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第十二話 無辜の怪物

 どうも皆さま、初めてお会いする方は初めまして。以前にお目にかかられた方は、お久しぶりです。ヌイヴェルでございます。

 私は高級娼婦を生業としておりまして、いわゆる上流階級の皆様方に寄生して生きている女吸血鬼でございます。皮肉めいた自己紹介となりましたが、実際のところ、私は魔術を行使できる魔女なのでございます。

 どのような魔術なのかと申しますと、触れ合った相手から情報を抜き取る《全てを見通す鑑定眼ヴァルタジオーネ・コンプレータ》という魔術でございまして、触れ合う肌や時間が長ければ長いほど抜き取れる情報も多くなってまいります。

 しかも、相手からは抜き取られないという防諜まで備わっておりまして、《永続的隠匿オクルタメント・ペレマメンテ》という情報遮断の魔術まで身に付けてしまいました。つまり、私は自身の手の届く範囲ではございますが、身近におられる方々から断りもなく気付かれることもなく情報を吸い上げてしまうのです。

 魔女にして、吸血鬼。ああ、なんと罪深い存在なのでしょうか。神様、ああ、今日も罪深い私をお許しくださいませ。

 さて、皆様、“吸血鬼ヴァンピーロ”とお聞きになりますと、どのような姿を想像するでしょうか? 私自身、先程自称しておりましたが、おそらく皆様の頭の中にあるその姿は様々なことでありましょう。

 人から血を吸うための尖った牙は共通でありましょうが、他はどうでしょうか。

 身にまとう衣装は黒でありましょうか、あるいは赤でありましょうか。

 空を飛び回っておりましょうか、あるいは地面を素早く走って参りましょうか。

 使い魔として狼を侍らせておりましょうか、あるいは蝙蝠でも舞わせておりましょうか。

 十字架を恐れておりましょうか、それとも大蒜にんにくを嫌っておりましょうか。

 日の光で焼かれましょうか、あるいは心臓に杭を打たれて動きを止めましょうか。

 人それぞれに吸血鬼ヴァンピーロの姿があることでございましょう。それほどまでに有名な怪物なのでございましょうから。

 そして、私は幸運なのか、あるいは不運なのか、“本物”の吸血鬼ヴァンピーロにお会いしたことがあるのです。

 今宵はそんな身の毛もよだつ怪物と、魔女との一幕をお話いたしましょう。



               ***



 数年前、その日はとある貴族の方に誘われて、従弟のディカブリオと共に狩猟に出かけておりました。馬に乗れる貴婦人というのも珍しく、華を添える意味もありまして、呼ばれたございます。

 私自身、弓を始めとする武器の取り扱いなどできませんので、眺めているだけでございましたが、鹿や狐、兎などを仕留めまして歓声が上がるたびに笑みを浮かべて拍手をし、“華”の役目を全うしておりました。

 そんな折、勢子が追い立てておりました猪が私の方へと突っ込んでまいりまして、それに驚いた馬が急に走り始めたのでございます。状況が状況でございましたので、私は必死に馬にしがみつき、どうにか落ち着かせようとしましたが、止まることなく馬は走り続け、どうにか落ち着かせた頃には周囲に誰もいなくなっていることに気付きました。

 はてさて、この年になって迷子とは、情けない限りでございます。勢子の不手際とはいえ、皆とはぐれるまで馬を御しきれなかったのは情けないことでございます。お馬さん遊びは得意だというのに、なんとも恥ずかしい限りでございます。

 などと考えて馬をゆっくり進ませておりますと、目の前にお屋敷が見えて参りました。森の中にこのような立派なお屋敷があるなど聞いたことはございませんが、道に迷ってしまったのでは致し方ありません。

 丁度、門番の方が門の左右に立ち、甲冑でその身を覆い、槍を天に向かって穂先を向けております姿も見えました。門に完全武装の兵士を置いておけるほどの、財あるお方のお屋敷だというのがすぐに分かりました。

 私はゆっくりと馬をそちらに進めますと、こちらに気付いたのでしょうか門番の二人が動き、槍をそれぞれ傾け、門の前で十字に交差させました。


「何者であるか!?」


「ここは許可なく立ち入れぬ場所。お立ち退きあれ!」


 さっさと帰れと言わんばかりの態度。まあ、いきなり森より魔女が現れましたらば、警戒の一つもするでございましょう。なにしろ、私の姿ときたら、容姿は白一色、服は少し派手めに仕立てた狩衣、女が狩りなどと不審に思われたのかもしれません。


「馬上より失礼いたします。私は付近の森にて、狩猟を行っていた者にございます。猪に馬が驚き、不意に駆け出してしまって、道に迷ってしまいました。皆のおる場所に戻らねばなりませぬゆえ、街道までの道をお教えください」


 私がそう答えますと、警戒を解かれましたのか、交差する槍が再び天に向かって突き立てられました。

 それと同時に門が開き、中から女給仕ドメスティカと思しき方が姿を現しました。この国では珍しい赤毛の方で、それを後ろで束ねておりました。大人に踏み入れ始めた少女といった雰囲気でございましょうか。大人の色気と少女のあどけなさが上手く調和された容姿にございます。


「ようこそ、迷える貴婦人よ。当屋敷の主が、あなたさまをお招きしたいと仰っておられます。もし、お時間がよろしければ、ご一緒にお茶でもいかがですか、と」


 愛らしい女給仕ドメスティカからの提案、正確にはこの館の主からのお誘いでございましたが、私は冷や汗をかいておりました。平静を装うのがやっとでございます。

 なにしろ、目の前に現れました女給仕ドメスティカからは、強烈な“死”を嗅ぎ取ったからでございます。臭いではなく、取り巻く死の気配が私の鼻を突き刺し、全身に言い知れぬ悪寒を走らせました。

