―Finale―
「淳くん………………っ!!」
長きに渡る緊張状態から解放され、弛緩する。刹那、今までの疲れやダメージが一気に押し寄せて来た。膝を付きそうになるが何とか踏み止まる。そんな僕に、涙で顔をクシャクシャにした美彩が嬉しそうに走り寄って来た。
……だが僕は美彩を―――
「来るな!!」
一喝で押し留めた。
「えっ……な……何で………?」
困惑する美彩。僕の叫びが心底理解出来ないと言った様子だ。
「だって……一時の気の迷いとは言え……僕は美彩を………。謝っても謝りきれない………。僕は美彩の傍に居ていい男じゃ………ない……」
そう、僕は吸血衝動に負けて美彩の血を吸ってしまった。それは許されざる罪。新体操選手としての輝かしい将来をそっくり奪い去ってしまったのだ。……いや、例え美彩が普通の女の子であっても同じ。死徒化してしまった以上、どんなに取り繕っても普通に生活し続ける事など出来ない。いつか必ず破綻を招く。それは決して自分だけの話では済まないだろう。人間社会は異端を嫌う。迫害し、排除しようとする。僕なんてどうなっても構わないけど……美彩にそんな人生を歩ませるのは耐え難い。
「だからそれはさっき違うって言ったでしょ!? 私は淳くんに救われたんだよ! 死徒であれ何であれ、今私が生きていられるのは淳くんのお陰なんだってば! 淳くんがああしてくれなかったら私は今ここにいないし、淳くんとこうやってお話も出来なかった! 死んじゃったら何も残らないんだよ!? 淳くんは何も悪くないんだよ!?」
美彩が必死に訴えかける。その表情は怒っているようにも悲しんでいるようにも見える。……それ程美彩は本気なのだという事。僕に本気で言葉を届かせようとしている。
「それに……私はあの時、嬉しかったんだよ……? だって……淳くんが私を求めてくれたから。それは……確かに望んでた形とは違ったけど……でもやっぱり嬉しかったんだよ?」
「………でも………」
幾ら美彩本人が正当化しようと、『罪を犯した』という事実は消えない。美彩だって人間に戻れる訳じゃない。それは紛う事なき事実であり、どうあっても覆せない定理。美彩から許しを得たからと言って、罪そのものをなかった事には出来ないのだ。それで全てが許されてしまったら、あまりにも虫が良すぎる。罪には償いが必要だ。でも僕には……これ程の罪をどうやって償えばいいか分からない。
「そんなに贖罪がしたいの……。私がいいって言ってるのに。難儀な性格だね」
美彩が若干諦めたような、呆れたような様子でそんな事を言ってくる。
「……うるさいな。こう言う性分なんだから仕方ないじゃないか。償いもせずに許されたら、刑務所なんて要らないだろ」
「そう。だったら………私が淳くんに罰を下してあげる」
「……!?」
突如美彩の声色が一変する。何処か厳かな響きを帯びた冷たい声。僕は今まで美彩からそんな声を聴いた事がない。
美彩は羽のように軽やかにジャンプすると、鮮やかな宙返りを見せ背後の3m超はあろう給水塔の上……つまりこのビルの屋上で一番高い場所へ音もなく優雅に着地する。新体操の動きとザルーヴァの身体能力向上効果か。頭上には光量を最大にまで増し、幻燈めいて蒼白色に輝く満月。髪をまとめていたリボンを解いて風に泳がせる。その姿はあたかも月の化身。厳粛な貌からは神々しささえ感じられる、さながら断罪の女神のようだ。
「罪人・深嶋淳之介。3日前の夜、貴方は吸血衝動に負け、恋人たる蹟弥美彩の血を吸い、これを殺害。その人生を断絶した。更には初めてのプレゼントである大切な指輪までも紛失。これは異論を挟む余地もなく大罪に値する」
罪状を読み上げるかの如く、美彩は粛々と言葉を響かせる。
「よってここに裁きを下す。その生涯を以て償うのです」
美彩の下す罰ならば、それがどんな無理難題であれ甘んじて受け入れよう。望むなら命さえ差し出そう。僕は目を閉じて、断罪の時を待つ。
……そして美彩の課した贖罪は―――
「『蹟弥美彩を一生守る』と。『蹟弥美彩の傍を一生離れない』と誓いなさい。それが貴方に課せられた罰です」
「……………!」
目を開けて給水塔の上にいる美彩を見上げる。その表情はさっきまでの厳しいものとは違い、あの日夕焼けに染まって輝いた幸せの具現と同じ笑顔だった。綺麗で、眩しくて、暖かで。いつも傍にいながら、決して手が届かないと思い込んでいた太陽。不定形だった『憧れ』がハッキリと形を持った、まだほんの一ヶ月前の再現。
……原初の決意を思い出す。僕は……この笑顔を守る為に命を賭してまであの強敵に立ち向かったんじゃないか。
「は……はは……ははははははははは………!」
笑いが込み上げる。……やっぱり美彩には敵わない。簡単な事だった。それは酷く単純で、明快で、何より本来なら僕自身が導き出さなければならなかった答え。……そう、贖罪なんて………
こんな簡単な事で出来るんじゃないか―――――
