第五話 処女食い 後編
前編からの続きです。
読まれていない方はそちらからお読みください。
(≧▽≦)
皆様方、お待たせして申し訳ございませぬ。ヌイヴェルでございます。長々と語りましたので、一度休憩を挟みましたが、お話を再開させていただきます。
身内の見舞いのために走らせましたリミア嬢を乗せたる馬車。案の定、賊に襲われてしまいました。街道を進み、夕暮れ時の人気のない薄暗い森に差し掛かった頃、待ち構えていた賊が現れたのでございます。数は十人弱。皆々頭巾で顔を隠し、どこのどちら様かは存じ上げかねますが、まあ、下品な方々なのは間違いなさそうです。
狙いはもちろんリミア嬢。“処女食い”が狙います、貴族の生娘という極上の一品にございます。
ですが、賊が馬車の扉を開けてビックリでございます。なにしろ、そこに鎮座したるは白き姿の魔女ではございませぬか。
「どうも皆様、ごきげんよう」
挨拶は大事にございます。身分の貴賎に関わらず、まずは挨拶をするのが礼儀なれば。
「ど、どうなってやがる! おい、娘はどうした!?」
一団の頭領と思しき男が、“御者”に詰め寄って問いただしております。そう、なんのことはございませぬ。馬車を操る御者が裏切者なのでございます。
貴族と言えど、裕福な者ばかりではございませぬ。領地の経営には金がかかるもの。大した収入もなく、財を蓄える余裕のない者もそれなりにございます。ボーリン男爵様もそんな一人。
家臣とはすなわち、その家に雇われている者の事。ですが、それには忠誠と労働の対価として、俸給を与えねばなりませぬ。そんな余裕がないのなら、給仕も料理人も庭師も雇えませぬ。
現に、男爵様のお屋敷は人手が少なく感じましたし、二人の娘には針仕事や料理を日頃からやっていそうな痕跡が手にございました。つまり、馬車を用意し、御者などを常雇する余裕はないということです。
ならば、馬車もなしに長距離の移動はどうするのでしょうか? 答えは臨時雇い。必要なときに必要な人員を手配してくれる『口入れ屋』というものがございます。そこに馬車付きで御者の手配を頼めばよいのです。
前回、クレア嬢が襲われた際も、手配された馬車が襲われました。御者は“殴られて”気絶してしまい、送迎していた娘を奪われてしまいました。
ということになっておりましたが、これが真っ赤な嘘。御者が手引きし、事前に行き先の情報を流し、人気のない所で襲う手筈になっていたのでございます。
私の魔術は触れた者の頭の中から情報を抜き出す術。断片的な情報ではございますが、賊と御者が争いもせず並んで立っている姿が見えました。賊は頭巾を付けていたので顔はわかりませんでしたが、御者は頭巾を付けておらず、顔はしっかり見させていただきました。これがクレア嬢から抜き出せた最重要の情報。
臨時雇いの御者が賊と繋がっているのであれば、それを逆用してやればよいこと。事前に情報を流しておけば、上役が襲うよう指示を出してくるはず。襲いやすい地点など、地形を把握しておれば予想はすぐに立てられます。
「驚いたようじゃのう。魔女の詐術はいかがかな?」
「うるせぇ! 俺が用があんのは、ババアじゃなくて、娘なんだよ!」
ババア呼ばわりとは失礼極まる奴じゃのう。これでも、店では人気のある娼婦だというのに。予約を取るのも大変なのじゃぞ。まあ、十二の娘のつもりで扉を開ければ、中にいるのが三十半ばの白髪の女性では、ババア呼ばわりも無理なきことか。特別に聞き流してさしあげましょう。
「本当にどうなってるんだ!? 娘が乗ってるのは確認したのに。てか、白髪のお前、屋敷で見送ってたのに、なんで馬車の中に!?」
御者の困惑も無理はない。屋敷の前で私が馬車を見送ったのは、こやつ自身が見ておることでございますから。
「ならば一つ尋ねてみるが、御者よ、ここへ来るまで、変わったことがなかったかのう?」
「変わったこと・・・。あ、検問があった」
「なんだとぉ!」
頭領は御者の襟首を掴み、何度も乱暴に振り回しました。仲間割れなどみっともない。
「お、落ち着いてくれよ、頭。あそこも有り得ないって。検問で止められた際、中は検問の兵士と確認してる。中身は娘一人だった。で、兵士とニ、三やり取りをして、それから通行許可が出て、出発直前にも中を確認したら、娘一人だった。こんなババア、ほんと知らないって!」
こやつまで私をババア呼ばわりするか。貴族相手の口入れ屋の所属にしては、礼儀が全然なっていませんわね。あとで抗議が必要のようでございます。
