第七話 死を告げる天使
どうも皆さま、初めてお会いする方は初めまして。以前にお目にかかられた方は、お久しぶりです。ヌイヴェルでございます。
私は高級娼婦を生業としておりまして、いわゆる上流階級の皆様方に寄生して生きている女吸血鬼でございます。皮肉めいた自己紹介となりましたが、実際のところ、私は魔術を行使できる魔女なのでございます。
どのような魔術なのかと申しますと、触れ合った相手から情報を抜き取る《全てを見通す鑑定眼》という魔術でございまして、触れ合う肌や時間が長ければ長いほど抜き取れる情報も多くなってまいります。
しかも、相手からは抜き取られないという防諜まで備わっておりまして、《永続的隠匿》という情報遮断の魔術まで身に付けてしまいました。つまり、私は自身の手の届く範囲ではございますが、身近におられる方々から断りもなく気付かれることもなく情報を吸い上げてしまうのです。
魔女にして、吸血鬼。ああ、なんと罪深い存在なのでしょうか。神様、ああ、今日も罪深い私をお許しくださいませ。
死とは恐ろしいものにございます。なにしろ、誰も体験したことがないのでございますから、未知なるものへの純粋な恐怖がございます。人は死ぬと神の御許へと導かれ、生前の行いによって、天上世界へ導かれるのか、はたまた地獄へと落ちていきます。どちらに行くのか、人は分からぬものにございますれば、信仰と善行によって天国への道を舗装するのでございます。
私は自身の罪過の深さを知っています。娼婦として伴侶以外の殿方と目ぐ合い、魔女として魔術で人々を誑かし、吸血鬼として生気と財貨を吸い上げてございます。
罪過を知るがゆえに、私は救いを求めて教会へと足を運ぶのでございます。司祭様の前で懺悔し、罪の告白をして、神に祈りを捧げるのです。地獄に落ちるのは嫌でございます。ですから、今日も金貨を差し出し、贖宥状を買い求め、死後の席次を得るのでございます。
さて、なぜ今、死後の世界について思いを馳せているのかと申しますと、葬式の真っ最中であるからです。寝台の上に大きめな棺が置かれ、その周りには色とりどりの花が散りばめられてございます。燭台の蝋燭が揺らめき、枕元の十字架を照らしています。
棺の中には黒い衣装で身を包んだ“私”が横になってございます。そう、現在、私の葬式が執り行われているのでございます。
話をお聞きになられている方は哀愁にて心が締め付けられておられるやもしれませぬが、ご安心ください。私は死んでなどおりませぬ。
生前葬というものですかと思われる方もいるかもしれませんが、それも違うのでございます。
これもまた、“娼婦”のお仕事にございます。
人の趣味や嗜好は様々。十人十色という言葉が示す通り、十人の人がいるならば、十人それぞれに好き嫌いや得手不得手が存在するのでございます。趣味もそれぞれ、嗜好もそれぞれ。そうであるならば、生者ではなく、死者をお抱きになりたい方も中にはいるのでございます。
死は未知であるがゆえに、それに甘美な幻想を抱かれる方も存在し、それを満たすために様々な犯罪を犯される不埒者もございます。
ですが、それを私で満たそうとする方がおられます。なにしろ、私は全身が白一色の特異な姿ゆえ、化粧などしなくても身動きせずに息を潜めていれば、死体に扮することなど造作もないことなのですから。
そして、そんな“温もりのある死体”を抱くために、本日のお客様がやって来ました。
閉じられた棺の中からでも、部屋の扉が開く音と人の気配が伝わって参ります。そして、重々しい棺が開かれ、お客様が中を確認なさいます。もちろん、そこに横たわるのは、死装束に身を包む私でございます。
「おお、久方ぶりよな、天使殿」
天使ではなく、魔女なんですとは言えません。なにしろ、私は今現在、死体に扮しているのですから、死者が生者に話しかけるのはご法度でございます。
声色から、お客様は侍祭様のヴェルナー様だとすぐに分かりました。もっとも、私の働く娼館は完全予約制でございますから、どなたが来られるのかは分かっております。
