073、弧を描く三日月
その話は、数美にとって全く寝耳に水だった。
「死者を甦らせる番号持ち?」
食後に出されたアイスココアを口に含みながら、πが頷く。日が天頂を過ぎ、だいぶ時が経った。二人は他愛もない話に興じていたが、ある瞬間にπが紫の目を彷徨うように動かした後、数美に告げた。死者を甦らせることの出来る番号持ちの存在を。
「実際にそれが可能なのかどうかは判らない。でも、xは実在の可能性は高いと言っていた」
「何番だ? 統監府に務めているのか?」
「43番。残念ながら、統監府には在籍していない。あっちでも行方を随分前から捜しているそうだよ」
「43。よみ。黄泉、か」
「そう。黄泉がえりの異能を持つ人間……」
「どうした、π?」
πが、小骨が咽喉に刺さったような表情をしたので、数美が訊いた。
「ん。多分、その異能を発動させるには無条件ではないだろう。そうでなければ、43番がどんなに慎重な性格だったとしても、もっと早くにその居所が露見していた筈だ」
「条件を満たせば、亜希を、生き返らせることも可能かもしれないのか。πのお父さんも」
「理屈で行けばそうなる。けど……」
「何だ?」
「黄泉がえりは生者の切望であると同時に禁忌だ。この世にもあの世にもノーリスクハイリターンなんてことは有り得ない」
「それが目下のπの懸念事項か」
「錐雪」
「ん?」
「名前。呼んで。数美には、そっちで呼んで欲しいんだ」
「うん。……錐雪。どうすれば43番を捜すことが出来るだろう」
「数美は亜希を生き返らせたいのかい」
「当たり前だろう」
錐雪が不透明な眼差しで数美を見た。恋する少女を見る目ではなかった。
「蓮森征爾。全ては彼の手の平の上じゃないのか。父さんの、生死さえも」
「――――」
言葉に詰まる数美を見て、錐雪は、ああ好きだな、と思った。この愚直さも、凛としたところも。……きっと、今でも、誰より泣きたがっているのにそれを押し隠して平気に振る舞っているところも。
外から小鳥の声がする。窓に目を遣れば夏らしい明るい外界を拝むことが出来た。
「まずは森派閥と篠蛾敦人への備えを盤石にしてから、43の捜索をするのが妥当だろうな」
「尾曽道長官なら43番の居所を知っている可能性はないだろうか」
「う……ん。どうかな。それであればもっと彼なりに、効率よく動くことが出来た気がする。それをしなかったということは、尾曽道長官もやはり43を把握出来ていないからじゃないだろうか」
「46番はどう?」
数美の言葉に、錐雪の瞳がきょとんとする。
「46?」
「確か、人の心を〝よむ〟異能の持ち主の筈。その人に捜してもらえたら良いのでは。46番は統監府の人間じゃないのか? 統監府内には、43の行方を知る人間がきっといる」
「問題は、どうやって協力してもらうかだな……。俺は統監府とは一応、対立している立場だし」
「僕が行こう。どの道、遅かれ早かれ統監府に入る身だ」
「いや、今、数美が単独で動くのは良くない。青鎬さんか凍上さんに協力を仰ごう」
「解った」
錐雪を見送った数美は入浴し、夕食を摂り、部屋に戻った。空が燃えるように赤い。荘厳な夕焼けだ。昔、小学校に戦争を体験した老人が呼ばれ、その体験を語ったことがある。空が真っ赤に燃えていた。どこもかしこも真っ赤だったと言っていたのが印象的だった。今は戦時下ではないが、数美たちはある意味、戦いの渦中にいる。数美はそのまま、落日を見届けてからカーテンを閉めた。
ベッドに横たわる。空調が心地よく効いている。
「冴次」
「はい」
即座に現れる、数美の忠実なる影守。紫の刺繍は今日も艶美に煌めいている。
「どう思う」
「数美様の御心のままに。私は数美様をお守りするだけです」
数美がごろんと寝返りを打つ。冴次に、顔が見えない角度で。
「亜希は、まだ17だったんだ」
「存じております。誕生日プレゼントに、ベビーピンクと金のオルゴールを贈っておられましたね」
「綺麗で可愛いものが好きだったから」
「数美様もその対象だったのでしょうね」
数美の忍び笑いが漏れる。
何にせよ、数美を笑わせることが出来て冴次はほっとした。最近、数美は心労が続いている。まだ若いのに、背負うものが多い。決して表情は見えないように、数美の横髪のほつれをそっと手でほぐしてやる。その手を不意に掴まれる。
「冴次。影守も死ぬのか」
「はい」
「冴次は僕より先に死ぬな。命令だ」
「無体ですね。私に、悲嘆の海に沈めと」
「僕はもう、僕の好きな人の死を見たくない。……亜希が死んだ時、辛くて悲しくて気がどうにかなりそうだった」
「泣き喚けばよろしかったのに。貴方はまだそれが許される年頃です」
「錐雪の腕で泣いた。外では泣けない。……亜希のお母さんを差し置いて、どうして泣き叫ぶことが出来る。手放しで泣いて良いのは親の特権だ」
「数美様は亜希様の親友でおられました。その、特権は数美様も十分にお持ちだと思いますよ」
す、と数美の纏う空気が変化した。
「父さんは何と言っている」
冴次の纏う空気も冷え冷えとしたものに変わる。
「仰っている意味が解りかねます」
「そうか。なら、良い」
冴次の姿が消える。数美の目には、少女らしくない醒めた光が宿っていた。
考葦亜房は日課である日記を書き終え、布団に潜り込んだ。掛布団はタオルケットだ。この季節らしい、朝顔の柄が水色とミントグリーンで描かれている。こんな些細な、好きな物事を亜房は大切にしていた。なぜなら彼は、存在そのものが、異例であり特異だったからだ。統監府すら見出せていない。当然だ。彼は只の花屋のアルバイトなのだから。自分の右手の平を見て、握ったり、開いたりする。
数美たちは43番を捜すだろうという見当はついている。だが、その道のりは平坦なものではない。
「46……。46を伝って43……。それでもまだ次の難関がある」
むくりと起き上がり、電気の紐を引っ張って明かりを消す。
また布団に転がる。正直なところ、亜房は自身を持て余していた。統監府だろうと篠蛾だろうとπたちだろうと、亜房が正体を明かして向かえば、諸手を挙げて歓迎するのだろう。そうだろう。しかし、それは〝嫌だ〟。
亜房は花が好きなのだ。静謐を愛しているのだ。権力争いの泥沼に巻き込まれるなど、真っ平ごめんだ。青鎬の場合は例外だった。考えている内に、昼間の疲れもあって、亜房はとろんと眠くなってきた。薄れゆく意識の中で、でも、と思う。
でも数美の力にならなってあげても良い。
だってあの子は、僕と同じくらい可哀そうな子だから。
「数美様!」
危急を告げる冴次の声に、数美の眠りは破られた。ばっと起こした半身。ベッドの横には。
「篠蛾、敦人」
「こんばんは。我自ら出向いたことを光栄に思え? 蓮森数美」
「何をしに来た」
「君を迎えに」
「何を」
莫迦な、と続けることは出来なかった。猛烈な睡魔が数美を襲ったのだ。素早く数美を抱き取った敦人を、冴次が阻もうとする。
「良いのかな? この姫君の命、今や我の胸先三寸ぞ?」
「…………」
冴次が影に溶ける。
弧を描いた敦人の唇は、今宵の三日月のようだった。
考葦亜房さんに出演していただきました。




