第二話 最高の名医になる“予定”の男
どうも皆さま、初めてお会いする方は初めまして。以前にお目にかかられた方は、お久しぶりです。ヌイヴェルでございます。
私は高級娼婦を生業としておりまして、いわゆる上流階級の皆様方に寄生して生きている女吸血鬼でございます。皮肉めいた自己紹介となりましたが、実際のところ、私は魔術を行使できる魔女なのでございます。
どのような魔術なのかと申しますと、触れ合った相手から情報を抜き取る《全てを見通す鑑定眼》という魔術でございまして、触れ合う肌や時間が長ければ長いほど抜き取れる情報も多くなってまいります。
しかも、相手からは抜き取られないという防諜まで備わっておりまして、《永続的隠匿》という情報遮断の魔術まで身に付けてしまいました。つまり、私は自身の手の届く範囲ではございますが、身近におられる方々から断りもなく気付かれることもなく情報を吸い上げてしまうのです。
魔女にして、吸血鬼。ああ、なんと罪深い存在なのでしょうか。神様、ああ、今日も罪深い私をお許しくださいませ。
先日、教会へお祈りに赴いた際、壁の一部がみすぼらしくも剝げ落ちているのを見かけまして、ああこれは神のおわす教会にはふさわしくないと、すぐに職人を呼んで修繕いたしました。司祭様も大変喜ばれ、神の祝福なるありがたいお言葉を頂戴いたしました。これで日頃の悪行より、天国への道が多少は舗装されたかと、安堵する心地で胸が満たされました。
そうそう、胸と言えば、今現在、目の前の男性に乳房を揉まれております。全身が白一色の特異な容姿ゆえ、気味悪がられることもございますが、これを至高とする方もそれなりにございます。白大理石を彫り上げたかのようだとか、遥かに眺むる白峰を思わせるだとか、様々な言葉をかけていただける私の乳房。それが今、揉まれているのです。それだけではございません。その手は私の白肌を滑るがごとく撫でてこられ、その視線は隈なく触れたる所を眺めてきます。
ですが、残念なことに、お話を聞いてくださる皆々様には艶事を話されるのかと思われたかもしれませぬが、これは仕事なのです。私のではなく、目の前の男性の仕事なのです。定期的にこうして私の体を触診し、健康の良し悪しを見てくれるのです。そう、目の前の男は医者でございます。
男は我がイノテア家のお抱え医師で、名をアゾットと申します。まだ三十にもならない若い医者ではありますが、腕のいい医者であると評判でございます。
アゾットが医者となり、我が家のお抱え医師になりました経緯を、検査を待つ間、退屈しのぎにお話しいたしましょう。
***
アゾットと出会ったのは十年以上も昔の話。雨上がりの夕刻でございました。ジェノヴェーゼ公爵フェルディナンド様にお呼ばれして、宴の催される城館へと馬車にて向かっている最中にございました。運の悪いことに馬車が泥濘にはまってしまい、立ち往生してしまいました。これでは宴に遅れると困っておりましたところ、たまたま通りかかったアゾットの機転により、どうにか泥濘より出ることが出来ました。
私はアゾットに感謝を述べ、なにか恩返しをしたいと申しますと、妹にたくさん美味しい物を食べさせたいから食べ物が欲しいと言ってきました。それならお安いものだと引き受け、後日、暇を見てアゾットの住居に従者を連れて訪れました。
そこはまあ、いわゆる貧民街と言う場所でございまして、本来ならば私のような高級娼婦が赴くべき場所ではなく、華やかさとは無縁の世界でございました。そこにいる人々は疲れているか、希望を持てぬ絶望的な目をしており、生きているというよりかはただそこにある、といった何のためにこの世に生を受けたのか分からぬ哀れな人々でした。死体が転がっていようとも、誰も気にかけない、そんな世界が広がっておりました。
従者や護衛を連れて歩かねば、私一人では身ぐるみはがされる怖い怖い場所でしたが、どうにか目的のアゾットの住居に辿り着くことが出来ました。