部屋の装飾もお客様の嗜好に合わせて変える場合もございますが、ヴェルナー様の場合はそれが顕著でございます。葬式を模して部屋を装飾しているので、棺に十字架、お香など、実に凝ったものでございます。
さて、今宵はヴェルナー様との出会いについて、お話しすることといたしましょう。
***
時を遡ること、数年前になります。
その日は私の遠縁にあたりますヴィクトール様の来訪を受けてございました。ヴィクトール様はユーグ商会という大店の若旦那様で、齢二十歳にもならない方でございますが、利発的で礼儀正しく、次代の商会も安泰だと評判にございました。
そのヴィクトール様が急ぎ相談したいことがあるとのことで、先触れもなく馬で駆って来られたのでございます。
何事かと思いましたが、ひどく思い悩んだ風でございましたので、屋敷に招き入れ、応接間にてお話しすることとなりました。事前に来訪を知っていれば食事でもご用意いたしましたのに、茶菓子程度では申し訳なさでいっぱいでございます。
「先頃の母の葬儀にはわざわざのお運び、恐縮でございました」
ヴィクトール様は椅子に座りながら頭を下げてまいりました。こうした謙虚で礼儀正しさと細やかな気配りが評判でございまして、私も縁者ということもあって何かと店を利用させていただいております。
「滅相もございませぬ。御母堂様の件は本当に残念でなりませんでした」
一月ほど前、ヴィクトール様のお母君であるサーラ様が事故でお亡くなりになられたのでございます。非常に美しく聡明な方で、夫であるヴェルナー様とはとても仲睦まじい夫婦と評判でした。
所用で出かけられた際、運悪く土砂崩れに巻き込まれ、お亡くなりになられたのです。体の方は奇跡的にほぼ無傷でございましたが、頸部にだけひどい傷を受けてあらぬ方向に曲がってしまい、帰らぬ人となってしまいました。
私も葬儀に参列いたしましたが、棺にすがりつくヴェルナー様の姿が今も頭の中に焼き付いてございます。仲の良い夫婦の突然の別れ、それを嘆かぬ者などおりますまい。
「それがお恥ずかしいことながら、あれから父ヴェルナーが狂ってしまわれましてな。母の棺の前から動こうとせず、日中は神に祈るか棺の縋りついて泣いています。そして、夜が訪れると、母の眠る棺に入り込み、一緒に寝入ってしまう始末。ほとほと困っております」
「あれからずっとでございますか!?」
サーラ様が無くなられて一月近くたっております。今は冬とは言え、腐乱が心配でございます。醜くただれる前に埋葬しなくては、死者の名誉にも関わってまいります。
「お二人の仲を考えますと、悲観にくれるのも分かりますが、いつまでもそれが続くようでは周りに奇異の視線で見られましょう。手早く埋葬されるのがよろしいかと」
「ヌイヴェル殿の仰る通りです。しかし、今度は墓石にでもしがみつくのではと憂慮しております」
いかにもありそうな事に、私も頭を悩ませました。埋葬は当然にしても、ヴェルナー様とサーラ様の間にある絡まった縄をほどかなくては、死者の世界に引き込まれてしまうやもしれません。
少し回りくどい方法ですが、お二人の名誉のために“一肌”脱がねばなりません。
「分かりました。魔女の力を使って死者と言葉を交え、それをヴェルナー様にお伝えしましょう。さすれば、未練や執着を断ち切り、常道に戻られるかと」
「なんと、魔女殿はそのような力をお持ちなのですか!」
無論、そんな力などございません。私が聞き取れるのは、あくまでも生者の心のささやきなのですから。ゆえに、聞き取るのはヴェルナー様の心の声であって、霊界の扉を開くことではございません。
「少し準備が必要でございますし、お手伝いをお願いすることになりますが、よろしいでしょうか?」
「無論です。父のあの姿を見て、正気に戻っていただかないことには方々に迷惑をかけることになります。最悪、強制的に隠居してただくことにもなりましょうが、手は尽くすつもりです」
ヴィクトール様の許可は出ました。ならば、全力で天使に扮した魔女となりましょう。扮するは、告知を司る天使です。もっとも受胎告知ではなく、死命告知でございますが。