 よくよく気配を探ると、門番からも似たような雰囲気を漂わせておりました。威圧されておりましたから、そちらの気配が強く、死の臭いに気づきませんでした。

 となると、この屋敷は幽界(かくりよ)に属する領域。踏み込めば生きて帰れる保証はございませぬ。あるいは、気付かぬうちに私は死んでいたのやもしれません。

 ならば、臆することもないかと覚悟を決めまして、馬より下りまして軽く一礼をいたしました。


「懐深き屋敷の主よりのお招き、謹んでお受けいたします」


 馬を門番に預けまして、私は女給仕(ドメスティカ)と共に中へと入りました。



                 ***



 屋敷の中は良く手入れが行き届いておりまして、廊下、壁、調度品や照明、いずれも綺麗に整っておりました。

 すれ違う屋敷の働き手は皆美しく、服装も案内の女給仕(ドメスティカ)と変わらぬ清潔な装い。この屋敷の主の行き届いた差配が知れようというものでございます。


「なにかございましてか?」


 案内の女給仕(ドメスティカ)が急に立ち止まり、私の方を振り向いて参りました。私の疑問符が浮かぶ顔を怪訝に思われたのかもしれません。


「いえいえ、この屋敷の美しさに見惚れていただけにございます。よく差配の行き届いた空間、屋敷の主の心配りが隅々まで行き渡ってございますわ。ただ、擦れ違う屋敷の者が皆、女性ばかりでございましたので」


「ああ、そういうことにございますか。お嬢様は男性が苦手でございまして、門番などの外向きの仕事を除けば、女手だけで屋敷を回しております」


 なるほど。そういうことでありましたか。しかもお嬢様。つまり、屋敷の主は女性ということですか。

 再び廊下を進みまして、扉の前で立ち止まりました。女給仕(ドメスティカ)が扉を叩きました。すると、中から声が返って参りました。


「誰かしら?」


「イローナでございます。お客様をお連れいたしました」


「入っていいわ」


 中からの声に応じ、イローナと呼ばれた女給仕(ドメスティカ)は扉を開け、恭しく一礼してから部屋の中へと入っていきました。

 私もまた一礼した後、部屋の中へと入っていきましたが、大きな椅子に座る屋敷の主は、なんと子供でごさいました。

 年の頃は十歳に届くかどうかというほどに幼く、それ故に座る椅子が大きく見えたのでございます。

 なにより目を引きますのは容姿。私と同じく、白い髪や肌、そして紅い瞳、まるで幼い頃の私を見ているようでございました。ただ、大きく違います点は他を圧倒する威厳。少女の身でありますが、既に王侯の風格すら漂わせてございました。

 姿は幼くとも、目の前の少女が間違いなく、ここの主だと分かりました。

 私は恭しく頭を下げ、声がかかるのを待ちました。


「ああ、そこまで畏まらなくていいわよ。あなたは久方ぶりに招き入れたお客人。ささ、席にお着きなさい、魔女さん」


 私は可愛らしさの中に含まれる威厳に満ちた声、しかも魔女というこちらの身の上を言い当てる。門番と少しやり取りしていただけで、いきなりのお招きも不審に思いましたが、屋敷の奥にいてすべてを把握していたということでございましょうか。

 そして、魔女。私の容姿を揶揄してそう呼ぶ者もおりますが、容姿は私と似ているのでそうした意図はないはず。つまり、こちらが魔女であることをすでに見抜いていたと判断しなくてはいけません。

 鋭い観察眼か、あるいは“読まれて”しまったか。


「後者の方よ。ささ、お気になさらず座りなさい」


 これも読まれた! なんということか。私には《永続的隠匿オクルタメント・ペレマメンテ》という魔術を行使し、情報を抜き取られるのを防ぐことができます。にも拘らず、目の前の少女はすんなり抜き取ってしまったということ。

 つまり、私など及びもしない魔術の使い手ということになります。

 ならば、大人しくしておくのが得策。私は汗を抑えるのに必死になりつつ、席に着きました。


「本日は突然の来訪にも拘らず、お招きいただき恐縮でございます」


「まあ、こういう辺鄙な場所にある屋敷だから、やって来る人も稀なのよね。あ、私はダキア=マティアス=バートル=ドン=ラーキアよ。長ったらしい名前だから、ダキアと呼んでくれていいわ」


「丁寧なご挨拶、痛み入ります。私はヌイヴェル=イノテア=デ=ファルスと申します。こうしてダキア様と面識を得ましたること、近来にない喜びにございます」


 さて、相手の名前をお聞きしましたが、驚きました。相手は“王族”であったからでございます。

 まず、爵位を持つ貴族の名前は、自分の名前、家名、尊称、爵位の名前の順で並びます。私の場合でございますと、まずは自分の名前であります“ヌイヴェル”、次に家名であります“イノテア”、尊称であります“デ”、爵位の名前であります“ファルス”となります。

 尊称は爵位の高さにより変化しまして、男爵および伯爵が“デ”、公爵が“ディ”、そして、公王や国王が“ドン”となります。つまり、目の前の少女が“ドン”を使われたということは、王様もしくはその子息ということになります。

