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―Etude―

「ようやく来たか。待ちくたびれたぞ、半人前」




 しばしの言い争いの後(勿論美彩を同行させるなど僕には出来ない相談だったが、頑として折れない美彩に僕が諦めた形で決着)二人で部屋を出て、誰にも見つからないように美彩の家を抜け出し、指定された廃ビルの屋上のドアを開ける。

 奇妙なほどに重くぬめった風が、血の匂いを運んで頬を撫でる。上空には蒼白く濡れる満月。転落防止用の金網フェンスに仕切られた40m四方程の空間の真ん中に……悪夢の元凶が恭しく僕らを出迎えていた。

 僕はシェイドと距離を取って立ち止まる。美彩は僕の腕にぴったりと寄り添っていた。


「……僕は半人前なんて名前じゃない。ちゃんと『深嶋淳之介』っていう名前があるんだ」


 恐怖を必死で噛み殺して虚勢を張る。ここで下手に出ようものなら、わざわざ来た意味がない。それに……美彩に情けない姿を見られたくない。最後に美彩の同行を認めたのにはここにも理由がある。美彩が一緒にいれば危険に晒す事にはなるだろうが、それ以上に僕が心強く思えるからだ。


「フッ、吠えるじゃないか。いいぞ、そういう奴は嫌いではない。……だが貴様は所詮半人前だ。事実を受け止めきれず自分の記憶に蓋をするような臆病者が如何に吠えようとも、それは虚勢でしかあり得ない。無駄に吠えるしか能のない奴を半人前と呼んで何が悪い? ハハハハハハハハハ……!」


 耳障りな嗤い声が木霊し、月夜の闇に吸い込まれる。


「……お前は何が言いたいんだ……? 僕を罵るのは構わないが、話があるのなら手短にしてもらいたいな。僕達だってお前みたいなヤツと関わっていられるほど暇じゃない」


 震えているのは身体か、それとも心か。押し潰されそう、否、挽き潰されそうな程の威圧感を振り払って強気に言葉を発する。


「くっくっく……粋がるのも結構だが、まあそう急くな。宵はまだ始まったばかりだ。先ずは『オレ達』の生態について教授してやろう―――」




 ―――吸血鬼。俗に言う『ヴァンパイア』。伝承は諸説様々だが、一貫して言える事は『人間を襲い、生き血を啜る悪鬼』だと言う事。夜にしか活動出来ないとされているが、その身体能力は人間などとは比べるべくもない、所謂『超越種』である。ヴァンパイアは血を吸う事でその者を新たなヴァンパイアに変貌させる。

 そのヴァンパイアの中にも二種類が存在する。『死徒』と『真祖』。一般的に人間を襲い血を吸うイメージがあるのは大抵死徒の方で、真祖はその死徒を作り出す存在。つまり、プライムワンとして真祖が人間の血を吸うと死徒化したヴァンパイアが更に人間の血を吸い、そこからピラミッド型もしくは鼠算的に死徒が増加する、と言った図式が完成する。

 シェイドは真祖のヴァンパイアである。真祖は血を吸われてヴァンパイア化したモノではなく、何らかの人為的・自発的要因により後天的に真祖となるパターンがある。所謂『黒魔術』と称される、人智を超えた猟奇的な儀式。方法は様々だろうが、それは神の業に触れる禁忌の如く、『非人道的』以外の何物でもない。

 初めから真祖として生を受けたモノもいる。後者の方が真祖としての『精度』に勝るが、圧倒的に数が少ない。このシェイドに関しては前者が当てはまる。本人も真祖となった経緯やら人間だった時の記憶などは既に忘却の彼方らしい。それもその筈。真祖としては格が落ちるものの、既に500余年もの歳月を生き抜いているのだから。

 真祖・死徒に限らずヴァンパイアがヴァンパイア足り得る為には条件がある。


 それが『zluva(ザルーヴァ)』。言うなれば『ヴァンパイア特有の血』の事である。


 この成分が僅かでも体内に混入した人間がヴァンパイアであり、その濃度によって真祖と死徒が区分される。無論、真祖の方が死徒よりも遥かに濃いザルーヴァを持っている。そしてそれはそのまま身体・特殊能力値に依存し、不死性(もしくは抗死性)としての賦活能力の強さを示す。端的に言えば、体内のザルーヴァが濃ければ濃いほど純粋なヴァンパイアであるという事。高い濃度を持つ者は鏡にも映らない上、ザルーヴァは現代の科学力では発見されない。真祖は限りなく不老不死に近く、死徒でも優に400~500年は生きられる程強靭な種だ。