さてさて、面倒な仕事ではございますが、生者と死者の尊厳と名誉を守るため、全力で夫婦の仲を引き裂くと致しましょう。魔女として、あるいは死を告げる天使として。
***
ヴェルナー様がサーラ様の屋敷の一室に設けられました死体安置所に入り浸っておりますが、用をたす時と食事の時は席を外します。離れた隙に手早く仕込みをしてしまいます。
まず、私と数名の下男と共に部屋に入り、取り急ぎ棺の中身を確認します。案の定、腐乱が始まっていました。冬場で進み具合は遅めでしたが、このままでは生前の面影が完全に崩れ去り、醜い姿を晒すことになるでしょう。
「すぐに運び出して下さい。それと新しい棺も急いで中に!」
下男の皆さんは無言で頷くと、サーラ様が入っている棺を担いで部屋を出ていきました。これで埋葬して一件落着といけばよいのですが、残念ながらヴェルナー様は死者に取り憑かれております。このまま埋葬して離ればなれにしてしまえば、半狂乱となって何をするか分かりません。
そのため、魔女たる私が一芝居打たねばなりません。運び出した棺の代わりに同じ形の棺を運び込みました。見た目的には一切の変わりはありませんが、棺の中身が違います。
運び込まれた棺には私が入りました。着込む衣装は葬儀の際に身に付ける黒いドレス。漆黒の死装束に包まれし魔女とは中々に似合いそうなのですが、のんびり眺めている余裕はありません。
ヴィクトール様が多少の足止めをして下さってますが、準備に時間をかけれません。私が棺に入ると蓋が閉じられ、下男の方々も仕掛けを動かす一人を除いて出ていかれました。
そうして棺の中で待機していると、ヴェルナー様が戻ってこられました。
「おお、サーラよ、寂しい思いをさせてしまったね」
部屋の中にヴェルナー様の声が響きますが、私の記憶する以前の声色よりも遥かに弱々しく感じました。なにしろ、一月近くも暗鬱の中に身を沈めておられたのですから、死に近付いても不思議ではありません。
さて、では始めますかと、私は棺の側面をドンッと叩きました。何事かとヴェルナー様は棺に近寄る足を止め、数歩離れた位置から棺を凝視されました。
さらに、棺の蓋を隠れた場所から縄で引っ張り、独りでに開いたかのように見せました。そして、私は開いた棺から腕だけを出し、ヴェルナー様に向かって手招きをしました。
私の体は白一色。死人と変わらぬ色合いにて、まるで死体が動いたかのように見えましょう。もちろん、不自然な点は多々ありますが、狂気に囚われている衰弱した者の目には、それがどう映るのか予想はつくというものです。
「おおぉ! サーラが黄泉より立ち返ってきた! 偉大なる主よ、その慈悲によりサーラを我が手に戻してくださりましたか!」
やはり乗ってきました。魔女として人を唆し、惑わすのはいつものことでございますが、仲睦まじい夫婦の間を引き裂かねばならないのは少々胸が痛みます。
棺から出した私の手を掴もうとしたその瞬間、逆にヴェルナー様の体を掴んで棺に中に引きずり込みました。部屋の中に潜んでいた下男が素早く棺の蓋を閉め、そして、閂を差し込んで封印しました。
これで棺の中は完全な暗闇が支配する小さな世界。そこには妻の死を嘆く夫と、それを告げに来た天使のフリをした魔女のみとなりました。
「な、なんだ! どうなっている!?」
「お静かに、ヴェルナー殿」
私はいつもとは少し声色の語気を強め、威厳ある態度にて応じました。魔女ではなく、死告天使として顕現したのでございますから。
「我が名はザラキエールなり。ヴェルナー殿、落ち着かれよ」
「死を告げる天使だと? なぜこのようなことを」
いきなり死体が動いたかと思うと、今度は棺の中に閉じ込められてしまったのですから。しかも、棺の中には天使を名乗るどこかの誰か。困惑するのも当然でございましょう。
「我はサーラ夫人よりの言伝を預かって参った。本来ならば人一人のために言伝を伝えることはないのだが、サーラ夫人の身の上を案じて、こうして地上まで飛んで参ったのだ」
「サーラからの言伝!?」
ヴェルナー様の声色が変わりました。生気が宿り、急に色めき立った感じでございます。