 しかも、名前が五つ存在します。東の方ではよくあるのですが、王侯の御身内は自分の名前の後に、“父親”の名前を入れて、誰の子か分かりやすくしているのだと聞いたことがあります。

 つまり、目の前の少女は“ラーキア王たるマティアスの娘ダキア”というわけです。


「失礼ですが、ダキア様の御父君はかの有名な“剛竜公バートリードラクール”マティアス陛下でございますか?」


「へぇ・・・、父の事を“悪魔公ヴァーゴドラーク”ではなく、“剛竜公バートリードラクール”と呼ぶ方は久しぶりだわ。あなた、立場を“弁えて”いるようね」


 心臓が圧し潰されそうな重圧。目の前の少女が放たれるそれは私を無意識に締め付けてきましたが、そこは手慣れたもの。平気を装い、にこやかな笑みで応じます。

 しかし、マティアス陛下の娘御とは驚きの一言。なにしろ、かの御仁は百年近く前にお亡くなりになられております。その娘御が十そこそこの少女の姿をしているとは。やはり、予想通り、ここは幽世かくりよに踏み込んだ領域。目の前の少女も、先程の女給仕ドメスティカも門番も人ならざる者だということです。


悪魔公ヴァーゴドラークなどという呼び名は、かの御仁には相応しくございません。マティアス陛下は迫りくる異教徒から、民草を守るために知恵を絞り、奮戦なさっただけでございます。その雄姿はまさに猛る竜のごとし。剛竜公バートリードラクールの呼び名の方が、よりその御姿を現しておりましょう」


「ふむ・・・。まあ、合格としましょう。あなた、少しだけ寿命が延びたわね」


 なにやら物騒な台詞が聞こえてまいりました。確かに、“悪魔公ヴァーゴドラーク”の娘御でありましたらば、私の血肉で今宵の晩餐となったでありましょうが、どうやらそれをすり抜けたようでございます。

 よし、目の前の怪物はむやみに牙を突き立てるものではなく、気に入らない相手を始末する習性をお持ちのご様子。ならば、魔女の知恵と娼婦の話術にて、凌いでみせましょう。


「寿命が延びたなどと大げさでございますね。それでは私がこれから食べられてしまうかのようではありませんか?」


「その認識は間違ってないわ。あなたを食べるのか、あるいは単なる話し相手で終わるかは、私の機嫌次第。せいぜい、食べられないように、私の御機嫌をとることね」


 なるほど。やはりそういうことでございますか。さて、悪魔の娘たる怪物の少女の機嫌を損ねず、どう切り抜けるか、これは思案のしどころです。心の準備をといきたいところでありますが、残念ながらぶっつけ本番の命のやり取りでございます。

 しかも、命のやり取りと申しましても、こちらは少女の機嫌を損ねただけで人生終了。そして、私はあちらを倒す術を何一つ持ち合わせておりません。お話の通りならば、十字架、大蒜、聖水、この辺りが有効でありましょうが、生憎とどれも持ち合わせがございません。


「ああ、折角ですから、あなたに私の術の一つを教えておきましょうか。父の事をちゃんと剛竜公バートリードラクールと敬意を以て褒めてくれたお礼として。私の術は《強制的なフォルザトーラ自己紹介アウトイントロドゥチオーネ》というもの。私に招待された客人が私の領域に踏み込むと、本人の意思に関係なく自己紹介をしてしまうもの。飛び出た情報は私の頭に入ってきます。もっとも、自己紹介ということですので、表面的な情報しか出て参りませんが、それでも相手の名前や能力、おおよその経歴が最初から分かってしまうというのは、こうした駆け引きではかなり有効でしょう?」


 なるほど。そういう術でございましたか。確かに、少女の仰る通り、最初から相手の素性をある程度知っているのであれば、初対面で名前を言い当てるなどして、相手が怯む様を見て楽しむことができましょう。その後の会話の主導権を握るのも易くなるというもの。

 しかも、“自己紹介”というのが要。私の術である《永続的隠匿オクルタメント・ペレマメンテ》は相手から情報を“盗ませない”ための術。しかし、自己紹介という体を取れば、それは“私から盗んだ”のではなく“私が差し出した”ということ。見事に私の術をすり抜けたというわけでございます。

 これは今後気を付けねばなりません。似たような術を使える者がおりましたら、術を破られてしまうということでありますから。

 そして、その伏せておいた方が有効な手札をあっさり晒したということは、私の思惑通りに進んでいるということでもあります。


「ダキア様、わざわざそのようなことをお話になられたということは、何か私に聞いてほしいことでもおありなのではありませんか?」


「ええ、その通りよ。誰かに聞いてほしくて仕方がないわ。そして、聞いた後は誰も彼もが死んでしまう。正確には、私が聞き手を殺してしまう」


 話を聞かせた上で殺す。おそらくは、話を聞いた感想などが気に入らないから殺す、といったところでしょうか。

 ならば、しっかり聞き入り、相手の望む答えを見つけてみせましょう。


「ちなみに、今までどのような方をお召し上がりになりましたか?」


「それはもう色々なのを食べたわ。あなたのような迷子はもちろん、どこかで聞きつけてきたのか、腕自慢の騎士がやって来て、私を退治しようとしたけど、返り討ちにしてやったわ。ああ、旅の巡礼者なんてのもいたわ。私の招きに応じて屋敷に入ってみれば、そこは悪魔の巣窟。『悪魔め、悔い改めよ!』なんて言いながら十字架を掲げてきたのは傑作だったわ! 物凄く不味かったけど、お残しは好ましくないから、ちゃんと食べてあげたわ」