 ヴァンパイアが人間の血を吸った際、自身の持つザルーヴァが相手の体内に逆流する。結果、血を吸われた人間が死徒化する。ただし、ヴァンパイアにとって人間の血は栄養分とはならない。ヴァンパイアは外部から栄養を補給しなくても生きられる。では何故血を吸うのかと言えば、それは『吸血衝動』という欲求があるからに他ならない。


「人間で言えば、酒を呑む感覚に近いと言えよう。呑まずとも生きられるが、自らの悦楽欲求を満たす為に血を啜る。その中でもとりわけ処女の血が美味でな。オレは基本的にそれしか口にしない。まあ中には自らの下僕を増やす目的で血を吸う輩もいるが、オレはそんな無粋な真似はせん。下僕の必要性など感じ得ない。それに派手に死徒を増やそうものなら聖堂教会の異端狩りに目を付けられてしまう。この現世にもそう言った人間の脅威と成りうる外敵を排除する機関が存在するのだ。貴様ら一般人では認知されていないだろうがな。そんなものは然したる脅威ではないが、面倒な事には変わりがない。不必要に敵を増やすのは愚者のやる事だろう」


 今までにシェイドに血を吸われて命を落とした被害者は確かに皆10代の少女だった。美彩も例に漏れない。しかも一滴残らず吸われている。これは恐らくザルーヴァの逆流を防ぐ為だろう。体内に血が一滴も残っていないのなら、逆流したザルーヴァさえも残らないのだから。




 ………俄かには信じがたい話だ。今まで平凡な日常を過ごしてきた僕らの世界観が一変する。確かに突拍子もない話ではあるが……ある種絶望的なまでの信憑性と現実味を帯びている。何故なら………『あの夜に死んだ筈の美彩が生き返った』事実を裏付けるものに他ならないからだ。


「その娘が生き返ったのも、無論死徒化に伴うものだ。昼間でも行動出来る上、本来まともな自我を保てない筈の死徒が生前と変わらぬ自我を持っている程脆弱な濃度ではあるが、死因が只の失血死ならばザルーヴァの賦活能力で3日もあれば回復は出来よう。ただ足りなくなった血を補い、酸欠で壊死した部分を補修するだけで事足りるのだからな。恐らく脳や心臓を物理的に破壊されていたなら復活までは至らなかっただろうが」




 つまり今僕の腕にしがみついている美彩は……シェイドに血を吸われて死徒化したヴァンパイアだという事……。




「………………………」


 美彩に目を向けると、彼女は居辛そうに目を伏せる。その反応で察してしまった。美彩は自分自身の変化に気付いていた。だからこそ、それを僕に気取られないように必死に自分の中へ押し留め続けていたのだろう。

 ……美彩が引け目を感じる必要はない。それは守りきれなかった僕の責任。そして元凶は目の前に悠然と佇み、何が楽しいのか嘲笑を浮かべながら解説するシェイドなのだ。……怒りが込み上げる。それは、さてどちらに向けたものか。


「……お前の目的は一体何だ? こんな事を僕たちに話して何の意味が……」


「分からぬか? 手違いとは言え、造り出してしまった『子供達』へ多少なりとも配慮を掛けてやろうという親心ではないか」


 ……『子供達』? シェイドの言葉に違和感を覚える。『達』と付く以上、明らかに複数人を指す言い回しであり、美彩個人に向けたものではない。……背筋に強烈な悪寒が走った。それ以上知ってはいけないと身体が拒絶しているような……。


「さて、そろそろ本題に入ろうか。3日前のあの夜、オレは確かに人間の血を吸った。ただしそれは一人だけだ」


「ダメ……ダメ………!」


 今まで押し黙っていた美彩が震える。……震え方が尋常じゃない。一体何が美彩をここまで追い詰める……?