「・・・だが、お主は本当に天使なのか? 甘言で地獄へ落とし込もうとする悪魔かもしれん」
惜しい。半分正解でございます。あなたの横にいますのは、悪魔と舞踊を楽しみます魔女でございます。悪魔と魔女は持ちつ持たれつ。悪魔は顕現のために魔女を利用し、魔女も悪魔の知識を欲するものでございます。まあ、あくまでその手のお話の中で、ということにございますが。
「美しい者が必ずしも美しいとは限らない。好いた者、愛する者こそが美しいのだ。そして、私にとって最も美しいのがあなたなのだ」
「そ、その言葉、私がサーラに求婚したときの・・・。なぜそれを!?」
「当人から聞いてきた。お主が疑った際、それを払拭するため、サーラ夫人に話を聞いてきたという証拠としてな」
まあ、それも嘘でございます。私は触れた相手の情報を気付かれることなく盗み取る魔術を持っております。こうして、棺の中で密着していれば、嫌でも相手の事など知れてしまうもの。その中から、一番効果的な字句を選んで告げてしまえば、相手の心を揺さぶるなど造作もございません。
「失礼した、天使殿。主にお仕えする死を告げる者よ、無礼な振る舞いをお許しください」
「構わぬ。主は慈悲深く、愛に溢れる御方。我もまた、それに倣い、寛容ならんとする者。突然の顕現により驚かれたであろうし、気にはすまい」
真っ暗闇の中での天使っぽい偉そうな真似事は、思った以上に疲れます。これは早めにケリをつけて、さっさと帰路に着きたいものです。
「正直に申そう。今、サーラ夫人の立場が危ういものとなっている。今は冥府の入り口にまで近づいてしまっている。このままで地獄にまで行きかねんぞ」
「な・・・! なぜそんなことに!?」
まあ、愛する人がいきなり地獄行きなどと告げられては、平静を装うこともできますまいて。さて、ドンドン攻め込んで参りましょうか。
「知っての通り、人は死ぬとその魂は肉体を離れて主の下へと導かれる。そして、生前の行いによって、天上の世界へ旅立つか、あるいは重ねた罪過の分だけ地獄で責めを受けるか、道が分かたれることとなる」
「そ、その通りでございます。天使殿、サーラは罪人などではございませぬ! 教会には足繫く通い、祈りを捧げて参りました。誰にでも優しく接し、貞淑な妻であり、聡明な母でもありました。それが地獄行きなど、あんまりでございます!」
当然の反応です。問題行動を起こしていないのに地獄行きならば、査定に必要な書類にでも不備があったとか、あるいは別人に間違われたとか、そんな辺りでございましょうか。もっとも、偉大なる主がそのような間違いを起こすとは思いませんが。
「そう、サーラ夫人は“生前”は地獄に落とされるような罪過は犯しておらん。問題は、“死後”のことなのだ」
「なんですと!? サーラがあの世とやらで何かしでかしました!?」
「率直に言うと、主の慈悲を拒んでいる。審判の受諾拒否、それが罪状だ」
死後、人間は神の審判を受け、それによっていくつもの道に分かれるのですが、最終的には全員がその導きにより、天上の世界へと行けるのです。地獄へ落とされる者も、その罪過を地獄の責め苦にて清め、その罪を悔い改めた後に天上へと召されるのです。
皆が皆、神に対して祈りと共に感謝を捧げる。それこそ、愛に満ちた理想の世界。たとえ、大罪を犯せし者であれ、神に対して反逆した悪魔や堕天使とて悔い改め、神の御許へと戻って来る日が来ることを、神は望まれているのです。
なにしろ、私のような悪辣な魔女ですら、贖宥状をお渡しになり、天上の世界の席次まで用意してくださったのです。その懐の深さ、愛と慈悲の広大なること、人智の及ぶところではございません。
「拒絶は主が最も望まれぬこと。自由な意思によって罪を犯したならば、自由な意思によって悔い改め、正道に立ち戻ることができる。しかし、主の言葉に耳を塞ぎ、いかなる意思を示さぬ拒絶はその限りでない。審判の拒絶は天上への階段を崩し、地獄へ落ちる所業だ。いや、それすら通り越して、地獄すら行けぬ消滅に至るやもしれぬ」
