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043、粉チーズをたくさん振りかけて

挿絵(By みてみん)

 篠蛾敦人と数美たちの遣り取りを〝視て〟いた者は数学統監府の他にもあった。外がとっぷり闇に沈む頃、彼らは小ぢんまりとした喫茶店の一角に座り各々、コーヒーを飲んだり紅茶を飲んだりしていた。店内にはパッフェルベルのカノンが流れている。男性三人の内、一人が白いカップを同じく白いソーサーにカチャリと置いた時、残る二人が彼を見た。黒いレザージャケットを着た三十代半ばと思しき彼の顔立ちは、美形とはまた異なる趣で、人の目を惹く。それは残る二人も同様だった。


「始まったな」

鼎立(ていりつ)か。()()の予測通りになったな。とは言え、俺らは何もしない。只、観察して記録を残すのみ。与えられている権限はそれだけだ。……今のところ。そうだろう、斗支(とし)()

「…………」


 斗支夜と呼ばれた男は喫茶店の窓硝子の向こうを見る。そこには何もない。勤め帰りの人々が、足早に過ぎゆくだけだ。


慶伍(けいご)は真面目だな」


 茶化すような言葉に、からかいの響きはない。心底、そう思っているようだ。


「篠蛾敦人の暴走如何によっては、俺たちも動くことになる。無闇な流血は『最適解』の望まれることでもないだろうしな」

「すいませーん、苺パフェ一つ」


 久真が真剣な斗支夜の言葉を台無しにする注文をする。ちらり、と彼を見た斗支夜の視線に、久真が首を竦める。


「難しい考え事にゃ、糖分が不可欠よ? あ~、彼女に逢いたい。遠距離恋愛って辛いわー」

「後半、欲望がだだ洩れだな」


 苦笑する慶伍を、久真が拗ねた目で見る。


「慶伍だって、小説書きたい癖に~。また公募に出すんだろ?」

「お前ら、緊張感ないなあ」

「斗支夜だってビーチコーミング行きたいってしょっちゅう言ってるじゃないか」


 ごほん、と斗支夜が咳払いする。

 三人三様、事情も趣味嗜好もそれぞれだが、これで彼らの仲は上手く行っているのだから不思議なものだ。彼らには諦念が通底していたが、人間らしさに溢れてもいた。相反する空気が、不可思議に三人を彩る。統監府にも記号持ちにも、篠蛾にも属さない中立の立場を貫くことを義務付けられている彼らだが、この先、戦闘を全て回避できるとは考えていない。思想的には数美に肩入れしたいところだが、それも今後の流れでどうなるか解らない。やがて運ばれてきた苺パフェに久真が歓声を上げ、慶伍と斗支夜はやれやれと言った表情を互いに見合わせた。


「降り出した」


 ぽつりと久真が言ったので、慶伍も斗支夜も窓のほうを向いた。

 外では銀線のような雨が夜闇を貫いていた。



 πとxと創が帰ったあと、数美と亜希は入浴し、夕食を共にした。

 今日は亜希は蓮森家に宿泊することになった。彼女の身を案じる数美が、是非にとそれを勧めたのだ。夕食はよく煮込まれた鶏肉の入ったカレーライスだった。例によって数美が美味しくなあれ、の呪文をかけて昨晩から煮込んだものである。亜希も塔子もその美味に舌鼓を打つ。塔子は、何も訊かなかった。数美が亜希を泊めたいと言った時も、そう、と言って、寝具などの準備をした。とは言え、数美のベッドに二人で寝るので、追加するのは掛布団だけである。友人が宿泊する時特有の高揚と、それどころではない思いの二つが数美の中に共存している。

 夕食を終え、それぞれ歯磨きして数美は浴衣に、亜希は借りたパジャマに着替えたあと、二人して数美のベッドに潜り込み、ファッション雑誌を広げていた。年頃の少女らしい話に花が咲く。


「だから、こういう細身のジーンズも数美には合うって」

「そうかなあ。こっちのプリーツスカートなんかは、如何にも亜希に合いそうだけど」

「んー、悪くはないけど、もう少し華があるほうが好きかな」

「だよね」


 枕元のテディベア、玉露が二人の少女をつぶらな緑の瞳で見守っている。

 解っている。急行列車は動き出した。あとは加速する一方。減速という道はない。無慈悲な運命の女神が命を否応なく駆り立てる。刈りたてる。


「……数美?」

「僕が亜希を守る」


 亜希の表情がはしゃいだそれから一変する。彼女は唇を引き結んだ。ゆっくりと、口が動く。


「そうして頂戴。そして私も数美を守るから」


 必ず、と付け加えた亜希の表情は、数美と鏡映しのように真剣そのものだ。雨音が静かに少女たちをくるみ、その決意を一層、強固なものにするようだった。



「π、スプーンからケチャップライスが零れてる」

「あ、」


 家に戻ったπは、xやΩ、zたちと食卓を囲んでいた。どこかひんやりした夜だった。肌の表皮が寒さを訴え、zが暖房を強くする。雨のせいもあるだろう。しかしこの雨は植物には慈雨となり、芽吹きや開花を伴う。人の意思が開くように、固く閉ざされた蕾も開く時は来る。どんなに目を閉じ、耳を塞いでも。残酷な希望からは逃れられない。

 食卓には珍しくαもいた。πとxは居並ぶ人間に亜希の完全数であることを話した。当然のように、皆に驚愕が走る。αでさえ身じろぎした。呑気な声を上げたのはカレンだ。


「にゃあーお。吉馬と亜希は同じだったのね」

「数字は違うが、完全数だ」


 こんな時にもどこか邪気のないカレンの言葉にπが応じる。ケチャップライスには粉チーズをたくさん振りかけて食べる。


「吉馬は知っていたのか」


 αの発言も珍しい。


「解らない。同じ完全数同士だからと言って、意思疎通が出来るものでもないだろう」


 だが、πは何となく、吉馬は知っていたのではないかと思った。そして知っていたとしても、彼は自分と同じ完全数の人間の存在を頑なに秘しただろう。ふとπは、父親を遠く感じた。完全数の父親の息子である記号持ちの自分。父に慈しまれた記憶は朧げでしかない。番号が刻印された大きな、温かい手で頭を撫でられた憶えがうっすらとある。その手はたくさんのものを庇護していた。背負っていた。今はπが代わりを務めている。務め切れている、という自信は強いものではないが。


「目下、最も危険視すべきなの篠蛾敦人だ。能力の全容もまだ判らない。皮肉だけれど、彼の存在が、俺たちと統監府を一時的に休戦状態にするだろう」


 それが肝心だった。敦人はなぜ姿を現したのか。沈黙と客観を決め込み、統監府とπたちが潰し合うのを待つことも出来ただろう。数美の存在が、彼を動かした。自称・異能の王の心の琴線に、異能の調停者という言葉が響いた。愚行だったな、と冷ややかにπは敦人を評する。結局、彼は数美も亜希も手に入れることは叶わなかった。数美は警戒レベルを最大値にして亜希を守ろうとするに違いない。こちらからも人を遣ったほうが良いかもしれない。


「π、ケチャップライス」

「あ、」


 πの持つ銀のスプーンから、ケチャップライスがまた零れ落ちるところだった。



友情出演:堅洲斗支夜さん、美風慶伍さん、月乃和久真さん

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― 新着の感想 ―
[一言] なかなかに印象的な登場でした。 傍観者と言うより、西洋風の決闘シーンにある立会人・見届け人のような印象を受けました。彼らが数美たちにどう関わるか楽しみです。 ありがとうございました!
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