「あの夜オレが吸ったのはその娘の血ではない。オレが吸ったのは………」


 仰々しく一呼吸置き、ゆっくりとこちらを指差して―――




「貴様の血だ」


 僕を、見据えた。




「なっ…………」


「あの時は正直驚いたぞ。最初は娘の血を狙っていたのだがな。事を成す直前、貴様が腕を差し込んできたのだから。違和感に気付いて思わず口を離してしまったのが失敗だった。その僅かな紆余でもザルーヴァは逆流してしまった。結果、貴様は死徒化してしまった訳だ。濃度の低さから言えば、その娘同様限りなく出来損ないの部類だがな。……いや、流石に貴様の方が濃度は上か」


 頭を殴られたような衝撃。僕も……ヴァンパイア……?

 言われてみれば確かに思い当たる節はある。この3日間、殆ど飲まず食わずで睡眠も摂っていないのに体調は全然悪くない。昼間はいつも倦怠感に襲われ、動きが鈍かった。鏡に映った僕は歪んでいた。シェイドが『半人前』と呼ぶのも、僕が死徒だからに他ならない。

 ………………でも待てよ。シェイドが血を吸ったのは僕なら、美彩もヴァンパイアなのは辻褄が合わない。シェイドは僕の血を吸った後、美彩の血も吸ったのか。だがそれでは『血を吸ったのは一人』ではなくなる。シェイドが嘘をついているのか、それとも………。


「フフフ……ここまで言われてまだ分からぬか? 貴様の逃避ぶりもそこまで行けば賞賛ものだ。では出来の悪い息子にヒントをやろう。真祖に咬まれ、死ななかったが故に瞬間的にザルーヴァが覚醒し、激しい吸血衝動に苛まれた死徒が一人。その傍らには極上の処女の血を持つ娘。後にこの娘は死徒として目覚める事となる。さて、これらの要因を結びつけ、導き出される結論とは何だ?」


「ダメェェェェ!! 淳くん聞いちゃダメェェェェェ!!!」


 傍らで美彩が叫ぶ。僕にはその声さえ遠くに聞こえる。

 唐突にあの夜の記憶がフラッシュバックする。固く閉ざされていた扉が開き、中に押し留めていたものが溢れ出す。


 雨の夜。


 目の前には吸血鬼。


 楽しかったデートが反転。


 シェイドが美彩を捕らえ、首筋に歯を立てようとする。


 僕は咄嗟にその隙間に腕を差し込む。


 鋭い痛み。えも言われぬ不快感と異物感。


 違和感に気付いて僕を引き剥がすシェイド。


 熱い。身体が燃えるように熱い。


 欲しい


 思考は焼き切れ、意識は混濁。


 欲しい


 何が起こったか分からず、呆然と立ち尽くす美彩。

 

 欲しい 喉が渇いた


 震え、猛り、高揚感。


 ほしい のどがかわいた


 動けない美彩の肩を掴む。



 ホシイ ノドガカワイタ



 僕はその白い首筋に――――――――






「ようやく分かったようだな。その娘を殺したのは他ならぬ貴様だ。くっくっく……なかなか面白い見世物だったぞ、半人前」






「僕が………美彩を殺した…………?」


 僕が殺した僕が殺した僕が殺した美彩を殺した美彩を殺した美彩を殺した。


 ボクガ、ミサヲ、コロシタ。


 頭の中を駆け巡り、思考全てを埋め尽くす。後から後から湧き出して、もう頭には入りきらないのにまだ湧き出して。胸に大事に秘めていた恋慕を憧れを思い出を幸福感を穢して行く。どろりとした泥のような感情が口から咆哮として吐き出される。




「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」




 崩れ落ちる。身体の感覚など希薄。なのに痛い。喉が、胸が、頭が痛い。締め付けられているのか、刃物で切り刻まれているのか、それとも引き千切られているのか。耐え切れない。記憶を封印していたのは、僕がこの痛みに耐えられない事を知っていた僕自身の自己防衛本能。自分の弱さを罵り、呪う。自分で自分を痛めつける。


「淳くんっ!! しっかりして!! 私は淳くんに救われたって言ったでしょ!! 淳くんが血を吸ってくれなかったら、私はシェイドに殺されてたんだよ!? 淳くんが血を吸ってくれたから、私は今生きてられるんだよ!? 淳くんが苦しむ必要なんてないんだから!!」