「そんな・・・!」
地獄への道にすら、神は救いの道を残しておられます。神は世界を御創りになった際、人に自由なる意思をお与えになりました。善行のみならず、悪行ですら神の御心の内にあり、人は自らに意思によってそれらを選ぶことができるのです。
たとえ悪行を犯し、神に反逆しようとも、悔い改めて正道に立ち戻る者には、神は手を差し伸べられます。懺悔と祈り、皆揃って神に祈ることこそ、喜びに満ちた世界。
審判を拒むということは、地獄行きすら拒む行為であり、いずれは消え去る救いなき道でございます。
「理由は他でもない。ヴェルナー殿、お主のせいだ」
「私の・・・、ですか!?」
「肉体は死して魂と分かたれ、地上から天上へと至る。しかし、お主は死者の魂を夫婦の絆によって拘束し、本来は天上世界へと召されるその魂を縛っている。サーラ夫人の魂はお主の今の姿を見て、このままでは旅立てぬとジッと待っておるのだ。主の言葉に耳を塞ぎ、天使の先導を拒んでな」
もちろん、こんな話は嘘でございます。なにしろ、私は天上の世界も審判の待合室も覗いたことがございませぬゆえ、どういう状況なのか言葉にすることなどできないからです。
適当に吐いた作り話。ですが、これは“効く”はずです。自分のせいで妻が最も過酷な罰を受けると聞かされれば、心は揺さぶられる。隙間の生じた心の中に入り込むなど、私にとっては娼婦としても魔女としても“いつもの”ことなのですから。
「天使殿は夫婦の絆を否定なさるのか!?」
「否定はせぬよ。それは素晴らしいものだ。主の前で婚儀の誓いを立てようとも、仲違えしてしまう者もおるからな。そういう意味では、ヴェルナー殿とサーラ夫人は理想的夫婦と言えよう。二人揃って教会に出かけ、祈りを捧げる姿は主も見ておられる。善行と祈り、主もお喜びになられておられる」
離婚だの愛妾だの、人の欲望に果てはなく、醜悪なること世間にいくらでも散見できます。なにしろ、私の“あがり”はそこから頂戴しているわけですから、よく存じ上げておりますとも。
私の稼いだ金は薄汚れてはおります。神の子を売り飛ばした銀貨三十枚よりかはマシでございましょうが、それでも汚れた銭であることは知っております。しかし、それによって人を救っているという自覚もございます。教会を綺麗にし、飢えた貧民に食べ物を与える際に、私の懐より出資しておりますから。
汚れた銭による“善行”を神がどう判断されるのか、それこそ、神のみぞ知る、でございましょう。
「しかし、ヴェルナー殿、貴殿の嘆き悲しむ姿を見て、サーラ夫人は困惑しておるのだ。ずっと棺に縋りつく様を目の当たりにし、このまま自分一人だけ天上の世界に旅立つのは心苦しい、とな」
「ならば、すぐにでも神の御許へ旅立ちます!」
すぐにあの世へ行く、すなわち自殺すると仰いますか。それはいけません。自殺は自身に対する殺人であり、周囲の人々に“癒し難い傷”を与える殺傷行為となります。残された苦しみから逃れるために、残される人々への苦しみを強いる行為は、断じて許容すべきではありません。
「自殺はならんぞ。それこそ、主に対する最大の侮辱だ」
「では、私はどうしろと!?」
「主はすでに永遠を約束されている。汝が魂よ、主を待ち望め。生きることを憎むことなく、命を選ぶのだ」
残念ではありますが、私の力ではここの辺りが限界です。ヴェルナー様を正気に戻すのには足りませぬ。ならば、神の力を借りましょう。神との対話、すなわち聖職者として教会なり修道院なりに入り、その後の人生を過ごされるのがよいことでしょう。
幸い、息子のヴィクトール様は聡明な方なので、家を継いでも問題ないでしょう。後顧の憂いなく、修行に励まれて、残りの人生を全うしていただきましょう。
「ヴェルナー殿、お主の罪は重い。死者への冒涜は主への冒涜であり、魂の行く末に揺らぎを与えるものだ。しかし、主は慈悲深い。悔い改める者を決して見逃すことなく、手を差し伸べられるのだ。夫婦の厚い絆はけっこうなことだが、周囲の迷惑を顧みぬ身勝手な振る舞いは感心せぬ。自由な意思によって罪を犯したらば、自由な意思によって悔い改め、正道に立ち戻るべし」
