075、赤い唇が語る
「凍上」
「はい」
「任せた!」
「さっき逃げるなと言いましたが」
「うおちちちち、腹に腹痛が!」
「往生際が悪いですよ」
凍上が溜息を吐き、面白そうな表情で二人を眺め遣る東雲のほうを向く。
「すみません。わざわざ足を運んでくださるとは」
「大したことじゃあないわ。29番のお嬢ちゃんについては統監府内でもちょっとした噂になってるし。興味本位よ。そしたら貴方たち、何やら面白いこと考えてるから」
思考を読んだと言う訳だ。
紫の佳人は真っ赤な唇の端を釣り上げてくすりと笑った。腰に手を当てて顎を反らす。
「43番を捜したいのね。青鎬さん?」
青鎬は観念した表情で、ああ、と頷いた。
「正確に言うなら俺じゃなくてお嬢ちゃんがな。東雲。お前なら誰が43番か判るか?」
そうねえ、と東雲が赤い唇に人差し指を置く。一つ一つの動作がやけに艶めかしいのが東雲の特徴だった。無駄な色気だと青鎬は思っている。こっそりとだ。明確に思考してしまえば読まれて怒らせるのがオチだ。
「う、ん。結論を言うなら、判るわ。と言うか、知っているわ。けど、本人はそのことを知られたくないみたいで、上層部以外にはひた隠しにしてるから、私の口から言うのもどうかしら。と、言うのが今のところの私の見解よ。青鎬さん。凍上君」
「43はここにいるのか!」
「対外的にはいないことになってる。私がしている話は、トップシークレット」
言いながら東雲の目は、青鎬でも凍上でもなく、窓硝子の向こうの、星に似た地上の灯りを見ていた。眼球にそれらの灯りが映り込んでいる。青鎬がそんな東雲を視界の隅にコーヒーをぐびりと飲む。温くなっている。
「交換条件とか、そういうことか」
正直なところ、青鎬にそこまでする義理はない。亜希の死は不幸だと思うが、青鎬は今までにそんな不幸を数えきれないくらいに見てきた。数美の心情は理解出来るものの、東雲に大きな借りを作るのは気が進まない。すると意外なことに東雲が眉根を寄せた。
「嫌だわ、青鎬さん。そういう、無粋な話じゃないのよ。43番の子は、特に取扱注意。ここに入るまでも入ってからも、番号持ちの中でも特異な能力のせいで常に孤独を強いられてきた。……ああ、少し違うわね。今では本人がそうあることを望んでいるのだから。だからね、青鎬さん、私は43番を、余り煩わせないで欲しいと、そう言ってるのよ」
「……それは、解るが」
「本当かしら。番号持ちの苦悩は、その番号持ち本人にしか真実には理解出来ないもの」
「まだ十代の女の子だったんだ」
「ほら、そうやってみんながあの子に詰め寄るの。不幸と嘆きの刃を振りかざして、だからお前の力を行使しろと叫ぶ。それがお前の〝義務〟で〝存在理由〟だと」
「やけに庇うな」
「ずっと見てきたから。情が湧いてることは否定しないわ」
「数美ちゃんの情も推し量ってはいただけませんか」
不意にそれまで沈黙していた凍上が口を挟んだ。東雲の双眸が、ゆらりと凍上に向かう。
「凍上君は、青鎬さんより見所があるわね。どう? 監察課に来ない?」
「いえ。俺は――――」
「ふふ。解ってる。冗談よ。……そうね。少し考える時間を頂戴」
ハイヒールの音を高らかに響かせながら、東雲は第三課から悠然と去って行った。
その後ろ姿を見送り、青鎬が首をコキコキと鳴らす。
「うちって変な奴が多いよな」
「ブーメランですよ、青鎬さん」
「俺は女装して通勤したりしねえ」
「東雲さんは似合ってるから良いんじゃないですか? うちはジェンダーには寛容ですし」
「けどあいつは新人泣かせだぜ。東雲に惚れたって相談を何回、持ちかけられたことか。そういう初心な野郎に、実はあいつは男だって告げる俺の身にもなってみろ」
「相談を持ち掛けられるあたり人徳ですねえ。まあでも、一考の余地ありのようですし、前進なんじゃないですか? コーヒーのお替り要ります?」
「まあな。頼む」