ただし、アゾットは間の悪いことに不在で、出迎えてくれたのは彼の妹でした。ボサボサの髪に薄汚れた顔や服装、貧民街の住人だと一目でわかるようなみすぼらしい姿でした。しかし、私はこの少女に目を付けました。この妹は磨けば光る何かがあると感じ取り、その手を掴んでいつものように情報を吸い上げました。どうやら両親は病ですでに他界し、アゾットがその身一つで妹を養っているのだそうです。
苦労多いその妹に、私は持ってきた食べ物の中から、すぐに食べれる果実を差し出しました。初めて味わうのではないかと思う数々の果実を頬張り、妹が笑顔を見せてくれたところで、アゾットが仕事から帰ってきました。まさか貴族 (ではないのですが)がわざわざ貧民街にまで足を運び、約束通り妹に食べ物を持ってきてくれるとは思ってもいなかったようで、とても感激した様子でした。あのときの微笑ましい兄妹の顔は今でも覚えております。
はてさて、アゾットの情報も仕入れねばと、食べ物の話で盛り上がりを見せる中、さり気なくその手を握り、情報を吸い上げました。そして、この二人を利用する手が浮かびました。
頃合いを見計らって、二人に提案。二人とも私の邸宅で住み込みの使用人として働いてほしい。そして、アゾットには学を修めて医者になってほしいと。
当然、二人は困惑しました。貧民街暮らしから一転して、いきなり貴族の屋敷で住み込みで働く、望むべくもない就職先なのですから。しかも学を積んで医者になれなど、まず不思議に思うでしょう。
「正直にお話ししますが、実は私は魔女なのです。あなた方二人の未来を見まして、兄はこの国一番の医者に、妹は貴族の令夫人に、それぞれなる未来が見えたのです。ならば、私がそこまでの道筋を少しばかり舗装して差し上げようかと。アゾット、あなたが将来腕のいい医者になったら、私が怪我や病気で困ったときに助けてくれる、それで貸し借りなしといたしましょう」
こうしてやや強引ながら、私は二人の身柄を確保し、魔女の力で見えた“未来”を現実のものとするために動き出しました。
もちろん、私には未来を見通す力などありません。ないならば、現実という通り過ぎようとするものの襟首を掴んで跪かせ、私の思い描いた未来の通りに改編してやればよいだけです。なにしろ、私は魔女なのですから。
ああ、そうそう、言いそびれましたが、妹の方の名前はラケスと言いまして、私の身の回りの世話を申し付けました。そして、私の目が正しいことを証明するべく、さっそくラケスを見違えるほどに綺麗な姿へと変えてしまいました。貧民街では食事にも苦労する有様でしたが、私の側にいればその苦労はなくなります。少し肉付きをよくして、髪型も整え、服装も見栄えのするものを用意してみますとあら不思議。どこかの御令嬢かと間違えてしまうほどの美しい娘ができたではありませんか。
これには屋敷で働く他の使用人達も驚きを隠せない様子でした。貧民街で拾ってきた娘が、まさかこうも化けようとは、と。
あとは、社交界に出ても大丈夫なよう、礼儀作法や舞踊を身に付けさせれば、貴族令嬢の出来上がりにございます。
アゾットの方は仕事そっちのけで、書斎に放り込みました。まずは読み書き計算の習得から始まり、各種学術書を叩き込ませました。そうして、どうにか学生と言い張れる程度には知識を詰め込ませると、私の全面出費、そしてあらん限りの人脈を利用して隣国の大学へと留学させ、そこで医術を学ばせました。
四年の留学を経て大学より医師の免状を受け、ようやく帰国したところで、あの事件が起こりました。それがアゾットの名を一気に広めることとなったのです。
事の起こりは街中で起こった喧嘩が発端でした。三人組同士の諍いが殴り合いへと発展し、さらに持っていた工作用の刃物で切りかかり、結果、死亡三名、重症一名、軽傷二名の大惨事となりました。まったくもって男と言う生き物は、どうしてこう野蛮な行いを好むのかと、不思議でなりませんでした。たまたま横を通りかかり、血だまりのできた道を見ながら私は思いました。
(獣性を出すのは、せめて寝床の上だけにしていただきいものです。対価さえいただければ、それを癒して差し上げますのに。ああ、人が人を殺めるなど愚の骨頂。生かしてこそ、搾り取れますのに)
