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046、その為なら僕は

挿絵(By みてみん)




挿絵(By みてみん)



 数学統監府第三課三班班長・砂嘴楠美が隻腕となったことは、第三課のみならず統監府全体に衝撃を奔らせた。彼らは改めて異能の王を名乗る敦人の力、配下を含めたそれを思い知ったのである。そして驚くべきことに砂嘴は春彦との戦闘の後、二日後には何事もなかったかのように統監府に姿を見せた。左手はメタリックゴールドの義手である。総身にはこれまで通りに金色の鎖を纏っている。青鎬が神妙な表情で彼女に話しかけた。


「砂嘴。もう良いのか」

「ふん、これしきの傷。義手を馴染ませるにまだ時間はかかるがな」

「篠蛾は完全にうちを敵に回した。あいつは俺が殺してやる」

「要らん。自分の仇くらい自分で討つ。無粋をするな、青鎬」


 その言い様は以前の砂嘴と全く変わらず、青鎬は真剣そのものだった表情に苦笑を浮かべた。そこにピンクがかった茶色のツインテールをした硫黄分こよねがやって来た。いや、こよみのほうかもしれない。硫黄分の双子の見分けは青鎬にはつかない。


「砂嘴班長。尾曽道長官がお呼びです」

「硫黄分。なぜお前が?」

「秘書課を通すのは砂嘴班長の具合が悪いだろうとの、長官のお考えです」


 青鎬は成程と思い、砂嘴は珍しいことに嘆息した。


 無駄に広い長官室を砂嘴が訪ねると、尾曽道哩が心配と労わりの表情で出迎えた。砂嘴は長官のこうした情の深さが苦手だった。払いのけることも突っぱねることも困難となる。だから不遜と知りつつも、よく磨かれた窓硝子の向こうに視線を逃した。


「大変だったね。砂嘴君」

「このくらいの覚悟はしていました。入府した時から」

「治癒系の異能持ちからある程度、傷を緩和されたとは言え、無茶はいけないよ」


 こういうところだ。

 父親のように、部下に接しようとする。要らない温もりを与えようとする。自分には不要なものであるのに。


「長官。記号持ちと異能の王を名乗る集団。双方を相手取るならば、生温いことは言っていられません。私は今、この瞬間にも戦闘に移る用意があります」

「心意気としては立派だがね……」


 尾曽道は、砂嘴と同じように窓硝子の向こうを見た。低音が響く。


「私はね、砂嘴君。これでも怒っているのだよ。大切な部下に酷い怪我を負わされて。青鎬あたりは息巻いているだろうが、私も、自らの手で篠蛾敦人を殺してやりたいくらいには」


 砂嘴は軽い驚きと共に尾曽道を見た。

 平和第一主義の彼の口から出るには相応しからぬ言葉だったからだ。それからグロスの光る唇からふ、と呼気を吐く。


「……長官はここでどっしり構えていてください。雑兵如き、相手にするまでもありません」

「言うね」


 よく磨かれた窓硝子の向こうには今日も人の営みが広がっている。その人の営みの中に、隻腕の人間がいても良いだろう。金鎖を巻き付けても良いだろう。濁った空気の都会の利点と言えば、広い懐で人を無視することくらいしかないのだから。



 砂嘴と春彦の一件は、亜希の口から数美と創にもたらされた。下校途中の、簡易結界を張った中でのことである。空気がだいぶ和んで、桃色めいた風情が出て来た春の夕暮れ。


「砂嘴さんが、そんな」


 顔を曇らせる数美の横で、創も沈痛な面持ちだ。

 数美は実際に交戦した者として、砂嘴の実力の程を熟知している。去年の年末。πの助けがあったから何とか逃れることが出来た。出来なければαの身柄は砂嘴の手に渡り、どんな扱いを受けたか解らない。

 ガードレールの向こうを、大型トラックが走り抜けて行く。足元にはコンクリートを突き破って早咲きの(すみれ)。エプロンを着けたままの女性が買い物籠を持って通り過ぎる。


「篠蛾敦人が何とかなるまで、私たちはなるべく離れないで行動しましょう」

「何とかって」

「……」


 亜希は数美の問いに答えなかった。そして数美も創も、その答えはとうに解っていた。子供がいつから大人になるのか、その明確な区分は解らない。しかし異能持ちであれば常人より早熟となるケースが多いのは確かだ。数美は不意に恐怖に襲われた。


「亜希。……亜希」

「どうしたの、数美」

「死なないでくれ。創も。頼む。そのためなら僕は何でもする」


 亜希と創は悲痛な表情の数美を見て足を止めた。亜希が数美を柔らかく抱擁する。


「大丈夫よ、数美。私たちは貴方を置いて逝ったりしない。数美がその手を汚す必要もない。汚れ役が必要なら、私がやるわ」


 数美はぶんぶんと首を横に振った。亜希の頬を数美の黒髪がふわりと打つ。


「亜希たちが無事なら、僕は喜んでこの手を汚す」

「困った子ね」


 あやすような口調で、亜希が言う。その声音には優しさと慈しみが溢れていた。

 その横を、プードルを散歩させる学生が通る。簡易結界は数美たちに密着するように張られており、間近を誰かが通り過ぎても支障はなかった。


 帰宅してから、数美は鞄を机に放り、ベッドに俯せになった。


「冴次。いるか」

「ここに」


 今日も紫の刺繍を纏う影守は、数美の傍に忠実に佇む。


「砂嘴班長が、隻腕になった」

「存じております」

「……あんなに強くて綺麗な人が」

 ベッドは陽が入る方向とは逆に置いてある為、今の数美は影に甘える体勢となっている。勝気で孤独をも抱える少女の、少ない憩いの場だ。


「僕は怖い」

「数美様」

「亜希たちやπが傷つくことが。篠蛾敦人はどこまでの異能を持っているんだろう? 砂嘴班長を襲撃したのは篠蛾自身でないとも聴いた。そんな恐ろしい部下を抱える篠蛾の勢力の全容が把握し切れていないだなんて」

「いざとなればお力、躊躇わず使われませ」


 はっ、と数美が冴次を見る。


「……それは駄目だ。それをしたら、僕は」

「ご自身や大切な方たちと、どちらが重いですか」


 ぐっと詰まる。

 冴次を卑怯と罵ることも出来ない。彼の言葉は正鵠を射ていたからだ。冴次は母のような手つきで数美の髪を撫でる。


「大丈夫です。私が何の為にいるのかお忘れですか。数美様の願いに沿い、ご命令を遂行してお守りする為です。くれぐれもそれをお忘れなきよう」


 けれど冴次は、自分と関与しない人間の命は軽んじる。

 今の数美にそれを指摘することは出来なかった。


絵は夏野露草さんより頂戴しました。

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