049、ロールケーキと爺や
それで全てが終わったと断じた敦人を、一体誰が嗤えるだろうか。
実際には何一つ、終わっていはしなかった。
尾曽道は、自らの〝頭部を持っていた〟。ボールのように、ポーンポーンと投げては受け投げては受け。首のない男がそのように遊ぶ姿は奇怪としか評しようがない。
「酷いことをするね」
声帯がどうなっているのか、どのようにして尾曽道が声を発することが出来ているのか、敦人には解らない。
「どうやら化け物でも生温かったようだ。貴様のような奴を呼ぶ名を我は知らん」
「私は通常の人間の器からははみ出ている。それは確かだよ。君に解るかな、篠蛾敦人。焼かれても斬られても打たれても死なず。……死ねず。愛する者を見送り続けるだけの日々の虚しさが」
「知らん。不死であるならば、統監府の長であるならば、長らく権威権力を持てるその身に満足すれば良いではないか。お前のそれは、只の欲しがり。要するに子供と同じだ」
「見解の相違だね。まさかここまで生きてまだ子供扱いされるとは思わなかったよ」
言葉を切った尾曽道は頭部を弄ぶのを止めて首の位置に置いた。たちまちにして切断面は塞がれ、尾曽道は敦人が最初に見た通りの彼の姿となった。
「どうする? まだ続けるかい?」
乙姫はふわふわと浮遊し、尾曽道の刀を持っている。
敦人は極めて屈辱的な言葉を口にしなければならない事実に怒りで打ち震えた。
「今は退く。だが次はその胴と首。永劫に別離の憂き目に遭わせる」
「そうかね」
長刀を携えた敦人が空間から消えると、尾曽道がくずおれた。乙姫が小さな身体ですかさずその肩を支えようとする。彼女の出した尾曽道の刀は無に帰している。不死ではあるが、受けた攻撃の全てをなかったことに出来る訳ではない。影響はある。
尾曽道は遠い目で、蹲ったまま茫洋とした様子でいた。
「そうかね……。篠蛾敦人。私はもうずっと、そうしてくれる者を捜していたのだよ。或いはその願いを叶えてくれるのが『最適解』かとも思ったが……」
相手が君ならそれでも良いと、尾曽道は小さく独り言ちた。彼は少し疲れていた。数学統監府の長官。この国の最高権力機関のトップとも言える地位にありながら、砂漠に彷徨う心持ちは常に彼につき纏った。熱砂に倒れることは許されず、遠いオアシスは蜃気楼。だから今、塔子という想い人が生きている内に、敦人が死なせてくれると言うのであれば、それこそが尾曽道の悲願成就でもあったのだ。
若草色の空間に、孤高の男はしばらくその身を委ねていた。
ああ。
誰かが、悲嘆に暮れている……。
泣いているのは誰。
「数美様」
は、と冴次の案じる声に目を覚ます。数美の心は悲しみのグラスに満たんの水が注がれていた。それは今にも決壊しそうな危うさで、震えるように踏みとどまっていた。ベッドの柔らかな感触に身を起こし、普段は無表情の冴次の、気遣う色を見て取る。金色のアンティークの置時計は午前六時過ぎを指している。
「どうした、冴次」
そう尋ねる自分の声が、今にも泣き出しそうにか細いことに驚く。冴次はいつもの紫色の刺繍が施された衣服で端然とした佇まいだが、醸し出す空気は哀の色だった。それが自分から移ったものであると察した数美は、夢の名残に束の間、俯いた。精神世界で誰かとリンクした。強い、とても強い人だ。そんな人であるのに、何かにとても悲しみ、痛みを抱えていた。数美にもその感情は流れ込み、眠りながら呻き声を発した。冴次は、それを心配して現れたのだ。
「悲しい夢でもご覧でしたか。泣きそうなお顔をしておいでです」
「僕じゃないよ。誰か別の人の感情とリンクした」
この言葉に冴次は微かに眉をひそめた。数美が他者と、或いは異なる次元とリンクする回数が増えている。慕わしい人との邂逅などであれば良いが、今のように負の感情の余波を喰らうのは決して芳しいことではない。数美の前髪をサラリと掻き遣り、冴次はホットココアを作ってきますと言って部屋を出た。まだ暗いながらも白み始めた空が暁の美しさを見せるまで、もう少し時がかかる。
「うーん」
珍しく早起きしたπが、食卓に着き塩鮭でご飯を食べながら何やら考えている様子だったので、xがのんびり声をかける。
「どうした、π?」
「数美ってウェディングドレスと白無垢、どっちが似合うかなあって」
「待て待て待てこら」
「あ、ご飯終わったよ。デザートはまだ?」
「お前たち、俺が知らない間に、いつの間にそこまで進展してたんだ!」
「デザート……」
「不純異性交遊をいつ俺が認めたっ?」
「お父さん」
πがxを指さす。
「誰がお父さんだ」
「自覚あるじゃないか、x。え? だって、男女交際って、交換日記と手を繋ぐのと、次は結婚式だろう?」
飛んでいる。πの、男女のゴールインまでの間が恐ろしく飛んでいることに、xは眩暈すら感じた。いくら箱入りでもこれはないだろう。
「良いか、π。世の男女というものは……」
菜箸を振り回して一説ぶとうとしたxは、急に無力感に襲われて言葉を迷子にさせた。なぜ、独身男性であるまだ若い自分が、πにこんな親父めいた苦言を呈さなくてはならない。πは紫色の澄んだ瞳でxの言葉の続きを待っている。このあたり、育ちの良さである。
「……おやつはロールケーキだ。お前、バニラクリーム好きだろ」
「絶賛、大好きだけど話の続きは?」
些か、妙な日本語でπがxに尋ねる。
「知るかっ。俺はな、まだ花も実もある美青年なんだ! お前の爺やじゃないんだよ!」
「自分で言っちゃうんだ……。まあ良いや。ロールケーキ美味しい。バニラのもったり感が堪らないよね」
爺やじゃないと叫びつつ、ロールケーキを切り分けてπに渡すあたり、xの行動は悲しい程に言葉を裏切っていた。
その頃、カレンは斗支夜と共にビーチコーミングの真っ最中だった。カレンは目が良く、斗支夜が少し教えただけで、ビーチコーミングのコツを掴んだ。カレンはいつものポンチョとスヌード、斗支夜は革ジャンにジーンズで、二人して軍手を嵌め、屈んでお宝採集に熱中していた。波の音だけが響く海岸で、時折、上空を鳶が飛んで鳴き声を合いの手とした。昇ったばかりの朝日に目を細くしたカレンは、光るものを見つけ硝子片かと思い近づいた。それは硝子片にしては柔らかな感触で、オレンジ色の輝きが綺麗だ。赤ん坊の手のひらくらいの大きさがある。
「にゃあ、斗支夜。綺麗な硝子、見つけたよ」
「お、見せてみろ」
「はい」
「……これ、瑪瑙だぞ」
「え?」
「時々、見つかるお宝だ。でかしたな、カレン」
「私が貰って良いの?」
この言い分に斗支夜が笑う。
「もちろんだ。ビーチコーミングでは、見つけた奴に取り分の権利がある」
「にゃあー、嬉しい!」
カレンにとって、斗支夜は初めて出来た友人だった。瑪瑙と、斗支夜と。彼女にとっては二つの宝をこの海岸で得たと思った。πたちとは比較出来ないけれど、大切なものがカレンの心の中で優しく光を放っていた。




