第一話 チロール伯爵家の遺産
どうも皆さま、初めてお会いする方は初めまして。以前にお目にかかられた方は、お久しぶりです。ヌイヴェルでございます。
私は高級娼婦を生業としておりまして、いわゆる上流階級の皆様方に寄生して生きている女吸血鬼でございます。皮肉めいた自己紹介となりましたが、実際のところ、私は魔術を行使できる魔女なのでございます。
どのような魔術なのかと申しますと、触れ合った相手から情報を抜き取る《全てを見通す鑑定眼》という魔術でございまして、触れ合う肌や時間が長ければ長いほど抜き取れる情報も多くなってまいります。
しかも、相手からは抜き取られないという防諜まで備わっておりまして、《永続的隠匿》という情報遮断の魔術まで身に付けてしまいました。つまり、私は自身の手の届く範囲ではございますが、身近におられる方々から断りもなく気付かれることもなく情報を吸い上げてしまうのです。
魔女にして、吸血鬼。ああ、なんと罪深い存在なのでしょうか。神様、ああ、今日も罪深い私をお許しくださいませ。先の安息日には教会にて祈りを捧げ、ささやかではございますが、山吹色の焼き菓子を“箱”でお持ちいたしましたので、どうか罪深い女である私を免罪してくださいませ。
さて、今現在、私の目の前では困ったことがおきております。
見たままを言葉に表しますと、私のすぐ目の前には中年の男性が兵士に抑えつけられ、冷たい床に無理やり寝転がされております。そのまま顔を上げ、私の顔を睨んでいます。口の端に滑らせるのも憚られるような罵詈雑言を浴びせてきましたが、さすがに空っぽの頭では語彙力に問題があるようで、罵倒の水源が枯れ果ててしまったのは残念なことです。もう少し醜い言葉をお聞かせ下せれば、こちらも相応のお返しをしてさしあげたものを、なんとも退屈なことです。
で、目の前の男がどちら様なのかというと、チロール伯爵家の現当主でございます。つい最近、先代の伯爵様がお亡くなりになられ、こちらの方が伯爵位を相続なさったのですが、先代の残された遺書に面倒なことが書かれておりまして、紆余曲折を経てこうなってしまったというわけでございます。
さて、どうして伯爵家の相続について、血縁でもない私が関わってしまったのかというと、先代様の気まぐれが引き起こした事件でこうなったのでございます。
***
チロール伯爵家の先代様は名をハルト様と仰られ、私のお客様でございました。私は十四の頃から客を取り、娼婦として過ごしてきましたが、そうした十代の若かりし頃によく足を運んでいただきました馴染みのある御貴族様でございました。その頃すでにハルト様は六十手前の齢を重ねており、老いのせいかそのうちパタリと足取りが途絶えてしまいました。
他のお客様からの情報でご健在なのは知っていましたが、先年あたりから状況が一変なされたようでございます。なんでも、五十年連れ添っておられた奥方様がお亡くなりになられ、すっかり意気消沈されてしまったのだとか。
さらに不幸という存在はお友達を連れてやってくるようで、さらなる不幸がハルト様を襲い掛かりました。今度は執事が亡くなられたそうです。この執事はハルト様と同い年らしく、幼少期よりずっと伯爵家に仕えてきた方だそうで、ハルト様にとっては執事であると同時に友人でもあり、人目のない場所では気兼ねなく話せるお方だったそうでございます。
奥方様に続いて長年の友人を亡くし、すっかり気力を失われたのか、床より起き上がれなくなることが増え、日増しに老いと言う名の不治の病が神の御許への道を舗装し始めたようなのです。
それを知った私は、少しは元気になってもらおうと、筆を執り、手紙を書くことにしました。随分とご無沙汰なので覚えておられるかは分かりませんでしたが、駆け出しの娼婦であった頃に贔屓にしていただいた方でもあったので、少しは気分を晴れやかにできないものかと、拙い文章力をひねり出してはどうにか書き上げたものです。
