卒塔婆の街のブンヤ 1
第一章
【追うモノ、追われるモノ、記録するモノ】
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「───……ジ、…おい零児。起きろ」
微睡から引き摺り出す声が聴こえる。あれ、いつの間に寝てたんだ俺?
「んがッ……。…おう、おはよう」
「早くねぇよ」
「…あら?」
事務椅子に座ったまま机で眠りこけていた姿勢をグイ―っと伸ばし、そのまま上体を捻ってカーテンが半分開いてる窓を見やる。
確かに外はまだ街灯が煌々と照っている暗闇の様だ。
寝起きの腰がゴキっと変な音を立てた。ヒヤッとした。
「また事務所で寝てんのか?」
呆れた顔でメガネの上司サマが吐き捨てる。上司と言っても恐ろしく長い付き合いの同僚で、出世に全く興味が無かった俺のせいで消去法で上司ポジションにされてしまった可哀そうな人物だ。
「寝たつもりは無いんだけどな。まあここも半分自分家みたいなもんだし」
「馬鹿言うな。その内全身にカビ沸くからな」
「ははっ」
俺は椅子から立ち上がりボサボサの前髪を後頭部にかき上げながら、事務所の隅に鎮座する年代物の水屋の前へ。
「マサ、お前も飲むか?」
マサ───上司の北見嗣政の専用のマグカップを手に取り尋ねる。
「ミルク2つ、砂糖はスプーンに摺切り1.5杯で頼む」
「めんどくせぇな…聞かなきゃよかった」
水屋の上に乗っかった電気ケトルを流しで軽く濯いで水を入れ、台座に乗っけてスイッチオン。
お湯が沸く迄の間にマグカップの用意をする。
「お前こそこんな時間に戻って来るなんてどうしたんだ?」
あれ、こいつインスタントコーヒーどれくらい入れるんだ?
「クライアントの予定が急遽変更になってな。散々待たされた。あちらさんはそのまま逃げたかったんだろうが」
「さすがゴシップスネーク」
「その呼び方やめろ」
ネクタイを緩めながらマサは応接椅子という肩書ばっかり立派な安物ソファーに腰掛ける。
「お前、コーヒーどんくらい入れるの?」
「容器の蓋の裏側にあけて裏蓋の表面が見えなくなる程度」
分かりにくいんだよ。
「了解致しました」
スプーン2杯でいいや。砂糖もやや盛り1杯でいいな。めんどくさいからポーションミルクも先に入れちまえ。
さて、熱湯になるまでもう少しかかりそうだ。
ふと水屋のガラスに映る自分の姿を見る。
一重の目付きの悪い中年が1匹。チリチリで伸び切った落武者みたいな髪の毛を束ねて背中にぶら下げている。オシャレなんて柄じゃないが一応人に会う仕事だから清潔感には気を遣ってはいるつもりだ。
「だったら髪型とピアスもどうにかしろ」
「心読むんじゃねぇよ怖いわ」
時々気持ち悪い洞察力を発揮する上司を尻目に何となく右耳に触れる。指先に冷たい感触。
若い頃に何を思ったのか手を出してしまい、それ以来惰性で付け続けていた。今は耳たぶにイヤーカフが1つ、耳輪には翼をあしらったデザインが掘られた黒いカフが1つとオーソドックスなのが1つ。その時々の気分で変わったり変わらなかったり。
髪を切らないのは単に他人に頭を触られるのが苦手だってだけだ。
じゃあ自分で切ればいいって? まあそう言うなよ。
「自己完結するな」
「何なのお前怖すぎるわ」
お湯が沸騰し加熱中を知らせるランプが消える。
台座から取外し用意しておいたカップにお湯を注ぐと計量に使った(計量してない)スプーンでついでに乱暴にかき混ぜる。
出来上がった俺特製()コーヒーを両の手に持ちマサの座っている応接セットへ。
「ありがとう」