「簡単なことじゃよ。座席の下、あそこが空洞になってて、人一人くらいなら入れるようになっているのよ。検問で兵士に問い質されて注意が離れた隙に、サッと馬車に入って座席の下に隠れたのよ。で、出発直前の確認の際には、私は座席の下なので姿は確認できない。走り始めたら、私とリミアお嬢様が場所替えすれば、これにて完了。以上、魔女ヌイヴェルの詐術にございました。馬車をこちらで用意して、お主の身一つだけ手配したことに、今少し注意を向けておくべきであったな」
そう、前回と今回の差は二つ。馬車は私が用意した自前の馬車で、御者のみを口入れ屋に依頼したという点。もう一つは私が乗り込んでいたということ。
こやつらをリミア嬢との約束通り、阿鼻叫喚の地獄へ叩き落すためにね。
「見送ってたのに、検問の所にいたってことかよ!」
「見えなくなるまで見送って、それから馬で先回りしただけじゃ。女は乗馬できぬと思うてか?」
まあ、貴族のお嬢様で乗馬ができる方は限られていますから、珍しいと言えば珍しいですが。
「私は“お馬さん遊び”が大の得意でのう。今までいかほどの荒馬を乗りこなしてきたことか。その数は百では利かぬ。ご理解いただけましたか、クソ野郎の皆様方!」
言ってやった。言い切ってやった。呆然とする男どもを上から見下ろすのはなんとも心地よい。見ていて面白いわ。
「ふざけやがって! お前の言うことが正しいなら、娘は馬車の中にいるじゃねえか!」
「そうなるのう。で、どうする?」
「ババアをぶった切って、娘を連れてくいきまってるだろうが!」
三度目のババアいただきました。さすがにそろそろ怒ってもよさそうじゃのう。
「私のような美人を捕まえて、ババア呼ばわりとは嘆かわしい。金さえ払えば、お主らを夢心地に落とし込んでやろうというのに」
「ヘッ、中古にゃ価値はねえんだよ。それともお前はあれか、誰かが舐めた飴玉を、お構いなしに口に入れんのか!?」
「なるほど、お主、意外と頭が良いな。その物言いであるならば、一理ないこともない」
たしかに、飴玉であれば、誰かが舐めればそれで売り物にはならない。しかし、それを女性と同列に扱うとは。
「お主にとって、女は飴玉かえ? しゃぶりつくものか? 甘くて美味しい食べ物か?」
「手垢が付いちゃあ、買ってくれねえからな。何事も新物が一番よ。女もな! 誰かの喰いかけ、食べ残しなんざ価値はねえ!」
なるほどなるほど、理解した。こやつらを生かしておく理由は一つしかなくなったわ。頭領以外はまとめて死んでいただきましょう。
「さて、お主らに最後の質問じゃ。どうして、私がここにいると思う? 女の細腕で、しかも丸腰。到底勝ち目がないと思われるが、それでも平然としていられるのはなぜじゃろうな?」
見下ろす男達は困惑し、お互いに顔を見合わせるが、明確な答えも反応もなし。まあ、頭が空っぽでございますから、考えるだけ無駄にございましょう。
「答えは単純。私は“魔女”、ただそれだけ」
私は馬車の中に置いていた水筒を取り出し、中身を右腕にかけました。すると、白い腕があれよあれよという間に黒ずんでしまい、見るも無残な見栄えと相成りました。夕闇が濃くなる中、ランタンの明かりがそれを照らし、賊に見せつけました。
「な、なんだ、急に黒く・・・」
「黒死病」
私がぼそりと漏らした言葉に、皆が戦々恐々。怯え、恐れ、感情が渦巻くのを感じますとも。
「ぺ、黒死病だと!」
「知ってるぞ! 全身真っ黒になって死ぬ病気だ!」
「俺も聞いた。西の国でひどい被害が出たって」
「黒い死体が山になり、町が次々と消えていったって聞いたぞ」
私の黒くなった腕を見て、賊共が途端に怯えだしました。まあ、無理もないでしょう。黒死病の話を聞けば、誰であっても怯えることは必定。私も怖いのですから。
「さてさて、先程も申しましたが、私は魔女でございます。黒死病の呪いなど、とうに腹の中に納まっておりますとも。“腹黒い”魔女なのでございますから。皆様方、今宵は特別にございます。無料で私を抱かせて差し上げます。普段は手の届かぬ高根の花、この機会を逃しますと、二度と抱けぬことになりましょう。さあさあ、どなたからでも私を抱きなさい」
おもむろに私は服を脱ぎ、腕と言わず、肌を露わにいたしました。体のあちこちが黒く汚れ、白大理石の彫り上げた体だの、白峰のごとしと呼ばれた乳房も見る陰がございませぬ。
