第六話 壁を叩く男
どうも皆様、初めてお会いする方は初めまして。以前にお目にかかられた方は、お久しぶりです。ヌイヴェルでございます。
私は高級娼婦を生業としておりまして、いわゆる上流階級の皆様方に寄生して生きている女吸血鬼でございます。皮肉めいた自己紹介となりましたが、実際のところ、私は魔術を行使できる魔女なのでございます。
どのような魔術なのかと申しますと、触れ合った相手から情報を抜き取る《全てを見通す鑑定眼》という魔術でございまして、触れ合う肌や時間が長ければ長いほど抜き取れる情報も多くなってまいります。
しかも、相手からは抜き取られないという防諜まで備わっておりまして、《永続的隠匿》という情報遮断の魔術まで身に付けてしまいました。つまり、私は自身の手の届く範囲ではございますが、身近におられる方々から断りもなく気付かれることもなく情報を吸い上げてしまうのです。
魔女にして、吸血鬼。ああ、なんと罪深い存在なのでしょうか。神様、ああ、今日も罪深い私をお許しくださいませ。
本日は教会にて、聖書の朗読会なるものがございまして、司祭様が読まれる聖書の話を拝聴してございました。お話の内容は受胎告知と神の子の聖誕でございました。聖母が天からの使いより告知を受け、神の子を宿していることを知り、処女のまま御産みになられるという神秘的なお話でございました。
聖書の中身はよく存じ上げておりますが、自分で聖書を読むのと、他人に朗読されて聞くのとでは、なんとも違う感覚を覚えてしまうものです。
処女でありながら出産とは、さすがは神の御業であると感心致した次第です。まあ、娼婦たる私には、全く縁遠いお話ではございましたが。
それにつけても少々俗な感想にございますが、聖母の地上における夫であります大工の男が、よく妻の浮気をなじらなかったものでございます。普通は、妻が手つかずの処女なら浮気を疑うものにございましょうが、聖書にはどこにも書かれておりませぬ。天よりの告知を誰よりも信じ、妻たる聖母を責めることなく、無事に出産させたることは、むしろ大工の男こそ、最も慈悲と信心に篤いのではと考えてしまいます。
さて、昼間のひと時をそのように過ごし、夕刻よりお仕事の時間がやって参りました。
本日のお客様は我が国でも指折りの大きな商会の主であります、アロフォート=ボロンゴ様でございます。齢は最近六十に届いたそうでございますが、闊達な風貌や精力的な行動力が年齢を忘れさせるほど若々しく感じさせられるお方にございます。
この方は美食家として上流階級の間では有名であり、若いころから販路拡大や商談のために積極的に外国へ赴かれましたるのも、世界中の美味珍味を味わうためだ、と豪語なさっておいでです。商才の方も確かなもので、父の代ではそこそこの商会でなかったボロンゴ商会を若くして引き継ぎ、瞬く間に勢力を拡大して国有数の商会へと育て上げたのでございます。
特に本人が美味しい物を食べたいからという欲求によって大きくなった商会でございますから、世界中の食材が集められてございます。
「口に入る物は罵詈雑言以外すべて我が商会で商っている」
アロフォート様はこう豪語されております。無論それは誇張ではあっても全くの嘘とも言い難く、品質の良い食材や入手困難な食材を手に入れようと思えば、まずボロンゴ商会の門をくぐるのが当たり前となってございます。
さてさて、そんな世界中の美食を食されてきたアロフォート様は、私の店を訪れる際はいつも珍しい料理や酒を持参なされ、それをご一緒にいただくのが、私とアロフォート様の過ごすいつもの時間となってございます。
「つまり、犬頭の人などいなかったというわけですか」
「ああ、昔の伝承など、あてにはならぬというものです。自分で行って確かめねば、分からぬことが多すぎます」
アロフォート様はこの度は船で東にある国々を回られたそうで、昔話に出てきた犬の頭を持つ人々がいるという場所へ赴いたそうでございます。しかし、現地の人々に聞いても、そのような場所はないと空振りに終わったそうでございます。
「しかし、色々と珍しい物が手に入ったので、航海は無駄ではなかったぞ。きっちり儲けれたし、現地の食材も手に入った」
愉快に笑うアロフォート様の前にはずらりと料理が並んでございます。食材を持ち込んでは当店の料理人に料理を作らせるのでございます。見慣れたものもいくつかございましたが、中には見たこともなければ、嗅いだこともない不思議な香りの物があったりと、五感のすべてをくすぐって参ります料理の数々でございます。
