にほとんど帰ってこなくなったのは寂しいが、生き生きとした彼女の姿を見るたびに、私はこの選択が正しかったことを実感した。


 そして私自身も、ロザーナが家を出てすぐに、自分の夢に向かって新しい一歩を踏み出した。針子の内職がきっかけで手芸に目覚めた私は、思い切って自宅で教室を始めてみることにしたのだ。



 さわやかな秋の午後。アトリエに改造した客間で、私は学校を卒業したばかりの令嬢たちに縫物の初級レッスンをしていた。



「みんな上手にできたかしら? 今日はこの辺にしておきましょう」



 長机を囲んで作業に没頭していた8人の生徒たちが手を止めて、元気よく「はーい」と答えた。彼女たちが持っている白いハンカチには、可愛らしい刺繍の花が咲いている。


 何人かの生徒が、私の席へと集まってくる。質問や次に作る物のリクエストを聞いていると、お茶の準備をしていたメアリーがいそいそと部屋に入ってきた。



「いつものお客様がお越しになっているのですが、どうなさいますか」


「いいわ、こちらにお通しして」



 客が誰なのかは聞かなくてもすぐにわかる。気を遣って小声で話しかけてきたメイドに向かって、私は笑顔で即答した。



◇◆



 案内されてきたルッツ卿は、見慣れない光景に気後れしている様子だった。



「近くまで来たので立ち寄ったのですが、授業中だったんですね。お邪魔にならないように、玄関で待っていましょうか?」


「ちょうど終わったところなので大丈夫ですよ。こちらの椅子にお掛けになっていて」



 同じ年頃の娘がいるのに、若い女性の集まっている場所が苦手なようで、ルッツ卿は明らかにまごついている。



「たまには、こういうのも新鮮で楽しいでしょう?」



 私がからかい気味に言うと、彼は戸惑いの表情を浮かべた。


 生徒たちは来客など気にも留めずに雑談をしていたが、そのうちの1人がルッツ卿の顔を見て素っ頓狂な声を上げた。



「キャー! 騎士のハロルド=ルッツ様じゃない」



 彼女の言葉がきっかけで、モニカの父はあっという間に女生徒たちに取り囲まれてしまった。



「いつも応援しています!」


「こんな所で会えるなんて夢みたいです♡」



 突然の黄色い歓声に驚いていると、離れた場所にいた年長の生徒がこちらに話しかけてきた。



「ご存知ないんですか。あの方は、御前試合で何度も優勝している有名人なんですよ」



 そんな事、全くの初耳である。娘の評判を聞くついでにモニカ親子についても執事に尋ねたことがあるが、騎士という以外の情報は教えてもらえなかったのだ。



「スティーブンったら、わざと黙っていたのよ」



 私は生徒に聞かれないようにぼそりと呟いた。


 貴婦人に人気の高いルッツ卿に、嫉妬でもしたのだろうか。いつも冷静沈着で感情的になることのない彼にしては珍しいが、それ以外に考えられなかった。



◇◆



 取り囲まれて辟易しているモニカの父親があまりにも気の毒なので、一旦別室に避難してもらい、不満そうな生徒たちを無理やり家に帰らせた。


 手早く客間を片付けて迎えに行くと、彼は何事もなかったかのように明るく微笑んで、持っていた花束と手提げ袋をそっと私に差し出した。



「バラとコスモスね。どちらも大好きな花よ、嬉しいわ。この袋はケーキかしら?」


「ささやかですが、手芸教室の開講祝いです。気に入っていただけてよかった」



 感謝の言葉を述べると、ルッツ卿は幸せそうな笑顔を見せた。私より少し年上の彼は、確かによく見ると凛々しく整った顔立ちをしているが、まさか熱狂的ファンがいたなんて。



「あんな素敵なお方と付き合っていたなんて、先生も隅に置けないわ」



 一番最初に駆け寄った少女が、去り際にそう言って私を冷やかしてきた。ただのお茶飲み友達だと説明したけど、ちゃんと信じてもらえるかしら。



「生徒たちには困ったものだわ。変な噂が広まって、奥様に誤解されたらどうしましょう」


「妻とは、モニカが幼いころに死別しました。流行り病に罹ったんです」



 ルッツ卿は声を落として少し寂しそうに答えた。私が夫を亡くしたのとちょうど同時期なので、同じ病気だったのかもしれない。お悔やみの言葉をかけると、ルッツ卿は顔を上げて私をじっと見つめた。



「それに……あなたとなら、俺は噂になっても構いません」



 思わず吸い込まれてしまいそうな、深い深い、鳶色(とびいろ)の瞳。真剣な眼差しを向けられて、私は返事に詰まってしまう。


 どういう意味なのか尋ねようとした時、軽いノックの音とともに執事が部屋に入ってきた。



◇◆



「ご主人様、お顔が真っ赤ですよ。熱でもあるんですか?」


「至って健康よ。それより、入っていいなんて誰も言ってないでしょ」



 体温を測ろうと、スティーブンが私の額に手を伸ばしてきた。払いのけて文句を言っても、状況が理解できずに不思議そうな顔をしている。


 ルッツ卿の方を見ると、普段どおりの穏やかな紳士に戻っている。動揺を悟られないよう平静を装いながら、私は再び執事をジロリと見た。



「で? 来客対応の邪魔をするほど緊急の用事って、いったい何かしら?」



 嫌味を込めて聞くと、邪気のない笑顔で一通の封筒を手渡された。差出人にはロザーナの名前が書かれている。



「すぐにお渡しした方がよろしいかと思いまして。お嬢様からの便りがないって、近頃ずっと心配なさっていましたから」



 そう言い残すと、執事はさっと踵を返してすぐさま部屋を後にした。親切心を無下にしたことに罪悪感を覚えるが、出て行く間際に彼がニヤリとほくそ笑むのが見えた。



「やっぱり邪魔しに来たのね!」



 私は閉まったドアを思い切り睨みつけて、心の中で大ブーイングを鳴らした。



◇◆



 応接室は再び静寂に包まれた。先に口を開いたのはルッツ卿だったが、元の話題に戻りづらくなったのだろう。話の内容は、お互いの近況に関する他愛のないものだった。


 それからしばらく雑談を続けていたが、ふと何かに気づいたルッツ卿は、私の手元を指さして言った。



「せっかく急いで持ってきてもらったんですから、俺のことは気にせずに読んでください」



 私が遠慮すると、ルッツ卿は優しく、そして少しだけいたずらっぽく笑いかけてきた。



「でも、さっきからずっと手紙の方を見ていますよ。早く読みたいんじゃないですか?」



 どうやら、私の心はすっかり見抜かれていたらしい。照れ笑いをして頷くと、握りしめていた封筒を開いて、はやる気持ちを抑えながらロザーナからの手紙をゆっくりと読み始めた。

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