「さあさあ、遠慮はいりませぬぞ。我こそはと思う方は前に出られてくださいな。十日後の命と引き換えに、今宵の悦楽をお約束いたします」
体のあちこちが黒くなっておりますが、まあ、気にせず今宵と言う時間を楽しみましょう。人間誰しも死ぬのです。遅いか早いかの違いしかございませぬ。ならば、今日と言う日を楽しみましょう。今と言う時間を大切になさいましょう。
「・・・、どなたもお抱きになりませんわね」
「当たり前だ、ボケが!」
「それは残念。では、代わりの者をご用意いたしましょう。当店自慢の者なれば、あちらの者などはいかがでしょうや?」
私は顔を馬車の進行方向に向けますと、皆も釣られてそちらを向きます。そこにはいくつもの明かりが灯り、キラキラ輝く星のようにございました。
「な、なんだ、あれは!」
「無論、捕り手にございます。そらそら、悪党の皆様方、死神さんが兵士に姿を変えて、あなた方を捕まえにやって参りましたよ。送る先はもちろん冥府。皆様、一緒に堕ちましょう」
お忘れですか、皆々様。店での乱暴狼藉は、裏方におります“怖いお兄さん”がやって来るのでございますよ。客も娼婦も規則に則り、節度を守り、夢の世界を作り出すのが娼館なのでございます。今宵は珍しくも薄暗い森への出向巡業でございましたが、そのことを忘れてはなりませぬ。
「それと今一つ。検問にて兵を率いておるのは私の従弟ディカブリオ。じきに追いついてまいりましょう。これで前後より挟み撃ち。さてさて、皆様、どうなさいますか?」
畳み掛けるように追加の一撃。悪党の皆様の反応はいかかでしょうか?
「頭、少し戻った所に分かれ道がある! あっちの道は途中が崩れて、まだ復旧が終わってなかったはず。あそこまで行けば、馬は通れねえ」
さすがは御者。ちゃんと周辺の道については頭に叩き込んでおったのう。そうでなくては仕事は務まるまいて。
「クソッ、仕方ねえか。野郎ども、今回は退くぞ! 魔女め、覚えていやがれ!」
ありきたりな敗者の捨て台詞にございますな。一目散に逃げていかれましたが、その台詞を吐いた悪党がどういう末路を辿るかは、容易に想像できましょう。
薄暗い森の中、取り残されましたるは、私と、馬車の中に隠れておりますリミア嬢、あとは二頭のお馬さんにございますか。
「リミアお嬢様、賊は引き上げましたので、もう出てこられても大丈夫にございますよ」
私は馬車の中に言葉を投げかけますと、座席の板が開きまして、中からリミアお嬢様が姿を現しました。窮屈な場所にございましたが、よくぞ声一つ上げずに堪えて下さりました。
馬車から下りて参りますと、不意に顔を赤らめて、視線を外されてしまいました。どうしたのかと思いましたら、なんということでしょう。私は服が大いに開けているではありませんか。これはついうっかりにございました。
急いで身なりを整えて、リミア嬢を抱きしめました。
「リミアお嬢様、よくぞ成し遂げられました。これであの者共もおしまいにございます。見事、姉君の仇を討たれましたな」
少し離れたところから、いくつもの悲鳴が耳に入って参りました。先程逃げた賊が死出の旅路の歌劇を上演なさっておいでなのでしょう。なにしろ、分かれ道の先にはアルベルト様がおられるのですから。
アルベルト様は大貴族の御身内にございますが、この手の“裏仕事”は手慣れたもの。あの程度の人数では、どうあがいても勝ち目はありますまい。
そこへ前方より馬にて駆けて参りましたのは、アゾットでございます。
「ヌイヴェル様、御無事でありましょうや?」
「うむ、首尾よくいったぞ。お主もご苦労じゃった」
「いえいえ、私は先回りして、用意していた明かりを灯すだけにございましたので」
そうそう、アゾットの申す通り、この先にあるのはただの明かり。アゾット以外の人はおりませぬ。あの賊が前方への脱出を図っておれば、逃げ出せたのに愚かなことです。
「ヌイヴェル様、あれは、あの明かりは、幻なのでございますか?」
「いいえ、明かりは本物です。偽物、幻なのは、明かりを兵士と勘違いした“人の意識”にございます」
実際、“検問”にて兵士の姿を見せてございます。あれが前にもいると相手が思っただけの事。
私の“すり替わり”から始まりまして、長々と楽しいお喋りで時間を潰し、その合間に“検問”を意識させて偽りの兵士を頭の中に刷り込ませ、黒死病で正常な判断力を奪い、最後は明かりを灯して偽りの兵士を頭の中に顕現させる。