「フフフ……それは詭弁だな、娘。そんな言い訳をしても、その半人前がお前を殺した事実は覆らん。死徒として目覚めてしまった以上、その身体能力・回復力など人間社会では異端以外の何物でもない。更に寿命に於いては幾ら濃度が低かろうと優に200年は生きるだろう。そんな死徒が、人間の中で普通に生活出来るとでも思っているのか?」


「淳くんっ!! 淳くんは何も悪くないんだからっ!! 私は嬉しかったんだよ!?」


 ……美彩が耳元で何かを必死に叫んでいる。分からない。美彩の声は僕に届かない。

 新体操の選手として将来を嘱望されていた美彩。片や僕は特に秀でた才能もなく、将来の夢も曖昧なただの一般人。

 ―――太陽。初めて挨拶を交わした十年近く前のあの日から、僕にとって美彩は太陽だった。いつもそこにあって、強く輝いていて、暖かくて、けれど決して手が届かなくて。……いや、本来ならば手を届かせてはいけなかった。それは分不相応。空に数多点在する星の一つでしかない僕が、太陽に近付いた事自体がおこがましい。太陽の強すぎる光と熱に、小さな星はただ消え去るのみ。それが何の間違いか、近づけてしまった。あまりの嬉しさに我を忘れ、立場を忘れ、現実を見失っていた。舞い上がる感覚が心地よくて、考える事それ自体を失念していた。……いや、考えないようにしていた。


 ……そして……壊してしまった。ただ傷つけてしまったのとは訳が違う。事もあろうに僕は……美彩を殺してしまったのだ。その輝かしい将来を潰してしまったのだ。美彩は確かに今生きているが……それはあくまで『死徒』として。姿形は人間と変わらなくても、中身が違いすぎる。最早人間の常識の中では生きられないのだから、人間としては死んだも同然だ。

 先刻、おじさんに言われた言葉が頭を駆け巡る。


『美彩はお前なんかとは違うんだ!』

『お前が全てを台無しにしたんだぞ!』

『お前が代わりに死ねばよかったんだ!!』


 そう。正にその通り。悪いのはあらゆる面で僕なのだ。出来る事なら時間を巻き戻したい。あの時、僕が吸血衝動なんかに負けなければ。あの道を通らなければ。あんな時間まで美彩を連れ歩かなければ。あの日に限ってデートなんかしなければ。






 そもそも………僕なんかが美彩と付き合わなければ……こんな事になる筈はなかったのだから―――――






「…………………………」


 力が入らない。僕は抜け殻。視界は塗り潰され、平伏した格好のまま手足も動かせない。振り切れてしまったのか、声も涙も出ない。


「淳くんは……淳くんは悪くないんだから…………」


 代わりに美彩が泣いている。……美彩に泣いてもらう資格なんて、僕にはない。泣き止ませたい。美彩の涙なんて見たくない。美彩に涙は似合わない。……でも僕には何も出来ない。何の力もない。涙を拭ってやる事さえ出来ない弱虫だ。


「何だ、結局壊れたか。この程度とはつまらぬな。興醒めだ。半人前は所詮半人前だったという訳か。もういい、貴様は殺してやる価値もない。何処へなりとも尻尾を巻いて逃げるがいい」


 シェイドの嘲りが聞こえる。怒りも湧かない。……もう勝手に言っていればいい。


「……だが、その娘はそういう訳にはいかんな。死徒を無駄に残すのはオレの美学に反する。自我がある以上、後々面倒な事にもなりかねん。………殺すか」


 ……? ………こいつは……今……何と言った…………?


「脳や心臓を抉り出してもまあ助かりはしないだろうが…万が一という事もある。ここは全身の血を吸い尽くしてやるのがよかろう。死徒の血なぞ美味くもないのだが、致し方あるまい」


「……い……いや………!」


 ……美彩を……殺す………だって…………?


 空っぽになった頭に思い出が走馬灯のように駆け巡る。

 初めて話しかけられたあの日。その眩しい笑顔が忘れられなかった。その日から、僕は美彩の虜になった。いつも目で美彩を追うようになり、事ある毎に思い浮かぶのは真っ先に美彩だった。

 告白した一ヶ月前のあの日。夕日を受けて輝いた、幸せそうな笑顔。その日以来、いつも傍にいて、色んな話をして、不器用な弁当を一緒に食べて、一緒に笑い合って、一緒に幸福を噛み締めた。綺麗で、眩しくて、美彩と一緒に見たものは全てが輝いて見えた。世界はこんなにも美しいものだったのかと否応なしに思い知らされた。美彩は僕の……太陽だったのだから。だが僕は……そんな美彩に何をしてやれた?