などと考えていますと、医者が駆け付けてきたようで、重症の方は助かりそうもなかったですが、ひとまずは治療器具がある医師の邸宅まで運ばれていきました。残った二名は顔への打撲と、腕の切り傷が見られました。医者は持っていたカバンから薬を取り出し、患部に塗ろうとしました。
「あらあら、それでは患者さんが神の御許へ旅立たれてしまいますわ」
私は医者に聞こえるようにわざとらしく大きな声で嫌みたらしく言い放ちました。もちろん、医者は私の声をその耳で拾い、睨んできました。
「おやおや、これはこれは、魔女殿ではございませぬか。相変わらず醜いお姿で」
医者の男も嫌みたらしく返してきましたが、これには理由がございます。実は事件の現場に駆けつけてきましたこの医師は、私の働く高級娼館のお客様です。私が妹分として可愛がっていた娘のお客様でしたが、少々行き過ぎた“求愛”をなさいまして、それ以降娼館への出入りが禁じられてしまいました。
その際、私が強くこの男を咎めたため、随分と恨まれてしまいました。逆恨みもいいところでございますが、目の前の能無しにはそれが理解できてないご様子。この何も詰まっていない頭でどうやって医者になれたのかと、小一時間問い詰めたいところでございますわ。
「その薬ではダメ。患者を苦しめるだけよ。私がいい方法を見せてあげるわ、魔女として」
私は落ちていた刃物を拾い上げ、ケンカで怪我をした男の前に跪き、腕の切り傷と、刃物に対して交互に印を組み、さもまじないでもしているかのように周囲に見せつけました。
「ハッ! 何をするかと思えば、魔女のまじないか! 薬を塗らんでどうする!」
「あら、もちろん塗りますよ。こちらにですが」
私は医者が握っていた薬瓶から軟膏を一撫で貰い、それを刃物の方に塗りました。それを見た医者も周りにいた野次馬の方々も口々に笑いが漏れ始めました。
「魔女様はすごいなあ。薬を傷口ではなく、傷をつけた刃物の方に塗ってしまわれるとは!」
医師の男は明らかに私を小馬鹿にした口調で笑い飛ばし、周囲にもそれが広がっていきました。
「では、こうしましょう。私はまじないで傷を癒す。あなたはその薬でもなんでもよいので、医術を使って癒す。どちらが優れた癒しの力を持つか、勝負いたしましょう。私はこちらの方を治療いたしますので、あなたはそちらの方を治療なさいませ。五日後、どちらが優れているか、見てみましょう」
医者は受けて立つと言い放ち、せっせと怪我人に薬を塗っていきました。私も刃物に薬を塗った後、怪我人の腕を布切れできつく縛り、さらに念入りにまじないをかけていきました。
「まじないで傷が治るわけがなかろう!」
「治りますよ。なぜなら私は“本物”の魔女ですから。これは共感術式と言いまして、怪我や病気は穢れと呪いによって生じるものなのです。その大元さえ分かればそれの穢れを払いさえすれば傷がそれに共感し、治すことができるのです。幸い、凶器となった刃物はありましたし、その穢れさえ払ってしまえば、傷の治りは早くなるのです」
私は“嘘”の説明をして、結果を見に五日後に伺う旨を伝えてその場を立ち去りました。まあ、まじないで傷が治るなら苦労はしませんわね。
そして、五日後、約束通り医者の邸宅に赴き、患者二人の患部を見てみることにしました。縛っていた布をほどき、切り傷を眺めてみると、私が治療した方が医者の治療した方よりも明らかに早く傷が塞がっていました。
そんな馬鹿なと言いたげな医者の顔は真っ青で、まるでこの世の終わりのようなひどい顔。いささかはしたないと思いつつ、心の中では諸手を上げて喝采しましたわ。
「これにて証明。私の“魔術”とあなたの“医術”、はてさて、どちらが優れてきるのかが。ここにいる皆様方が証人でございます」
言い切って差し上げましたわ。ああ、気にくわない方が歯ぎしりしながら苦悶する姿、下手な喜劇を観劇するより、余程丹田に響いてきますわ。