アロフォート様の来店時はいつもこうでありますので、私もこの御仁とお会いできるのは、密やかな楽しみとなってございます。
アロフォート様との楽しい食事をしておりますと、不意に扉が叩かれました。
「おお来たな! 待っておったぞ! 今日一番の料理の御到着だぞ」
アロフォート様はどうやら目の前の料理の他にさらにご用意なさっていたようで、その一番の料理とやらが運ばれて参りました。どうやら何かの汁物らしく、鍋で運ばれて参りました。私は何の汁物なのかと鍋を覗き込みましたが、中身は空っぽで汁しか入っていませんでした。
「はて、何も具材が入っておりませぬが」
「ああ、これでいいのだ。これは現地で“マル”と呼ばれる亀の仲間でな。鍋に放り込んで灰汁を取りながらひたすら煮込み、肉汁が染み出た汁を濾して魚醤で少し味付けして出来上がりじゃ。ほれ、さっそく飲んでみよ」
アロフォート様はご機嫌に深皿にマルと呼ばれる物の汁物を入れ、私はそれをスプーンで口に運び入れました。するとどうでしょうか、僅か一口だというのに、体の中から何かが湧き出てきたかのような錯覚に襲われ、急に全身に熱がこもって参りました。
「おお、これはなんとも・・・」
それ以上の言葉はでませんでした。沸々と湧き上がるとは、このことを言うのでございましょうか。
「“マル”はのう、東の方では最も滋養強壮に優れた食材と言われ、これさえ飲めば病人もたちどころに走り出すそうじゃ。もちろん、精力剤としても使われておるそうで、これを飲んだとある王様が、三日三晩女子とまぐわっておったそうだ」
なるほど、これは今夜のお仕事は“長丁場”になりそうな予感がいたします。
などと考えておりますと、突如として壁を叩く音が部屋の中に響きました。
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
「な、なんだ急に」
「ああ、隣部屋のジュリエッタのお客様は、どうやら“あの方”のようでございます」
しばしの沈黙の後、アロフォート様は何かを思い出したかのように立ち上がり、そして、音がした壁の方へと駆け寄りました。
「ま、まさか来店日が《壁男》と重なるとは! なんという幸運! たまにしかこの店に来れぬというのに、巡り会わせの良いことじゃ!」
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
アロフォート様は同じ音調で壁を叩き返し、そして、席に座り直しました。
この店は高級娼館でございますから、客層は裕福な方ばかりとなってございます。当然、社交場や宴席などで顔を合わすことも多く、ある意味皆が顔馴染みなのでございます。たまにバカなことする者もございますが、そんなことをすればたちまち全員が顔馴染みでございますから、噂が飛び交うことになるのです。
そして、いい意味での噂もございまして、笑い話の種になる奇行もあり、気が付けば奇妙な二つ名がついているということも、稀にではありますがございます。
今、隣部屋におります《壁男》なる二つ名を持つ人物もその一人でございます。
「さて、あやつがおるのであれば、やらねばなるまい。やらねば不作法というものだ!」
「左様でございますね。では、参りましょうか」
二つ名がつけられたころから勝手に広まったお遊びでございますが、今ではお客様につられて娼婦も参加するのが慣例となりつつあります。二人で呼吸を整え、同時に頭の中身を表に出しました。
「“十”でございます」
「“八”でいくぞ」
十と八、“予想”はそれぞれこうでございますか。
「アロフォート様、“八”はいささか手堅過ぎではございませぬか? 美食家にして冒険家であるアロフォート様らしくありませんわ」
「ヌイヴェル嬢こそ、勇み足が過ぎぬか? いくら何でも盛り過ぎよ」
互いの予想への評を出し、お互いにニヤリと笑いました。
「では、“賭け金”にございますが、私が勝てば倍付で、アロフォート様が勝てば無料で、ということでいかがでございましょうか?」
「倍付か無料か。よし、それでいこう!」
「ありがとうございます。これで今日の稼ぎは二倍にございます」
「すまんな、今日の払いを奢ってもらって!」
お互い一歩も引きませぬ。壁を叩く音は、今夜の明暗を分けるのでございますから。
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
「おお、“二回戦”が始まったぞ!」