町の花屋に艶やかな色とりどりの花束を作らせ、ハルト様の好物であったと記憶する馬肉の生ハムと共に手紙を送りました。
するとどうでしょう。手紙を出した数日後に、ハルト様本人が店まで足を運んできたではありませんか。実に十数年ぶりの再会と相成りましたが、子供のようにはしゃぐ姿など微塵も見せず、それは心の中に仕舞い込んでおきました。
あくまで、久方ぶりに足を運ばれたお客様として、誠心誠意おもてなしをさせていただきました。
杖を突かれ、足取りも覚束ないご様子で、十数年前のお姿を思い浮かべますと、その衰えぶりには多少の狼狽を覚えたものです。ですが、どなたであろうと、お客様に楽しいひとときを過ごしていただくのが高級娼婦たる私の務め。枯れ木のような老人であろうとも、それは変わることなどありません。
ハルト様は先日送った手紙とそれに添えられた花束や生ハムの礼を述べられ、十数年も音沙汰なかった老いぼれのことを気にかけてくれて感謝すると、涙ながらに私の手を掴んでこられました。
そして、肌の触れ合うことにより、ハルト様の情報が私の中へと流れ込んできました。魔女にして女吸血鬼たる私が、ハルト様の情報を幾分か吸い上げてしまったのです。
知りえた通り、奥方様と執事を失ったことにより、寂しさと悲しみに苛まれ、随分と思い悩んでおられたようにございます。果ては、どうして自分も一緒に神の御許へとお連れにならなかったのかと、神様の像の前で叫ばれたそうです。
さらなる悩みの種として、息子の件がございました。ハルト様には後継ぎとなる一人息子がございまして、こちらの名はヨハンというのですが、これが絵に描いたようないわゆる“ドラ息子”でございました。酒と狩猟と女漁りが日課という素行の悪さが領内のすべてに知れ渡る放蕩者で、領地の経営は完全に他人任せ。次代はどうなるのだと領民家臣が暗澹たる思いで日々を過ごしている有様なのだそうです。
それでは気苦労も多いでございましょうと、私は暗い気分をせめてこの部屋の中だけは忘れていただけるように努めさせていただきました。
と言っても、すでに枯れ果てたご老人。床の中で何かするでもなく、眠りに着かれました。娼婦の囁きを子守唄にするなどどうかと思いましたが、それでわずかな時間であろうとも、安らぎを得られるならばと私は老人をそっと抱きしめました。
さて、そんな老人とのひと時を過ごすことが、数日おきにやってくることになりました。再開したばかりの頃は気力を失われておりましたが、お会いする度に活力が戻られたのか、笑顔を見せるようになられました。
そうしたことがしばらく続くと、ハルト様がお亡くなりになったとの話が飛び込んでまいりました。夜、自室でお休みになられ、翌朝息を引き取っているのを発見されたそうです。どういうわけか満面の笑みを浮かべ、随分と幸せそうな死に顔だったそうです。
馴染みのお客様の訃報を聞くことはたまにありますが、やはりいい気分ではありません。とはいえ、神の御許へ無事辿り着けるよう、花で道を作り上げるのも生きている者の務めである。なにより、奥方様と友人がお待ちになられているのです。無事再会できるよう、こちらもしっかりと送り出して差し上げねば不作法というものです。
私は町の花屋に頼み、ハルト様がお休みになられているチロール伯爵のお屋敷へと、花束を届けさせることにしました。
そして、その花屋の者が血相を変えて私の下へやって来ました。屋敷へ花を届けた際に、とんでもないことが起き、それを伝えに慌ててやって来たのです。
「ヌイヴェル様、大変でございます! チロール伯爵様の葬儀にお花を届けてまいりましたが、たまたま遺書を開封する場面に出くわしまして・・・。それが大変なことに、遺産の半分をヌイヴェル様に相続させるよう、遺書に記されておりました!」
