魔女娼婦ヌイヴェルの日常 序 (イラスト有)
どうも皆様、お初にお目にかかります。私の名はヌイヴェルと申します。親しい者達はヴェルと呼んでおります。
ヌイヴェル=イノテア=デ=ファルスなどという御大層な名前もございます。爵位持ちかと思われる名前ではございますが、実際のところは持っておりません。ただの自称。なんとなく、高級感が出そうだからと、“店”ではそう名乗っているだけでございます。
実際に爵位を持っておりますのは従弟でございます。それほど大きくないとはいえ、しっかりとした領地を持っている男爵様。といっても、二代前から男爵を名乗った歴史の浅い家ではございますが。
イノテア家の女には爵位を手にする前から、代々の家業としている職業がございます。それが娼婦。夜な夜な見も知らぬ男に抱かれて、腰を振ってウッフンアッハンなどというのが仕事と思うかもしれませんが、半分ハズレでございますわね、それでは。
それはあくまで程度の低い下級の娼婦の話。安い賃金で誰とも知らぬ男に抱かれ、その日その日をどうにか暮らしている女達。他に仕事がなくてやり始めたのか、あるいは借金などでやむなく働いている女もおります。どちらにせよ、それまでの人生でろくな目に合っていない哀れな連中。
でも、私は違います。私はいわゆる高級娼婦。一晩一緒に過ごすだけで、庶民の一か月分の稼ぎが必要なくらいの高値が付いております。もちろん、もっと高い値が付いている人もおりますが、私は今の値段で十分満足できる稼ぎを得ております。
高級娼婦は誰でもなれるというものではありません。美しいという大前提はございますが、なによりも重要なのは“教養”。これがなくては話になりませぬ。なにしろ、お相手するのは、貴族や大店の主、大学の教授や大地主といった裕福な方々ばかり。たまに背伸びしてくる庶民と思しき客を取ることもございますが、基本的には世間一般で言うそれ相応の地位や身分をお持ちの方々がお客様になります。
そんな方々が求めるのは楽しいひとときを過ごすことで、それは“腰”よりも“口”が重要なのでございます。自分の趣味や好みについて話せる女性、そういうのを求めてこられます。絵画や彫刻などの芸術品の話を好む人もいれば、書籍を読み漁ってそれについて談義したがる人もおります。あるいは、提供した葡萄酒や料理について話題を膨らませようとする人もいれば、機密に抵触しない程度の政治の話をする人もお相手することもございます。単なる愚痴をこぼしたいだけの人もいますが、とにかく話を聞いてそれを返すのが仕事と言ってもいいでしょう。
なにしろ、普段そういう話をするのは同じく男性ばかり。女性の仕事は出産や育児、家庭内の切り盛りであって、教養のある女性というのはかなり珍しいものでございます。それでいて美人となると、話も弾むし、楽しいひとときを過ごせるというものです。
もちろん、寝台の上での技術も必要不可欠。いくら話がうまくても、肝心の“寝技”がヘタクソでは萎えるというもの。再び客として現れる可能性はグッと低くなります。
結局、腰も口も達者な頭のいい美女だけが高級娼婦として存続を許される、というわけでございます。
幸いなことに、イノテア家の女性は私も含めて代々美人揃い。特に、二代前、つまり私の祖母は絶世の美女であったらしく、聞いた話では当時のこの国の王子様と浮名を流したこともあったのだとか。何代か前の法皇聖下とも昵懇であったとも聞いております。
私の記憶の中にある祖母はすでに年老いていて絶世の美女と呼ばれていたころの姿を見たことはございませんが、老いた顔からでも応年を偲ばせる整った顔立ちであったことは覚えています。
祖母は非常にやり手で、高級娼婦として稼ぐ一方、様々な事業に投資したり、あるいは築き上げた人脈を駆使して旨い話に乗っかったりと、とにかくあの手この手で成り上がっていきました。それまではそれなりに裕福程度のイノテア家を、『デ=ファルス』の男爵号を手にするまでに育て上げた一族の英雄、それが祖母でございます。
私の養育は祖母が行い、とても厳しいものでございました。朝から晩までひたすら勉強。机に噛り付くとはまさにこのことかと、机と椅子と本の山が当時の私の友達でございました。
厳しい祖母の教育ではございましたが、それでも逃げようとは一度も考えませんでした。なぜなら、祖母が築き上げた財宝の山を見せてもらったことがあったからです。
「身に付けるものを身に付けさえすれば、そのうちこれくらいはどうとでもなる。男の食い物になる女にはなっちゃダメ。男を食い物にする女になりなさい。あなたにはそれができる才能があるわ」
それが祖母の言葉であり、私はそれを信じることにいたしました。
結果的には、信じてよかった思っております。自分の稼ぎだけでも裕福に暮らせますし、引退後の生活のための貯えも十分。なにしろ、私も三十代も半ばに差し掛かろうとする年齢で、華の寿命も尽きるのも時間の問題。娼婦を始めてから二十年、そろそろ潮時かもしれません。