「ジュリエッタ、しっかり励むのよ!」
さてさて、戦はまだ始まったばかり。長引きそうでございますので、《壁男》についてお話いたしましょうか。
***
数年前のある日の事でございました。その日は応接室にてお客様を待っておりました。来客はジェノヴェーゼ公爵フェルディナンド様でございました。この国で一、二を争う大貴族でございまして、当店の上客でもございます。
ですが、今日はいささかいつもと毛色の違う予約をされてございました。
というのも、フェルディナンド様の親戚筋の若者が間もなくご結婚なさるそうで、迎え入れる花嫁に寝台にて粗相があってはならぬと、当店で“筆下ろし”をなさりたいのだそうです。
「まあ、上流階級では珍しい話でもないが、相手は上客中の上客だ。ヌイヴェル、ジュリエッタ、くれぐれも粗相のないようにな」
応接室にいるのは三名。私、ジュリエッタ、そして、店の支配人であり、私の大叔父でもあるルバン御爺様でございます。
「お任せください、支配人。私とジュリエッタで、新たな上客を掴んで差し上げます」
普段は御爺様と呼びますが、今は仕事中でございますので、支配人とお呼びしています。
そうこうしていますと、来店を店員が知らせて参りまして、改めで身だしなみを整え、お客様がやって来られるのを待ちました。
程なく応接室に二名の男性が現れました。一人は当然、フェルディナンド様。もう一人は顔に幼さの残る方でございました。
「ルバン支配人久しいな。魔女殿も息災でなにより」
いつもの調子で話しかけてこられ、私ども三名は恭しく頭を下げて歓迎の意を示しました。
「で、事前にいくつか話しておいたと思うが、こいつの手解きをしてやって欲しい」
そう言って、フェルディナンド様は若者の肩を叩き、前に進み出させた。
「ユリウス=ザーレ=デ=リグル男爵でございます。よ、よろしくお願いいします」
緊張なさっておいでなのは、外見からも声色からも漏れ出てございます。まあ、初めて女子を抱くのでありますから、その気持ちは分からぬでもありません。
「初のご来店、歓迎いたします、リグル男爵ユリウス様。当店の支配人ルバンでございます」
御爺様は改めて頭を下げ、ユリウス様も緊張しながら頷いて応じました。
「公爵閣下、伝え聞きましたるところ、ユリウス様には若い娘を宛がってほしいとのことでございましたので、選り抜いてこの者をご用意いたしました」
御爺様は僅かに後ろを振り向き、それに合わせてジュリエッタが前に進み出ました。
「ジュリエッタと申します。本日、ユリウス様のお相手を務めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします」
ジュリエッタは恭しく頭を下げ、ユリウス様も緊張しながら何度も首を縦に振られました。
ジュリエッタはこの国では珍しい少し波打った赤毛をしており、顔立ちも少し細めで幼く、胸も控えめであります。しかし、容姿が幼めの方がよいという方から人気が上がってきており、また珍しい赤毛の娘ということで贔屓の客も増えてきているところです。
また、ジュリエッタは今は亡き私の師である祖母の手解きを受けており、亡くなる直前まで厳しく躾けられていました。つまり、私にとっては妹弟子にあたるのです。
ジュリエッタは緊張するユリウス様の手を掴み、微笑みかけました。
「では、ユリウス様、早速ではございますが、部屋までご案内いたします」
笑顔を絶やさず、口調は蕩けるようなそれで耳元で囁く。腕と腕を絡ませ、少し控えめな胸を押し当てる。ユリウス様の緊張度はさらに上がったようですが、背筋がこれでもかというほど伸ばされてしまいました。それをフェルディナンド様が笑い飛ばされました。
「ユリウス、そんなことでは戦う前から負け戦だぞ。少しは力を抜かんか!」
フェルディナンド様は何度もユリウスの背中を叩いて気合いを入れ、若い二人を送り出しました。どういう合戦になるのか、じっくり拝見したいものですが、さすがにそれでは緊張して萎れてしまいましょうか。
「フェルディナンド様、ユリウス様はおいくつであられますか?」
「この前、十五になったところだ」
「ジュリエッタは十七でございます。ジュリエッタが初めての殿方を先導すると考えますと、まあ、妥当な釣り合いにございますか」
若くはございますが、祖母の薫陶篤い娘でありますし、きっとユリウス様を虜になさるでしょう。
「さて、魔女殿、我々も参ろうか。若い二人がいかなる合戦絵図を描くのか、しかと検分せねばなるまい。もっとも、実際に見るわけではないがな」