幾重にも用意いたしました私の詐術にございます。
「まあ、一番怖かったのは、直感や勢いだけで動かれること。これをされては丸腰ゆえ、対処はできません。そこは魔女の三枚舌の出番にございます。驚かせ、怒らせ、挑発し、相手の思考を奪い取る。視野狭窄と意識の誘導、これこそ我が魔術の正体にて。もっとも、見せたいものを見せて楽しませて差し上げるのは、我が本分たる娼婦の御業にございますが」
お客様にご満足いただくのが、娼婦たる私の務め。本日のお客様は今抱き締めておりますこのお嬢様にございます。約定通り、賊は阿鼻叫喚の地獄へ叩き落しましたぞ。もっとも、あの世への案内役は手の黒い貴公子にございますが。
「よいですか、リミアお嬢様、例え一から十まで全てがデタラメであろうとも、それを真実だと相手に錯覚させることを“謀略”と呼ぶのでございます。一番上手いやり方は、真と偽を織り交ぜること。真に引きずられて、偽まで真だと思ってしまうものなのです。人の頭とは、都合の良い真実を勝手に組み立ててしまうものなのですから、それに気付ける者とそうでない者とで、勝負の明暗が分かれるのでございます。今は難しくとも、そのうち分かるようになりましょう」
もっとも、そのようなことに頭を煩わせることなく、平穏無事に人生を全うできるのが幸せなのかもしれぬがな。私は自ら進んでこの道を選んだゆえ、今更平穏などは求めはせぬが、リミア嬢、あなたはかような道を選んではなりませぬぞ。
「それと、ヌイヴェル様、先程は随分とご立腹なさっておいででしたが、女性を食べ物扱いしていたことに対してでしょうか?」
「いえいえ、あの程度では怒りませぬよ。食べ物扱いしておるのは、ある意味お互い様でございます」
男の食い物になる女にはならずに男を食い物にする女になりなさい、これは私の師である祖母の言葉。私はこれを忠実に守っております。お互いが食べ物であり、捕食者でもあるのです。しくじった者、隙を見せた者が食べられる、そういう世界なのでございます。
「男も女も、老いも若きも、貴族も庶民も、何もかもかが関係ございません。食うか食われるか、私の立っている世界はそういう場所なのです。私が怒っていたのはあの者達の態度に対してです。獲物の分際で、捕食者の態度をとるような間抜けぶり、腹立たしい限りのクソ野郎でございますわ」
そうこうしておりますと、今度は後ろから馬がやって参りました。それに乗っておりますのは、従弟のディカブリオでございます。
「姉上、ご無事にございますか!?」
「大事ない。首尾は上々ぞ。兵はいかがした?」
「アルベルト様の下へ向かわせております。不埒者を締め上げねばなりませぬので」
まあ、当然よのう。問題は生きておるかどうかということじゃが。
そして、アルベルト様が兵士を率いて姿を現しました。頭と御者の二名が縛られてございます。悪党の苦悶と恐怖に満ちた顔を眺めるのは、いつも心地よいものですわ。
「アルベルト様、相変わらず見事なお手前にございます」
「いやいや、ヌイヴェル殿の策がピタリとはまったからですよ。こちらは最後の一刺しを入れただけですからな」
アルベルト様は二人を跪かせ、その頭に手を置かれました。哀れな者共はビクビク震えております。今は手袋で覆われておりますが、あの手で何をなさったのか、想像するのは容易でございます。
「他の者達はいかがなさいましたか?」
「森に還しました。この二人さえ手にしておけば、別段用もないですから。なあ?」
アルベルト様はポンポンと頭を軽く叩かれ、二人は捕らえられた子猫のように大人しくなられました。アルベルト様は《腐男》との二つ名で恐れられております魔術の使い手で、その黒い手で触れられたものは空気と植物以外の全てを腐らせてしまうのです。
今は綿の手袋にて覆っておりましょうが、先程の悲鳴、力を使われたのでございましょう。哀れなる悪党は、森の養分へと変わってしまったのです。少しは世の中がきれいになったというものです。
頭はその上役への繋ぎ役、御者は問題の口入れ屋への査察の証人として、それぞれ生かされているだけにございます。あとは死なぬ程度に“お話し合い”をするだけです。
そこへ今度はリミア嬢が二人の前に進み出て、跪く二人を睨みつけられました。
「あなた方がお姉様にひどいことをした人達ね?」
ビクビク怯えるだけの二人に対して、リミア嬢は手を振り上げられました。
パァン! パァン!
