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061、ありえない数

挿絵(By みてみん)

 凍上の傷が完治したようだと聴いた時、数美は心底ほっとした。彼は統監府の人間で、決して油断出来る相手ではなかったが、その人となりはもう、何となく解っていた。青鎬にしろそうだが、数美には彼らに対して情が湧いていた。そしてその情は、心地好いもので、数美が数美という人間であるに必須だった。数美は亜希と相談して、彼のお見舞いに行くことにした。評判の良い花屋ということで、少し遠回りして歩く。店にはまだ若い青年が一人いて、アルバイトだろうと察せられた。


「お見舞いの花を贈りたいんですが」

「はい、畏まりました。注文はお任せで?」

「はい、いえ、緑色を多くしてください」

「緑ですね。カーネーションが良いかな。丁度、良いのが入って来てるんですよ。それにカラーを合わせて。半夏生(はんげしょう)も良いな」


 数美は茶道の家に生まれたので、花に詳しく、カーネーションには緑色のものもあると知っていた。そして緑を強調したのは、凍上と、緑の瞳のzが恋仲にあるとπに知らされたからだ。店に一つある卓上には緑の花が散らばり、その向こうにはカラフルな色とりどりのリボンが並んでいた。青年は魔法のように花を手際よくまとめてゆく。数美と亜希は思わずほう、と見惚れてしまった。


「出来ました。いかがでしょう」

「ありがとうございます。おいくらですか?」

「二千円で」

「――――それでは安過ぎるのでは」

「気にしないで。僕の気持ちも入っているので」


 青年はにこりと微笑んだ。釈然としないながらも支払いを済ませ、花束の受け渡しの時、数美は偶然彼の右手のひらを垣間見た。

 疑惑の芽が生まれた瞬間だった。


 街中の喧騒を通り、凍上のアパートに行く途中、沈黙したままの数美に亜希が声をかけた。空はオレンジがかり、優しい空気だ。


「どうしたの、数美? あの胡散臭いおにーさんが気になる?」

「ん……、いや、僕の気のせいだ」


 数美は亜希が持ったほうが絵になると思ったのだが、亜希は断固、その主張を跳ね除け、緑とパステルカラーで彩られた花束を数美に押し付けて譲ろうとしなかった。

 軽いすり鉢状になっている公園の傍を通り過ぎると、凍上の住むアパートが見えてきた。地図を書いてくれたのはzだ。薫によろしくねと言って。その時の彼女の顔は穏やかで優し気で、男性なら憧れて当然と思えるものだった。つまりは、お似合いの二人なのだ。

 アパートは小綺麗だった。流石は統監府の社宅と言えるかもしれない。男性一人が住むには広い内装がドアの外からでも窺い知れた。チャイムを鳴らす。

 少しの沈黙の末、薄手のサックスブルーのカーディガンを羽織った凍上が出て来た。


「やあ、君たちか」


 今日の数美は、青紫の大きなリボンにフリルたっぷりのブラウス、黒いキュロットの下には紫色のタイツを穿いている。出る前に塔子から言われたので、生成色のシルクのストールが首から肩にかけてある。

 亜希は辛子色のロングスカートに、上は白いタートルネック、黄緑色のカーディガンを着ている。華やいだ美少女たちに、凍上の表情も柔らかになる。


「あの、お見舞いに」

「ありがとう、上がって」


 中は想像通り、清潔で、きちんと整理整頓されていた。まだ傷が治りきらない凍上に代わり、亜希がとろりとした青い花瓶に花を活ける。有栖が言っていたことを思い出す。いきなり、急に傷を癒すことは危険なのだと。もちろん切迫した事態であればそうすることも辞さないが、基本的に本人の治癒力に任せるのが一番。つまりは凍上の傷もそういうことなのだろう。

 数美は慣れない家ながら、紅茶を淹れた。お茶に関する一通りの作法は塔子に叩き込まれている。小振りなテーブルに紅茶と花瓶が並ぶ。凍上は、自分が座った向かい側のソファーに数美と亜希を座らせた。

 ティーカップに口をつける。


「美味しい。数美君はお茶を淹れるのが上手いね。流石は塔子先生の娘さんだ」


 秀麗な顔に花が咲く。


「母をご存じでしたか」


 考えてみれば無理もない。塔子は統監府長官・尾曽道哩の師範であると同時に、統監府が血眼になって行方を探る蓮森征爾の妻なのだから。果たして凍上は頷いた。


「俺も弟子の末席だからね。それでも、俺や……、俺は職務に忙殺されて中々、稽古を受けることが出来ず、何回かお目玉を喰らったな」


 凍上がくすくす笑う。数美は凍上が言いかけたことが気になった。凍上や……、それは青鎬ではないだろうか。下半身不随となった青鎬を痛んでその名を呼ぶことが出来なかったのではないだろうか。

 その後は穏やかな歓談となり、夕暮れになる前に数美と亜希は辞去した。

 烏の鳴き声が早くも聴こえる帰り道、数美と亜希の胸中は、些細な棘はあるものの、綻ぶ花に似て和やかだった。薄い水色の空に藤色が、紗がかかったように麗らかだ。学校帰りの子供たちが歓声を上げながら駆け回っている。


「あれくらいの年に戻れたらと思う時があるわ」

「……」

「まだ完全数なんて知らなかった、お父さんやお母さんが私を守る為に始終びくびくしている必要もなかった」

「亜希」

「でも」


 亜希がにこっと笑う。曇りのない笑顔だった。


「完全数だったから、数美と仲良くなれた。あの莫迦。創とも。悪いことばかりじゃないわね」


 数字唯一無二主義のこの社会で、実は番号持ちたちは他が思う程に幸福を享受していない。羨み、やっかまれ、排斥されることもある。そうした輩に対しては、統監府からきつい罰則が科せられるのだが、それでも陰湿な嫌がらせは絶えない。亜希と数美が番号持ちであることを、必死で隠していたのはその為だ。そして今、その事実を公表している。それはそうせざるを得なくなったという理由もあるが、もう十分にそうした負の感情を跳ね除ける力がついたからでもある。

 目には目を、歯には歯をというが、数美たちはそんなことをしなくとも、不逞の輩をいなしていた。そして、それで十分だった。仕返しといった子供じみた行為をする積りもない。


 数美はいつも通り亜希を家まで送り届けた。亜希は、数美に気を付けて、と言って手を振った。数美もまた家路を辿り、帰り着く頃には塔子が出迎えてくれた。 

 塔子は心配なのだ。夫に加えて娘まで消えたらどうしよう、と。


「お帰りなさい。お風呂沸いてるわよ」

「うん。入る」


 風呂上りにはいつもの浴衣に着替えてミルクコーヒーを飲む。

 快く甘い液体が火照った咽喉を通るのを感じながら、数美は考えていた。

 だが、その考えを一笑に付す。


 なぜならその番号は有り得ないものの筈なのだから。



友情出演:考葦亜房くん


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