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071、眠り王子の目覚め

 1がゆっくりと身を起こすのを、その場の誰もが見ていた。何もせず。いや、何も出来なかったと言うほうが正しいかもしれない。1は周囲を見渡した。白髪に淡く乗った青紫と同じ色の瞳は、まだ茫洋としているようだった。


「……どこだ、ここは。麗子(れいこ)裕之(ひろゆき)は?」


 恐らくそれは2と3の番号持ちの名前で、そして彼の問いにすぐ、明瞭に答えられる人間はいなかった。どうして躊躇なく答えられるだろう。彼と同じ境遇にあった同胞たちは既に鬼籍に入ったなどと。青紫の淡い双眸が数美を捉えた。


「征爾? 君は、誰だ。征爾の」

「僕は蓮森数美。蓮森征爾の娘だ。父さんと面識があったんだな。貴方の名前を教えて欲しい」

「俺は斎藤(さいとう)(ひと)(よし)。征爾の娘は、まだ小さかった筈だ」

「貴方は、眠っていたんだ。ええと、」

「十年間」


 πが助け舟を出す。淡い青紫が見開かれる。


「十年……。吉馬はどこだ? 征爾は? 麗子たちはどうして一緒にいないんだ」


 仁祥の矢継ぎ早の質問に、誰が答えるか譲り合うような空気が流れた。それは容易に答えられる事柄ではなく、また、精神的にも負荷の掛かる役割となるからだった。

 結局、xが進み出た。


「吉馬は死んだ。蓮森征爾の行方は解らない。……2番と3番も、亡くなった」

「――――莫迦な。誰が吉馬を、麗子たちを殺せると。征爾が行方不明?」

「吉馬を」


 そこでxは言葉を切った。息を吸う。


「吉馬を誰が殺したかは知らない。俺が教えて欲しいくらいだ。2と3を殺したのは、森博嗣の息の掛かった統監府第三課二班班長早良波羅道」

「…………早良波羅道。そいつが、麗子と裕之を。征爾はどこにいるんだ」

「それを知る者は誰もいない。多分な」


 xの目がちらりと数美の上をよぎった。数美は無反応だった。只、唇をきつく結んでいた。


「俺はな、斎藤さん。あんたがおっかないんだ。正直なところ。何せ天下の1番様だ。教えて欲しい。あんたの、能力を」


 仁祥の目が微細に揺れた。迷子のようだと数美は思う。


「俺が願ったことは、一日に一つだけ必ず叶う。ある程度の制限はつくが」

「つまり、死者を甦らせるような真似は出来ないと」

「そうだ」

「お白湯で良かったかしら」


 塔子がそっと仁祥に湯呑みを差し出した。仁祥は、ありがとうと礼を言い、塔子の顔を見た。


「私は蓮森塔子。蓮森征爾の妻よ」

「そう、か。征爾より、年上なんだな」


 塔子が苦笑した。


「いえ、年は下よ。貴方の記憶にある主人より、年を取ってしまっただけ」

「……失礼した」

「良いのよ」

「まだ訊きたいことがある。あんたの能力の適応範囲だ。例えば、核爆弾をある国に落としたいとあんたが言えば、それは叶うのか?」


 仁祥は笑った。泣き顔に等しいような笑顔だった。


「俺はそんなこと絶対に願わないし言わないけれど、叶うよ」


 数美は二の腕が鳥肌立つのを感じた。それは恐怖と言うより強い憐憫の情ゆえのものだた。何と悲しい、何と激しい能力か。隔離され、舌を切断されなかったのが不思議なくらいの異能だ。


「俺たちは、番号持ちの中でも異端視されていた。人並みに接してくれたのは、征爾と吉馬くらいだった。でも、そうか。皆、いなくなってしまったんだな」


 哀切の響きを持つ声に、その場に居合わせた人々の胸は一様に痛んだ。Ωでさえ眉をひそめ目を伏せた。仁祥はそれからπに視線を合わせた。


「君は吉馬の子だね」

「……ああ」

「吉馬が話していた通りだ。黄金の髪、紫の瞳。そして吉馬が使っていたその刀。猩々緋王」

「父さんが、俺のことを?」

「うん。愛息子だと真顔で言っていた。必要な場合には冷徹な決断をも下す吉馬も、親莫迦なんだなと麗子たちと話したよ」

「…………」

「さて。もうそろそろ良いでしょう。今は仁祥君には休息が必要だよ」


 有栖の声に仁祥を仔細に見れば、確かに彼は肩で息をして、額には細かな汗の粒が浮かんでいる。塔子は彼を再び横にさせた。額の汗を拭い、手櫛で髪を梳いてやると、間もなく仁祥は眠りに落ちた。

 数美たちは顔を見合わせた。仁祥の眠りを妨げない為に、彼らは数美の部屋に足を運んだ。これに当初、πは難色を示した。数美の部屋に他の人間、とりわけ男たちを入れたくなかったのである。だがxの拳骨により、その独占欲は封じられた。


「俺たちであいつを預かるか」

「どうして?」


 xの発言に数美が疑問を呈する。


「森派閥が狙う可能性が高い。ここにいたらお嬢ちゃんやお母さんまで巻き込まれる」

「僕は当事者だから構わないが、確かに母さんまで危険な目に遭うのは困る。でも、πたちはそれで良いのか? 今度はπたちの家が、本格的な戦闘の舞台になってしまうだろう」

「うちは戦力が揃っている。そういう、アジト的な場所でもあるからね。数美が心配することはないよ」


 πは努めて穏やかな声で、数美の不安を払拭しようとした。


「にゃあ。それなら、ひとよしが起きたら、うちにお引越しだね!」


 お引越しという、いまいちずれたカレンの牧歌的な言い方に、その場の空気がやや和んだ。そうすると、神経を極限まで張り詰めさせていたのだと誰もが自覚する。統監府地下に出向いたπたちはもちろん、視ていただけの数美であってさえも。


「これからどうする?」


 xがπに判断を仰ぐ。年若くても、彼らを率いるリーダーは、あくまでπなのだ。


「先手を打って森を叩くか」


 πが気負いのない声でぽつりと剣呑なことを言う。異論を唱える者はいなかった。数美が不安そうな顔をしたので、πは微笑を浮かべて見せた。


「大丈夫。数美の心配するようなことにはならないから」

「保証なんてないだろう。その時は僕も行く」

「それは駄目だ」

「なぜ」

「数美は塔子さんを守らなければ。森が、ここまで魔手を伸ばす可能性だって捨てきれないんだ。……篠蛾敦人の動向も読めない」


 数美が黙り込む。父のいない今、塔子は数美の唯一の肉親であり、帰るべき家そのものだった。俯いた数美の髪を宥めるように撫でて、πは大丈夫だよと繰り返した。



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