お見事、お見事。森に響き渡る見事な平手打ちにございます。もはや逆らうことも抗う気力も失せた悪党は、呆然とリミア嬢を見上げるだけ。立場変われば、ここまで哀れな姿をさらすことになるのです。
「よくもお姉様にひどいことをしてくれたわね! ただで済むと思わないことね、このクソ野郎!」
ああ、いけませんいけません! 困ります困ります! 貴族のお嬢様がそのような下品な言葉遣いはなりませぬ。どこで習ったのかと父君の問われれば、最終的には私が男爵様より大目玉を喰らうことになりますわ。ですから、どうか落ち着いてください、リミア嬢。
「まあまあ、お嬢さん。そのくらいでいいだろう。あとは責任を以てこちらで“処分”するから、まあ、落ち着きなって。そんな下品な物言いは、魔女だけで十分なのですよ」
妙な流れ矢が私に突き刺さりました。アルベルト様、それでは私が下品だと思われるではありませぬか。魔女は演技で、本分はあくまで娼婦でありますのに。
「積もる話もありましょうが、今宵は引き上げるといたしましょう。後始末は私と兵がいたしますゆえ、皆様方は街へ戻られてください」
ディカブリオの言に従いまして、私とアゾット、リミア嬢は元の馬車に乗り込み、兵士を一人御者に宛がわれ、帰路に着きました。
アルベルト様は付近に伏せておりました護送用の馬車に捕まえた二人を放り込み、いずこかへと走り去っていきました。
大捕り物でございましたが、今宵の騒動はこれにて一件落着にございます。
***
帰路の馬車には私とアゾット、リミア嬢の三人が乗っております。ガタゴトガタゴト揺れながら、元来た道を戻っております。
私とリミア嬢が並んで横に座り、アゾットは向かい合う形で座っております。そのリミア嬢は私にもたれかかっております。なにしろ、貴族のお嬢様には刺激が強すぎる今宵の一幕。お疲れなのでございましょう。
「アゾットや、医者であるお主にまで荒事に使ってしまってすまぬのう」
「私は一向に構いませぬ。国と言う体より、病巣を取り除いただけにございますれば、これもまた医者の務めでございます」
「ホホッ、上手いことを言うのう」
こやつも本当にたくましくなったわ。魔女の従者に相応しい機微な男になったものです。
「しかし、あの者共も間抜けにございますな。あの場面、私でしたら、ヌイヴェル様とリミアお嬢様を人質に取り、逃げましたのに。アルベルト様はどうか分かりませぬが、二人を人質にされましたら、私やディカブリオ様は手が出せませぬ」
「まあ、そのための汚らしい化粧をわざわざ施したのですからね」
私は手拭いで右腕をふき取りますと、いつもの白い肌が姿を現しました。不思議な光景を眺めるように、リミア嬢の眼は私の腕に釘付けです。
「ヌイヴェル様、これはどういうことなのですか?」
「簡単じゃ。まず、白い肌の上に炭で黒く色付けして、その上からさらに水で流れ落ちる白の塗料を塗っただけ。水をかければ、白い肌がいきなり黒くなったと錯覚するのです。さらに、服の下の肌もあらかじめ黒を施しておけば、まるで全身が黒くなったと見間違えます。白から黒に転じれば、余計に映えますゆえ。注意深く見れば不自然な点も見受けれましょうが、あの時は、薄暗い森、夕闇、光源はランタンのみ。揺らめく明かりにごまかされ、黒死病の名前に震え上がり、観察力を奪ったのです」
種を明かせば、どれも単純なものばかり。要はそれを、見破らせねば良いだけの事。魔女の知恵、娼婦の話術、合わさればあの程度の事、他愛無し。
「つまりです、リミアお嬢様、魔女と黒死病、二つの“悪名”が我ら二人を守る壁となったのでございます」
私は綺麗になった右腕をリミア嬢の後ろに回し、頭を優しく撫でて差し上げました。
「リミアお嬢様、悪名もまた、名声の一つの形なのでございます。要は使いどころや使い様なのです」
「なるほど、さすがはヌイヴェル様、勉強になりました」
素直に感心して頷く様はなんとも可愛らしい。このまま連れて帰ってしまいたいくらいです。
「ときに、勉強ついでに一つお聞きしたいことが」
「何かのう、遠慮なくなんでも聞いてくだされ」
「“お馬さん遊び”とはなんでございましょうか? 得意なのでございましょう?」
おおぅ、それをここで聞いてきますか。答えに窮する難問にございます。うら若き乙女には、いささか早ようございます。
