第十三話 女の価値は“掛け金”の多寡で決す
どうも皆さま、初めてお会いする方は初めまして。以前にお目にかかられた方は、お久しぶりです。ヌイヴェルでございます。
私は高級娼婦を生業としておりまして、いわゆる上流階級の皆様方に寄生して生きている女吸血鬼でございます。皮肉めいた自己紹介となりましたが、実際のところ、私は魔術を行使できる魔女なのでございます。
どのような魔術なのかと申しますと、触れ合った相手から情報を抜き取る《全てを見通す鑑定眼》という魔術でございまして、触れ合う肌や時間が長ければ長いほど抜き取れる情報も多くなってまいります。
しかも、相手からは抜き取られないという防諜まで備わっておりまして、《永続的隠匿》という情報遮断の魔術まで身に付けてしまいました。つまり、私は自身の手の届く範囲ではございますが、身近におられる方々から断りもなく気付かれることもなく情報を吸い上げてしまうのです。
魔女にして、吸血鬼。ああ、なんと罪深い存在なのでしょうか。神様、ああ、今日も罪深い私をお許しくださいませ。
さて、皆様、“保険”と聞きますと、どのようなことを頭に思い浮かべますでしょうか?
何かしら、いざというときに掛け金や積み立てをしておきますと、そうした問題事の発生時において、解決の一助となる方策だと考える方が多いかと思われます。
私は少々ひねくれておりますので、“保険”の一連の流れを“賭け事”と認識しております。要は指定の期間内に、物が壊れたり、人が亡くなったりする、それの可否を問うのでありますから。
壊れるのか、そのままなのか、死んでしまったのか、生きているのか、硬貨を上に放り投げて、裏が出るか表が出るかの判断。まさに賭け事そのもの、というのが私の考えでございます。
そして、賭け事である以上、規則を決める“胴元”の方が圧倒的有利ということもまた事実。なにしろ、儲かる手段があるからこそ、それが商売として成り立ち、それを取り仕切ろうとする方がいらっしゃるのですから。
私は現在、とある保険事業の運営委員会の理事を務める身でもあります。まあ、理事と申しましても、ただ委員会に出席いたしまして、話を聞くだけの簡単なお仕事であります。多少の情報のやり取りはございますが、保険に関する運用は他の方々に任せております。
そもそも、この保険は私の師でもある祖母が始めたことでございました。祖母はある出来事に目を付け、それに関する保険を売り出しましたところ、これが大反響でたちまち加入者が続出。事業が軌道に乗った段階で運用権を別の商会に売却し、現在、創業者とも言うべき我がイノテア家は理事の末席に名を連ねるだけの存在になっております。
祖母が始めた事業、その保険に関することを、今宵はお話しいたしましょう。
***
その日は件の保険に関して、運営委員会が開かれる日でございました。私も理事の一人として招かれており、会議の席に座しておりました。
とは申しましても、特に何かしら口を出すわけでもなく、会議室の華の役目を自認しておりますので、にこやかな笑みと用意した茶菓子を振舞うことに終始しております。
また、他の理事や役員の方も私に意見などは求めて来ず、会議の合間に多少の世間話をする程度でございます。
私としましても、運営に口を挟むよりも、大店の関係者とこうしたやり取りをして親密になる方が重要でありますので、これで十分なのでございます。
特に、上座に座っております、この保険の運営取締役というべき理事長との関係は最重要。この方と顔を合わせるという一事だけでも、この会議に出席する価値があろうというもの。
「フランヴェール様、お茶のお代わりはいかがでございましょうか?」
私はさりげなく上座の理事長に話しかけました。その方は四十半ばの知性と活力の双方を兼ね備えたみなぎる雰囲気を周囲に振りまき、忙しなく事案を処理なさっておいででした。
この御仁、名はフランヴェール=パリチィ様と申しまして、国内最大の商会でもありますパリチィ商会を経営いたしますパリチィ家の当主でございます。特に、銀行業での成功が大きく、教皇庁の金庫番の役目も請け負っておりまして、国内どころか周辺諸国の中でも一番の資産家でもあります。
この保険の運営も銀行業務の一部という側面がございます。
「おお、ヌイヴェル殿、いつもすまんね。理事の一員だというのに、給仕の真似事なんぞ、させてしまってな」
「いえいえ。ここの話は外部に漏れますと、面倒事になりかねない話もございます。会議が終わるまでは、役員の方以外の出入りを制限なさっているのは、防諜上の点から致し方ないこと。でしたらば、さして重要な役目でもないこの私めが、皆様の役に立てることと言えば、こうして飲み物や食べ物をご用意するだけでございますから」