花屋の届けた言葉を聞き、私は混乱しました。花を届けろとは言いましたが、爆薬まで届けろとは言っておらず、届いたそれは私の頭の中で破裂しました。
どうしてこうなったのか、と。
チロール伯爵家の財産は伯爵家内部で分けられるもので、なんの血縁もない私に相続させるなど、狂気の沙汰としか思えませんでした。
無論、金銀財宝に興味がないわけではありません。伯爵家の財産の半分ともなれば、動かせない土地は別にしても、金貨や宝石、絵画だけでもかなりの額になるはずです。それを受け取れるとなれば、まずは諸手を上げて喜ばねばなりません。
しかし、私はそれを拒もうかと考えました。伯爵家内部の財産が大きく目減りするわけですから、相続人である一人息子のヨハン様から大変な恨みを買うことになるからです。伯爵家に対して、真っ向からケンカを売るなど、爵位も持たない一市民にはあまりにも無謀なことですから。
とはいえ、ハルト様の想いも無下にはできない。私の勝手な推察ですが、おそらくはドラ息子へのせめてもの仕打ちなのではなかろうか、そう考えました。財産を受け継いでウキウキの息子に冷や水を浴びせ、お前の思い通りにはならないのだぞと、老いたる身で考えたドラ息子への最後の一撃なのでしょう。巻き込まれてしまった私としては、頭の痛いことではありますが。
そこで私は、取りあえずは相続人であるヨハン様にお会いすることにしました。会って話さねば、どうにも収まりが付きそうになかったからです。基本的には財産の相続は放棄するつもりでしたが、相手の出方によっては多少はいたずらを企ててやろうと、多少の“保険”を効かせた上で相手の懐に飛び込むことを決めました。
期日を定め、ヨハン様とお話したいことがあると手紙に記し、使いを出しました。すぐに返事が返ってきて、明日にでも“出てこい”と随分と乱暴な書き方で返書が来ました。字も乱雑に書かれた感がアリアリで、とてもハルト様の息子とは思えないほどの粗雑な方のようです。
できれば準備に万全を期したいところではありましたが、粗野とはいえ御貴族様に招待された以上は出向かないわけにはいかず、半日の間に準備をしなくてはならなくなりました。
こうして手紙のやり取りをした翌日、私は“従者”を一人連れて伯爵家のお屋敷へと向かいました。手荒い歓迎でも受けるかと思いきや、門番も案内役の給仕も礼儀正しく、私を出迎えてくれました。このあたりはやはり亡くなられたハルト様の差配が行き届いているようで、伯爵家の問題は件のドラ息子にだけ集中している感すらありました。
そして、肝心のドラ息子こと新たなるチロール伯爵家当主ヨハン様の歓待を受けることとなりました。まずは執務室の机をこれでもかと言わんばかりに叩き、威圧してきました。私は特に反応も示さず、にこやかな笑みにて応じると、露骨に分かるくらいに舌打ちをしてきました。作法や教養はどうなっているのかと小一時間問い詰めたい所ではありましたが、そんなことは顔には出さず、改めて遺書の中身を拝見したいと申し出ました。
「あんなでたらめが書かれた物は破り捨てて焼いてしまったわ!」
御貴族様の振る舞いとは思えぬ粗暴ぶりでありました。あまりのことに私は呆れ果てましたが、それを顔に出さずにいるのにも一苦労しました。
無駄なことなさるものだと、私は考えました。もし、私が目の前のケダモノの立場でしたら、事前に遺書の中身を確認しておき、自分にとって都合の悪い物だった場合は精巧な偽物でも作らせて、それを遺書として公表するくらいのことはするでしょう。何の考えもなしに開封し、自分に都合が悪いからと破り捨て、でたらめだなんだと騒ぎ立てる。しかも、公衆の面前で。頭が空っぽなのにも程があります。
