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063、亡骸を抱き締めて

挿絵(By みてみん)

 いつもと変わらない朝だった。変わらない青空、変わらない太陽。こんな朝がここのところ続いていると数美は思った。それは喜ばしいことではなく、寧ろ不吉に感じられた。

 何かが起こる時はいつも何も変わらない。素知らぬ顔で暑さも攻めてくる。

 数美と亜希はいつも通り、通学路を歩いていた。最近、あった変化と言えば、阿頼耶識も途中から合流するようになったことである。まるで創のいない穴を埋めるように、彼はぶっきらぼうな態度で数美たちに加わった。そんな時、亜希がふと笑んだ。


「あら呼ばれた」


 瞬間、亜希の姿は掻き消えた。


 橙色の単衣に黒い袴の夏人と、縹色の単衣に黒い袴の美冬が、青い強化結界の中、抜刀の構えで待ち構えていた。亜希もすかさず小太刀を取り出す。得物の長さが勝負を左右するとは言え、この二人に遅れを取る気はさらさらない。自分も舐められたものだと亜希は内心で敦人に苦情を言った。

 すさまじい斬り合いが始まる。仕掛けたのは亜希だ。


[常夏の調」

[logなし]

風花(かざはな)(うたい)

「logなし」


 夏人たちの異能の攻撃を、亜希は無効化する。全ての攻撃に可能な訳ではない。例えば篠蛾敦人などが相手となると話も変わって来る。澄んだ音を立てて亜希の小太刀が真っ二つに折れた。亜希は焦らず冷静に数歩、夏人たちと間合いを取ると次は刀を取り出した。黒漆塗りの、鍔などは簡素だが、だからこその美を感じさせる刀である。


 そして、敵二人に殺到した。腕には覚えがあった。

 

 夏人と美冬は亜希一人の攻撃に押されていた。


「3×3はなあんだ」

「ふざけたことを……」

「美冬、答えるな!」


 ペロ、と亜希は舌を出した。バレた。今の問いに9と答えていたら、その音の通り苦しみ果てただろうに。どうやら夏人のほうが思慮深いようだ。元は四天王と言って四人組だったようだが、そのリーダー格だったのかもしれない。ちらりと漆が小さく破損した刀の鞘を見る。手入れがそろそろ必要かもしれない。


「4×4はなあんだ?」

「……」


 夏人に注意された美冬も今度は容易に答えない。二人は亜希という一人の少女に、敦人に対するにも似た戦慄を感じていた。そしてそれは、あってはならないことだった。


「亜希!」


 恐らくは敦人が張ったのであろう強化結界に入り込んだ少年少女が三人。創、阿頼耶識、数美である。


「亜希、無事か!」

「はあい、数美。見ての通り、ピンピンしてるわよ。寧ろあっちが無事じゃない顔色だわ」


 亜希の指摘通り、夏人と美冬は蒼褪めていた。創を見て、この裏切者、と言わんばかりに睨みつける。

 そうしていたら、急に身体が浮き上がった。狼狽する彼らを阿頼耶識が睨んでいる。


「番号持ちにも色々あんだ。モブ扱いしてんじゃねえぞ」

「たかが611が。ほざいてんじゃないわよ」

「へえ、よくご存じで。袴の隙間から下着が見えるぜ」


 美冬が宙に浮いた状態で袴を押さえつける。


「降ろしなさいよ、この……」


 夏人が投擲した刃を弾いたのは創だ。いつもの、木刀に仕込まれた刀を使った。夏人がぎりりと奥歯を噛む。


「この裏切者……っ」

「それはもう解っていたことだろう?」

「開き直るか!」

「まあね。ごめん」


 この光景を視ていた敦人は顎を撫でた。


「やはりあの二人に完全数は荷が重いか」

「敦人様は今は安静になされませ」


 敦人が咽喉の奥で笑う。


「解っている。とりあえず火責めでもしてみるか。美冬がいることではあるし、支障あるまい。新しい玩具も試したいしな」



 突然、巻き起こった業火に数美たちは思わず動転した。反対に夏人と美冬は、これが敦人による助力だと解っていたので、見守られている安心感を覚えた。美冬は雪を呼び、水を生じさせるとそれで自分と夏人を包むように円を描いた。下を見ると数美が叫んでいる。


「肉っ」


 肉の壁が数美と阿頼耶識、亜希と創を包み込んだ。だがそう長くはもつまいと思える心許ない防御だ。何よりあれでは酸素がなくなり呼吸困難になる。


「もう良い、退くぞ」


 阿頼耶識の言葉に数美は頷く。


「π、π、そちらに転移させてくれ!」

「させるか」


 阿頼耶識の異能から解放された夏人が肉の壁を切り裂き数美たちに迫る。

 ピン、と何か銀色の物が投げ込まれた。それを咄嗟に受けたのは亜希だった。

 亜希に何かが起きたと悟ったのは、その中で数美だけだった。そこからはよく解らない。恐らく夏人も美冬も、無事にあの結界から脱出しただろう。仕掛けたのは敦人だ。数美の家に転移した時、皆、煤だらけだった。身なりに気を遣う阿頼耶識が、ブランド物の服が駄目になったと嘆く。いつも通りの平和な日常。

 塔子も慣れたもので、飲み物は何が良いかしらなどと呟く。

 但し煤だらけの娘たちには眉をひそめ、家が汚れてしまうわと言い、風呂を勧めた。

 時刻はもう夕暮れで、結界内で戦っていたと思われるよりはるかに長い時間が経過していたのだ。烏の鳴く声を聴きながら、数美と亜希は小さかった頃のように浴槽に二人で入った。多少の高揚感はあったかもしれない。それから、無事に戻ることが出来たという安堵。けれど途中から、亜希の様子がおかしくなった。


「母さん! 母さん!」

「なあに、数美。大声出して。ちゃんと身体拭いた?」

「有栖さんを呼んで、亜希が変なんだ」


 数美が半ば引き摺るように運んだ亜希は、意識が朦朧としていた。数美の叫び声に何事かと身構えた創と阿頼耶識も、運ばれた亜希の近くに行く。


「……これか?」


 阿頼耶識が亜希の首に張り付いた、小さな円状の銀色を剥がす。亜希の呼吸は苦し気で、額には汗を掻いている。


「篠蛾敦人の仕掛けだ。多分」


 未知のウィルスの類。そして塔子から、有栖は今、来られないという絶望的な報せが入る。動揺する彼らの内、最も冷静だったのは、危機的状況にある亜希本人だった。彼女は自分が余命いくばくもないことを知った。その中で、自分に出来る限られたことをしようと決意した。それはまだ若い少女がするには余りに強く痛ましい決意だった。


「創。6のレンタルを無期限であんたに許可する」

「無期限ってお前……」


 数美の時とは違う響きを感じて、創が呻く。

 そんな莫迦な。そんな莫迦な。

 そんなことはあってはならない。

 次の瞬間、亜希が数美に向けてこれ以上ないくらいに優しく微笑んだ。


「数美に逢えて良かった。月並みだけど、幸せになってね」

「嫌だ、亜希。僕を置いて逝かないでくれ……。亜希がいなくなったら、誰が僕の髪を梳かしてくれるんだ?」

「自分でやるのよ、これからは。ごめんね。大好き。創、数美をた……の……」


 それ以上の言葉が、亜希の口から紡がれることはなかった。

 阿頼耶識は呆然としていた。


「あんな綺麗で強い奴を殺すのかよ……この世界は」


 数美は動かなかった。

 身じろぎもせず、友の亡骸を抱き締めて沈黙した。



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