そして、私は空いた杯に黒い液体を注ぎ入れます。
「ヌイヴェル殿が用意してくれたこの豆から抽出した飲み物、実によい。眼が冴えて、気力が湧いてくる感覚だ」
「豆茶と申します。ボロンゴ商会のアロフォート様より頂きまして、これがなかなかに良い品でしたので、是非皆様にもとお持ちいたしました」
「ボロンゴ商会からか。あそこは毎度、面白い食べ物や飲み物を見つけて来てくるな。だが、こうして飲んでみると、良い品であることはよく分かる。色合い的にはどうかと最初は思ったが、実際に飲んでみると、病みつきになるわ。ボロンゴ商会には注文しておかねばな!」
フランヴェール様の声に他の理事の方々も同意し、頷いて応じました。そして、私は空いた杯を見つけては注いでいき、話を振っては豆茶の宣伝をいたしました。
というのも、アロフォート様より新商品の豆茶の宣伝を頼まれておりまして、こうしてさり気なく勧めて、評判を上げているのでございます。
アロフォート様に限らず、私がこの会議に参加していると知っている方もおりますので、それを利用して私に新商品などの売り込みをさせる方もおります。私はそれを条件付きで引き受け、フランヴェール様を始めとする有力者の方々に、こうして目新しい食べ物や飲み物を勧め、宣伝を行っているわけです。
ちなみに、今回の豆茶におきましては、私もこれを大変気に入ってしまいましたので、定期的にイノテア家に納品することを条件に宣伝を引き受けたのでございます。
評判も上々でございますので、仕入れを強化した方がいいですよと、後でアロフォート様にお伝えしておきましょう。
「それにしましても、今期は想定以上に上がりがよいですね」
私は給仕の合間合間に、机の上に並んでおります書類に目をやり、それを読み取っておりましたが、口にした通り、思った以上の収益が上がっておりました。
「ああ。やはり、チェンニー伯の娘御が死んだのが大きいな。あそこの掛け金がかなりの額であった上に、全没収となったしな。他にも、チロール伯やカーナ伯の分家の方が、かなり急な縁談が持ち上がって大慌てしていたな。そちらは早期成立で半分だけ返納だ」
すいません。それら、全部、私がやりました。ああ、なんということでしょうか。回り回って、私のやったことがこのような形となって現れようとは!
祖母が始めた保険、それはズバリ!
“婚礼保険”
そう、娘が結婚する際に支払われる保険でございます。
婚礼とは基本的にはめでたいことでありますが、同時に悩みの種にもなるのです。花嫁衣裳、祝宴の料理や酒、新婚の道具を一式買い揃えたり、果ては“持参金”。我が国では花嫁側の家が娘の嫁ぎ先である花婿側の家に、“新郎新婦の当面の生活費”名目でまとまった金銭を支払うことになっております。
これらの出費がかなり重く、これを用意できないばかりに借金をしたり、娘の結婚を諦める家まで存在するほどです。
特に、新郎側の家格が高ければ高いほど“当面の生活費”も値上がりするわけですから、持参金の額も上がっていきます。
貴族、富豪にとっての悩める一大事が、婚礼なのです。
そこに目を付けましたのが、私の祖母でございます。祖母は一定の条件を満たした者を保険に加入させ、娘が結婚するに際して、掛け金に応じて配当金を渡す、という保険を売り出したのです。
これが世の悩める方々の心を(正確には財布を)掴みまして、次々と加入したいという申し出があり、一気に事業を拡大。さらにパリチィ家にも注目され、事業ごと買い取りたいと申し出があったのでございます。
祖母は条件付きでそれを受け入れ、現在はパリチィ銀行が主体となって、“婚礼保険”の運用を行っているというわけでございます。
では、この保険の概要や加入条件を申しますと、次の通りでございます。
・この保険に加入できるのは女児のみであり、加入のためには生後半年以内に手続きを終えなくてはならない。
・加入が認められた場合、加入側が自由に金額を提示し、それをパリチィ銀行の保険運用部門に支払う。
・生後半年以内であれば、掛け金の積み増しは可能である。
・加入者が十六歳を迎え、婚礼を執り行った際、配当金が受取人の下へ届けられる。
・配当金は“掛け金の六倍”が支払われる。
・加入者が婚礼前に亡くなった場合、掛け金は全額没収とする。
・加入者が十六歳以前に婚礼を行った場合、掛け金の半分は返納される。
これが“婚礼保険”のおおよその内容となりますが、まず加入希望者の目に留まりますのは、なんといいましても“掛け金の六倍”という文言。婚礼の出費を考えますと、これ以上にない魅力的な数字でございましょう。
女児が生まれますと、十数年後の婚礼の出費が確定いたしますので、それに備えて事前に財を供出しておけば、それが六倍になって返って来るのです。方々から加入の問い合わせが来るのは、まさにこの“六倍”というとてつもない倍率のためでございます。