ざわつく観衆、嗚咽を吐き出す医者、驚く患者、皆が皆、私を認めざるを得なくなる。魔女はすごい、“魔術”は本物だと。しかし、滑稽すぎて笑いが止まらず、顔に出さずに優雅に佇むことが、なんと難しいことなのでしょうか。私は“何もやっていない”というのに。
さて、そこまでは完璧にございました。私は勝利と共に観衆の作る花道とやらを進んでいると、どうしたことかまた騒がしくなって参りました。何事かと怪訝に思うと、なんということでしょう。アゾットが現れて、私に言い放ったのです。
「ヌイヴェル様、打ち捨てられていました患者を治しましてございます」
よく見ると、杖をついて歩いている連れの男、先頃のケンカで重い傷を受けて運ばれていった者ではありませんか。どうやら助からないと放置された患者を、自身が修めた医術にて治してしまったようなのです。
これには観衆も驚きのご様子。大きく斬られて血を失い、そのまま亡くなるかと思いきや、見事に治してしまったのですから。
ですが、同時にそれは危ういことでもありました。なぜなら、主君である私の勝負事に首を突っ込み、あろうことか女主人たる私を上回る術を見せてしまったのですから。しかも、観衆の皆が見守る中で。
勝負に横槍を入れ、主人の顔に泥を塗る行為。下僕であれば、主人の顔を立てるのは当然のこと。その真逆をなしたのですから、周囲がざわつくのも当たり前。激怒して、仕打ちを受けるのが目に見えているのですから。
ですが、それは“普通”の上流階級の方々の為さりようにございます。身なりはそれなりなれど、私は爵位も領地も持たぬただの一人の娼婦にございます。
私は医者ではございません。魔女はあくまでも演技。本分は娼婦。娼婦としての矜持はあれど、魔女としての尊厳など持ち合わせてはございません。我が“魔術”が敗れたからと申して、何程のことがありましょうや。娼婦として、お客様に楽しいひとときを過ごして頂き、それ相応の対価を頂戴すること、これが私という娼婦の務めなれば。
私は満面の笑みにて、アゾットの手を握りました。
「おお、アゾットや、アゾット。見事でございましてよ。誰もが見捨てた者を救い上げるなど、真似できるものではありませぬ。目をかけて育て上げた甲斐があったというものよ」
出過ぎた下僕を咎めるのではなく、賞して誉める。私は今は舞台上の役者です。誰も彼も騙して差し上げましょう。街中全てにアゾットの名が広まるよう、見事に演じて見せましょう。
心の広い主人と、確かな腕前を持つ若き医師、名声を得るのにはよい看板ではありませんか。
さて、更なる驚きと共に、群衆が作る花道を進み、待たせておいた馬車にアゾットと二人乗り込みました。
そして、馬車が走り出し、ガタゴトと揺れ始めてから、私はアゾットを見据えて言いました。
「ようも私の顔に泥を塗ってくれたのう、アゾットや」
冷ややかに見据える私に、目の前の下僕は僅かに怯えておりましたが、そこには強い意志の光を感じました。ああ、成る程と私は感じ入りました。
怪我をした危うき者を救う、医師としの本分を通しただけ。なんのことはございません。私と下僕は同類でございました。ただ、娼婦と医師という、違う舞台に身を置いていただけ。それだけにございます。
「まあ、よいわ。お主の腕前をしかと見れた故、よしといたしましょう。それに、泥を顔に塗るのは美容によいと、以前何かの書物で読んだこともあるしのう。しかし、じゃ。次からは私の許可を得てからにしなさい」
誉めるところは誉め、締めるところはしっかり締める。飼い犬の縄をしっかり握っておくのは主人たる私の務め。これにて、今度はちゃんと許可を貰いにくるであろう。
アゾットは恐縮気味に頭を下げて参りました。そうそう、それでよい。分を超えた行いは身を焼く結果にもなりかない。少し前までは、なにしろ、魔女は火炙りでございましたから。
故に私は十の利益を得ましたら、三を懐に仕舞い込み、残りは周囲にばら蒔いております。余計な嫉妬を受けぬため、気前のよさを見せるため、そして何より魔女として生き残るため。迫害、火炙り、何でもごされ。私は全てをすり抜けますとも。
