066、誰がコマドリ殺したか
飛鳥井亜希が逝った。
その事実は亜希の内情を知る者には衝撃を以て迎えられた。
尾曽道は数学統監府の高い自室から階下を見下ろし黙祷した。若過ぎる命が散ったことに痛恨の念を禁じ得なかった。
砂嘴楠美は黄金の腕を上げ下げしながら、部下からの報告にそうかとだけ答えた。
凍上は一班の班長代理を務めることになった。その胸中は未だ亜希の告別式に囚われていた。
数美は数日、学校を休んだ。心が悲鳴を上げていた。塔子は娘の心中を慮り、数美のしたいようにさせた。学校では臨時の朝礼で、亜希を悼む言葉が校長により述べられ、亜希を知る生徒たちの涙を誘った。その中には亜希の告別式に赴いた者も少なからずいた。快活で飾らず、気取らない亜希の人柄は、多くの人に慕われていたのだ。
堅洲、美風、久真もいつもの喫茶店で言葉少なに過ごしていた。
彼らは観察者であると同時に当然のように人の心を持つ。この混戦状態の中、一人も死者が出ないなどと甘い考えは持っていなかったが、それにしても亜希は若過ぎた。
「育てば別嬪さんになってただろうよ」
「育たなくても美少女だったよ」
「まあな」
美風の言葉に軽く反発した堅洲も暗い面持ちだ。
「完全数の6が死んだ。その瞬間、日本のどこかで6の番号持ちが生まれている。統監府は血眼でこれを捜すだろう。俺たちは彼らの先手を打たなければならない」
堅洲の空気を切り替えるような宣言に、美風も久真も真顔で頷いた。
「あの人も言っていた。早急に手を打ち保護しろと」
「視る能力者が統監府にはいるだろう。こっちはπに助力を頼むか?」
「それでも良いが視ると言ってもある程度的を絞らないと難しいだろうよ」
「やれやれ、赤ん坊捜しかあ。あ、そう言えばさあ?」
「ん?」
美風の声に堅洲がコーヒーから声を上げる。
「0番ってないの?」
「ないだろ」
「あっさり言うねえ」
「番号は1から999だ。各国、例外はない」
「だよねえ」
「どうした、急に」
「いや、何だか気になっちゃってさ」
完全数を持った少女の死の報せは中條の耳にも飛び込んで来た。多少の痛ましさは感じたが、彼はそれより眠り続ける恋人・月子の容態のようが気掛かりだった。薄曇りの空の下、いつもの花屋で花束を注文する。忙殺される仕事だが、今日は早く帰れた。亜希の死と言えば相変わらず統監府が無茶な横槍を入れたようで、中條たちにその後始末が回ってきた。腹立たしいがこれが日常だと言うのだから怒るエネルギーを使うだけ無駄と言うものだ。
明るい向日葵を中心とした花束を受け取る時、中條はバイトの青年の右手のひらの痣に気づいた。ぐにゃりと歪んだ楕円形のような。しかし変わった痣があるなとそれだけの感想を抱いて、彼は花屋を後にした。極めて重要事項を見過ごしてしまったことなど気づかない。
中條が自分の右手のひらを注視した時、考葦亜房は、内心ひやりとした。
気づかれたか?
やはり肌色シールで隠しておくべきだったか?
しかし花屋の商売は繊細な手の感覚が重要である。つまるところ亜房に選択権はなく、中條に注目されるのは止むを得ないことだった。幸いにも中條の意識はすぐに痣からは逸れ、何かに気づいた様子はなかった。中條が店を出て行った時、亜房は震える吐息を漏らした。あの人に厳命されている。断じて秘匿せよと。誰にも気づかれるなと。だから亜房は、有り得ない痣を右手に、今日も花を束ねるのだ。
少しずつ、少しずつ、隠された真実が、ヴェールを脱ごうとする気配を、敏い者は感じていた。それはまるでコップの水が、一滴、一滴、注がれながらついには溢れ出すように。
数美はベッドの上で凝固させた表情をしていた。冴次がそれに付き添う。
「冴次」
「はい」
「僕は着替える」
「畏まりました」
冴次は姿を消し、数美はドレッサーから青と白のストライプのパフスリーブと、紺色のキュロット、濃紺の天鵞絨のリボンを選んで、浴衣を脱ぎ、神聖な儀式を行うようにゆっくりとそれらを身に着けた。ふと鏡を見る。髪の毛がはねている。それを優しく梳き流してくれる手はもうない。永遠に。人が死ぬとはそういうことだ。無味乾燥に数美は思う。そして、亜希に言われた通り、ドレッサーの前で、ブラシを自ら手に取り髪を梳いた。残酷だな、と思う。自分はこれから、髪を梳く度に亜希の死を思い出すのだ。或いはあの形容し難い笑顔を。部屋を出ると、塔子が驚いた表情でおはようと言った。数美も挨拶を返す。
「もう大丈夫なの?」
「うん。いつまでも休んでられない」
「それはそうだけど」
塔子の表情には心配と安堵が入り混じっていた。
「母さん」
「なあに?」
「死んだのが僕じゃなくて良かったと思ってる?」
「……怒るわよ。亜希ちゃんは、私にとっても大切な子だった」
「……ごめん」
学校に行く途中、阿頼耶識と会った。彼は普段と変わりない様子で、ようと言い、数美と並んで歩き出した。
「やあっと穴倉から出て来たか。遅いんだよ」
「うん。莫迦耶識にも心配かけたよな。ごめん」
「心配してねえし莫迦じゃねえし」
朝のゴミ出しをしている主婦の姿を見て、ああ、日常だと思う。日常は何が損なわれても円滑に運営される。残酷で正しい世界の道理。空はいつものように青く、蝉が鳴いていた。
その日の昼休み、羅宜雄と阿頼耶識と図書室で落ち合った数美は、痛切な寂寞を感じた。亜希がいない。創がいない。感傷を振り切り、今後の方針を話し合う。
「あいつさ、本当に死んだのかな」
「何言ってるんだ、阿頼耶識」
「だってまるで実感が湧かねえんだもん。死に顔見たし、焼香もしたけど。何かこう、いまいち真実味がねえんだよ。実は全部、飛鳥井の悪戯でさ、俺たちそれに踊らされてたりとか……」
「阿頼耶識君」
静かな羅宜雄の諫める口調に阿頼耶識も我に帰り、数美を見た。
「わり」
「ううん。亜希は、そういう子だったから。――――一つだけ言えることがある」
それに続く言葉を、阿頼耶識も羅宜雄も理解出来なかった。
「亜希は父さんに殺されたんだ」
友情出演:堅洲斗支夜さん、美風慶伍さん、月乃輪久真さん
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