すでに遺書の中身が皆に知られ、それを焼いたからだと言ってどうなることでもない。むしろ、そこは表向きは礼儀正しく遺書を尊重する旨を皆に伝え、裏で私を脅すなり始末するなりした方が格好がつくというのに、表でこうも暴れる様を見せつけられては、先程案内してくれた伯爵家の家臣の皆さんが不安になられるのも無理はなさそうです。なにしろ、この礼も智もないケダモノに今後お仕えしなくてはならないのですから。
「なるほど。状況は理解いたしました。どうやら、先代様はあなたの粗暴な振る舞いに呆れられ、例え金貨一枚でもあなたに渡したくはないというお考えだったのでしょう。半分だけでも残していただけたのは、せめてもの親の情けと言ったところでございましょうか。それゆえ、私はあなた様にこう申し上げます。謹んで財産の半分を頂戴いたします、と」
もう私の腹は決まった。絞れるだけ絞ってやろう。なにしろ、やってしまえと言う許可は、ほかならぬハルト様より頂いている。遠慮することなど、何もないのです。
礼儀正しく振る舞いながらも相手をこれでもかと見下す。なるほど、慇懃無礼というのはこういう感じですかと、自分の役者としての資質はあるのかと考えつつ、ケダモノを冷ややかに見つめました。
するとまあ、顔を真っ赤にして怒る怒る。私を睨み、机をまた叩く。バンバン叩く。醜い贅肉が揺れる揺れる。果ては、掛けてあった剣にまで手を伸ばし、鞘から煌めく刃を抜き放ちました。
さすがにまずいと思ったのでしょうか、部屋の中にいた給仕が止めに入ろうとしましたが、それより先に私の“従者”が動きました。私のケダモノの間に割って入り、落ち着くようにと手をかざして押し留めようとしました。
「伯爵様、遺書等に不満があり、相続の手続きに修正を加えたいのであれば、国王陛下か、公爵閣下に訴え出るのが筋でございます。剣を抜き、相続人の一人でもある御婦人を脅すような真似は、国法に反する行いであり、貴族の振る舞いとしても不適格と思われます。どうかご自重くださいませ」
まごうことなき正論です。“従者”の言葉は反論の余地が一切ない。普通ならば、剣を引かざるを得ないのであるが、どうやら目の前のケダモノは人の言葉すら理解できない低能であったようです。
「衛兵! 衛兵はおらんか!」
ケダモノの呼びかけに応じて、部屋の外に控えていた兵士が数名押しかけてきました。なんというか、お約束な展開です。先が見えます。
「このクソ喧しい従者を切り捨てろ! 女の方は殺すな。なるほど、父が通い詰めていただけあって、なかなかの美人よな。私が直々に“尋問”してやるわ!」
なんということでしょう。お話の中だけかと思っていた悪役の台詞を、まさか自分が聞く羽目になろうとは。
なのでしたら、目の前のケダモノも気付くべきでしょう。悪役がいるのであれば、それを叩きのめす英雄豪傑がいるということを。
“従者”が素早く動き、ケダモノの後ろに回り込むと、腕で首を絞め上げてしまいました。
「な、なにを」
「あんまし暴れんでくれ。ギリギリ息を止めない程度で絞めてるんだから、暴れてうっかり絞め過ぎたなんてのは面白くない」
“従者”ははめて居た手袋を口で剥ぎ取り、あらわとなったその手をケダモノの鼻先にかざした。手からはドス黒い煙のようなものが立ち込め、尋常でない気配を放っていた。
「その黒い手、お前は《腐男》か!」
「その二つ名は嫌いなんだよね。俺にはアルベルト=オメデーア=ディ=ジェノヴェーゼってちゃんとした名前があるんだし、その二つ名では呼ばないでくれよ。なあ、あんた、せっかくだし味わってみるかい?」
声にならない悲鳴をケダモノが上げられました。なんとも様にならない悲鳴ですが、どうにもこうにも動けないご様子。その黒い手に触れてしまえばどうなるか、どうやらケダモノは知っているようでした。
《腐男》ことアルベルト様は魔術の使い手であり、その名も《腐食する黒い手》。その効果は『黒い手に触れた物は空気と植物以外のすべてを腐食させる』というものです。鉄を掴めばたちまち錆に覆われ、人を掴めば壊死させる。とんでもない攻撃的な術で、普段は危ないからと綿の手袋で覆い隠しているのです。