まあ、さすがに火炙りは祖母の世代で終わっておりますが、それでも魔女への偏見は残っております。余計な悪感情は避けておくのが得策というもの。
「時に、ヌイヴェル様、まじないによる治療でございますが、あれは“何もしなかった”のでございましょうな?」
うむうむ、やはりアゾットは気づいていましたか。私が“何もしなかった”ことを。“嘘”のまじないをかけていたことを。
「ええ、その通り。だって、考えてもごらんなさい。煮詰めた馬の唾液だの、焼いて乾燥させた鰐の糞だの、蛇から絞り出した脂だの、そんなものが薬であるとでも?」
「仰る通りです。古めかしいかつての医術や薬学が未だに幅を利かせているのが、嘆かわしい現実なのです。あれでは薬と言うより、まじないの域の出ておりませんな。まじないに頼るなど、愚の骨頂だというのに」
「ふふふ、まじないを使う魔女たる私にそう言いますか」
ああ、腹を抱えて笑いたくなりますわ。本職の医者が、魔女たる私以上にまじないに頼っているなど、滑稽にも程がございます。大学で最も先鋭的な医術を学んだアゾットならば、皮肉を交えてそう言いましょうとも。
「あんなものを傷口に塗るくらいなら、清潔にしてから何も塗らず、人の持つ自然な治癒の力に頼った方がマシじゃろうて」
「まさに。ヌイヴェル様は魔女、さすがに博識でいらっしゃいますな」
「主人に向かって魔女と言うか、この痴れ者め。まあよい、今日は晴れやかな気分だわ。大目に見てあげましょう。私の本分はあくまで娼婦であるということを忘れるでないぞ。医者の真似事なんて、金輪際真っ平御免ね」
もう一本釘を刺すと、アゾットは再び頭を垂れる。そうそう、それでよい。下僕たるもの、主人には誠心誠意仕えなばなるまいて。
「ですが、私は驚きました。あなたが死にかけの怪我人を助けてしまうなど」
「なんのことはありませぬ。血が足りなくなる前に傷口を縫合し、ちゃんと効く本当の薬を処方しただけにございますから。あとは患者の体力次第でございました」
「よいぞ。最善を尽くし、最良の結果をもたらした。素晴らしいことじゃ。しかも、私とお前の名声付きでな」
今頃、人々は噂していることでしょう。魔女がまじないで怪我を治してしまったことを。さらに、その従者が瀕死の怪我人まで治してしまったことを。
魔女の実力ここにあり。その従者たる者これまた名医なり。この噂、人々の口から口へと広がっていきましょう。
「そういえば、あのヤブ医者、たった一つだけ正しいことを言ってましたわね」
私はニヤリといささか意地悪く品のない笑みをしてしまいました。まあ、どうせ気の許せる従者のほかに人はなし。構いませんとも。
少し間を開け、そして、あの者が吐いた唯一の正論を言い放ちました。
「まじないで傷が治るわけがなかろう!」
***
これが私とアゾットの出会いと彼が医者となった経緯にございます。
あの出来事より後は、随分と噂に上ったものです。中にはアゾットの治療を受けたいと申す者まで出る有様。こちらとしては鼻高々。イノテア家の名を高めるよい機会となりましたわ。
特に決定的であったのは、フェルディナンド様の奥方様を癒したことにございましょうか。熱病にうなされ、非常に危ない状態でありましたが、私がフェルディナンド様にアゾットのことを紹介し、藁にも縋る想いで治療を任せたところ、見事に奥方様を平癒させてしまいました。
それからというもの、貴族の間でもアゾットの治療を受けたいと申し出る者が現れ、我が家のお抱え医師ではありますが、往診に出かけることも多々あるようになりました。私としましては、紹介料として多少懐を温める事が出来ました故、満足しております。
「ヌイヴェル様、健診終わりましてございます。申し分ないほどに、極めて健康なお体にございます。肌の色だけはいささか薄うございますが」
ほれ、この通り。今ではこのように軽い冗談を飛ばせるまでに親しみを込めて接してくれるようになりましたわ。忠実で、腕前も確かな医者、素晴らしいことです。
ですが、それだけではありません。この男にはまだまだ奥がございます。
