遠いむかしの物語
かわいいロザーナ。あれは確か、あなたが10歳の誕生日を迎えてすぐのことだったかしら。ベッドに入っておやすみのキスをした後、私を引き止めて甘えた声で昔話をねだってきたわね。
「今日はどんなお話がいいかしら? 妖精の国のお話にしようかしら、それとも魔物退治のお話にしましょうか……」
「違うわお母様、お城のダンスパーティーのお話が聞きたいの」
ほんの出来心で話した物語を、どうしてあなたはあんなにも気に入ってしまったのかしら。
私は少しだけためらったけれど、結局は娘の熱意に負けてしまった。ベッドの端に腰掛けて、柔らかい髪を撫でながら語りはじめた時の、期待で大きく見開かれたあなたの瞳を今でも私は覚えているわ。
◇◆
――昔、むかしのお話です。
ある貴族の家に、メリッサという、それはそれは可愛らしい女の子が暮らしていました。彼女の髪はまるで月の光を撚り合わせたみたいな銀色に輝いて、瞳はサファイアのように青く澄んでいました。
「髪も目も、わたしとおんなじ色をしていたのね」
ええ。その子はロザーナと瓜二つだったのよ。メリッサは礼儀作法もお勉強もとてもよくできて、王国中の青年たちが彼女に夢中だったわ。
ある日、王子様の成人を記念して、お城でダンスパーティーが開かれることになりました。メリッサも、両親と一緒に招待されたのよ。
知っているかしら、お城の中は目が回ってしまうほどきらびやかなの。床には大理石、シャンデリアはダイヤと真珠で飾られていて、柱はすべて黄金で縁取られているわ。そしてお城には、世界中のありとあらゆる貴重な宝物が集まっているのよ。
それにね……この日は特別なパーティーだったから、大きな宝石を身につけた貴族のお嬢様や、黒い肌の異国のお姫様、エルフやドワーフ、妖精たちまで来ていたのよ。
「みんな、王子様のお嫁さんになりたかったの?」
そうよ。遠い昔から、この国の王子様は17歳の誕生日に開かれるパーティーで、未来のお妃様を決めることになっているの。だから女の子たちは競うように着飾って、少しでも王子様の目に留まろうと必死だったのね。
でもメリッサがお城に着いた瞬間、そこにいた全員が彼女に心を奪われてしまいました。貴族たちの声を聞いて入口まで出てきた王子様も、一目で恋に落ちてしまいます。
「あぁ、なんて素敵なの。もちろんメリッサは、王子様と踊ったのよね?」
ええ、ダンスを申し込まれたメリッサは、お城のダンスホールで王子様と一緒に踊りました。
しばらくして踊り疲れたメリッサと王子様は、バルコニーで休憩をしました。辺りはしんとして、虫の声とダンスの音楽だけが、夜風に乗ってかすかに聞こえてきます。
王子様は、メリッサの瞳を見つめて言いました。
『あなたのような素晴らしい女性には、生まれて初めて会いました。どうか妃になって、一緒にお城で暮らしてください』
その場でひざまづいた王子様は彼女に求婚をしました。
でも、メリッサは彼の手を取ろうとはしません。
「どうしてなのか知っているわ。メリッサには他に、大切な人がいたのよ」
そう。王子様のもとで働く家来のひとり息子と、メリッサは恋をしていたの。彼女はお城での贅沢な暮らしよりも、好きな人と結ばれることを選んだのね。
『ごめんなさい。わたくしには、叶えたい夢があるのです』
そう言い残すと、彼女はまるで雲が消えるようにお城からいなくなってしまいました。ひとり残された王子は、月に向かって呟きました。
『悲しいけれど、あなたの笑顔が守られればそれで充分です。どうかお幸せに』
こうしてメリッサは、愛する人といつまでも楽しく暮らしましたとさ。
◇◆
「パーティーのお話は、やっぱりいつ聞いてもワクワクするわね。前に聞いた時と同じくらい……いいえ、それよりもずっと楽しかったわ」
お話が終わるとすぐに、ロザーナはうっとりと深くため息をついた。その隣で、私は激しい自己嫌悪に襲われていた。
ああ、またやってしまった。お城もパーティーも王子様との会話も、話せば話すほど豪華絢爛になっていってしまう。でも、つらい現実を忘れて物語の世界へ逃げ込めるこの時は、私の密かな癒しとなっていた。
しばらく余韻に浸っていたロザーナだったが、ふいに私の方を見て真剣な表情で問いかけてきた。
「ねぇお母様。メリッサって確か、わたしのひいおばあ様だったわよね? うちのホールに飾られている肖像画の女の人でしょ?」
さすがは我が娘、賢い子だわ。その設定もしっかり覚えていたのね。
「……そうよ。昔はここもたいへん裕福だったのよ」
だからあなたもしっかり勉強して、ひいおばあ様のように立派な貴婦人になりなさい……。
締めにお決まりの言葉をかけようとした時に、私は娘の様子がおかしいことに気がついた。いつもは話が終わったら満足してすぐに眠りにつくのに、神妙な顔で黙り込んでいる。
もしかしたら、晩餐の品数が減ったのを見て、経済状況が悪くなっていることに気がついたのかしら。
我がダンヴァーズ伯爵家は、かつては広大な領地を誇る名門だったが、それも昔のことになりつつある。夫の死と領内の不作が重なり、この家は一気に没落してしまった。
領地の大半を売り払ったおかげで資産は残ったけれど、再婚したり商売を始める勇気は、残念ながら持ち合わせていない。
今ではこの娘と、小さな屋敷で細々と暮らしていくのがやっと。恥ずかしくて、ろくに社交の場にも顔を出せない状況だ。
◇◆
「わたしもいつか、お城のパーティーに行けるのかしら」
娘を寝かしつけるのも忘れて考え込んでいた私だったが、ロザーナの言葉にふと我に返った。
ルイス第一王子は娘と同い年。ここ、ノスチテリア王国の貴族はみんな、王子が17歳になったらお祝いのパーティーに参加させてもらえる。
しかし私が返事をする前に、ロザーナは力強く宣言した。
「お母様、わたし決めたわ。頑張ってこの国1番のレディになって、王子様と結婚する」
驚きのあまり言葉を失ってしまった私を見て、ロザーナは元気づけるようにこう付け加えた。
「だって、王妃様になればこの家もお金持ちに戻れるでしょう?
ひいおばあ様だって王子様を射止めたんだもの。きっと、わたしにもできるわ」
自信満々なロザーナを前に、私はかける言葉が見つからなかった。
ごめんなさい。ひいおばあ様のお話は、ぜんぶ嘘。惨めな気持ちを和らげるための、まるっきりの作り話なの。
でもそんな事を言ったらこの子のプライドはズタズタになってしまうわ。それに、今更夢を壊したくはない。
母親の作り話を信じ込んで王妃様を目指した娘の物語は、こうして幕を開けたのだった。