 なんとまあ、物騒なことで。これは気合いを入れねば、私もこの少女の胃袋に収まってしまうということですか。


「ならばお聞かせ願いましょう。あの世への良き土産話となるように」


「あなた、肝が据わってますわね」


 クスリと笑い、一呼吸を置いてから改めて口を開かれました。


「あなた、私の父マティアスをどういう人物だと思っている?」


「一言で言うなれば、“英雄”でございましょう。先程も申しましたが、かの御仁は小さな公国の主であり、その国を守るために知略を駆使し、そして強大なる異教の侵略者を退けました。これを英雄と言わず、何人を英雄と讃えれましょうか」


「でも、世間ではそうは思われていない。民草から強略し、気に入らぬ者を次々と処刑する残虐な統治者。死体をずらりと並べ、一つの残らず串刺しにして、街道という街道が不気味な柱によって飾り立てる悪魔の男。林立する血の滴りし死体の側で血肉を貪り食う無慈悲なる怪物。ゆえに、世間ではこう呼ばれている、ラーキア公王マティアスは悪魔公ヴァーゴドラークであると」


 吐き捨てるように、怒りを隠そうともせず、父の成したであろう悪行を口にする少女。怒りは震えとなり、握り締めた拳が今にも弾けそうなほどに揺れています。


「異教の侵略者は退けた。だが、父には悪名しか残らなかった。だから、公王の座を奪われ、幽閉の憂き目に遭い、母もまた同じく囚われの身になった。その身に赤子を宿したままに。そして、幽閉先の塔の中で私は生まれた」


「それはご苦労多き人生の始まりでございました」


「そんな生半可なものじゃないわ! 私も最初は普通の赤ん坊だった。囚われの身の上であっても、ごく普通の人間の子供だった! でも、いつしかこうなった。母の乳ではなく、人の生血を求めるようになった。徐々に体が変化していった。耳が尖り、生えてきた歯は鋭く突き出し、肌も髪も白くなり、目は血で染め上げられたかの如く深紅になった。吸血鬼ヴァンピーロ、おとぎ話の中だけの怪物が、人々の目の前に現れた。それが私」


 そう言うと、少女は壁に立てかけられた鏡を見ました。そして、私は驚きました。よく見ると、鏡には少女の姿が映し出されていませんでした。吸血鬼ヴァンピーロは鏡に映らないと聞いたことがありましたが、まさか本当であったとは驚きでございます。


「これは神の信徒たるあなた方が望んだ姿。悪魔の子は怪物だ。怪物ならば、人の血肉を喰らうであろう。人々がそうあれかしと“望んだ”結果が、私の今の姿なのよ。だから私はあなた方が望んだように怪物として振舞い、あなた方が望んだように人々を襲い、それを糧としてきた。これはあなた方の望み、願い、祈り。それがバケモノを産んだ!」


 少女はギラリと光る牙を見せつけ、こちらを威圧して参りました。なるほど、ここまで歪んでしまうのも当然でありましょう。いえ、むしろ歪んでいるのはこちら。この少女は誰よりも真っすぐであるがゆえに、歪んだこちらから覗き込むと、却って歪んで見えてしまうということなのでしょう。

 ならば、答えは一つ。こちらも真っすぐになり、全てを受け止めて差し上げましょう。


「ダキア様、『悪魔と魔女に対する指南書』という本をご存じでしょうか?」


「知らない。こんな辺鄙な所に本を売りに来る物好きはいないし、街に出かけて本を買うこともできやしないもの」


「そうでございますか。世に活版印刷が生み出されておよそ百年。それから今まで多くの書物が手書きから印刷術へと置き換わり、数多くの本が世に飛び出しました。そして、先程紹介いたしました『悪魔と魔女に対する指南書』、これはここ百年で最も多く世に送り出された書物。それこそ、聖書よりも作られた数が多い書物なのです」


 無論、私の書棚にもこの本が入っております。ちょっとした好奇心、知識欲のために仕入れた品でしたが、はっきり言って笑い話にすらならない醜悪な書物でございました。


「この本には悪魔がいかにして人々を堕落させるか、あるいは魔女に仕立てるかを記されております。その具体的な例とともに、いかに悪魔や魔女が悪辣な存在であるかを描き、そのための対処法まで書かれております。まあ、見るに堪えないバカバカしい内容ではありますが、その“悪魔”の具体例の一つとして書き記されているのが、他ならぬマティアス陛下なのです」


「ほら、やっぱりそうじゃない! 人々が父を悪魔に仕立てた! 猛る竜バートリードラクール悪魔ヴァーゴドラークへと追い落とされ、いつしか怪物にさせられた! そして、その子である私もまた、怪物として人々から蔑まれた! それこそ、人の想いが私を怪物に変えた証拠!」


「否定は致しません。人々の目を曇らせ、心を歪ませたのは、間違いなくその本でしょう」


 あんなものを無学者が見せられ、教会で司祭様などから薦められでもしたらば、疑いなくそれが真実だと思い込むことでありましょう。事実、三代前の教皇聖下が魔女狩りを辞めるまで、それが世間一般での常識だったのですから。


「マティアス陛下のことが書かれた箇所は殊更細かく書き記され、まるで実際に“見ていた”かのように具体的でした。そして、その箇所はある二人の人物の手記が元になっております。その二人の名はヤノーシュとコルヴィッツという名だそうです。お心当たりは?」