助けを求めてアゾットに視線を向けれど、プイとそっぽを向いてしまう。ああ、なんということでしょう。主人の危機に助け船をよこさぬ従者に相応しからぬ薄情な男。
一度呼吸を整えて、意を決して言葉を紡ぎ出しました。
「リミアお嬢様、今の言葉はお忘れください。今のお嬢様には不要なことにございます。いずれ必要なときが参りましたら、私がしかと教えますゆえ、今はとにかくお忘れください」
これ以上の言葉は今は出せぬ。これ以上の言葉は今はとにかく考えられぬ。
ああ、いけませんいけません! 困ります困ります! これでは男爵様に大目玉を喰らうのは確定事項にございます。なんと言い訳しましょうか。よい言葉が浮かんできませぬ。
馬車の御者よ、今少しゆっくり帰っておくれ。良き思案が浮かぶまで。
***
「・・・という次第です。兄様も『魔女殿には世話になったゆえ、重々礼を述べるように』と」
私が待っていたお客様とはアルベルト様のこと。事件の顛末を知らせに、わざわざ我が屋敷にお運びいただいたのでございます。
「アルベルト様、わざわざのお運び恐縮でございます。公爵閣下のお役に立てて幸いにございました。よろしくお伝えくださいまし」
護送されていったあの愚か者二人を使い、ジェノヴェーゼ公爵家が色々と暗躍なさったことは耳に入ってございます。もっとも、すべてをお話になる気はないようで、今のアルベルト様のお話にも、私の頭の中の情報といくつも差異がございます。
「では、アルベルト様、“ヴォイアー公爵”様にもよろしくお伝えくださいませ」
「ほほう」
アルベルト様の雰囲気が変わりました。先程までの和やかな笑みと気配はどこかへ去ってしまい、最大限の警戒と探りをこちらに向けて参りました。
「ヌイヴェル殿、なぜ、そこでヴォイアー公爵の名が出てくるのでしょうか?」
「見くびってもらっては困りますわ、アルベルト様。私が何も知らぬとでも?」
警戒されるアルベルト様に対し、私は逆に笑顔を応対。もっとも、笑顔と申せど、獲物に飛びつくときの表情でございますが。
「表沙汰にはなっておりませぬが、今回の一件はカーナ伯爵の嫡男が起こされた騒動。反吐が出るほど尊大な男で、そやつが若い娘を攫わせては食い物にしておった。で、それがさらなる獲物を求めて被害が大きくなっていき、とうとう貴族の御令嬢にまで被害が及んで、遅まきながら動かれたのでありましょう。そして、カーナ伯爵と言えば、ジェノベーゼ公爵家にとって最大の政敵でありますヴォイヤー公爵家の派閥に属する有力者。このような分かりやすい相手の粗を、公爵閣下が見逃すわけがございますまい」
私が知り得た情報を披露しましたが、アルベルト様は眉一つ動かさず、ただ頷いて話を続けるように促して参りました。
「聞いた話ですと、カーナ伯爵は突如として隠居なされ、問題の嫡男の方は行方知れず。カーナ伯爵家の実権を握られたのはその分家筋の方。その方は公爵閣下とかなり親密にお付き合いされている方だとか。派閥を鞍替えさせるのには、丁度良いではございませんか?」
「・・・お見事」
アルベルト様は素直に関心なされ、真顔は崩されませんでしたが、拍手を送ってくださいました。
「ヌイヴェル殿、どこでそれに気付かれましたか?」
「不審な点が二つ。一つはボーリン男爵の件です。男爵様はどの派閥にも属さないお方。取るに足らぬ小領主にございますので、どこの派閥も無理に誘い込もうとはしませなんだ。にもかかわらず、今回の事件ではジェノヴェーゼ公爵家の動きが早すぎました。自派閥の関係者ならともかく、無派閥の小領主のために動くにしては迅速かつ徹底されていたご様子。ならば、事件の裏には、それ相応の利点、もしくは消し去りたい汚点があったということ。まあ、今回の場合は政敵の汚点を掴むということでございましたが」
「なるほど。で、もう一点の不審とは?」
「件の口入れ屋はカーナ伯爵家の息がかかってございました。私も人を使って方々の口入れ屋から酒場、さらには娼館、荒くれ者や不法者が人の集まりそうな場所を調べ上げました。そして、例の口入れ屋に辿り着き、男爵家の皆様より聞いた人相から、あの御者まで辿り着きました」
「そこでカーナ伯爵家が噛んでいることを察し、そこからヴォイアー公爵へと繋げたわけか」