「肌を散々調べておいて、そのような冗談を飛ばしてくるとはのう。どうじゃ、戯れに私を一晩買わぬかえ? 今のお主の稼ぐ治療代ならば、それくらい大丈夫であろう。それにほれ、多少は金子の払いに手心を加えてやるぞ」
私はアゾットが往診で受け取った金銭を懐に入れておくことを認めています。私は別口で紹介料として受け取っていますし、それ以上欲張るつもりはありません。それはアゾットが医者としての知識と技術で得た正当な報酬であり、それを摘まんでいただくつもりはありません。
しかし、それでは危ういことでもございます。アゾットに多額の金を注ぎ込み、留学させてやりました。稼ぎを以てそれを返済し、我が家を出て独立するやもしれませぬ。私を治療しろとは言いましたが、そんなものは口約束。書面一つ残しておりませぬゆえ、いつでも破れるあやふやな契約です。
ですが、そのための“鎖”は別に用意してございます。決して断てぬ鋼の鎖を。
「麗しき主人よりのお誘いにございますが、丁重に辞退させていただきます。妹の出産までに、多少は貯えを作っておかねばなりませぬゆえ」
そう、こやつめの妹はめでたいことに孕んでおる。それは私にとっても喜びである。
「姉上、お加減はいかかでありましょうや?」
声をかけてきたのは従兄のディカブリオ。この者の屋敷の中にて健診しておったのだし、現れて当然である。そして、眼を向けるは、それに付き従う一人の貴婦人。
「ラケスや、お主こそ大事ないか? そろそろ腹が膨れてきておるようじゃし、体を大事に労わるのじゃぞ。イノテア家当主の記念すべき第一子じゃ。しかと元気な子を産みなさい」
そう、ディカブリオの妻はアゾットの妹ラケスなのです。私はラケスを一人前の貴婦人に仕立て上げた後、何気なしにディカブリオに近付け、それとなく互いが惹かれあうように仕向けました。
案の定、二人は睦み合うようになりました。奥手で真面目なディカブリオでありましたので、少しばかり時間を要しましたが、私の計画通り二人は伴侶となりました。
婚姻が決まった直後はかなり周囲から奇異の目で見られたものです。なにしろ、ラケスは貧民街の出身で、どこの誰とも知れぬ身の上。それが男爵家の令夫人となるのですから、それは大層な問題となりました。
やれ、卑しい娘が貴族を惑わしただの、あるいは、成り上がりの男爵にはある意味お似合いかだの、色々と言われたものにございます。
しかし、今ではそんな中傷も鳴りを潜めてございます。なにしろ、卑しい娘の兄は、評判名高き最高の医者なのですから。最高の名医を囲い込むために妹も取り込んだ、などと今では言われております。
兄は妹を想い、妹は兄を想う。これにて鋼の鎖は完成。妹が私の従弟と結ばれておる限り、決してイノテア家から、アゾットは離れることなどできはせぬ。たとえ、我が家よりも高待遇で誘いが来ようとも、この鋼の鎖は断ち切れぬ。
さてさて、私がどうしてここまでアゾットに拘るのかと不思議に思われるのかもしれませんが、もちろん理由がございます。ただの情で大枚はたいて医者の身分を宛がうほど、私は優しくなどありませぬ。
理由は簡単、アゾットに出会った頃、彼から情報を盗み出した際に、その才に大いに興味がわいたからです。なにしろ、私と同じく二つの異才が目覚める珍しいもの。しかも、それぞれに別の発現条件が示されているこれまた珍しい初めて見るものでございました。
では、アゾットが持ちえた魔術の才、一つ目は《医聖の天啓》。最高の名医となる技術と知見を得られる得難い能力。発現条件は『医者ないし薬師として一定の技術と知識を得ること』です。これは大学に通わせることで達成されたみたいです。なにしろ、例の一件の手際の良さを考えますと、あの頃にはすでに目覚めていたと思われますから。これを見つけれたのは幸運そのもの。貧民街出身の者が大学まで進んで医術を学ぶなど有り得ない話なのですから、もし私と出会っていなければ完全に腐らせた異才となっていたことでしょう。
次なる二つ目の魔術の才は《賢者の石錬成》というもの。誰も見たことのない完全なる究極物質、伝説の中でのみ存在が許される賢者の石を作れるようになるのだとか。ただし、発現条件もさすがに厳しく『《医聖の天啓》に目覚めて後、三十年の研鑽を積むこと』だそうです。