しかし、この保険を考案しましたのは私の祖母。あの切れ者であります祖母が、こんな胴元が一方的に損をするような倍率を設定するわけがございません。ちゃんと、回収できるようになっております。
まずは何と言っても、加入者が婚礼前に死亡した場合、掛け金が全額没収されるということ。子供はちゃんと成長しきる前は、怪我や病気であっさり死んでしまうことが多いのでございます。特に乳飲み子の段階で天に召されることのなんと多いことでありましょうか。
そして、女児が死んでしまえば、掛け金が丸々の儲けとなります。
また、“十六歳以前の婚礼”は掛け金の半額返納というのも胴元有利な条件。というのも、我が国では早婚が多く、十代前半で嫁いでしまう場合がかなり見られます。つまり、十六歳以前に結婚してしまって、条件を満たせず、“早期婚礼祝い金”名目で掛け金の半分だけが戻って来るのでございます。
では、十六歳になるのを待てばと思われるかもしれませんが、そういうわけにはいきません。嫁ぎ先が家格の高い良縁であった場合、娘が嫁げばその身内となれるのでありますから、出費がかさんだとしても、高い爵位持ちの一門衆に加わりたいと思う者もいます。そして、それに対して待てと目上の方に言うわけにもいきませんし、色々と策を弄して時を稼いでいるうちに、相手方の気が変わって縁談そのものがなくなってしまうかもしれません。
そうしたわけで、早婚も多く、そうなれば胴元は掛け金の半分の儲けとなります。祖母が“十六歳”と設定しましたのは、まさにその配当金が入るか諦めるかのギリギリの線を突きました、実にいやらしい設定年齢というわけでございます。
つまり、先程述べました条件を見ますと、“六倍”という数字で加入者を募り、“生後半年以内”という文言で煽って加入を急がせ、死亡ないし早婚で利益を頂戴する、という集金装置の完成でございます。
抜け目のない悪辣な祖母が作り出した保険でございます。あの人の性格がにじみ出ているかのような、そんな保険でございます。
いやはや、祖母の現役時代のやり方を見せつけられ、私は改めて戦慄しておりますと、誰かが慌ただしく会議室の扉を叩いてまいりました。
この会議中は基本的に出入り禁止でございますが、余程のことが起こったのでありましょう。パリチィの銀行員が飛び込んで参りました。
「た、大変でございます。ルアン公爵の息女ルクロール様が結婚なさいました!」
「「「はぁぁぁぁ!?」」」
その場におります私以外の方々が大絶叫。それほどの出来事だったのでございます。
「いや、だって、ルクロール嬢は・・・、なあ?」
「あ、ああ。え、だって、ほら・・・」
「え、それって、本当の話?」
皆様、当惑なさっておいでです。まあ、無理もございません。成立しないはずの結婚が、成立してしまったのですから。
というのも、ルクロール嬢は「この世に生まれてよかったの?」と問いかけたくなります程の醜女。いくら公爵令嬢と言えど嫁の貰い手もなく、結婚を諦めて修道女となってしまった方です。そして、現在、四十手前の齢を重ねておいでです。
「銀行の窓口に来られまして、『還俗して結婚しました』と教会付き司祭様の婚姻証明書も持参しておりました。あと、相手の男性も御一緒に参ってます」
「どんな物好きがそんなことを・・・」
フランヴェール様を始め、その場の方々は頭を抱えてしまいました。下りる配当金はかなりの金額ですので、それで頭を痛めているのでございます。なにしろ、公爵家がこれでもかと掛けた保険金でございますから、その六倍の支払いが待っております。
この保険のもう一つの特徴は“終身保険”であること。加入が認められ、掛け金の支払いが終わりますと、生涯有効な保険なのでございます。十六歳を過ぎた後でならば、何歳で結婚しようがそれは有効。それこそ、年齢が四十だろうが、五十だろうが、“初婚”であれば配当金が下りてくるのです。
実を申しますと、この一件は私の仕込み。貧乏で生活の苦しい“美男子”を見つけてきまして、次のようなことを伝えたのです。
「修道院にルクロールという修道女がいます。その方は結婚がしたくてしたくてたまらなかったのですが、ついに良縁に恵まれず、神と結婚なさってしまいました。しかし、あなたほどの美男子でありますれば、神と添い遂げました方であろうとも、振り向いてしまうやもしれません。そして、その方は実はかなりの資産家。ただし醜女。さあ、どうするかはあなた次第」
まあ、多額の配当金が下りてきますれば、裕福な暮らしはできましょう。その後にどうなるかは知りませんが、少なくとも“今は”新郎新婦の利害は一致しておりましょう。