「分かりました。誓います。『僕は蹟弥美彩を一生守ります』。そして『僕は蹟弥美彩の傍から一生離れません』。………これでいい?」
自分を戒める為にも、罪を忘れない為にも、僕はその台詞をハッキリと口にした。危険を、恐怖を乗り越えて、死に物狂いで守り抜いたささやかな希望の芽。それはきっと、何にも換えられない未来を導く虹色の鍵。僕が……僕自身が美彩を守らなくて、一体誰が美彩を守るというのだろう。いや……そうじゃない。僕が適任者かどうかなんて知らない。僕が美彩を守りたいだけ。僕が美彩の隣を歩きたいだけなのだ。そんな事、とうの昔から分かっていた筈なのに。美彩に言われてようやく気付くなんて、情けないにも程があるな……。
「うん、よろしいっ♪ 淳くーーーーーん!!」
大輪の笑顔を咲かせて僕の名前を叫ぶと、美彩は給水塔の上から両手を広げて飛び降りる。僕はそんな美彩を大事に大事に抱き止めた。
「うわっ……! とんでもない事をするな……。僕はまだ怪我が治ってないんだぞ? もうちょっと労わって欲しいんだけど……」
「えへへ~♪ 私、淳くんが勝つって信じてたよっ♪ やっぱり淳くんは私のナイト様だよねっ♪」
「嘘つけよ。そっちの方が死にそうな顔してたくせに」
「う、嘘じゃないもんっ! ホントに淳くんが勝つって分かってたんだからぁ!!」
「………ゴメンな、美彩。僕が弱いばっかりに……」
「ううん、謝る必要はないし、淳くんは弱くなんかないよ。償いはこれから行動で示してね。確かに新体操が出来なくなったのは少し残念だけど……命には代えられないよ。それよりも二人共無事……じゃないけど、ちゃんと生きてるんだから。今はもっとこうしていたいな。……大好きだよ、淳くん……♪」
抱きしめ合ったまま会話をする。喜びを、幸せを分かち合う。そのぬくもりを、柔らかさを感じ取る。揺るぎない安堵に、色鮮やかな平穏に身を委ねる。煌々と輝く月の下。眼下に広がる夜景。満天の星空。宝石を散りばめたような光の粒が瞬いて、観客みたいに優しく僕らを見守っているかのよう。
「……ああ、そう言えば一つ心残りが」
唐突に短くそれだけ言うと、僕は素早く美彩に顔を近付けて―――
「え?」
美彩の唇に、キスをした。
「―――!?」
それは幾度となく夢に描いた幻視が、確かな『誓い』に昇華した証。自分でも信じられないくらい自然に。美彩は不意打ちを受けて目を白黒させるが、それも一瞬。すぐに目を閉じて口付けに酔いしれる。重なり合う唇が身体全ての感覚を代替しているかのよう。その倒錯的な柔らかさに、その圧倒的な甘さに思考が塗り潰される。美彩の部屋ではシェイドに邪魔されて未遂に終わった。でも今度は何の邪魔も入らない。永遠よりも長い5秒間。頭から爪先までくまなく全身が幸福感で満たされる。思わずこのままずっとこうしていたいと思ってしまう。
名残惜しく顔を離すと美彩が恥ずかしそうな、でもそれを遥かに上回るくらい嬉しそうな表情で頬を染めている。
「えへへっ♪ ファーストキスだよ、淳くん♪」
「僕もだよ。……女の子の唇って柔らかいんだな。ちょっと衝撃的だった」
「も~、ムードが台無しだよっ! もっと他に言う事があるでしょ!?」
子供みたいにむくれる美彩。……泣いたり笑ったりむくれたり忙しいヤツだな。……でもそんな美彩がどうしようもなく愛おしい。美彩を好きになって本当によかったと心の底から再確認。分かってる。僕が言うべき言葉は決まっている。
これから先、僕らには数え切れないくらいの苦難が待ち受けているだろう。将来の事、両親や友人の事、吸血衝動。眩暈がするほど前途多難だ。僕一人では挫折してしまうかも知れない。でも美彩となら……きっと笑いながら乗り越えていける。繋いだ心は離さずに、僕らのペースでゆっくり歩けばいい。それは贖罪であり義務であり、絶対的なまでの理想の形。胸に願いを、この手に祈りを。まだ見ぬ未来に思いを馳せて、一つ深呼吸。僕は確かめるように、刻み込むように、何の不純物も混ざらない素直な気持ちを、一番愛しい人の名前と共にゆっくりと紡ぎ出した。
「大好きだよ、美彩―――――」
どうも、この度は私の創作小説『Loving All Under The Blue Moon -blood type:Z-』を最後まで読んで下さってありがとうございました。新夜詩希です。
淳くんと美彩ちゃんの物語、如何だったでしょうか。伝奇小説を書くのはこの作品が初だった為に拙い部分、『…ん?この表現や設定、何処かで見た事あんぞ?』などツッコミ所満載だったかと思いますが、その辺は大目に見て下さると助かります。
この小説を通して、読んで下さった皆様の胸にどのようなものが残ったのか、お聞かせ下さるととても嬉しいです。今後への励みにもなりますし。宜しかったら、感想なんぞをご一筆。
重ねまして、当小説を読んで下さってありがとうございました。また次回作でお会い出来れば、これ幸いです。