「忘れるわけがない・・・。ヤノーシュは父を幽閉した隣国の王。コルヴィッツは父から公王の位を奪った叔父の名だわ!」


 少女はいきり立ち、握った机の縁が砕けてしまうほどでした。吸血鬼ヴァンピーロはとんでもない怪力だと聞いておりましたが、少女の姿をしていてもその怪力をお持ちでしたか。


「マティアス陛下は紛れもなく英雄でございました。ですが、見る者の視点を変えますれば、それは邪魔者以外の何者でもありません。あの頃は異教徒の侵略が頻発し、皆が疲弊しておりました。しかし、そんな中にあって、マティアス陛下は小国でありながら異教徒の侵略者に大勝利を収め、皆を勇気づけました。しかし、裏を見ますれば、小国がこれほどの活躍を見せておるのに他の国々は何をしておるのか、と当時の教皇庁の方々は思われたのでしょう。マティアス陛下が勝てば勝つほど、周辺諸国は焦りを覚えていきました。勝ちに乗じて失地を回復せぬかと教皇庁から催促が引っ切り無しにやってくるのですから、それは冷や冷やしたでありましょう。大規模な遠征は疲弊した国々には、あまりにも負担が大きく、危険な賭けになるのですから」


「では、ヤノーシュが叔父を焚き付けて簒奪させたのは・・・」


「ええ。これ以上マティアス陛下に活躍させないため、遠征という危険な賭けに出ないため、やむを得ない措置だったのでございましょう」


 まあ、この辺りは私の私見も混じってはおりますが、史書を眺めていればおおよそ出てくる答え。何も知らぬ少女の身の上では、少々難しいかもしれませんが。


「ヤノーシュ王の視点で見れば、これは間違いなく“英断”。王自身も、自分の国を優先しなくてはならないのですから、遠征などはしたくないのでありましょう。だから自身と親密であったコルヴィッツ様に簒奪を促し、その手引きをした。マティアス陛下は味方と思っていた方々に裏切られ、捕らえられてしまった」


「じゃあ、父を悪魔に仕立てたのはなぜ!?」


「その時点ではマティアス陛下は武名を方々に轟かせた英雄。それを理由もなしに投獄するなど、方々から不審の目で見られてしまうことでしょう。ならば、理由を作ってしまえばいいのです。例えば、『マティアスは巧妙な罠を仕組んでいる。連戦連勝はお芝居で、意気揚々と我らが異教徒討伐に出かけたら、その背後を遮断し、異教徒と共に我らを挟み討つ計画を企てている』などといった感じに。それに真実味を持たせるため、マティアス陛下の苛烈な行動の数々を逆手に取ったのです」


 そう、マティアス陛下は文字通り、侵略者を倒滅するためにあらゆる手段を用いました。それこそ、悪魔の濡れ衣を着せられた大元なのですから。


「マティアス陛下は村々を焼き、家屋や畑をめちゃくちゃにしましたが、これは焦土戦術という立派な策。建物や畑の作物を奪われるくらいなら焼いてしまおうという考え。しかし、これは民衆から劫掠したと置き換わった。気に入らぬ輩を次々と殺したというもの誤り。なぜなら、侵略者に対して国内の指揮系統を統一せねばならず、裏切り者や内通者をことごとく消しておかねばならなかった。そうした事情を消し、殺したという点のみを喧伝し、殺戮者としての汚名を着せた。数多の人々を串刺しにしたといいましたが、串刺しにしたのは侵略者と裏切り者。串刺し刑自体は珍しくもありませんが、数が数ですからそれは肝か冷えたことでありましょう。食料は手に入らず、内通者も消され、さらに士気は下がる。苛烈な防衛策ではありますが、マティアス陛下は成し遂げられた。悪名と引き換えに」


「でも、その悪名こそが・・・」


「そう、悪魔に変わる苗床となりました」


 少女は泣きそうになっていました。無理もありません。このような屋敷に閉じ籠り、深く考察することなく、ただただ人間を嫌い、餌として補食してきたのでありましょうから。


「そんなのおかしい! 間違ってるわ! 父は国のために尽くしたのでしょう!? それなのに、怪物だなんだと・・・!」


「それがヤノーシュ王には必要だったからでしょう。現に、遠征計画は取り止めになり、無理な出兵で国が疲弊するのを回避できたのですから。ああ、ついでに申しておきますと、ヤノーシュ王は名君の代名詞的な存在になっておりますわよ。なんでも、身分を隠して国内を巡察し、悩める民衆をその知略で救い、国民全てから慕われ、皆に惜しまれながら天に召されました」


「父に濡れ衣を着せておいて、なにが名君よ!」


「先程も申しましたが、視点の問題です。ダキア様から見れば仇となれど、そこの国の民衆からすれば英雄となるのです。要は見方の問題です」


 残念ではありますが、これが現在の“事実”なのてございます。納得しがたいという顔をしておいでですが、これが理不尽極まる地上の習わしなのでございます。

 人の世界とは違う、幼きまま人外の領域を闊歩した目の前の少女には、決して納得できぬ事でありましょう。まして、父を貶めた者が英雄だと持て囃されているなど。

 いつもならば怒りに震える少女を抱きしめ、優しさで包み込んだ毒針を一刺し入れるところでありますが、今回に限ってはそれは不可能。私の術の正体をすでに看破されております。情報を盗めば、今溜め込んでいる怒りがすべてこちらに向きかねません。