でも、私のところには客が来られます。ならば、まだ続けられる。そうだ、客が来なくなるまで続けよう。いつになるかは分かりませんが、その日が来るまで私は娼婦でございます。
なにより、私は普通の娼婦とは違います。いえ、高級娼婦とも違います。口の悪い連中は私のことを“魔女娼婦”と呼んでいます。その理由は二つございます。
一つは特殊な容姿。私の姿は真っ白なのでございます。癖のない真っすぐな髪は、老いてもいないのに小さなころから真っ白。それだけではございません。顔も真っ白。首も真っ白。肩も真っ白。腕も真っ白。乳房も真っ白。腹も真っ白。腰も真っ白。股座の毛も真っ白。足も真っ白。何もかもが真っ白。
眼だけが紅玉をはめ込んだような透き通った赤ではございますが、他はすべて真っ白。この容姿を気味悪がる人も多く、前に悪魔の手先だなんだと言われ、危うく殺されかけたこともございました。魔女狩りなんて昔の風習持ち出されても困ってしまいます。
そして、二つ目の理由は、私が本当に“魔女”だからでございます。
魔女は一昔前ならば、火炙りが通例でございました。しかし、祖母が現役引退して少し後、教会が急に方向転換。魔術を行使しても咎められることはなくなりました。
そもそも、この世界では誰しもが魔術という名の異才を有し、使うことができるのです。それに気付いた御方が教会の一番偉い人、つまり法皇聖下にまで上り詰められました。そして、教会内部を大改革。晴れて魔女や魔術師は咎人ではなくなりました。
でも、今まで続けていたことをいきなりぐるりと変えてしまうのは難しく、今でも魔女を嫌う人がまだまだいるのが現状ではありますが、魔女裁判と火炙りが大っぴらになくなっただけでも進歩と言えば進歩にございましょう。
そもそも魔術というのも誤解があるようで、何かの呪文を唱えれば何かが起こるというものではございません。息をするかのように自然に力が出てしまうものもあれば、意識を集中させて発現するものまで、使い方はかなり開きがございます。
しかも、誰しもが魔術を行使できると言っても、条件付けというものがございます。簡単に言いますと、人は生まれながら魔術という異色の才能を持っておりますが、それを発動するための条件が分からないのでございます。
例えば、『火を操る魔術』を使える才能があり、才能を開花させるには『顔に火傷を負うこと』としましょう。これだと、顔に火傷を負うと、火を操れるようなるというもの。火傷がなければ、火を操る術の才能は眠ったまま、ということでございます。
そして、自分はどんな魔術の才があり、どんな条件で才能が目覚めるのか分かりません。これがくせものなのです。そのため、ある日突然魔術に目覚めたというのが大半で、条件が分からず狙ってやろうと様々な奇行に走るなどということも見受けられます。
ちなみに、私は幸運なことに、発現条件が優しかった上に、2つも術が身に付けることができました。ごく稀に複数の才能を持っている人がいると聞いたことがありましたが、まさか自分がそれに該当するとは考えてもいなかったので、その幸運に喜んびました。
ちなみに、私が得た魔術の才能は《全てを見通す鑑定眼》と《永続的隠匿》というもの。前者は肌と肌が触れた相手を調べて情報を抜き取る術で、後者は相手が鑑定の能力を持っていても情報を見ることが出来なくなるもの。つまり、私は情報という範囲においては、最強の矛と盾を持ってしまったというわけでございます。
そして、才能を開花するための条件は、ズバリ『処女を失うこと』。初めて男の人に抱かれたとき、術が発動いたしました。いきなり相手の情報が頭の中に流れ込み、破瓜の痛みと相まって、混乱して暴れてしまいました。
便利な術を覚えたと私は喜び、誰にも知られずに訓練を繰り返しました。そして、今では単純な情報なら握手程度の軽い接触で見れるようになり、さらに深堀りするなら抱擁や接吻、果ては“濃密な肌の触れ合い”と、接触する濃さで情報の深さが変わってくることに気付きました。
そして、私は高級娼婦という最高の条件が揃った職業についています。なにしろ、やって来るお客さんは上流階級の方々ばかり。抜き取られたら困るような情報をお持ちの方々ばかりです。でも、私はそれを出汁にして相手を脅すことを固く戒めております。
なぜなら、私は高級娼婦でございますから。ひとときの楽しみを求めて私のところへ通ってくださる大切なお客様なのですから、それを利用して脅すなどもってのほか。高級娼婦としての矜持に反するというものです。
お客様に楽しいひとときを過ごしていただくのが、私の何よりの楽しみなのですから。あとはほんの少しばかり、その時間に見合う“対価”をいただければ、私はそれで満足なのです。
さてさて、今日も仕事の時間となりました。今夜はどこのどちら様がお越しなのでしょうか。
巻頭挿絵は、覚醒おやじMさんよりいただきました。
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