08、男の勘
屋上での騒動は、数学統監府中の知れ渡るところとなっていた。
当然、勝手な行動を取った数美は教師からお説教を受けることとなる。数美の前に立つ、六角形紫眼鏡をかけた七三分けの篠崎赤春は彼女のクラスを受け持つ担任であり、今回の社会科見学の引率者である。柔道黒帯、名前が女性らしいことを恥じる彼はまだ若く、ゆえに数美の教育に熱心であった。つまり、叱責に熱が入った。
「蓮森。お前には色々と自覚が足りないと日頃より思っていた。ここがどこか解るか? そう、数学統監府だ。神聖なる公的機関であり全国民の崇敬の対象だ。そこでお前は一体、何をしている」
数学統監府のひんやりしたリノリウムの床に正座させられた数美は、しおらしく篠崎のお説教を聴いている。振りをしている。篠崎は嘗て自習の時間、自慢混じりに希望する生徒に稽古をつけてやると言って、見事、数美に背負い投げされた過去があり、未だにそれを根に持っている。
「まあまあ、先生。その子を余り叱らないでやってください。元はと言えば俺の単独行動が彼女を巻き込んだのですから」
青鎬は宥めるが、実際は、数美は進んで巻き込まれに行ったのである。
そして。
「青鎬。お前こそ何をしている。数学統監府の屋上を遊技場だとでも勘違いしているのか。異能持ちとドンパチやるなんざもっての外だ。ましてやそれを、民間人であるお嬢さんに目撃された上に止められるとは。大人の面目丸潰れだぞ。無論、上司である俺の面目もだ」
「課長……」
「始末書はきっちり書いておけ」
「はい」
青鎬は青鎬で、三日課長に絞られていた。
凍上は自業自得とばかり、白けた目で絞られる青鎬を傍観し、亜希と創は気遣わし気な表情で数美を見守っていた。そこに、凍上がちょいちょい、と二人を手招きする。不思議そうに歩み寄った亜希と創に、凍上は笑顔を見せた。
「まだ少し時間がかかりそうだし、どうだい。喫茶店でお茶でも。もちろん、俺が奢るよ」
数学統監府一階にはレストランと喫茶店もある。職員たちは仕事の疲れをここで憩うことにより充電、回復するのだ。亜希と創が凍上に連れて来られた喫茶店は安っぽい作りではなく、モダンで洗練されたデザインの内装が際立っていた。喫茶店中心は吹き抜けになっていて、背の高い樹が聳えている。
その近くのテーブルに少年少女を案内した凍上は、彼らの向かいに自分も腰を下ろした。亜希と創はさりげなく凍上を観察する。数美と一緒に叱られていた青鎬と違い、彼の服装、顔立ちや挙措からはとても洗練されたものが窺える。年齢は二十代後半から三十代前半だろうか。如何にも数学統監府のエリート職員といった感じだ。モテるだろうな、と亜希は年頃の少女らしく考えた。シャツはきちんとアイロンが当てられている。自分でかけたのだろうか。数学統監府の仕事は激務と聴くが。
「何でも好きなものを頼みなよ。お薦めは抹茶パフェ。京都の老舗から出張してきた職人が作った本格派だよ。抹茶の風味と、何と言っても白玉の弾力が違う。あとはショートケーキも良い」
「今の時期にですか?」
「うん。丁寧にハウス栽培された大粒で甘い苺をふんだんに使ってる」
「私、ショートケーキで」
「俺はパフェにする」
「決まりだね。すみません!」
凍上はスマートに三人分の注文を店員に頼んでいた。凍上自身の注文を聴いた亜希が小首を傾げる。
「ええと、あの」
「あ、ごめんごめん。自己紹介がまだだったね。俺は凍上薫。さっき課長に怒られてた青鎬班長の部下だよ」
「凍上さんは紅茶だけで良いんですか?」
「うん。まだ仕事は山と残ってるからね。過剰な糖分摂取をすると気が緩んでしまいそうで怖いから」
そういうものなのかと亜希は凍上の顔を眺める。仕事の出来る人が言いそうなことではあるかもしれない。
「どうして俺たちを誘ってくれたんですか」
凍上の株を上げつつある亜希に対して、創は冷淡とも聴こえる声で切り出した。亜希が創ったら、と慌て、凍上が目をきょとんとさせる。
「取り立てて理由はないけど……。そうだな。うちのどうしようもない班長を見損なわないでやって欲しかったからかな」
そこで丁度、アッサムティーと抹茶パフェ、ショートケーキが運ばれてきた。創はパフェに喰いつき、目線で凍上を促す。亜希もフォークで慎ましくケーキを食べながら、耳は凍上の声に傾けた。
「それでなくても青鎬さんは誤解を受けやすいから。番号持ちは、多かれ少なかれそういうものではあるのだけれど……」
凍上は目を伏せて紅茶を一口飲む。
「蔑視もね。されるんだ。番号持ちは。青鎬さんは666だった。悪魔の数字として有名だ。そこに確たる根拠はないけれど、色眼鏡で見られるには十分だった。彼の能力を俺の口から語ることは出来ないけれど、その能力もまた苛烈で特徴的なもので、青鎬さんは悪魔と呼ばれるようになった。――――――――彼は幼少期、家に押し入った強盗を殺害している。青鎬さん以外は一家全員、殺されたあとだった。幼少であったことに加えて彼が番号持ちであったことが幸いして特別立法が青鎬さんを守ったが、心までは守り切れるもんじゃない。あの人はとても強いけれど、それに比例して人情家で優しいんだよ。俺も含め一班の連中は全員、班長を信頼している」
創はもぐもぐと口を動かし、目だけはしっかり凍上を見据え、ごくんと呑み込んでから口を開いた。
「青鎬さんより強い異能、高い番号を持つ貴方が彼の下にいる理由はそれですか」
凍上が目を瞠る。
「男気に心酔して、という理由ならそれも解らないでもありません」
創は続けてアイスの部分を口に運んだ。亜希がケーキに伸ばすフォークを持つ手は止まっている。
「――――なぜ俺が番号持ちだと思ったのかな」
「男の勘で。あと貴方、右手の動きが不自然でした。俺たちに手のひらを見せまいとしていたのならそれで説明もつく」
「参ったな……」
くくく、と凍上は可笑しそうに笑う。それは負け惜しみなどではなく、本当に愉快そうな笑いだった。
「青鎬さんの話に誘導して君たちを丸め込む積りが、こちらが暴かれては仕方ない」
「じゃあ、やっぱり」
凍上は頷き、亜希と創に見えるように自分の右手のひらを差し出した。
「君の言う通り。俺は15の番号持ちだ」