 ならばこのまま行きましょう。


「さて、不快な歴史の授業はこれまでにして、本題に入りましょうか」


 本題という言葉に反応してか、少女は落ち着きを取り戻し、こちらを見据えて次なる言葉を聞き漏らすまいと真剣な面持ちになりました。感情任せに行動しても、少女の本質は真っすぐで真面目な性格。ならば、私も全身全霊を以てその姿勢に応えねばなりますまい。


「ダキア様、御母君のことは覚えてらっしゃいますか?」


「母は・・・、いつも怯えていた。いつ幽閉が解かれるのか、いつ国に帰れるのか、そればかりを考えていたわ。そして、私を恐れていた」


 母親としては当然でありましょう。なにしろ娘が化物になっていく様を、ずっと見続けているのですから、どれほどの苦悩が締め付けておりますのか、想像することすらできません。


「そして、ある日、私が怪物になり始めてから、初めて母に抱きかかえられた。力強く抱きしめられ、大粒の涙が私の顔に落ちてきて、そのまま塔から身を投げた。何がどうなったのかを私は理解できなかったけど、潰れた母を見て、私は初めて死というものに触れた。でも、死は私を拒絶した。怪我はしたけど、私は死ぬことはなかった」


「ダキア様は人々の歪んだ想いが生み出した怪物。怪物ならば、塔から落ちた程度では、死を迎えることなどありますまい」


 少女がこちらの言い様が気に入らなかったのか、こちらを睨んで参りました。嫌な記憶を口にしてしまい、挙句に怪物呼ばわりでは気分も害しましょう。


「そして、私は初めて人の血を啜った。心も体も、そのときに完全な吸血鬼ヴァンピーロになった。力を得た私はそのまま必死で逃げ出したわ。見つかれば殺されると感じたから」


「なるほど。それが始まりでありますか」


 悲しいことです。人々から蔑まれ、母の血肉を喰らい、本物の怪物に成り果ててしまったのでありますから。ああ、人間のなんと愚かしい限りの所業でありましょうか。何も知らぬ少女にこのような罪過を背負わせるなど、無知と偏見こそ悪魔を生み出す土壌ではありませんか!


「耐えられなかったのでありましょう。自分に降りかかる不幸に、そしてなにより、怪物へと変じていく娘の有り様に、耐えられなかったのでありましょう。それゆえに、自分と娘を殺すことを選んだ。それは大いなる罪。しかし、その罪過を背負い込もうとも、地獄の業火で焼かれることになろうとも、あるいは氷に閉ざされた底辺の世界に押し込まれようとも、娘を抱きしめて世に決別しようと塔より飛び降りた。炎から娘を守るため、凍えることがないようにと抱き締めたまま、死を迎え入れた」


「まるで見てきたかのように語るわね、魔女さん」


「まあ、私の推察に過ぎません。ですが、ダキア様、あなたの心の内には、確かなものが脈打ってはいないでしょうか? 御母君より受け継いだ血と魂、宿してはおりませぬか?」


 少女は急に俯いてしまいました。何かを感じたのか、あるいは思い出したのか。


「・・・私は必死で逃げて、気が付いたらどこかの森の中にいたわ。そして、イローナと出会った。イローナは数人の男達に嬲られていたわ。代わる代わる痛めつけられ、嬲られ、気が付けば虫の息。男達は下品な笑い声を上げながら、ズタボロのイローナを打ち捨ててどこかへ行ってしまった。私は怖くて何もできなかった。木の陰からそれを見ているだけしかできなかった」


「まあ、いくら力に目覚めたといっても、何をどう使うのかを理解していなければ、どうにもなりませんからね」


「そして、私は虫の息のイローナに近付いた。虚ろな目のまま、私に何かを訴えかけていた眼差し、ああ、私の役目はこうなのかと理解した。私はイローナの血を吸い、私というお城に住む最初の住人に、家族になった。それから彼女はずっと私の側にいる。人ならざる者として、私の従者として」


 そして、少女は顔を上げ、両の手を大きく広げた。


「この屋敷には大勢の見捨てられし者がいる。全員が理不尽な仕打ちを受けたり、あるいは望まざる状況に追い込まれたりして、世と決別する道を選んだ者達ばかり。私がそれらを引っ張り上げた。片っ端に手を差し伸べた」


「それでは増える一方でございますね。ご苦労も多いでしょうに」


「目に付いたんだから仕方ないでしょう! 私は誰も見捨てたりなんかしない! 世界があの者達を見捨てたから、私が代わりに拾い上げたのよ!」


 怒り混じりとはいえ、最初の威厳が戻って参りました。ああ、ようやく目の前の少女の本質が見えて参りました。情報を抜き取らず、自力で探り当てるのに随分苦労しましたが、やはり魔術なしでもどうにかできるよう、私もさらなる研鑽が必要なようでございます。

 そして、私は頭を垂れ、深々と礼をして敬意を示しました。


「な、何よ、急に」


「感服いたしました」


「はい?」


「ダキア様のこれまでの言動、心より感服いたしました。このヌイヴェルめも、見習いたく存じます」


 困惑しているご様子。なぜ、自分が賞賛されているのかが、理解できていないようです。ああ、ようやく心の隙間が見えて参りました。ここに付け入らせていただきます。


「ダキア様、あなたはご自身を化物だなんだと卑下なさっておいでですが、それは違います。その怪物としての姿こそ、あなたの誇り、あなたの強さ、あなたの本質。そして、ダキア様の本質とは、ずばり“優しさ”と“愛情”でございます」


「・・・馬鹿じゃないの? 魔女さん、頭大丈夫? 私は悪魔! 私は怪物! 人の想いという呪いを一身に受け、この世に落とされた忌むべき存在。それがなに? 優しさ? 愛情? 何を根拠にそんなことが言えるの?」