 シェイドは美彩を殺すと言った。血を吸い尽くして。体内のザルーヴァがなくなれば死徒としての身体機能を失い、その後に待つものは絶対的な『死』。さっきみたいに蘇る事は出来ない。二度と……あの笑顔を見る事は叶わない。




 思い出せ、淳之介―――




 お前が今、一番大切なのは―――




『罪の所在』などではなく―――




『自分自身』ですらなく―――




 掛け値なしに―――











『蹟弥美彩』だろう―――――!!











「ああああああああああああああああああああああ!!!」


 気が付けば、立ち上がっていた。今まで力が入らなかったのが嘘のように。ゆっくりと近付いてくるシェイドから美彩を護るように、立ち塞がっていた。手はとっくに握り拳になっている。ギリギリと音がする程歯を食いしばっている。恐怖なんて忘れた。視界が赤く染まる。全身の血が煮え滾る。


「淳………くん…………?」


「何の用だ、半人前。まさか先に殺して欲しいのか?」


 シェイドはあくまで余裕。ニヤニヤ嗤いながら速度を落とさずに近付いてくる。僕には塵芥ほどの脅威も感じていないのだろう。美彩を連れて逃げる事は出来ない。背中を見せた瞬間に二人共殺されるだけだ。ならば護る。やられる前に倒す。それしかない。

 意識を内に向ける。……あった。体の奥底に眠るザルーヴァ。ほんの僅かではあるが、確かにそれはある。僕が美彩を殺した元凶。忌むべき呪われた血。こんなものが体内にある事実に虫唾が走る。……でも、美彩を護る為にはこのザルーヴァの力が必要だ。ただの人間ではシェイドに対抗出来ない。美彩を護る為なら……何だって利用してやる―――!




「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」




 眠っているザルーヴァを叩き起こす。自我を以て働きかける。刹那、全身に力が漲るのを感じた。ドクン、と全身の血が脈動し、体内を暴れ回る。胸が焼けるように熱い。上手くザルーヴァを覚醒させられたようだ。

 同時にイメージが流れ込む。運動能力を遺憾なく発揮する為に必要なものは2つ。筋力や反射神経と言った『身体能力』。それともう一つが『イメージ』。自分がその運動をする為に必要な『設計図』というべきものだ。『指針』と言ってもいい。『こう動かなければいけない』『これをこなす為にはこう動け』というイメージ。それがまず自分の中で思い描けなければ、動く事それ自体が不可能だ。

 無論、それだけでは足りない。その思い描いた『設計図』を元に運動を『実行』する為に必要なのが『身体能力』。そのどちらが欠けても思い通りの運動をする事など出来ない。一流のアスリートは、日々の過酷なトレーニングの中でその『イメージ』と『身体能力』の両方を培うのだ。ザルーヴァの覚醒により、僕はその二つを同時に手に入れた。

 確かに……この力は恐ろしい。今まででは考えられないような動きを可能とする。今の僕なら、例えプロレスラーが束になって向かって来ても勝てる。それ程の力と敏捷性を持っている。こんな人間がこれ以上増えたら……世の中は大混乱に陥るだろう。


「………! ザルーヴァの力を受け入れて完全覚醒させたか。フ……フハハハ……! これはなかなか面白い!」


 シェイドを睨む。この瞬間より僕の専心はシェイドの打倒にのみ向けられる。疑念など不要。『護り通せるか』が問題ではない。『護る』と決めた。ただそれだけの事。されど……それ以外何が必要か―――!!


「シェイド……お前を……倒す!」


「フッ……大きく出たな半人前。確かに強い魔力を持つヴァンパイアは、同じ魔力を持つ者にしか危害を加える事が出来ん。……だが真祖と死徒ではその実力差は瞭然だ。幾ら貴様が未熟者とて分かるだろう? 貴様がオレを倒すなど万が一にもあり得ん! その絶望、己が身を以て存分に痛感するがいい……!」




 胸に決意を。拳に炎を。悪夢から一番大切な人を護る為に、僕は全身全霊を込めて走り出した―――――



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