篠蛾敦人の自宅で、数美は上にも置かれぬ好待遇を受けていた。一流の料理、一流の衣服、全てが貴賓に接する在り様で、しかし数美はげんなりとしていた。様子を見に来た創は、豪奢な振袖を着せつけられた数美を見て、危うく吹き出すところだった。じろりとした数美の一瞥に、それを吞み込んだが。青い畳に敷かれた分厚い座布団に、行儀悪く脚を投げ出して座る数美に告げる。
「凍上さんからの伝言だ。46番が動いてくれるかもしれない」
「本当か」
たちどころに数美が正座して背筋をぴんと伸ばす。
「ああ。43は秘密裡に統監府にいた。46は43を知っていて、凍上さんたちを通した俺たちの願望を思案中だ。だが、高確率とは言いにくいから、余計な期待はしてくれるなとも」
「それでも良い。良かった。やっぱり、46も43もいたんだな。確率が0じゃないことが判っただけでも収穫だよ」
数美のほっとした顔を見て、創の気持ちも多少、和んだ。それでもまだ翳りがあるのは、数美を遠からずπが迎えに来るだろうという予感が強くあるからだ。喜ばしいことである筈なのに、心底からは歓迎出来ない自分がいる。そんな自分の卑小さが、創は嫌だった。
白玉から手作りして作られた抹茶パフェは美味しい。
例によってπの我儘とも呼べる熱烈な要望により、xが拵えた抹茶パフェを冷房の効いた部屋で食べながら、πはここのところの疲れを癒していた。森派閥への牽制を裏でこっそり仕組み、篠蛾敦人の屋敷の内情を探るなど、多忙だったのだ。少しの甘未を補給するくらいはしたい。xも、πの尽力を知っているから、無茶ぶりとも言えるリクエストに応えてやるのだ。
抹茶のカステラと栗がごろごろ入って、バニラと抹茶のアイスが層になっている。黄金色の髪を持ち、紫の双眸の神がかった容貌の少年も、甘い物を食べる時は無邪気で無防備だ。洗い物を終えたxは、アイスカフェオレを飲みながらπの様子に目元を和ませた。
やがてパフェが入っていた硝子の容器は空になる。
πがごろんと仰向けになって満足そうな息を吐いた。
「あ~。美味しかった」
「満足か?」
「うん。これでエネルギー補給は出来たかな」
「ん?」
πが勢いよく起き上がり、xの顔を見てはっきりと告げた。
「数美を迎えに行く」
「ああ、そゆことね。なら俺も行こう」
「必要ない」
素っ気ないπの物言いに、xの表情が険しくなる。
「篠蛾敦人の拠点だろう?」
「うん。でも見取り図も数美がいる場所も見当はついた。それに向こうには創もいる。協力してくれるだろう。それなら、数美一人を連れ帰るのには僕一人で十分だ」
「…………」
筋は通っている。理屈になってもいるのだが、xは創の心境を今一つ測り兼ねた。創も数美を好いているのは知っている。恋する少女を迎えに来たπに、快く対応するだろうか。そうした、疑念があった。しかし、創という少年の性格を、xも少なからず知っている。彼ならばきっと、自分の負の感情を押し殺しても数美をπに託すだろう。気の毒に、と思わないでもなかったが、ひとまず、xはπの主張を容れることにした。
「俺も行ってやる」
申し出たのは意外にも青い髪のαだった。以前は単独行動が多く、πたちに非協力的な面が目立ったαだが、最近は何かと素直にπの示す方針に従っている。
「お前が行くくらいなら俺が行くよ、α」
「お前はこちらの守りの要になったほうが良いだろう。πと篠蛾敦人の屋敷に行くのなら身軽な俺が良い。今、他はそれなりに忙しそうだしな」
「まあなあ。どうする? π」
「目的は数美の奪還。それ以上の行動はしないと約束するなら良いよ」
「解った」
猩々緋王を手に持ち、πが目線でαを促した。二人の挙動を、xはアレキサンドライトの瞳でじっと注視している。
振袖の堅苦しさに閉口していた数美は、創相手に気晴らしのお喋りをしていた。敵の拠点ということで、それなりに気が張っている数美は、そうすることで精神的に掛かる負荷を発散していたのだ。
天井近くの空気が揺れた気がして、そちらを見る。
まず目に入ったのは黄金色。白。燃えるような赤と、青も。
錐雪とαが畳の上に降り立つ。
「迎えに来たよ、数美。さあ、一緒に帰ろう」
錐雪が、笑顔で数美に手を差し伸べた。




