068、死ぬのかな
その日、記号持ちの集う家ではπが住人を集めてリビングのソファーに座っていた。まるで玉座に座る君主のように。実際、彼はこの家では似たような立場にあった。その、君主が形の良い唇を開いた。
「1と2と3を奪取する。今度こそ、本気で行く」
ぐ、と力を入れた拳は彼の決意の強さを物語るようだ。
「異論はないが、それが今なのは何でだ」
Xが慎重に疑問を呈する。紫水晶の目が彼に向かう。
「敦人をのさばらせておくことが出来ない。彼は危険過ぎる。……犠牲も出た。この上は一刻も早く布陣を強固にし、対抗する必要がある」
「その前に統監府とやり合う積りか?」
「交渉の余地があればそうするが、あちらは秘事に頑なだろう。力押しで行くしかない」
「解った。人員は?」
「俺、x、Ω、カレン」
πが提示したメンバーに、納得する者もいれば不満を抱く者もいた。
yなどは明らかにそれを口に出した。
「あたしをまたも仲間外れにする気かい? π。寂しい話じゃないか」
「yは後方待機してくれ。手薄になったこの家を、敦人が狙わない保証はない」
「ふん、まあ良いさ」
紫の長い髪を掻き上げて、yが鼻を鳴らした。xは窓の外を見た。今日は快晴で夏には珍しく白い雲が棚引いている。蝉は相変わらず高らかに生命の歌を歌っている。
「じゃあまあ、この一仕事が終わったら、ティラミスでも作りますか」
おどけたように言ったxにπが笑みを浮かべた。
何事もなかったかのように統監府デスクに座った凍上は、青鎬からちょいちょい、と手招きされた。人気のないところで話があると言う。怪訝な顔で凍上が青鎬について行くと、彼は統監府の一階隅の、ベンジャミンだけが置かれた人気のないところまで誘われた。
「何ですか、青鎬さん。業務時間内ですよ」
青鎬はそれには答えず、車椅子の持ち手に両手で圧を掛けた。凍上がはっとする。ゆっくり。ゆっくりとだが、青鎬の脚が、立ち上がらんとして動いている。それは起こるべくもない奇跡だった。だが奇跡は続いた。青鎬はついに立ち上がると、ゆっくりとだが数歩、歩んだのだ。ふらついたところを凍上が慌てて支える。
「今はこのくらいが限界か。リハビリしないとな」
「どういうことですか、青鎬さん。治ったんですか」
冷静な表情を滅多に崩さない凍上が、嬉しそうに興奮して問いかける。
「マジシャンに逢ったんだよ」
「マジシャン?」
「ある異能者が俺を治癒した」
「119番でも治せなかったものをですか」
「そうだ。そして俺にはこの件に関して秘匿する義務と恩義があるから、これ以上詳しくは言えない。凍上。お前だから今の内に話しておいた」
「マジシャンでも何でも良いですよ。青鎬さんを五体満足にしてくれたんですから。俺からも礼を言いたいくらいです」
青鎬は笑った。虚脱ではない、彼本来の力の籠った笑みであることに、凍上は歓喜した。
その後、凍上は尾曽道に呼ばれた。
今日はどうも呼び出しがかかる日だと思いながら長官室に赴く。慌ただしい日は慌ただしいことが重なるものだ。
尾曽道はデスクに座り、両手を顔の前で組み、卓上に肘をついていた。
「凍上君。1と2と3を凍結させた君に頼みがある」
「何でしょう」
「彼らを起こして欲しい」
はっ、と凍上は瞠目した。
「しかし。長官、それは危険なのでは。彼らは統監府を恨みこそすれ、到底、仲間意識など持ち合わせないでしょう」
「彼らが統監府に反旗を翻した理由を知っているかね」
「……いいえ」
それは統監府の謎とされており、トップシークレットだった。
「森派閥。知っているね」
「はい」
森派閥。統監府内でも番号持ちをとりわけ優遇し、逆にそうでない者を人と認めないような過激な選民思想の持主、情報収集室主任・森義嗣率いる派閥の総称だ。
「森君も困ったものでね。……番号持ちを特権階級とし、他をそれより下に……率直に言えば奴隷制を敷こうとしたのだよ。彼は1たちを半ば崇拝していた為にそのことを語った。愚かな妄想だ。1も2も3も心ある人物たち。彼らは森君に猛反発した。森君は、これを私の考えでもあると騙った。不幸にも虚偽は信じられ、1たちは統監府に失望して統監府そのものを諸悪の根源と考え、壊滅しようとした。私の声は、既に届かない状況だった。だから、凍上君。君に彼らを凍結してもらったんだよ」
諸々が腑に落ちた。だがまだ残る謎がある。
「長官。催馬楽吉馬は、なぜ」
「そのなぜは、彼が統監府に1たち同様反発した理由に対してかな? それとも」
尾曽道が組んでいた手を解いた。
「それともなぜ彼を君に殺させたのか、かな?」
「…………」
「いや、これは失言だな。催馬楽吉馬は半ば自死したのだから」
「俺が追い詰めました」
「君が自分を責めることじゃない。催馬楽吉馬も森派閥に抗おうとした一人だった。統監府そのものの在り方に疑問を持ち、森君の功名な罠にかかってしまった。私はね、凍上君。一人の少女の死が、森派閥という統監府の膿によって起きた悲劇なのではないかとさえ思うのだよ。無論、私にも彼らを抑えきれなかったという非はある。だから1と2と3を起こし……、今夜やって来るπ君も交えて話をしたいと考えている」
「πがここに……!?」
「砂嘴君の占いだ。外れまい」
凍上の中で様々な思いが渦巻いていた。過激派の森派閥。確か青鎬は毛嫌いしていた。森自身の異能は何だったか忘れたが、スペックは高かった筈。死んだ催馬楽吉馬。いや、自分が殺した催馬楽吉馬。凍上はπの父の仇ということになる。あの運命の日。青鎬が知れば必ず阻止すべく動くだろうと思い、睡眠薬を飲ませた……。自分は青鎬も裏切っていた。恐らく香澄が詳細を知れば、自分を許さないだろう。
πが今夜、ここに来る。
1と2と3を〝解凍〟するのは容易い。しかしその後の話運びは決して容易くはないだろう。
――――死ぬのかな。
ふとそんな思いが湧く。今日が自分の命日となるかもしれないと凍上は感じていた。




