―Rondo―
「あああああああああああ!!」
「ハハハハハハハハハハハ!!」
真円を描く蒼白き月の下。二つの影が錯綜し、交錯する。その速度は烈風。人智の及ばぬ領域で鬩ぎ合い、ぶつかり合い、火花を散らす。喩えるなら月夜の舞踏会。ただし踊るのは優しく可憐なワルツなどではなく、激しく苛烈なロンド。一歩でもステップを踏み違えば、即死に繋がる悪夢の舞踏会だ。
互いに徒手空拳。素手で殴り合うだけの野蛮にして原始的な喧嘩。だが両者共にヴァンパイアであるその攻撃は、散弾銃の炸裂と何が違おう。ただの人間では一撃すらも耐え切れまい。
「ぐっ!?」
何度目か、弾き飛ばされて金網フェンスに背中を打ち付ける。
それは実力で劣る僕とて似たようなもの。同じヴァンパイアとはいえ、体内のザルーヴァ量から戦闘経験に至るまで全てがシェイドに負けている。こちとら今までまともに殴り合いすらした事がないのだ。何をやってもあっさりいなされ、その悉くを凌駕される。
だから動く。動き続ける。足りない質は量と思考でカバーするしかない。回避を最優先。間に合わないようなら全力で防御し、可能ならば後ろに飛んで衝撃を和らげる。それでも威力は殺しきれずガードした腕どころか背骨まで突き抜ける。足は既に極限まで酷使され、悲鳴を上げている。否、悲鳴を上げているのは足だけじゃない。全身くまなくボロボロだ。視界は真っ赤に染まり、シェイドしか見えない。思考は反して白濁。胸は焼き鏝を押し当てられたように熱い。ザルーヴァによる回復は全く追い付いていない。もういつ動けなくなっても不思議じゃない。
このままではやられるのが先か、自滅が先か。だが止まれない。止まった時点でチェックメイト。5秒後の死、10秒後の自滅を振り切って20秒後の生存を信じ抜く。そうして優に30分。……否、実際の所はまだ5分かもしれないし、もう2時間くらい経っているのかもしれない。時間の経過など既に曖昧。と言うよりどうでもいい。僕にとってこの戦いは、シェイドと『渡り合う事』が目的じゃない。シェイドを『倒す事』が目的なのだ。
「フッ、なかなか気を張るではないか。その脆弱なザルーヴァでよくぞここまで付いて来られたものだ。褒めてやってもよいぞ」
そう、僕がここまでやれているのはシェイドが僕を侮っているからに他ならない。ヤツが全力で僕を殺しに来れば、それこそ瞬く間に事を成すだろう。ヤツにとってこの戦いはほんの戯れに過ぎないのだから。僕が付け入るべきはその慢心。シェイドに本気を出させてはいけないのだ。故にこの戦いに於ける僕の絶対命題は『シェイドが本気を出す前に倒す事』。……その矛盾。幾らシェイドだって追い詰められれば本気を出すだろう。こちらにはヤツを瞬殺出来るような技能も力も手段もない。実際シェイドには未だに傷どころか有効打の一つも入れていない。……くそ、せめて何か武器でもあれば……。こうなったら―――!
「あああああああっ!!」
僕は咄嗟に掴んだ金網フェンスの一枚を力任せに引き剥がし、全力でシェイドに投げつけた。人間では成し得ない、ヴァンパイアならではの力技だ。畳一枚程もあるフェンスは風を切ってシェイドに肉薄する―――!
「ハッ……! 舐めるな半人前!!」
「!?」
……信じられない。シェイドは断頭の刃の如く凶器じみたフェンスに立ち向かうと、左手一本で事も無げにそれを弾き飛ばした。フェンスは原型を留めないほどに拉げている。……ヤツにとってこの程度は紙を投げつけられたに等しいのか。そしてそのまま速度を緩めずに
「そろそろ遊びは終わりだ! 死ね!!」
「しまっ………!」
残った右拳をがら空きの胸に打ち込んで来た―――!