「はい、心得てございます」
私とフェルディナンド様は私の部屋に赴き、扉を閉めて椅子に腰かけました。この部屋の隣室はジュリエッタの部屋で、今頃はユリウス様の緊張をほぐすため、祖母直伝の話術や奉仕術などを駆使していることでしょう。“寝技”の方は今少し研鑽が必要でありますが、まあ手練手管が過ぎますと、初体験の若者には刺激が強すぎますので、ある意味よい塩梅かもしれませぬ。
「魔女殿は筆下ろしの手解きをされたことは?」
「生憎とございませぬ。なにしろ、この特異な風貌にて、初めてのお相手としては、奇抜過ぎるのではと考えております」
なにしろ、私の姿はどこもかしこも白一色で、瞳は赤。とても万人受けする容姿ではございませぬ。むしろ、これを好んでくれる殿方の方が珍しいとも言えましょう。
「そういうものか。私は美しき白い魔女を愛でるのがよいのだがな」
「祖母が申すのには、『私の容姿が百人の男性に愛されるものであるならば、あなたの容姿は一人の男性に百回の愛を囁かれるもの。その一人の熱心な男性に上客を掴みなさい』とのことでございます。こうして公爵閣下に巡り合えたのは幸運にございました」
「その幸運を招き寄せたのは、透き通る白き肌と、類稀なる明晰な頭脳のおかげかな」
そう言っていただけるのは嬉しい限りにございます。私の研鑽も無駄ではなかった。このような特異な容姿であろうとも、一人くらいは愛してもらえたと励みになります。
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
突如として壁が叩かれ、私は少し驚きましたが、フェルディナンド様は笑顔で拍手なさいました。
「始まったな。あれは合戦の合図だ」
「合図にございますか」
「うむ。これから床の上で一合戦参るぞという合図だ。始める前に壁に向かって三連打を二回叩けと、事前に言っておいた」
そういう意味でございましたか。なるほど、納得いたしました。面白い趣向にございます。どれだけ激しい合戦でありますか、よく分かるというものにございます。
「戦場の陣太鼓やら軍楽隊でありますか。これはこれは、面白い趣向にございますね」
「陣太鼓か。言いえて妙だな。ほれ、ユリウス、ドンドン打ち鳴らすのじゃぞ!」
妙に熱の入った応援でございまして、フェルディナンド様もついつい大声で叫ばれたご様子。当人達はいたって大真面目でしょうに、周りの大人は無責任な囃し立てでございます。
「ちなみに、“撤兵”の合図もありましょうか?」
「あるぞ。もう終わりにするというのは、六連打だ。さて、何回戦まで行けるかな」
フェルディナンド様はいたく上機嫌にあられるようです。なんとも悪い顔をなさっております。
「公爵閣下もお人が悪うございます。若者をかような道に落としてしまわれるとは」
「ハッハッハッ、若者に悪い遊びを教えてやるのは、大人の義務というものよ。早いうちに慣れておかねば、中途半端な齢でのめり込むことがあっては大変だぞ」
「若いころからのめり込むのが、もっと大変にございます」
少しの間、二人で無責任な大人の談義をしておりますと、また壁を叩く音がしてまいりました。
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
三連打が二回、次なる合戦の合図にございました。まあ、若い身の上なれば、一度で終わりとは参りますまいて。
「さて、二回戦が始まったな。しかと敵陣深く切り込み、敵将を討ち取るのだぞ、ユリウス!」
「ジュリエッタ、日頃の研鑽の成果をしかとお見せなさい! 一晩で、百人の男性を搾り上げた祖母のように、一騎当千の働きを期待してますわよ!」
無責任極まる声援にございました。聞いているかどうかは分かりませぬが、やいのやいのと煽り立て、若者を戦場へと駆り立ててございます。
「魔女殿、今の話は本当ですかな? 祖母殿が、その、なんと言うか」
「一晩で百人の話でしょうか? 私はそう伺っております。誇張された部分もあるやもしれませぬが、あの人ならやりかねないとも思っております。なにしろ、《笛吹きの夢魔》の二つ名で呼ばれておられた方。祖母が縦笛の音を響かせる度に、殿方の精と銭を搾り上げていたそうにございます。現役時代の祖母を一目見たかったものですわ」
「魔女の祖母は夢魔か。はは、それは愉快よのう」
などと二人で普段は決してせぬようないささか品のない話題で盛り上がりました。若者達が奮戦する横で何度となく笑ったものでございます。