そうこうしているうちに、十数人も兵士が部屋の中になだれ込んできました。その先頭にいるのは私のよく見知った顔。
「姉上、ご無事ですか!?」
私を心配して駆けつけてくださいましたのは、従弟のディカブリオ。私より五つ年下で、まだ三十路も迎えていない若者ですが、男爵という地位をしっかりとこなしています。私の紹介した娘と結婚もしていて、夫婦の間は円満そのもの。早く子供が生まれないかと、心躍らせながら待ち望んでいます。もちろん、生まれた子が男児であればイノテア家の持つ男爵位を継がせ、女児であれば私の跡を継いでもらうつもりです。かつて祖母が私を鍛え上げたように、今度は私がその子を鍛えていくのです。
「ディカブリオ、ご苦労様。それじゃあ、そいつを抑えつけてくださいな」
私が従弟にお願いすると、心得ましたと兵に命じました。アルベルト様がケダモノを床に放り投げ、それを兵士が二名、しっかりとその醜くブクブクと太った体を抑えつけました。
必死でもがき、私に罵詈雑言を浴びせてきましたが、敗者が勝者に向ける嘲りほど滑稽なものはありません。それで事態が好転どころか悪化することの方が多いというのに、思考に余裕のない方はこれだから嫌いなのです。
貧すれば鈍するとは、昔の賢者もよく言ったものです。
***
そして、現在に至るというわけです。
「アルベルト様、お手を煩わせてしまって申し訳ありませんでした。今少し穏便に事を済ませれるかと思ったのですが、相手が想像以上にお間抜けでしたので、こうなりまして・・・」
「はっはっはっ、よく言うよ、ヌイヴェル殿は。ディカブリオと共に兵を潜ませ、取り押さえようとしていたというのに。まあ、茶番にしては面白い見世物だったということにしておくよ。フェルディナンド兄様にもちゃんと伝えておく」
腕っぷしが強くて、話の分かる方は大好きです。アルベルト様はまさにそれの典型例と言ったところでしょうか。
アルベルト様はこの国でも一、二を争うほどの大貴族ジェノヴェーゼ公爵家の方で、現当主であられるフェルディナンド様の異母弟にあたります。先程の黒い手の力があるので、“裏仕事”に従事されており、表沙汰にできない案件を色々と処理なさっているのだそうです。
今回の件に首を突っ込んでくださったのは、私がディカブリオに兵を借りに邸宅に赴いた際、たまたまお会いしたのです。従弟のディカブリオとアルベルト様は大学時代の同窓生。余暇には一緒にお出かけになられるほど親密で、今回もたまたま酒を飲みに訪れていたという次第です。
もちろん、タダでというわけにはいきません。世の中、持ちつ持たれつ、金は天下の回り物、報酬あっての仕事ということです。伯爵家から搾り上げて、それをアルベルト様に半分融通するということで、話を付けています。
私は無様な敗者の前で少し屈み、その頭をしっかりと鷲掴みにしました。
「さてさて、この豚さんはどちらに出荷しましょうか。まあ、質は悪そうですから、潰して挽肉になるのが関の山でしょうが・・・。アルベルト様、どう処分なさるので?」
処分や財産の行方によってはもう少し頭を働かせねばならなかったが、それもこれもアルベルト様の言葉次第というわけです。
アルベルト様は少し困っているご様子で、腕を組んで唸っております。
「何と言うか、特に決まってないのですよ。国内の相続法に抵触していますし、相続人であるヌイヴェル殿への未遂とはいえ殺傷行為を働いています。なにより、ヌイヴェル殿は兄様のお気に入りですからな。まあ、兄様ならおそらくこう言うでしょう。『好きにしろ』と」
フェルディナンド様のことは私もよく存じ上げています。なにしろ、私の大切なお客様の一人なのですから、その性格もよく理解しているつもりです。アルベルト様の言う通り、今回の件を聞けば間違いなくそう答えるでしょう。伯爵家をすり潰して食べてしまい、ご自身の一部とするくらいのことは平気で考えてしまうはず。
