卒塔婆の塔のブンヤ 3
ああ、おはよう世界。インスタントコーヒーがウマい。煙草が目に染みる。
おかしいな、なんでこんなに涙が出るんだろう。
まあどうせいつものアレだ。何事も無く人生が過ぎちゃったおっさんが不意に生きる意味とか考えちゃったりする発作。
「今日も卒塔婆の都は輝いていらっしゃるようで」
せまっこい土地でせまっこい大名達が太陽のお膝元へすり寄ろうと必死に高く積み上げていった塔の数々が、朝日をお互いに乱反射し合いながら威嚇している。爽やかな朝から精が出ますな。
たかが生きられて約100年、死ねば残るは墓標に過ぎないのに。
人は墓場を維持させる為に死に向かってゴミ畜生の様に生きている。
「ま、俺も他人を偉そうに謳える人間じゃねぇけどな」
換気しないと事務のオバちゃんに*されるという理由で開けていた窓から、四月のまだ鋭い冷たさの残る風が薄汚れた雑居ビルの三階に位置する事務所を通り抜けた。
ちょっと。外から吹いて来ちゃったら煙草の煙が部屋の中に入っちゃうじゃないのよ。
ままならない自然相手に白旗を揚げながら換気扇を回しに行く。
あの後マサは散々文句を垂れ自宅に帰っていった。今日はフリーの予定だから来ようがどっかでサボろうが自己責任という名の自由日だが、生真面目なあいつの事だから午後くらいから昨日のネタを纏めに出社するんじゃないだろうか。
俺はマサが帰った後、次の号に載せる記事の文章を考えたり居眠りしたりコーヒー飲んだり居眠りしたりしてた。実質何の進展もしてない。
「ふぁぁ…。イカン、ちょっと濃いめに淹れて飲むかな…」
俺一人でどんだけコーヒー消費してるんだろうか。その内請求されそうだ。
水屋の上に鎮座する電気ケトル様を軽く水で濯ぎ、注水して台座にオン。
「いつもありがとうございます…ナム…」
スンスンと寡黙に仕事をこなす優秀な社畜ケトル様に手を合わせて何となく拝んでみる。
「あら、珍しい宗教にでもハマったの?」
入口の方から野太い女性の声が聞こえてきた。換気の為に入口の扉も開放していたせいで、いつもならうるさく響くドアノブの音が聞こえなかった。
しかしその程度で慌てる俺じゃない。
「こうやってお茶とかコーヒー淹れる前にお湯沸かしてるヤカンを拝むと、だんだん飲んだ物が化学変化起こすようになってウンコが金になるんだってさ」
「まじかよ…!?」
まじなワケねーだろ。
なのに野太い声の主は体格に似合わない素早さで俺の横に立ち並ぶと、盛大に柏手を打って祈り始めた。まじかよ。
「アイさんも飲む? ついでに淹れたげるよ」
必死の祈りを捧げられている御神体を台座から外し、空の台座に向かって猛烈に祈り続けている頭のおかしい御婦人にオーダーを取る。
「アメリカンで…ミルク3つでお願い…!!」
「了解マドモアゼル」
アイさんと呼んだこの恰幅の良い妙齢の女性がこのオンボロ出版社の事務方、神宮司愛子御大だ。この会社が探偵事務所だったら主役になれそうな苗字だが、残念ながらウチの相手さんはスキャンダルやUFOとかばかりだった。ちなみに俺より(多分)少し年上。
トポトポと2つのカップにお湯を注いでいると、入口の方から階段を軽快に上って来る足音が聞こえる。
「っはよーございまーっス」
「おう、おはようさん」
軽いノリで出勤してきた吉永達哉ことタツに軽く挨拶を返す。
ここのメンツの中では最年少の24歳、オカルトやUMA関連等の " 嘘か本当か分からないようなハナシ " 担当のチャラ男君だ。ピアスしてる俺も人の事言えなくもないけれど絶対こいつとは違うと断固主張する。そもそもチャラ男って年齢でもないし。(たぶん。)
「あれ、姐さん何やってんスか? 新手の宗教?」
ポットの台座に祈り捧げてる姿見たらそう思うよな。俺のせいだけど。
「よくお聞き…。こうしてヤカン様に祈りを捧げると…ウンコが金に、尿が砂金に変わるのよ…!!!」
御利益進化させんなよ。
「ウッヒョオオオ!? マジすか!? やっべ、パっね!! 俺も祈るっスわ!」
馬鹿1名追加です。ていうかお前、曲がりなりにもオカルト担当だろう。ちったぁ疑えよ。大丈夫かこいつら…いやこの会社。多分ダメだな。
「ふぅぅぅ…! いい汗かいたわ…これで私も大金持ちね…!」
ウンコ成金ですね。
「はいアメリカンどうぞ。ありったけの愛情ぶち込んどいたわ」
本当にうっすら汗かいてる女傑に淹れ立てコーヒーのカップを手渡す。
どんだけ祈りにカロリー投入したんだよ。
「やだ…❤ 私にはもう既に旦那という人が…❤」
旦那逃げられてんだろ。知ってんだよ。
「あれ、姐さん、旦那さんって確か───」
俺はすかさずタツのケツを捻じり上げた。
「アッ!? ハゥ!!?」
どういう悲鳴だよ。
「確 か 、 素 敵 な 人 だ っ た よ な ぁ ?」
「ア、ハイ」
空気の読めない奴には捻じ込むに限る。
「イヤだわ…男ケダモノ二人に狙われるなんて私…罪な女…」
ホント重罪人だと思います。誰か捕まえて。幽閉して。
きったないバラを背景に背負いながらアイさんは今淹れたばかりのコーヒーをグィーっと一気に飲み干す。まじかよ。
体の内側、断熱材かなんかで出来てんの?
「あ、いいな姐さん。零児さん俺にもコーヒー下さいよ」
「蛇口捻れば世界最高峰のcold waterがいくらでも飲み放題だぞ」
むしろお前が淹れる立場だろうが。
「ひっでぇ! じゃあこれ飲むからいいですよ」
そう言うとタツは背負った大きめのボディバッグから細長いポットを取り出す。
「なんだよ、自分で用意してんじゃねえか…」
「自分、意識高いんで」
意識高い奴は自分で意識高いとは言わない。
「それってお茶? 白湯?」
自称意識高い系女子のアイさんが気になったのか覗き込む。
「薄めたホットめんつゆです」
「「 馬鹿なの? 」」
中年二人の心が一つになった。いや、確かにおいしいよめんつゆ? 俺も好きだよ?
「ひどいなあ…傷付くなあ…」
とか言いながら美味そうに啜ってんじゃねえよ。
うわいい匂い。出汁の香りが碌なモン食ってない徹夜明けの胃に染みた。
「いよ――ォ諸君! グッドおはよう! 今日も元気か!!」
ああ、とうとうクッソうるせぇのも来た。
この街とこの潰れかけた会社の一日がまた始まる。
(次話へ続く)