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
次なる合図がやって参りました。三連打を二回。戦はまだまだ続くようでございます。
「おお、三回戦! 三回戦が始まったぞ!」
「ジュリエッタの先導が良かったのでしょうか。緊張による頭の枷は上手く外れたご様子。ユリウス様は名将の器にございますね」
「よいぞよいぞ。ユリウス、しかと励め!」
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
まだまだ続きます。
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
まだまだ止まりませぬ。
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
「ハッハッハッ! 六回! 六回戦だぞ!」
「いやはや、ユリウス様は豪の者にございますわね」
「ユリウスめ、やるではないか!」
もうこの頃にになりますと、笑いが止まらず、腹が痛くなって参りました。私もフェルディナンド様も腹を抱えてございました。
しかし、そこから静かになってしまいました。壁を叩く音がピタリと止まり、壁越しに感じる気配も穏やかな感じに変わってございました。
「はて、“撤兵”の合図は送られてきておらぬ。どうしたのであろうか?」
「見て参りましょう」
私は席を立ち、扉を開けますと、二人がおります隣部屋に食べ物や飲み物を運び込んでいるのが見えました。ちらりとジュリエッタの横顔も見ることができましたが、いたって平然としておりました。
「公爵閣下、どうやら行厨のようにございます」
「なんだ、食事か。まあ、腹が減っては戦ができぬというからな。兵站の事を考えるのは、将たる者の当然の思考よ」
少し休憩が長くなるかなと判断したフェルディナンド様は、私を抱きかかえまして寝台の上に置かれてしまわれました。
「さてさて、若者達がはりきっているというのに、こちらも高みの見物だけとはいくまいて」
「まあ、公爵閣下、若者の活躍に触発されて、心も体もいきり立ってございますか」
もちろん、公爵閣下のお誘いはお断りなど致しませぬ。なにしろ、ここはそういう場所なのでございますから。いささか雰囲気といたしましてはいささかガサツにございましたが、私もすっかり若者達の戦ぶりに気分を高めてございますれば、喜んで公爵閣下の愛撫とご自慢の“槍捌き”をお受けいたしました。
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
こちらも情事を致して一息付いていましたところに、再び陣触れの合図が耳に飛び込んでまいりました。いやはや、若者の回復力は素晴らしいものです。
「おお、戦が再開したか」
「そのようでございますね。はてさて、あの二人はいずこまで進み行くのでありましょうや」
私はフェルディナンド様の腕枕にて、陣太鼓を耳に入れました。とても楽しそうなこの部屋限定の恋人の顔に手をやり、頬と首筋に指を這わせております。こちらも一合戦終えた直後だというのに、若者達の戦ぶりに私の心も珍しく荒ぶってございます。抑えが中々利きませぬ。
「おやおや、魔女殿も次なる戦をご所望か?」
「左様でございます。私も妹分にはまだまだ負けてはおられませぬゆえ」
「まあまあ、しばし待て。二人が最果ての地に届くまで、しばし待て。今宵は魔女殿との逢瀬を楽しむのも目的ではあるが、若い二人を見守ることこそ主目的であるからな」
ああ、なんとはしたないことでしょう。本来の目的を忘れるところでございました。フェルディナンド様に窘められてしまいました。これは大いに反省すべきことにございます。
「先程、ジュリエッタの顔を見ましたが、疲れた様子はございませんでした。さすがは我が祖母が最後の弟子にと招き寄せた者にございます。姉のごとく妹分の面倒を見て参りましたが、あの者がいれば、この店も安泰ございますわ」
「魔女殿まだまだ現役であろうに」
「さすがに三十に届く年齢にもなりますれば、華も色落ちしてしまうものでございます。そろそろ後身の育成も考えねばなりませぬゆえ」
「私はそうは思わんがな。魔女殿が店に出られる限り、足を運ぶのは間違いないぞ」
嬉しいお言葉に私は思わず微笑んでしまいました。こうしてよく足を運んでいただけるのは嬉しゅうございますが、早く世継ぎをもうけないと周りがうるそうございますよ。
