―Sonata―
「おはよ~☆ ジュンペイくん♪」
「お……おはよう、蹟弥さん……。えっと、僕の名前は淳之介……」
「暗いっ! 暗いよジュンスケくん! 朝の挨拶は一日の幸せを呼ぶおまじないなんだよ!? だから笑顔で元気よく言わなきゃ意味がないのっ! はい、やり直し!!」
「ええ~……だから僕の名前は淳之介……」
「いいから早くやりなさーい!!」
「わ、分かったよ、蹟弥さん……。えっと……お、おはよう! ……これでいい?」
「……………………」
「あの……蹟弥さん……?」
「………はっ? あ、えっと……よ、よろしい! 明日からも挨拶してねっ♪ それと……私の事は美彩でいいよ、淳くん―――――」
あれは小学3年生の一学期、私と淳くんが初めて交わした挨拶はこんな感じだった。恐らく淳くんは覚えていないだろう、何て事はない日常の一コマ。でも私にとっては大切な思い出。この時をキッカケに、淳くんは私の特別な存在になった。理由なんて自分でもよく分からない。強いて言えば……淳くんがこの時浮かべたぎこちない笑顔は、何故か他の男の子よりもほんの少しだけ、眩しく見えた。ただそれだけの事だったのかもしれない。
だからあの日の放課後、淳くんが告白して来てくれたのは本当に嬉しかった。それはもう、フワフワ舞い上がってそのまま地上に降りられなくなるんじゃないかと思うほど。淳くんも私の事を好きなのは前々から何となく気付いていた。そんな噂を耳にした事もあったし。でも私からは告白しなかった。……何故って? だって告白は男の子の方からするものでしょ? ……まあ淳くんはああ見えて密かに女の子に評判がいいから、気が気じゃない場面も幾つかあったけど。
それからの一ヶ月はもうホントに幸せの一言。毎日が楽しくって嬉しくって。少しは女の子らしくしようと、今まで苦手にしていた料理や掃除にも挑戦しちゃったくらい。……淳くんがちょっと奥手なのが気に掛かるけど。そろそろキスくらい求めてくれてもいいんじゃないかなー、なんて。
淳くんの印象は、喩えるなら『月』。太陽ほど自己主張しないけど、その光はふんわりと柔らかくて優しくて、真っ暗な夜の闇を照らしてくれる。私はよく『太陽みたい』って言われるけど、『月』の淳くんとはいい感じに表裏一体って所かな。お互いの足りない部分を補い合っている感じ。
……だから耐えた。棺の中で目覚めた時、炎に包まれたような熱さと激しい喉の渇きがあった。この渇きがあの夜淳くんが飲み込まれた『吸血衝動』というものだという事を瞬時に理解した。だから耐えた。幸せを壊したくなくて、淳くんに心配を掛けさせたくなくて、軽口を叩いて必死に耐えた。衝動には波があるのか、頑張った甲斐あって今は大分落ち着いているけど。幸い淳くんはあの時の記憶を失っているようだった。なら隠し通すしかない。多分淳くんは事実の重さに耐えられないから。……結局その考えは間違っていたのだけど。
その淳くんが………今目の前でとんでもない戦いを繰り広げている。あの恐ろしい吸血鬼から私を……護ってくれる為に。
私にも淳くんと同じ吸血鬼の血が混じっているはず。他ならぬ淳くんが注入してくれたものが。だからその気になれば私も淳くんと一緒に戦えるだろう。元々私の方が運動神経はある。それに淳くんがもう限界なのは、傍目から見ている私にさえ分かる。本来なら手助けするのが正しいと思う。相手は規格外の吸血鬼なのだから。
……でも私は手助けせずに淳くんを見守る。多分淳くんは私の助力をよしとしない。淳くんは私を護る為に戦っているのだから、私がのこのこ参戦したらきっと怒る。そういう人だから。
そしてそれ以上に……私は淳くんを見守っていたいと思ってしまった。何故なら今の淳くんは……『男の子の顔』をしているから。あの優しい淳くんが歯を食いしばって、今まで見た事もないくらい真剣な眼差しで、魂を燃やしている。私なんて目に入らないくらい。俗っぽい言い方をするなら、私はその淳くんの横顔に惚れ直してしまったのだ。そんな顔をして戦っている淳くんの邪魔をするなど、どうして出来るだろう。
これは何の確証もない私の勝手な予感なのだけど……淳くんは負けない気がする。それは淳くんが吸血鬼を打倒する手段を手にしたからじゃなくて、何かもっと違う……予言めいた確信。上手く言えないけど……とにかく淳くんは負けない。それだけは断言出来る。それは私の勝手な思い込みに過ぎないのかもしれない。淳くんの無事を願う気持ちが見せる幻想なのかもしれない。
でも私はこの予感を信じる。何があっても信じ抜く。だって……私はもうどうしようもなく……淳くんが大好きなのだから―――――