しかし。
トン
放たれた一撃はあまりに凡庸。胸を小突く程度のものでしかなかった。……何が起こったか分からない。だが命拾いしたのは確か。僕は必死にシェイドから距離を取る。
「……………?」
……今のは一体何だったのか。今まであれほど烈火怒涛の攻撃を仕掛けてきた。その一つ一つが僕にとっては脅威であり、無防備に喰らえば即死に繋がる程のレベルだった。だが今の一撃だけはあまりに弱すぎる。今までの威力で打たれていたら、胸に風穴が開いていたかもしれないというのに。何かに護られたというよりは……咄嗟にシェイドが力を弱めたような……。あまつさえシェイドの方が殴った拳を気にしている始末。
「気の所為か……? ならば今一度試してやろう」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべると、すぐさま僕に迫る。その速度は今までの比じゃない。真っ直ぐこちらに迫って来ているのに見失う程の速度。咄嗟に頭をガードするも……ガードをあっさり右手で跳ね除けて、左手で僕の首を掴む―――!
「ギ―――!?」
このままでは首を握り潰される! それ程の力が込められた、その刹那―――
バヂッ!!
奇妙な音がして、シェイドが首から手を離した。ヤツの手首から白い煙のようなものが上がっている。僕は考えるよりも先に距離を取って、空気を求めて喘ぐ肺に酸素を供給する。
「ゲホッ! ゲホッ!」
急激に酸素を取り込んだ為に咽る。決定的な隙。しかしシェイドは追って来ない。白煙を上げて動かなくなった自らの左手首を眺めながら、何かを考え込んでいる。……こっちとしては何が起こっているのかさっぱり理解出来ない。だが二度の絶体絶命から生還したのもまた事実。……一体……どういう事だ……?
「……ほう。貴様、小賢しいものを持っているな」
「………?」
言われて思考を巡らせる。一回目は胸を打ち抜かれそうになったが助かった。二回目は首を掴まれ、逆にヤツの手首が焼け焦げた。つまり……僕の胸にある『何か』が二度のピンチを救ったのだ。服に手を掛け、ボタンを外す。するとそこには……。
「ロザリオ………?」
服の下から現れたのは、クリスチャンである父さんから譲り受けた小さな銀のロザリオだった。数年前に「魔除けになるから」と父さんに貰い、以来入浴時以外は殆ど外した事がないもの。寝る時にさえ着けていた為、馴染みすぎていてその存在を忘れていた。もしかしてさっきから感じていた焼き鏝めいた胸の熱さは……これが原因か……?
古来より銀には魔を滅ぼす効果があるらしい。伝承に聞く異形退治にも大いに活用されたそうだ。思い出してみれば……銀のロザリオなど吸血鬼退治の常套手段ではないか……!
「成程、違いはザルーヴァの濃度か。本来ヴァンパイアは銀には触れられん。触れると今のように焼け焦げて煙を上げる。死徒とて例外ではない。……だが貴様はザルーヴァが薄すぎる為、殆ど拒絶反応を受ける事なく銀に触れられるという訳か。死徒の身体能力を持ち、自我すらも失わず、よもや銀まで持てるとは……。くっくっく……つくづく良い所取りだな、貴様。偶然とは言え、このようなモノを造り出してしまった自分に嫌気が差して来たぞ」
僕は鎖を外してロザリオをナイフのように携える。かなりの熱を感じるが、持てない程じゃない。生きて帰れたら……父さんに感謝しないといけないな。
「そんな事まで解説していいのか? だったら僕はお前の天敵だろう?」
「思い上がるな、半人前。オレの天敵はあくまでそのロザリオだ。決して貴様などではない」
そう言うが、明らかに今までよりも余裕が感じられない。……慢心を削いでしまったか。だがこちらとしても対抗手段が出来たのもまた事実。さあ、勝負はこれからだ。
「それでは続きを始めるとしよう。貴様は些か調子に乗りすぎた。まともな死を迎えられると思うな―――――!!」




