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057、15センチ以内

挿絵(By みてみん)

 統監府でも剣術の稽古はある。

 しかし青鎬や凍上は異能と優れた体術の為、余りそれを必要とせず、また、その鍛錬も身を入れてはいなかった。そのつけがここに来て出たかと凍上はシャツを躊躇なく引き裂き、赤い左肩に巻き付けた。他、細かい裂傷。斗支夜がちらりと凍上を見てその状態を推し測る。まだ〝戦力として数えられるかどうか〟〝死なせずにいられるかどうか〟も、冷静な眼差しは見て取ろうとしている。


「踏ん張れるか。凍上薫」

「当然だ。……」

「斗支夜と呼べ」


 二人は敦人からかなりの間合いを取って会話していた。それもどこまで気休めになるか解らないが。


「篠蛾敦人の異能はでたらめだ。俺の異能も今のところはさして痛痒を感じていないようだ。凍上。あんたの異能に頼りたい。あんたの15センチ以内まであいつを誘導するから、後は任せて良いか」


 この言葉は凍上の秘された異能の極意を知らなければ出てこない。凍上の目に一瞬、猜疑の色が浮かんだが、それはすぐに消えた。現状、斗支夜の言うようにしか敦人を倒す法はない。


「作戦会議は終わったか? 凡百(ぼんびゃく)の諸君。所詮は君たちがどう動こうと、我を殺すなど無理、無駄な足掻きというのにいっそ憐憫を誘う愚かしさだな」


 言葉が最後まで終わる前に、斗支夜が高々と跳躍した。

 長身の斗支夜がそのように跳ぶと、野生のしなやかな四つ足の獣が悠然と蒼穹を背にするようだった。


 りうりう、りうりう、と。


 斗支夜の動きは非常に巧みだった。

 敦人の刀を掻い潜り、それでいて敦人の急所に打撃を負わせようとする。それでも得物を持つと持たぬとではやはり違う。斗支夜にも裂傷が徐々に露わになってきた。敦人の唇が緩む。


「虫けらが。我に歯向かう愚行の報いを受けよ」


 黒と銀はよく映える色合わせだ。

 敦人の黒漆の鞘から出た刃は、美しく。美しく斗支夜の首を切断しようとした。

 

 そして異変は起こった。


 敦人の視界。物が二重、三重にぶれて見える。ぐらり、と敦人は傾ぎ、そしてぎり、と唇を噛んだ。

 斗支夜の異能だ。まだ奥の手があったのだ。最初の酩酊は単なる初手に過ぎない。技を隠すは戦士の常。

 凍上がぶれた視界に入る。誘導されたのだと、そこで気づく。〝15センチ以内〟。そこに至れば敦人とて死ぬ。ぞっと戦慄した。同時に、敦人の奥底から猛烈なるマグマのような憤怒が湧いた。異能の王に対して、何と傲慢な。奴らの増長は、決して許されてはならない。

 両足を地にしっかりつけ、身体の均衡を保つ。


「曲水の宴」


 巨大な白銀の龍が降臨する。主を案じるように寄せられた鼻面(はなづら)を、敦人は撫でてやる。まだだ。まだ、斗支夜の異能の効果は抜けない。忌々しい男だ。何者かは知らないが、敦人に彼を生かして帰す積りは微塵もなかった。


 そうした、負の感情が隙となった。


 とん、と凍上が龍をものともせず敦人に接近した。〝15センチ以内〟

 瞬時に敦人が後退する。


(右腕が逝ったな)


 極北の感触が右側にある。いや、ない、と言うべきか。

 主を害された龍は怒りの咆哮を上げ、凍上に襲い掛かった。その前に、斗支夜が出る。流れるような後ろ回し蹴り。狙うは龍の右目。的には見事に当たり、ぎゃあと龍は鳴いた。可哀そうにな、と凍上は思う。斗支夜を責めての思考ではない。敦人という暴君に従った気高い神話の生き物の境遇を憐れんでいるのだ。今度は凍上が前に出る。肩の痛みがどうのと言っている場合ではない。斗支夜とて、傷を負っている。


 束の間、龍に場を任せて気を抜いていた敦人を、ふわりと抱き締める。

 死の抱擁。


 敦人はぞっとして凍上を突き飛ばした。ピキピキ、と身体の表面が凍っていく。そう、まだ表面だ。深部ではない。そのことにほっとし、そしてそんな自分を怯懦(きょうだ)だと呪った。


「秋子!」


 紅の単衣、黒袴を着て佩刀した少女が降り立つ。


「秋の日のヴィオロンの溜息」


 秋子の異能は凍上とは対極にある。そして敦人は強化結界を操るにおいてπに引けを取らない。頑強な氷が僅かに温み春の薄氷めいた。


 戦局を視ていたπが小さく舌打ちする。今のは敦人を討つ絶好の機会だった。悪い流れだなと思う。

 カレンは両手を組んで、祈るように俯いていた。心臓はドキドキと早鐘を打っている。斗支夜は死ぬのだろうか。少なくとも、優位には見えない。そしたらもう、一緒にビーチコーミングも出来なくなるのだろうか。初めて出来た友達を喪うのだろうか。

 Ωはしばらく戦況とカレンの双方を観察していた。それからおもむろにカレンに声を掛ける。


「カレン。行きたいかい?」


 弾かれたようにカレンが顔を上げる。いつもの飄々としたあどけない表情とは全く異なる面差し。πもカレンを見た。妹のように思う年上の女性を、慈しみ深い眼差しで包む。


「行っておいで、カレン。けれど君は俺たちの大事な仲間だ。家族だ。その危機を、俺たちは決して見過ごしにはしないだろう」


 つまりカレンが窮地に陥れば、πたちが加勢すると、そうπは告げたのだ。ドン、とカレンはπに抱きつく。


「おっと、」

「π、ありがとう。Ωも」



 三人の少女が同時に降って来るとは、斗支夜にも凍上にも敦人にも、誰にも想像出来なかった。


「肉よ、肉よ」


 数美が真っ先に口を開く。


「logの2の8」


 亜希がそれに続いた。

 カレンは呆気に取られて二人を見ていたが、やがてふふ、と小さく笑んで、それから顔を引き締めた。少女の姿をした(いくさ)女神(めがみ)がそこにはいた。

 カレンの姿を見た斗支夜は自分の素性が知られたことを悔やんでいた。斗支夜には昔、妹がいた。いつしかカレンと妹を重ねて、あの陽だまりのようだった時間を取り戻そうとしたのかもしれない。挙句、この体たらくだ。斗支夜は、拘りは薄いが矜持は高い。今、彼はカレンの手を煩わせている自分を強く恥じていた。

 ところが数美と亜希を見た敦人の表情は一変した。歓待するように両手を――――右腕は不自由なようだが広げて見せた。


「蓮森数美! 飛鳥井亜希! 我は君たちを迎え入れるよ」

「この状況で? 理性的判断がぶっ飛んでるな」

「しょうがないわよ、数美。沸いてるのよ」

「二人共、今から〝黒〟を作る。私から離れないで。私はπの仲間、カレン」


 カレンが数美と亜希、双方の手を握る。

 次の瞬間、強化結界の中は真の暗闇と化した。



友情出演:黒猫の住む図書館さん、堅洲斗支夜さん

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