アルベルト様は私の情報収集力と分析力に関して驚かれているご様子ですが、私は魔術というある意味でイカサマを使ってございます。なにしろ、クレア嬢からの記憶から、カーナ伯爵の嫡男がクレア嬢を辱めたことを知っていたのですから。さらに言えば、手引きした御者の顔まで知れました。
最初から主犯や裏切者を知っていれば、そこへ辿り着くまでの道筋を探ることくらい造作もありませぬ。カーナ伯爵絡みの施設や商会を探っていけばいいのですから、しらみつぶしで探すよりも遥かに効率的に情報を集めることができるのです。
「そして、例の御者経由で情報を流しつつ、罠に誘い込んだ、と」
「ご明察、恐れ入ります」
最初から相手の顔が知れていれば、この程度は容易いこと。褒められるまでもございませぬが、魔女の実力を高く買っていただくためには、このくらいの演技は必要でございましょう。
牙は見せても歯向かうことなく、役に立つ者だと認識していただく。寄らば大樹の陰、これが宿木の生き方でございます。
「ヌイヴェル殿の頭脳と慧眼はまことに頼もしい。そして、恐ろしい。我が公爵家と懇意にしていただけるのは、非常に助かるというものだ。今回の一件にしても、ここまで手際よく進んだのは、あの二人を実行犯として生け捕りにできたからだ。つまり、ヌイヴェル殿の手柄だ」
「手柄と申すほどの働きはしておりませぬ。公爵閣下にはいつもご好意をいただいておりますれば、この程度でございますればいつでもどうぞ、とお伝えください」
「うむ、兄様にはしかと伝えておく」
ふむ、どうやら上手く売り込めたようです。我が家は男爵という小さな領主ですが、それでも必要とされ、それ相応の厚遇を受けれるようにしなくては、家門の繁栄など望めませぬ。家門を守るのは従弟のディカブリオ、家門を伸ばすのは私の役目、そう考えております。
「さて、ヌイヴェル殿、なにか望まれるものはおありかな? 兄様も今回の働きには非常に感謝しているご様子。頼み込めば、大抵の物は手に入ると思うが」
「それでしたらば、歌劇歌手をご紹介いただきたいのです」
意外な要求でしたので、アルベルト様は目を丸くして驚かれました。
「歌劇の関係者でしたら、ヌイヴェル殿の客にもおられたと思いますが、なぜ公爵家からの紹介など」
「その方が私の指に止まる夜啼鳥に箔を付けれましょう。私と公爵閣下の連名でお願いすれば、厚遇を期待できるというもの。そこから先はあの子次第ですが」
「つまり、リミア嬢を歌劇歌手にする、というわけですな」
「あの子には歌の才能があります。魔女や娼婦にするなど、人生の浪費でございます」
私の答えにアルベルト様は大笑いなさいました。なにしろ、私の口から魔女や娼婦を否定する文言が飛び出したのですから。
あの日以来、魔女の指に止まった夜啼鳥は、魔女の使い魔になってしまいました。魔女に憧れ、魔女になると言い出し、私の屋敷に身一つで転がり込んでしまいました。
姉のクレア嬢も回復傾向で落ち着いたと思いましたら、今度は次女のリミア嬢が家出をしてしまう始末。ボーリン男爵様も殊更に心配なされ、遠回しな言い方ではございましたが、娘を魔女か娼婦にするつもりか、と問い質されてしまいました。
そんなつもりはございませんよ、男爵様。他家の娘を魔女や娼婦に仕立て上げ、自分の後釜に据えるなど考えたこともございませぬ。私の後継者は今、従妹の腹の中にございますから。
それはそれとて男爵様、あなたの娘は輝ける才をお持ちですよ。《太陽に愛される第一の女》、リミア嬢の魔術は万人を虜にする最高の歌声を生み出す者の才。発現の条件は『十五歳までに歌劇歌手になること』です。
見つけてしまったからには、その未来を開いて差し上げましょう。十五歳までに歌手になれとは中々に早熟な才にございますが、公爵閣下のご推薦とあらば、研鑽の期間を含めましてもどうにか間に合うかと思います。仮に端役であろうとも、歌劇の舞台に上がれれば、それで条件は満たせるはず。
「ヌイヴェル殿はあの娘御にご執心でありますな」
「才ある者は相応に評価されるべきでございます」
眠る才を呼び起こし、世に華を咲かせるのは、なんとも楽しいものでございますよ。それが見たくて、私は今日も魔女を続けられるのですから。