でも、私はあえてそれに反するやり方でいこうと考えました。
「では、私からの提案なのですが、チロール伯爵家の財産は私が半分相続することになりますので、そちらは今回の手間賃ということでジェノヴェーゼ公爵家にお渡しします。我がイノテア家はチロール伯爵家の領地の“一時的”な管理権をいただきます。で、この豚さんは、ジルバデスラに三年ほど島流しにしましょう」
私はこう提案したのですが、どうやら内容が意外だったらしく、皆さん目を丸くして驚かれました。
「ヌイヴェル殿がそれで良いと言うのであればそのように取り計らいますが、それではイノテア家が得る物が少ないのでは?」
「大丈夫です。ちゃんと儲ける算段はついてますので。それより、ジルバデスラの件、くれぐれもよろしくお願いします」
ジルバデスラは国内にある鉱山都市で、周囲の山々からは様々な鉱物資源が採掘されています。特に銀鉱石の埋蔵量が多く、銀細工の工房も軒を連ねていて、私を飾り立てる装飾品もジルバデスラの工房からやって来た物もかなり多い。
そして、ジルバデスラの鉱山職人組合はジェノヴェーゼ公爵家の息がかかっており、公爵家の富の原泉とも言われているのを、私は知っています。
「さて、あなた、鉱山で働いたことは?」
私はあえて、この質問を這いずり回る豚さんに尋ねて見ることにした。どうせ答えは分かっていますが、言質を一応取っておく必要があるからです。
「あるわけないだろうが! 俺は貴族であって、ツルハシで岩を叩くなんてできるわけない!」
当然予想できた回答。これで次に繋げれる。
「では、三年間の島流しの間、現地での生活費は私が工面してあげましょう。もちろん、それほど大きな額は送りませんので、慎ましやかに暮らすことになりますが、今この場で挽肉になるよりかはマシでしょう」」
哀れな伯爵家当主様は泣きながら怯え、首を縦に振るしかありませんでした。自らが招いたバカな言動が、こうまで大事になったのは、自業自得というものです。
「最後に確認を。ジェノヴェーゼ公爵家が私が相続する予定でした半分を受け取ります。相続手続きにおきましては私が相続したことになりますが、それをそのまま右から左に流す格好となります。イノテア家はチロール伯爵家当主が刑期を終えるまで領地を管理する。あちらでの生活費は私が工面いたしますので、帰還後に返済ということで。刑期が終了して帰還した段階で増えた財産は、増えた分の半分はイノテア家のものとする。これでどうでしょう?」
確認のため、私は周囲の顔ぶれを見回しましたが、異論はないようで、皆無言で頷いてくれました。
「では、近日中に出荷できるよう、アルベルト様にはその手配をお願いいたします」
「引き受けた。ディカブリオ、兵を少し借りるぞ」
アルベルト様は哀れな豚さんの脇を兵士に固めさせ、引きずられるように部屋を出ていきました。さよなら、お馬鹿なケダモノ。山の中でしばらく反省してきなさい。
あのバカには侮蔑以外はなんの感情も抱きませんが、先代ハルト様には感じ入るところもありますので、伯爵家を完全に潰すようなことはできませんでした。まあ、このくらいでよしとしましょう。
「お屋敷の皆様、一人の漏れなく雇用は継続いたしますわ。つまり、主変われど今まで通り、というわけです。不自由をかけてしまうかもしれませんが、なにとぞよろしくお願いいたします。亡きハルト様が残された領地をしっかりと皆で守り抜きましょう」
私は軽く会釈して、謙虚な姿勢を見せつけた。さらに、ハルト様への想いを偲ばせ、皆の心に訴えかける。我ながら大した役者ぶりだと感心します。
どうやらそれが効いたのか、衛兵も給仕も素直に頭を下げてかえしてきました。まあ、あのドラ息子よりかはましだろうとの、現実的な判断かもしれませんが。