何より見たかったのは、今のこの会議の有様です。あまりに予想外の不意打ちに、全員が混乱の極みに達してございます。フランヴェール様のここまで困惑した表情を眺めますのは初めてでございます。いたずらを仕掛けた甲斐があったというもの。
ああ、理事としての守秘義務違反はしておりませんよ。なにしろ、貧乏な美男子に金持ちの醜女を紹介しただけで、保険云々の件は一言も話しておりませんので、悪しからず。
そして、追撃の一言。
「ああ、それと皆様、私、もうすぐ“本職”を退きまして、結婚することになりました」
「「「ええええええええ!?」」」
予想通りの大絶叫。まあ、当然でありましょう。なにしろ、私にも“この保険”が適応されているのでありますから。
「もちろん、冗談でございますよ。私が“本職”を手放すとでもお思いでしょうか?」
「ヌイヴェル殿、悪い冗談ですぞ。心臓が止まるところでした」
フランヴェール様が焦るのも当然。というのも、私に掛けられた保険は、下手をすると銀行の経営に支障が出かねないほどの配当金が下りる掛け金が仕込まれています。
祖母が保険事業をパリチィ家に売却する直前、書類を“改竄”して私に多額の保険がかかっていたように見せかけて、それを上手く伏せて譲渡したのでございます。
祖母が保険事業譲渡に際して、当時のパリチィ家当主に出した条件は多額の売却金に加え、抱えている案件をそのまま引き継ぐことだったのでございます。
こうして、存在しないはずの私の保険を潜り込ませたのでございます。
先代のパリチィ家当主はこれにまんまとやられまして、とんでもない負債を“実質的に”負わされたのでございます。書類の改竄も、バレなければいいのでございますよ、バレなければ。
もっとも、私は祖母と同じく娼婦の道を突き進み、十四歳で娼婦としての歩みを始めました。そのため、まだ使用されていない手札でございますが、それでもパリチィ銀行からすれば危険極まりない手札なのでございます。
そして、私はこれを利用し、保険の運営委員会の理事に転がり込んだのでございます。もちろん、経営に口を出すつもりはありませんし、役員報酬も不要。なぜなら、この会議室は情報の宝庫であり、そこらの書類から、役員の方々との“お肌の触れ合い”まで、値千金の情報を得る機会がございます。こんな美味しい立場を捨てれようはずがありません。
また、銀行側としても私を理事という肩書きを与えることで、名目だけとはいえ責任ある立場に座らせれます。そうすることにより、危険な手札を使用しないように促しているのでございます。
現状、利害は一致しておりますので、私はこの手札を使うつもりはございませんし、何より“本職”を辞めるつもりも“今は”ありませんので、ひとまずは温存ということでございます。
ああ、楽しい。楽しいですわよ、この場所は。情報収集に、お偉方の戦慄する姿をいたずら半分に拝めるこの空間。手放してなるものですか。
こんなご時世、こんな世界、女は自由に振舞うことすらままなりませぬ。ならば、開き直りなさい。女の価値は“掛け金”の多寡で決するのでございますよ。そして、私にはその黄金の加護が宿ってございます。
人々を惑わせる魔女の詐術、娼婦の話術、そして、女としての“金銭的価値”。それらを駆使して、今日も私は、変わらぬ日常を楽しむのです。変わらせぬ日常を闊歩するのでございます。
***
さて、これが祖母が始めた一風変わった保険事業の現在の状況と、私が置かれました面白い立場の話でございました。
お話をお聞きになられた皆様、何か契約なさる際には、注意して契約書や約款はしっかりとお読みになられてください。思わぬ落とし穴が仕掛けられているかもしれません。
契約を結ばせようとする輩は、紳士な態度で近付いて、落とし穴に蹴落とす輩のなんと多いことでありましょうか。
利益があるからこそ契約を結ばせようとするのです。契約者の利益ではなく、契約させる側の利益でございますよ。そこはお間違えなきよう。
まあ、ややこしい金銭のやり取りよりも、さらにややこしい人の感情や心理を読み解くのが私の本分であり、それを以てお客様にひと時の安らぎと楽しみを与えるのが、私という人物なのです。
気持ちよく相手を騙して差し上げますわ。十数年後の夢よりも、目先の悦楽をあなたに捧げます。
私は高級娼婦ヌイヴェル。魔女で、女吸血鬼で、神に救いを求めて天を目指す哀れな一本の宿木でございます。
さてさて、次のお客様はどちらの方になるでしょうか。
てか、現在の日本の金利を考えると、十六年で掛け金の六倍って、相当いい商材ですよね(笑)
皆さんなら掛けておきます?
あと、この世界線ではパッチィ家がメディチ家を抑えて、天下取ってる状態です。カエサルの件もそうですが、イタリア史を知っている方なら、ツッコミどころ満載ですな。
詳しくは“パッチィ家の陰謀”にて(笑)