「では、そろそろお暇いたしましょう。今日の事はすべて兄様にお伝えいたしますので、そのうちなにか言って参るでしょう」
「アルベルト様、わざわざのお運び恐縮でございました。すでに日も落ちてございますので、お気をつけてお帰り下さいませ」
私はお見送りのため屋敷の門まで歩き、馬上の人となられたアルベルト様に改めて頭を下げ、別れの挨拶をいたしました。
「おっと、兄様よりの伝言を一つ伝え忘れておったわ。是非にも聞いてこいと」
「いかなることにございましょうか?」
「乗りこなした荒馬の中に私は含まれているのか、と」
私の人生の中で、一番表情を崩さずにいるのが苦労した一幕でございました。妙な方向から、随分と太い釘を刺された感覚でありましょうか。
あやつらか。あの二人が洗いざらい吐いて、あの場のことまで話してしまわれたと。まったく、私としたことが、口は禍の元と言いますのに、演出のためとはいえ、余計なお喋りが過ぎたようにございます。
とはいえ、これに対する回答は、もう決まっておりますよ、公爵閣下。
「アルベルト様、公爵閣下にはかようにお伝えください。あなた様が一番の駿馬にございます、と」
答えた後に頭を下げますと、アルベルト様は大笑いしながら馬で走り去っていきました。
やれやれ、今宵は仕事をしておらぬというのに、仕事以上に疲れましたわ。早く寝床に入るといたしましょう。
***
以上が魔女と使い魔の馴れ初めのお話にございます。
貴婦人の御指に誘われたる小鳥の話。
貴婦人のフリをした魔女の指が傷ついた小鳥を拾い上げますと、もう一羽やって来て、すっかり居ついてしまわれました。
暗くなりました部屋の中を扉の所から覗き込みますと、今宵は歌い疲れたのか、リミア嬢は静かな寝息を立ててございます。
この子の中を私の魔術で覗き込み、歌の魔術を見出した時には歓喜いたしましたとも。見てしまった、見付けてしまった、太陽を。日陰者の魔女の下に、小鳥の姿をした太陽がやって来たのでございます。
今は魔女の耳元で囁くだけの夜啼鳥。それがいずれは天高く舞い上がり、太陽へと変わる使い魔だったとは。
東の国では鴉は太陽の化身と伝え聞きますが、よもやそれが私の下へ来ようとは。やはり魔女の使い魔は鴉で正しいようでございます。ただ、此度はたまたま夜啼鳥の姿をしているだけでございました。
いずれ万人があなたの虜となるでしょう。私などより遥かに人々を魅了することでしょう。そのときがくるまでは、私がしっかり面倒を見て差し上げましょう。
私には見えますよ。あなたが舞台の上に立ち、軽やかに歌声を響かせて、観衆がそれに聴き入る姿を。もちろん、私もその中にいることでしょう。
あなたの持つのは輝ける太陽のごとき才。今はまだ愛らしい夜啼鳥ではありますが、いずれは燦々と輝く太陽となるでしょう。
そして、いつかは小鳥に戻り、素敵な殿方の耳元で囀ることになるでしょう。そのときは、“お馬さん遊び”をお教えしましょう。それが魔女と使い魔の間で交わされた唯一の約束なのですから。
皆様方、随分と長く話してしまいましたが、今宵のお話はこれまでといたしましょう。貴婦人を気取って小鳥を救い上げてみれば、妙に懐かれてしまいました。誰かに巻き付く宿木に住み着いてしまった小鳥のお話でございました。
すがるのではなく、すがられる。たまにはこういうのも良いのかもしれませぬ。
ですが、私はあくまで高級娼婦。魔女で、女吸血鬼で、神に救いを求めて天を目指す哀れな一本の宿木。巻き付く相手がおらねば、生きてはいけぬ身の上にございます。
さてさて、次のお客様はどちらの方になるでしょうか。
本来はティラミスを使いたかったのですが、なにしろ二十世紀に入ってからできた新しい菓子なので、時代考証的に使えなさそうなので、貴婦人の御指を作中で使いました。
ティラミスは貴婦人の御指を土台にしてクリームを流し、何層か重ねて、最後にココアパウダーをかけて冷やして固める菓子です。わりと日本でもポピュラーなお菓子ですよね。
貴婦人の御指は古い菓子なので、作中に出しても問題ないと考え、使った次第です。
そしてティラミスの意味は 「Tirami su」 イタリア語で「私を引っ張りあげて」です。
貴婦人を装う魔女の指に救われた二羽の小鳥のお話でございました。