 怒りと困惑が半々で、私に食って掛かって参りました。牙を隠していただければとても可愛らしいのですが、まずは落ち着かせましょうか。


「ダキア様は言いました。目に付いた片端から手を差し伸べたと。神から、世界から見捨てられた者を次々と拾い上げたと。あなたは捨てられし者、人ならざる者、その全てを救い上げようとしている。その信念、その優しさ、神と世界に背を向けようとも、それを成し遂げようとなされている。それがあるからこそ、あなたは怪物のままでいられるのです。気高くも、神に、世界に、反逆する道を選ばれた」


「物は言い様ね。そんな大層なものじゃないわよ。日陰者が日陰者としても暮らせる場所を作っているだけ。神が捨てたから拾っただけ」


「それでも、この館に住まう者にとっては、安住の地を与えてくれた立派な主君なのです」


 私はジッと少女の目を見つめました。吸血鬼の目を見続けると心を囚われ隷属するなどと言われておりますが、そんなことはありませんでした。あるいは、術を抑えてくれたのかもしれませんが、目の前の少女の瞳はとても澄んでいました。


「先程の女給仕ドメスティカ、イローナと申しましたか。彼女の所作を見ていればわかります。一つ一つの動作がとても丁寧で洗練されており、王侯にお仕えする者として恥ずかしくない態度を心掛けておりました。それは主たるダキア様への忠義があればこそです。下手な振る舞いをして、来客になじられては、主の方へも泥を塗ることになるからです。無論、門番を始めとする、他の方々も同様。皆が、ダキア様を慕い、愛しているからに他なりません」


「そうね。みんな、よくやってくれていると思うわ。私みたいな怪物に、童の姿の主に、尽くしてくれていると思う。でも、それは愛だとか、優しさとかじゃない。神への当てつけの結果でしかない」


「それでも、救われた者がいるのです。朽ち果てるだけの者、彷徨うしかない者、全てをひっくるめて、ダキア様は手を差し伸べた。あなた様は誰よりも真面目で、誰よりも優れた愛情を持っておられます。なぜこのような方を怪物だなんだと罵れましょうか!」


 上に立つ者は皆の規範とならねばなりません。そして、目の前の少女は小さな体に似合わず、それを成そうとしておられる。王とは何か、主君とは何か、それを成さんと、常に考えて行動されている。

 それが分かっているからこそ、この館の者も敬愛を以て、主君に接しているのでしょう。

 主君は家臣を愛し、家臣は主君を愛す。主君は家臣の手本となるために努力し、家臣はそんな主君に恥をかかせまいと努力する。これほど理想的な主従はそうないでしょう。


「ダキア様、あなたは愛に飢えておられる。それは仕方のないこと。生まれたときから囚われの身で、外に出たらば石を投げつけられる迫害の身。それは愛情なき荒野を彷徨ったことでありましょう。ですが、そんな冷たく乾いた大地にあって一点、母より受けた温もりだけは覚えていた。違いますか?」


「母は私を殺そうとした」


「いいえ。あなたに罪過を負わせぬため、あえて死を選んだのです。地獄に落とされようとも、あなたを抱きしめて耐え抜こうとしたのです。それを心のどこかで理解してきたからこそ、あなたは他人に対して知らぬはずの愛情を注げるのでありましょう。なぜなら、あなたの受けた母からの愛情は、紛れもない本物の愛情だったのですから」


 少女の瞳が揺らぎ始めました。間違いなく動揺しているご様子。怪物だ化物だと罵る輩ばかりのこの世界で、愛の溢れる主君という評価は初めてなのでございましょう。

 さて、もう一押しと言ったところでしょうか。


「ねえ、魔女さん私は何人もの人間を殺して喰らったと言ったわよ。それでも怪物だとは思わないの?」


「温いですわね。そんな話など、私の生きている世界では、日常茶飯事なお話です。そう、貴族の住まう上流階級の社交界ではね」


 私は知っている。笑顔を崩さず人を殺せる人物を。

 私は知っている。親兄弟を殺しても平然としていられる人物を。

 私は知っている。財貨を巡って屋敷に火をかけれる人物を。

 私は知っている。女欲しさに夫を殺して妻を奪っていく人物を。

 私は知っている。幾千もの命を奪う戦争という災禍を。

 

「ダキア様程度で怪物なのでしたら、私の周りの方々は“私も含めて”全員が怪物ですわ。なにしろ、皆が皆、醜悪極まる世界の住人にございますれば。ああ、ですから、お気になさることはありません。私が豚や牛を食べるように、ダキア様の口に合う物がたまたま“人”であっただけの話です」


「魔女さん、あなた、本当に変わっているわね」


「はい。なにしろ、魔女ですから」


 そう言うと、途端に少女は笑いだされてしまいました。床に届かぬ足を前へ後ろへ揺らし、何度も何度も拍手をしました。


「私の負けです。こういう時は、先に笑ってしまった方が負けですわね。魔女さん、あなたは食べないでおきましょう」


「そうですか。それは助かりました。従弟にどうやって遺書を届けようかと悩まずに済みました」


 私も釣られて笑ってしまい、部屋の中には二人の笑い声が響きました。


「魔女さん、最後に一つお尋ねしてもよいですか?」


「なんなりとお尋ねください」


「私の本質は“優しさ”と“愛情”だと言いましたが、それはあなたがそうだからでは?」


「はてさて、そう考えたことは一度もございません。私は私の守りたいものを守れるだけの、知恵と力が欲しいだけ。それのためなら何でもする、そういう業突張りな魔女なのです。ああ、本職はあくまで娼婦ですので、その点はしっかりと言っておきます」