「それがサーラとの再会に繋がるのですか!?」
「祈りと研鑽の先に永遠があり、永遠の先にお主の愛する者との再会が待っている。ならば、永遠の歩みとて恐れるべきものではないはずだ。犯した罪を悔い改め、主に祈りを捧げるのだ」
呻くように震えているのが伝わってきています。これで棺に縋りつく日々は終わりでしょうが、これから過酷な修行の日々が待っています。しかし、その先には奥方との再会が待っているのであれば、いかなる辛苦の日々であろうと、耐える事でありましょう。
「さて、ではこの暗闇とも別れを告げるとしよう。その前に、一つ申し付けておくことがある。此度の件はお主の弱さが招いたことだ。それを忘れぬためにも、寝る際は棺の中で寝るようにするのだ。かつて犯した過ちを心身に刻み、それを修行で克服してみせよ」
「主がそれを望まれるのならば。天使殿、ご助言感謝いたします」
私は三度、棺の側面を叩きました。外にいる者に棺を開けるように促す合図です。やれやれ、これでこの暗闇ともお別れですか。もう二度とこのようなことがないことを神に祈りましょう。
「ヴェルナー殿、棺が空いたら、決して私の姿を見ようとしてはならんぞ。私はそもそも死を告げる天使なのだ。私が現れるということは死を意味し、魂を神の御許へ運ぶということだ。もし、今のままで主の御許へ行こうものなら、間違いなく地獄へ落ちよう。それでは愛する者との再会が遠のくことになりますぞ」
こうまで言えば、私の姿は見られないでしょう。あとは、棺ごと運び出していただければ、今日のお仕事は終了でございます。
やれやれ、天使に扮する魔女などと、冒涜的なことをしてしまいましたが、これもまた人助け。神も笑って見逃してくれるでしょう。
棺が開き、ヴェルナー様が外に出ますと、また棺の蓋が閉じられました。
「父上!」
「おお、ヴィクトールか」
棺越しに二人の声が耳に入って来ました。
「ヴィクトール、私は隠居する。店はお前に任せる。そして、私は神と対話するのだ!」
「えぇ!? 急にまたどうして!?」
まあ、そういう反応になるでしょう。未練や執着を断ち切りすぎて、行くところまで行ってしまいました。ヴィクトール様、父君を正道に戻しましたが、戻しすぎて着地点が大きくずれてしまったかもしれません。
とはいえ、あのまま棺と共に暮らすよりかは遥かにまともとも言えますし、このくらいは許容してください。魔女のイタズラとでも思ってくださいな。
***
これで終わっていればめでたしめでたしだったのですが、厄介な続きがございます。
あの後、ヴェルナー様は家や店をヴィクトール様に相続され、ご自身は身一つで修道院に入られました。そこは大店の元主人でございますから、頭が回る上に大いなる信仰にも目覚められたので、奥様との再会のためにメキメキと頭角を現されました。
また、私が助言しておいた“棺で眠る”ことも続けておられるようで、隠れた異才も目を覚まされたようでございます。ヴェルナー様の異才は《早すぎた埋葬》というもの。死後三日の内であれば死者の魂と対話できるのでございます。生者から貪る魔女、死者に寄り添う聖職者、私の真逆を行く異才と言えるでしょう。
発現の条件は『墓守になり、棺や墓石に触れた日のみ力を行使できる』というものでした。教会は墓地の管理も職務に入っておりますので、それで条件を満たすことができたようです。あとは毎日助言通り棺に入っていれば、能力を使えるというわけです。
死者の魂から言葉を聞ける能力はたちまち評判になりました。当初は悪魔憑きかと思われることもありましたが、死者でなければ知りえない情報を出し続け、それで周囲も認めるところとなったのでございます。つまり、私がヴェルナー様に対して行った詐術と一緒でございます。まあ、抜き取る情報が生者から抜き取ったのか、死者から聞き取ったのか、そういう違いはございますが。
教会側も神よりの賜り物としてその“奇跡”を賞賛なさいました。一昔前でしたら悪魔付きの聖職者として火炙りでしたでしょうが、時代は変わったのでございます。死者を通じて神と交わることに、なんの憚りがございましょうか。
