044、女王様の悩み事
寄せては返す波。潮の匂い。
カレンはふらりと家から歩いて行ける海岸に来ていた。海風がまだ寒く、ポンチョとスヌードが手放せない。屈み込んで、綺麗な貝殻などないかと探す。気儘な行動は、カレンの常とするところであった。
ふと人の気配に顔を上げると、見知らぬ男性がバケツを持って立っていた。黒いレザージャケットに、膝のところが破れたジーンズ。堅洲斗支夜だ。斗支夜は思わぬ邂逅に驚いていた。彼はカレンが記号持ちのπに属する番号持ちであることを知っている。だが今日の出逢いは本当に偶然だ。久し振りにビーチコーミングしたいと思い、海岸に出向いたのだ。カレンは黙って斗支夜を注視していたが、やがてにこっと笑った。
「にゃあ。こんにちは。お兄さんも貝殻拾いに来たの?」
「あ、ああ。ビーチコーミングに」
「ビー?」
「ビーチコーミング。こんな風に海岸に落ちている硝子やボトル、貝なんかを拾うことだ。……俺の趣味なんだ」
カレンの目が輝く。
「そうなの? 素敵だね!」
「君もするなら、軍手とか嵌めたほうが良いぞ。怪我することもあるからな」
「うん。今度からそうする」
「硝子片をたくさん集めると、それを繋ぎ合わせてキャンドルが作れたりする。あと、貝殻でウィンドウチャイムとか。風鈴だな」
「わあ、作りたい」
「……コツとか要領とか教えてやるから、作って誰かにプレゼントしてやると良い」
「πにしようかな。それともαにあげたら喜んでくれるかな」
「…………」
斗支夜は我ながらおかしな方向に話が進んでいると思いながら、悪い気分ではなかった。彼には妹がいた。今も生きていればカレンくらいの年齢だった。
青と緑の混ざったような寒風が吹いて、奇妙な縁で繋がった二人の髪を揺らした。
春休みも終わり、数美はフリルブラウスにだぼっとした大き目のジーンズを穿いて、カーディガンの上に紫紺のpコートを着て亜希や創と登校していた。亜希の勧めもあり、最近ジーンズに凝るようになった。細身のものや今日穿いているもののように大き目のものを他の衣服と合わせてコーディネートするのは楽しい。上質なジーンズは穿いていて肌に心地よいとも知った。
「春休み、もっと長ければ良いのにねえ」
「まあ、こればっかりはな」
「僕は篠崎の顔を見るのが憂鬱だ。あいつの顔を見るとあの六角形紫眼鏡に肉をぶちこんでやりたくなる」
「良いんじゃないの~?」
「おいおい」
創が苦笑する。数美は口で言うだけで所詮は実行などしないが、亜希は本当にやっても良いと考えている節があるから危険だ。――――完全数の番号持ち。レンタル能力しか持たない創だが、数美に加えて亜希も、彼が守るべき対象だと認識している。例え不遜だと言われたとしても男としての矜持がある。篠蛾敦人。あの男が現れなければ、もう少し時間が稼げた。だが、今それを言っても始まらない。所詮はなかったifだ。
丁度、校門についたあたりで羅宜雄に会い、久し振りに話した。羅宜雄は以前程にはびくついたところがなくなり、時折はにかむような笑顔を見せる。どこか庇護欲をそそる少年だった。生徒たちがちらほら歩きながら何食わぬ顔で数美たちを窺い見る中、数美はそれを知らぬ顔でにこやかに羅宜雄に話しかける。
「ご両親とはその後どうだ?」
「うん。それなりに上手くやってるよ。……そのバングル綺麗だね」
数美が輝くような笑顔になる。
「ありがとう。大事な人から貰ったんだ」
「……大事な人」
創はこの会話を聴きながら内心、羅宜雄に同情した。同情と言うか、同病相哀れむというやつだ。羅宜雄は青菜に塩と言った風情で見るからに消沈している。大人だったら、このあと一緒に呑んだりする場面なんだろうなと思った。
「……美少年成分が足りぬ……!」
そう呻いたのは数学統監府第三課三班班長・砂嘴楠美である。今日もゴージャスな出で立ちで、身体に黄金の鎖を巻き付けている。煩悶する理由が理由だけに、班員たちは黙して遠ざかっている。必要書類を受け取りに来た凍上が何とも言えない表情でそんな彼女を眺めやる。
「のう、凍上。今から時を遡り少年時代に戻らぬか」
「砂嘴班長にいたぶられる為にですか。ごめん蒙ります。そもそも、そんな異能、聴いたこともないですよ」
「捜せば見つかるかもワンチャン?」
「ないですね」
「ああああああ」
言葉だけないことにすれば傍目には苦悩する美女であり、目の保養なのだが、何しろ発言が物騒過ぎる。
「篠蛾敦人が育ち過ぎていなければ良かったのに……。そうすれば公然といたぶれるのに」
「お気持ちは解りません。すみません」
「ああああああ」
どうやら第三課の華は余程、美少年成分に飢えているようである。この調子でいきなりπに殴り込みでもかけた日には目も当てられない。πにしても良い迷惑だろう。溜息をそっと洩らしながら一班に戻ろうとした時、視界が真っ白になった。
「あれ? 間違った。一人多く入っちゃった」
そう変声期前の声で言ったのは、ピンクの単衣に薄鼠色の袴を穿き、腰に刀を佩いたふわふわしたピンク頭の少年だった。長い睫毛で縁取られた目は大きく、瞬きすると風が起こりそうだ。強化結界に呼ばれたことは凍上にも解った。少年の言葉から察するに、砂嘴一人を招く積りだったのだろう。そして凍上は少年に同情せざるを得なかった。俄然、砂嘴が活き活きしたからである。理由は語るべくもない。
「篠蛾の配下か。可愛い坊やだねえ。良い。これは良い」
「おねーさん、変態? あと、敦人様を呼び捨てにするのやめてよね。僕、怒っちゃうよ」
「ほう。怒れば如何する?」
少年が瞬息で抜刀し、砂嘴に殺到した。
砂嘴はこれを鎖で迎え撃つ。下手な手出しは砂嘴の叱責を喰らう。凍上は戦闘態勢に入りながら、成り行きをひとまず見守ることにした。
画像は美風慶伍さんより
友情出演:堅洲斗支夜さん、黒猫の住む図書館さん




