056、哀しき玩具
りうりうと。
音に例えるならりうりうとした構えを斗支夜はとっていた。全身を緩やかに律動させ、自らの急所を逸らす。即ち後頭部、首、胸部、股間。長身の身体を傾がせたその構えは音楽のように流麗且つ理に適っていた。
この男とであれば連携出来るかもしれないと凍上は氷銃を構えたまま思う。敦人ですら斗支夜の構え、微細な動きを見て警戒しているようだ。
先に仕掛けるのは、斗支夜が適している。凍上と斗支夜は何も言葉を交わさないまま、阿吽の呼吸で動いた。斗支夜が敦人に迫り、掌底を繰り出す。只の掌底ではなく、何か底知れぬ威力が秘められていた。後に凍上が斗支夜をギリギリに避けた角度で発砲する。さしもの敦人もこの攻撃には虚を突かれた。うかうかしていれば攻撃の的となる一方だ。敦人は大きく後方に跳躍して、指揮棒を振るように手を動かした。上から腐臭を放つ物が落ちてくる。それらはオルゴールやビスクドールなど一見すれば愛らしいものだったが、いずれも荒んだ空気を纏っていた。凍上も斗支夜も直感でこれらを避けるべきと判断する。ダン、ダン、と発砲しながら間合いを測る凍上に斗支夜も倣った。嘗て美麗であったであろう哀しき玩具たちは地に落ちるとあたりを腐食させて黒炭と化した。
もしもオルゴールやビスクドールその他の遊具が健全なものであったとしたら、カレンにやれば喜んだだろうかなどと、斗支夜は自分でもらしくないと苦笑することを考えた。
「やれやれ」
敦人は空気椅子に座るような恰好になると、〝何もない空間から〟クリームソーダを取り出した。この強化結界はπの手によるものである。その領分が犯されていると凍上は冷静な思考で断じた。恐らく敦人は結界を操るに特化した能力の持ち主なのだ。
「同僚の仇討ちかね、凍上薫君。……と、そこのは知らん顔だな」
凍上も斗支夜も黙っていた。凍上にすれば敦人に答える義理はなく、斗支夜はその任務上、沈黙を貫くのが定石だった。敦人は貴人のように、実に優雅に、また美味しそうにクリームソーダを飲んでいる。
「人生最後のクリームソーダの味はどうだ?」
凍上の問いかけに、最初、敦人は何を言われたか解らないかのように目をあどけなく瞬きさせた。それから得心が行ったように頷く。
「我を殺したいか」
「愚問だな」
「したが――――君では無理だな」
「解らないさ」
「その滑稽な自信はどこから来る? 数学統監府でもトップ3を冷凍睡眠に至らしめたという実績か? それともそこのイレギュラーな男の存在が心強いか? 見たところ大陸でも独特の拳法を使うようだが、我にはそんなラックでは勝てんよ」
敦人が喋る間にも凍上は銃を構えたまま冷えた空気を敦人の頭上から降らせた。敦人はそちらをちらりと見遣ると左腕で優雅な弧を描き、凍上の仕掛けを霧散させた。流石は異能の王を名乗るだけのことはある、と凍上は頭の片隅で考えながら、斗支夜の次のタイミングを見計らった。
その頃、πの周りでx、Ω、カレンらは戦況を見守っていた。πのごく身近にいれば、πの創り出した強化結界の内部の状況が解るのだ。カレンは斗支夜を見た時、息を呑んだ。只のビーチコーミング好きな風来坊かと思っていたのに、どうやら違うらしい。
(貴方も戦士だったのね)
その認識はカレンを一方では喜ばせ、また一方では悲しませた。彼もまた知っているのだ。冷えた殺風景な無の世界を。戦うということ、守るということを。
「……ねえ、π。戦局次第で私も行って良い?」
「どうしたの、カレン。もしかしてあの拳法使い、知り合いだった?」
「うん」
「おやおや」
言ったのはΩだ。カレンがぎくりとする。
Ωはここにいる中で誰より厳しく冷徹な物の考え方をする。πに剣術を叩き込んだのは彼だ。そのΩがもしも、斗支夜を敵と見なしたら?
殺される。
それは躊躇なく弾き出された答えだ。斗支夜にはせいぜい頑張って凍上を援護してもらう他ない。その前に死んでしまえばどうしようもないが――――。ぎゅ、と両の拳を祈るようにカレンは握った。
15センチの距離まで近づくこと。
凍上が敦人に勝利する条件はそれであり、至難の業でもあった。
りうりう、と斗支夜が敦人に果敢に接近する。彼の身体の扱い方は杖術に似ていた。変幻自在で捉えどころがない。
「君たちでは我には勝てぬよ。この場に別のピースでもいればまた別だ……が……な?」
敦人の視界がぐらりと傾いだ。クリームソーダの入ったグラスだけは手放さないようにくずおれる。何だこれは。何が起きた。
「ようやく効いてきたか。エンジンがかかるのが遅いのが俺の異能の欠点だな」
「君の異能?」
凍上が目を大きくする。
「ああ。拳法と織り交ぜた異能で、敵を酩酊させる。今、あっちの王サマは、お酒を召し上がった状態なんだ」
こんな好機が訪れようとは。正直、斗支夜の実力を侮っていた。しかし凍上が敦人に寄る前に、敦人が立ち上がった。後生大事に手に持っていたクリームソーダのグラスを手放す。硝子の割れる大きな音。敦人自身は不気味なくらいに静かだった。凪いだ面は整った造作を強調する。
「ふうん。君たちが、そんなに望むなら、異能の王国の礎となる鮮血になってもらおうじゃないか」
敦人が右手を掲げると、黒漆塗りの日本刀が生じた。刃が見えた、と思う間もなかった。敦人は凄まじい斬撃で凍上たちに襲い掛かった。この手のスペシャリストである斗支夜は応酬する様子だったが、凍上の負った傷は深く、まるで赤い花がしぶくようだった。
友情出演:黒猫の住む図書館さん、堅洲斗支夜さん