「どういたしまして上司サマ」
俺も少し破れかけた応接椅子にドカッと座る。
あ、ちょっとこぼれちゃった。まあいいか。
「…拭けよ」
「わかってますうぅぅ」
バレてら。
マサがカップに口を付けようとして一瞬止まり、テーブルに置いた。
ああ、熱いの苦手だもんな。
「氷入れるか?」
「いや…急速に温度を下げると風味が」
「インスタントで風味を語るな」
ほんとめんどくさいな。これで二児の妻子持ちだもんな。奥さんどんな人なんだ。
「午前様で奥さんに怒られないのか?」
ズズっと一口啜る。
うむ、素晴らしい風味だ。
「それで怒るような人間なら今まで続きやしないさ」
「そうか、奥さん変わった人なんだな」
「お前な…」
ジト目で睨まれた。
「どっちかって言うと妻より子供達の方が、だな。その日の内に帰れないと次の日に機嫌が悪くなる。流石にまだこの仕事を理解しろって言っても無理があるしな」
「パパっ子か」
確か、上の子が女の子で下の子が男の子だったか。
「本当はもっと構ってやりたいのは山々なんだけどな。今更違う仕事が出来るかと言われたらどうだか…」
「それは大人の勝手な都合だぞ。オヤジに嘆願してでも家族の時間作ってやんな」
それを聞いたマサがハッとして、バツが悪そうに口元を手で隠した。
「…すまん、無神経だったな」
「今更何言ってんだ、気にするのはそこじゃないだろ」
マサが何に対して謝ったのか。それは俺の生い立ちに関わる事だ。
俺が今口に出した " オヤジ " とは、このちっこいオンボロ出版社の社長であり俺の養父の事である。そう、養父。
もう35年も前の話だが、当時俺はどういう経緯か全く覚えていないのだが中東の紛争地帯で戦争孤児としてたらい回しにされていた。最古の記憶から思い返してみて恐らく二年程は現地の孤児達と一緒に保護されたり置き去りにされたり、とにかく生き延びるために何でもやった。
そこに偶然現れたのがピューリッツァー賞を狙う当時若き戦場カメラマン、浅倉大吾だった。
オヤジは何でか知らんが俺を見て勝手に引き取ると決めて一緒に日本に連れ帰り、色々面倒な手続きをあっという間に片付け名実共に養子として俺を迎え入れた。実は裏で怪しいコネがコネをコネコネしていたのだが。
まあ戦争孤児やってたガキがいきなり知らない人間と知らない国ですんなり生きていけるハズが無かったが、35年もすりゃなぁ…。
そして最終的に出来上がったのが、ここに居るチリチリロン毛のおっさんってワケだ。
ちなみにこの事は会社の社員ならみんな知っている。言わなくてもいい気もするがオヤジが勝手にペラペラ喋るからどうしようもないわな。
ま、後で知られて腫れ物に触るような扱いをされたくないし別にいいけど。
「言いにくいなら俺からオヤジに言っといてやってもいいぞ?」
俺はヘラヘラと掌を振りながら煽る。
「いや、言う時は自分で言うさ。近い内にな」
「そうか、頑張れよパパン」
「気持ち悪いな…」
満更でも無さそうな顔しちゃって。ツンデレか?
「───例の件か?」
マサが俺の机をチラッと見て呟く。
「ああ。この所あちこちで被害が大きくなってきてるからな」
「全く……こんな時代になるなんてな。誰が想像したか…」
はぁ、と深いため息をついた。家族がいる人間からしたら他人事でない可能性があるからか。
「想像ならいくらでもされてたさ。漫画も小説も映画も。ただそれがたまたま現実になったって話だ」
残ったコーヒーを一気に煽る。
「しかし…まさかのカイゾクたぁねぇ。しかも空を飛ぶなんてな。未来なのか中世なのか…ははっ」
(次話へ続く)