加えて、ヴィクトール様からの多額の寄進もあって、数年のうちに教会の侍祭の地位を得て、更なる精進を重ねる日々を過ごしたのです。
そんなある日、私が教会を訪れ、懺悔室にて罪の告白をした時にございました。その日はたまたま司祭様が所用で出かけられており、代わりに侍祭のヴェルナー様が告解を行ってくださったのですが、それが失敗でございました。
数日前に行った魔女のイタズラについての告白をしたのですが、懺悔室の向こう側からヴェルナー様の奇声が飛び込んできたのです。
「天使殿、再び降りてこられましたか!」
口調や声色に変化を加えていたというのに、しっかりと覚えていらっしゃいましたのは驚きでした。時間の経過とともに記憶も薄れていったかと思いましたが、さすが信仰に目覚めた元大店の主人、本当に頭も回れば耳も聡い。完全に油断しておりました。
懺悔室でのことは外に漏らさないという規則はございます。また、告白する罪人の顔を見ないというのも当然のことでしたが、探し求めていた天使が舞い降りたとすっかり興奮なさり、その禁を破って懺悔室の罪人の顔を見てしまったのです。
私はそれで正体が見破られたのでございますが、『死告天使様に依り代として選ばれただけ』という嘘を押し通して、その場はどうにか逃れることができました。
そこからが更に面倒なことに、私とヴェルナー様は遠縁の知己でございますれば、私の“本職”のことも知っておりました。そのため、是非にもあの日の再現をとせがんでこられました。
あの日の再現、つまり棺の中で天使よりのお告げを聞くこと。また、私と棺に入り込んで相瀬を楽しみたいと。
こうして、ヴェルナー様は私の“上客”になってしまわれたのです。聖職者が娼館にやって来ることはなくはないのでございます。私と同じく娼婦であった我が祖母も、三代前の法皇様と昵懇の間柄と伺っておりますし、いよいよ私にもそれがやって来たのかと考えました。
もっとも、私は死体に扮して何も語らず、棺の中で横になっているだけでございますが。用もないのに天使が降りてきますかと、ヴェルナー様を煙に巻いて。
まあ、私も娼婦として、お客様の情報を外に漏らすような真似はいたしませぬ。お客様をお迎えする部屋は私にとっての聖域。不入の領域は不出の領域でもございます。硬く口止め致しておりますゆえ、ご安心してご来館くださいませ。
ただ、装飾費用と称しまして、いささか“割増な”料金となってございますが、まあ、その辺りはご勘弁くださいませ。死体に扮するのはそれはそれで苦労をするのでございますから、労働の正当なる対価とお考え下さい。
死者に取り憑かれ、死者と対話し、死者の赴く先に思いを寄せる。死を司る天使を求め、魔女の下へと通い詰める風変わりな聖職者のお話でございました。
この世には多くの悲しみに満ちておりますが、別れに勝る悲劇はございませぬ。別れる者同士の絆が強ければ強いほど、その荒縄は残された者を絞めつけてしまうものです。
ですが、その荒縄で自らの首を絞めるような真似はお待ちくださいませ。なぜなら、それは別の荒縄を生み出し、その荒縄もまた、別の悲劇を生み出すやもしれませぬゆえ。
死は“一時的な”別れに過ぎません。死後の天上世界では、神への祈りと感謝を以て、再会と安寧が約束されているのですから、神よりの賜り物である命はどうか大切になさいませ。
たとえ地獄へ落とされようとも、罪を悔い改めて贖えば、光射す世界が待っています。神は罪過を重ねたる私にさえ手を差し伸べられ、贖宥状を差し遣わして天上の席次までご用意いただいた寛容な御方なのですから。
死体に宿った天使に扮する魔女という回りくどい役回りを演じる事となりましたが、私の本分はあくまで高級娼婦。魔女で、女吸血鬼で、神に救いを求めて天を目指す哀れな一本の宿木でございます。
さてさて、次のお客様はどちらの方になるでしょうか。
死をたたえよ
死は幸いなり++
いざ 幸いの地へ
ていうのが昔ありましてね(笑)
なんか妙に覚えてしまっています。