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
なんとなんと、まだまだ続きますか。本当に底なしでございますわ、近頃の若い者は。
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
素晴らしいの一言にございます。ジュリエッタも、ユリウス様も、一心不乱に励んでいるようで何よりにございます。
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
「十回! 十回戦に突入したぞ!」
フェルディナンド様も予想外の展開に大はしゃぎでございます。興奮のあまり体を大いに揺らし、寝台が悲鳴を上げてございます。
「これは最果ての地を走り抜けてしまったのかもしれませんわ」
「うむ。ユリウスよ、将来が楽しみだ。今宵見事に男を上げよったわ!」
フェルディナンド様はそう言うと、横になる私に覆いかぶさって参りました。その目は欲情を滾らせ、ギラギラしてございました。
「さてさて、魔女殿よ。こちらもうかうかしてられぬ。若い連中に後れをとるわけにはいかぬでな」
「はい、公爵閣下。今宵は全てを忘れて、存分に奮われてくださいまし。私の体をいかようにもお使いあれ。ともに最果ての地を目指しましょう」
***
これが《壁男》の二つ名で呼ばれております、ユリウス様の初陣のお話でございます。
あれ以来、ユリウス様はジュリエッタの上客となられてしまいました。月にニ、三度は顔を出されてございます。
今は結婚して奥様がいらっしゃるのですが、仲は微妙なのだとか。フェルディナンド様の奥方経由の話ですと、普段はよき夫なのですが、夜が激しすぎて身が持たぬ、のだそうです。
ジュリエッタ以外は誰も付いていけておりませんゆえ。我が妹分も大したものでございます。
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
そして、今宵も隣から陣太鼓が打ち鳴らされてございます。あの日以来、この店ではユリウス様は壁を叩くのが習慣化してしまったご様子で、いつもこうなのでございます。
「八回目! 八回目じゃぞ! 噂は本当であったか! 凄まじい豪の者じゃな」
アロフォート様も大はしゃぎで、自身の膝をパシィッと叩いてございます。まあ、実際にああも暴れる姿を見せつけられては、やむ無きことでありましょうが。
「さてさて、アロフォート様、いよいよここからが本番にございます。それぞれ“八”と“十”に賭けてございますれば、次が勝負の分かれ目でございます」
「おお、そうであったな! さあ、《壁男》よ、そろそろ止まるがよい。わしに花を持たせるなめに!」
アロフォート様はさらに興奮なさり、それを静めるためでしょうか、目の前の料理を次々と食べて気を紛らわせてございます。アロフォート様はとにかく、食べることが大好きな方ですので、物を食べていた方が色々と安定なさるのです。
私は葡萄酒を軽く飲んで喉を潤し、次なる音を待ちましたが、すでに自分の勝ちを確信してございます。“仕込み”はすでに終わり、あとは勝利という結果が降りてくるのを待つだけです。
しばらく後、ついに次なる陣太鼓が打ち鳴らされました。
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
「な、なんだと・・・」
「これで私の負けはなくなりましてございます」
ここで止まれば“八”と“十”の間の“九”となるので引き分けとなります。さらに続けば“十”以上となりまして、“十”に賭けました私が近値となりますので、勝ちとなるわけでございます。
「止まれ、止まれ、《壁男》よ、止まれぇ!」
「さあさあ、最果ての地までひた走るのです。私の懐のために!」
口ではこのように述べておりますが、やはり勝ちは揺ぎ無い思っております。アロフォート様、私との賭け事で、仕込みもなしに真っ向勝負はいけませんわよ。
興奮のあまり、異常に喉が渇くのでしょうか、アロフォート様は葡萄酒や先程のマルの汁物を飲まれておられます。気持ちは分からないでもありませぬが、齢を感じさせぬこの熱量こそ、大商会の主に相応しいのかもしれませぬ。
そして、決着の時がやって来ました。
ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!