 そう、私はあくまで娼婦。魔女というのも、そうした方が都合がいい場面があるからそう名乗っているだけ。本分はどこまでも娼婦なのです。


「あら、そうでしたか。私が男でしたら、一夜の逢瀬を依頼しましたのに」


「別に女性でも構いませんよ。私の所に来られる方は変わった方が多くて、中には女性の客もおりますよ。女同士の逢瀬もまた、神の思し召しなのでしょう」


「そう。その点だけは神に感謝いたしましょうか。気が向いたら、指名させていただくわ」


「お買い上げをお待ちしております。店に赴けない場合は、出向巡業も行っておりますので、当店をどうか御贔屓にお願い申し上げます」


 私は椅子から立ち上がり、再び頭を下げて敬意を示しました。

 少女は手元にあった呼び鈴を手に取り、チリンチリンと鳴らしますと、先程退出したイローナが部屋にやって参りました。


「お呼びでございましょうか、お嬢様」


「お客様がお帰りよ。送って差し上げなさい」


「かしこまりました。お客様、帰り道のご案内を務めさせていただきます」


 イローナの先導を受け、私は部屋を出ようとしますが、扉の所で再び振り返って、もう一度少女を見つめました。


「ダキア様、最後に一言を。あなたの御父君は悪魔と罵られておりますが、その本質は真面目で実直な統治者。そして、その気高き竜の魂はあなたの中にも受け継がれております。マティアス陛下、ダキア様、御二方のその真っすぐな信念と優しき志によって救われた者がいるのです。太陽かみさまに背を向けようとも、それを成した愛深き父、母、娘に幸あれ。そして、ダキア様が陽光の下に出て歩かれます日が来ましたらば、太陽かみさまに祈る日が来ましたらば、私もまたその隣で同じく神に懺悔をしたいと思っております。同じ咎人同士、肩を並べてお祈りできる日が来ることを、私は心待ちにしております」


 最後にもう一度礼をして、私は部屋を出ました。

 そして、扉が閉まるその瞬間、私の目にはあるものが写りました。大粒の涙を流す心優しい少女の姿をした王の顔が。



               ***



 その後、私は屋敷の門を出て、乗ってきた馬に跨り、門番に最敬礼を受けながら、屋敷を後にしました。イローナが馬の轡を握り、ゆっくりを進んでいきますと、どういうわけかあれほど探しても見つからなかった道が、あっさりと見えて参りました。


「ああ、この道は見覚えがあるわ。ここからなら大丈夫。イローナさん、ここまででいいわ」


「左様でございますか。私がお嬢様にお仕えしてから、お客様を招くことはありましても、お見送りするのは初めてでございます。闇夜を闊歩するお嬢様に光を差し入れて下さいまして、感謝の言葉もございません。差し出がましくはございますが、またお会いしとうございます」


「ええ、そうですわね。今度お招きに与るときは、何かお嬢様への献上品をご用意いたしますわ」


 互いに会釈して名残惜しくも別れを告げました。


「ああ、そうそう。ダキア様に一つ、言伝をお願いできますか?」


「はい。お伝えいたします」


 主への伝言を聞き逃すまいと、イローナの耳は私の言葉に集中いたします。そして、私は一呼吸の後、口を開きました。


「涙を流す怪物などはおりません。ダキア様、あなたの心は間違いなく“人間”です、と」


 スーッと風が吹き抜け、気が付くとイローナの姿が消え去っていました。

 私も振り返ることなく馬を進ませ、程なく狩りに来ていた方々と合流することができました。

 この不思議な体験は誰にも話してはいません。ただ、気になることがあって、あの屋敷については知らべてみました。

 するとどうしたことでしょう。あの屋敷は百年近く前から廃屋になっており、なんでも病弱な貴族のお嬢様が静養のために住まわれており、それが亡くなると打ち捨てられたそうにございます。

 では、私が話したあの少女は、あの屋敷に方々は、一体なんであったのか、今となっては謎のままでございます。あるいは、あの方々がどこか別の場所に引っ越されてしまっただけかもしれませんが。

 ともあれ、私と吸血鬼の話はこれにておしまいにございます。太陽かみさまに背を向け、闇の中にて暮らす者達のお話しでございましたが、闇の中にもまた世界が存在することを私は知ることができました。明るいところだけが世界ではない。その明るさに耐え切れず、闇に呑まれた者を、あるいは蹴落とされた者を、あの少女は今日も手を差し伸べているのかもしれません。

 しかし、私は明るい世界が好みです。あの世界にはたまたま迷い込んだだけで、この清々しい太陽が降り注ぐ世界こそ、私が求める居場所なのですから。

 たまたま闇に魅入られ、お招きに与りましたが、私が目指しますのは天。太陽が輝きます天上の世界でございます。闇を振り払うため、今日も上へと延びていきます。

 私は高級娼婦ヌイヴェル。魔女で、女吸血鬼で、神に救いを求めて天を目指す哀れな一本の宿木やどりぎでございます。

 さてさて、次のお客様はどちらの方になるでしょうか。

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― 新着の感想 ―
[一言] 仮にヴラド・ツェペシュに娘がいたなら、こんな物語もあったのかもしれないなと思いました。 とても楽しく読ませて頂きました。次回もよろしくお願いします。
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