結局、待遇さえ問題なければ、上が誰になろうが構わないのでしょう。もちろんそれは私だって同じこと。高級娼婦として働くときは、どこの誰が来たとしても、部屋の中では楽しいひとときを過ごしていただけるよう、安らげる空間をご用意するのが務めですから。働きに見合う対価をいただければ、どなたでも歓迎いたします。
「姉上、よろしかったのですか? もっと搾り上げると思っていたのですが、随分と謙虚と言うか、無欲と言うか」
ディカブリオには謙虚な姿勢に映ったのかもしれません。でも、私はハルト様には恩義がありますが、ヨハンとかいうごく潰しには何の感情も抱いていません。もちろん、搾り取る算段はついた上でのあの言動なのですから。
私は手招きして、ディカブリオに耳打ちする。
「お忘れかしら? 私の力を。先程、あの豚野郎の頭をしっかり掴んでいたでしょう。あの時、必要な情報を引っ張り出せたので、計画を即座に修正したのです」
肌に触れあった相手から情報を引き出す私の魔術、これを知っているのは目の前の従弟だけ。この子は諸々の才覚としては平凡か少し優秀程度ですが、いくつか得難い資質を持っています。
一つは口が堅いこと。私的なことから職務上のことまで、とにかく余計なことは一切喋らないのがディカブリオ。“裏仕事”をされているアルベルト様が気兼ねなく付き合っていることからも、その硬さは確かなものです。
そして、約束事は絶対に違えないこと。状況が変わって自分が不利になるようなことであっても、絶対に契約や約束を曲げようとしない頑なさがあるのです。
これを備えているからこそ、私は安心して従弟を“共犯”にできるのです。
「先程、あの豚野郎から情報を引き出しましたが、とんでもない魔術の才能がありました。このままここで暮らしていると腐らせてしまうので、それを発現できる条件の場所へと移したのです」
「なるほど、そういうことでしたか。して、あやつにはどのような魔術の才が?」
「なんと《見逃さない山師》、つまり、普通の人なら見つけれない鉱脈を次々と見つけれる能力です。発現の条件は『鉱山地区に一年以上滞在すること』です」
街中で暮らしていては、絶対に発現しない魔術の才だ。こういう異才を持つ人間が今まで何人も発現せずに腐っていったのかと思うと、なんとも勿体ない気分なるが、見つけたからには有効活用したいというものだ。あの豚野郎には鉱山都市のさらなる発展のために頑張ってもらいましょう。
「ジルバデスラは公爵様の勢力が強い場所。さらに覚えをよくするには最良かと」
「でしょ? もちろん、直接的な収入も期待できる」
まず、チロール伯爵領の管理権。これには領内の徴税権も含まれるので、国王陛下や公爵様への上納分を差し引けば、残りはこちらの懐に入れてしまうことができる。豚野郎が能力に目覚め、鉱山開発に尽力すれば伯爵家の財力が増し、その半分を貰うことを先程の会話で約を取り付けてある。
つまり、能力が発現する前に死なれでもしない限りは、取り損なうことはないのだ。
「死なれたらこまるから、生活費はそれなりに送るわ。それに・・・」
「それに?」
「生活費が膨らんで、しかもそれに“高利”がかかってるなんてことになっていたらどうしましょう」
あくまで、どこまでも搾り取る。一度決めたらとことんやるのが、私の流儀であるし、祖母から教わった中途半端に物事を終わらせるなという教えでもある。
「やれやれ、やはり姉上は怖いお人ですな」
従弟のわざとらしい身震いに笑いが込みあがってきた。ああ、今日はなんて晴れやかな一日なのだろうか。久しぶりにいい稼ぎの仕事だった。
遺産相続の転がしなどと厄介事をこなしましたが、私はあくまで高級娼婦。魔女で、女吸血鬼で、神に救いを求めて天を目指す哀れな一本の宿木でございます。
さてさて、次のお客様はどちらの方になるでしょうか。