「あああああああ!」
「“十”を超えられました。つまり、私の勝ちにございます。ご愁傷様です、アロフォート様」
負けて叫ばれるアロフォート様ににこやかな笑みともに、堂々たる勝利宣言にございます。これで、本日の支払いは倍付となりました。いい稼ぎになりましたわ。
ちなみに、私の“仕込み”とはアロフォート様の持参いただいた料理でございます。
アロフォート様はこの店に来る際は、珍しい食材や酒を持ち込まれ、それを店の厨房の者が調理して私と食べることをよくなさいます。しかもその料理の中には決まって、精の付く料理が含まれております。合戦前の腹ごしらえとしては妥当でございましょう。
当店は完全予約制の娼館なれば、その日の客はどなたなのかは一目瞭然。ノリの良いアロフォート様なら、確実に賭けを持ち掛けて参りましょう。そして、土産には精の付く料理もお持ちになることも予想済み。
調理師に頼んでその料理を私からの差し入れと銘打って、その一部をジュリエッタの部屋にも運ばせていたのでございます。つまり、今日に限って言えば、あのマルの汁物も隣部屋の二人が召し上がったということでございます。
ただでさえ豪傑のユリウス様、あの汁物を召し上がっては股座に爆薬を仕込むようなもの。どれほどの爆発を見られますことか、想像もできませぬ。
(頑張りなさい、ジュリエッタ。懐は温まりましたので、あとで何か奢って差し上げますわよ)
妹分の身を案じつつ、私は積まれた銭を数えまして、箱の中へと納めました。
「いやぁ、負けた負けた! しかし、これほど楽しい負けというのも中々味わえぬな!」
負けたにもかかわらず、アロフォート様はお構いなしに上機嫌でございました。店の名物客と巡り合い、噂通りの凄まじい戦いぶりに感銘を受けたのでありましょう。それに、支払いが倍になろうとも、この御仁の財布の大きさを考えれば、気にもされぬ事のはずです。
「ああ、これはいかん! いかんぞ! 隣室の連中に負けてはならん。ヌイヴェル嬢、そろそろこちらも始めるぞ!」
すっかりやる気満々になられ、アロフォート様も服を脱ぎ始めてございます。指示を飛ばし、あるいは士気を高める陣太鼓、その効果は確かなようでございます。
「ちなみに、アロフォート様、合戦はいかほどを望まれますか?」
「さすがに隣の若い連中と一緒というわけにはいかんが、そうさな、“六”くらいでどうじゃ?」
とても齢を六十重ねた御方の台詞とは思えませぬ。余程、陣太鼓とマルの汁物が効いたのでございましょう。生涯現役で過ごされそうな勢いです。
やはり今夜は長丁場な仕事となりそうでございます。
さて、皆様、長らくお話をお聞き下さりまして、ありがとうございます。そろそろ仕事も本番となりそうでございますので、今宵はここでお別れとさせていただきます。
ここは娼館。日頃の苦労や悩みを忘れ、悦楽と安穏を得る非日常の空間でございます。娼婦と客の巡り会わせは当然なれど、時には客同士の奇縁まで生まれてしまうのが、当店の稀なる光景にございます。どなたであっても金子を頂戴いたしますれば、精一杯のおもてなしをさせていただきます。
私は高級娼婦ヌイヴェル。魔女で、女吸血鬼で、神に救いを求めて天を目指す哀れな一本の宿木でございます。
さてさて、次のお客様はどちらの方になるでしょうか。
パパパパパウワードドン!
ε=へ(# ゜Д゜)ノ <マテー ε=へ(;´Д`)ノ <イヤー