三十年です、三十年! その頃には、私も老いさらばえて、どうなっているのかも分かりませぬ。伝説の一品を拝めるのかどうかも分かりませぬ。仮に、そこまで生きていたとしても、その材料とはどのようなものなのでしょうか? できれば、私の人脈と財力で集めれる物であればよいのですが。
それでも、可能性があるのならば、それに向かって突き進むのも、また人の性質。不確かな未来、すなわち希望こそが生きる糧。私もアゾットもそこまで生き延びて、どうかこの目で拝ませてほしいものです。
長い旅路となりましょうが、それまではアゾットには私の側にいてもらいます。鎖で縛りつけたので、もう逃がしません。あとはその時が来るまで、私とあなた、両方が生きていることを願っておきましょう。
「ヴェル姉様も健康そうでなによりでございます。私もお腹の中の子も元気にしておりますので、なんの心配もございません」
ラケスには私を愛称で呼ぶことも許しています。あの見すぼらしい貧民街の女の子も、今や立派な男爵の令夫人。なんと愛い奴よのう、私の従妹は。しっかり磨き、しっかり育てた甲斐があったというもの。いえ、私は私が聞かせた予言を形にしただけですから。
そう、名医と令夫人、私は二人の未来を予想して、それを現実のものとしただけです。たとえ、賢者の石が欲しいという下心があろうとも、この二人にとっては拾い上げてもらったという恩義があります。それもまた、鎖の一つ。
「うむ、早く産むがよい。私はそれが楽しみで仕方がないのです。元気な子を見せておくれ」
男ならば男爵家の後継者、女ならば私の後継者、さあ、早く早く産んでくれや、私の従妹よ。
ああ、そうそう、言い忘れておったが、ラケスの魔術の才にも触れておきましょう。従妹の持つ魔術の才はまだ目覚めておらぬ。しかし、それもすぐ目覚めよう。その才は《一発必中の腰回し》と言って、避妊をせねば必ず孕むというものです。私にとっては不要な能力ですが、従弟夫婦にはよき結果をもたらしてくれよう。子沢山で賑やかな家族となりそうですわ。
もちろん、女の子が生まれたらば、私が貰い受けますので、そのときはよろしくね、ディカブリオにラケス。
ちなみに、発現の条件は『第一子を設けること』、つまり子供を無事に出産すれば、立て続けに子宝に恵まれるというもの。
「そうじゃのう、体力をつけてもらうために、鰻でも贈ろうかのう」
「またですか、姉上。結婚してからというもの、毎日鰻を届けさせたのは、何かの嫌がらせかと思いましたぞ!」
ムキになってディカブリオが騒いでおるが、効果があったことは知っていますわ。毎晩、この可愛らしい嫁をせっついておったのも、その嫁の口からしかと聞いています。まったく、従弟も従弟でなんと可愛らしいこと。素直に効きましたと言えばよいものを。
「そうか、では趣向を変えて、北国より羊の胃袋内臓詰煮込みでも取り寄せようかのう。かなり効くと聞いておるが」
「やはり、嫌がらせでございますか!? 臭いうえに味も独特過ぎると聞き及んでいますが」
焦るディカブリオに、ラケスが笑い出し、それに釣られて私とアゾットも笑い出す。ああ、なんの楽しいことでしょうか。家族と過ごす団欒のひととき、何物にも回る至福の時間にございます。
さて、これにて今日のお話は終幕といたしましょう。
私はアゾットを見て、苗木の段階から巻き付いてしまった、せっかちな宿木にございます。でも、それをバカげたことだと笑わないでほしいものです。どうか皆様方には、大樹の苗を見て「小さい奴だ」と罵るような真似はしないでください。気が付けば、あなたの背丈をおいこしてしまうのですから。罵る相手と寄り添う相手はしっかりと見定めますよう、私からの忠告にございます。
大層な物言いでございますが、私はあくまで高級娼婦。魔女で、女吸血鬼で、神に救いを求めて天を目指す哀れな一本の宿木でございます。
さてさて、次のお客様はどちらの方になるでしょうか。