031、クリスマス・ハプニング
しんしんと雪が降り始めた。音もなく世界を白銀に染める。
濃紺の夜の中、人々は家中で暖を取っていた。それはπたちも例外ではない。zがリビングでクリスマスツリーの飾りつけをして、じゃあ行ってきますと家を出た。彼女にはクリスマスイブに共に過ごしたい相手がいる。πは内心、面白くはなかったが、行ってらっしゃいと表面上は笑顔で母親代わりだった女性を送り出した。
そんなπの頭を、xはぐりぐりと掻き撫でた。黄金色の髪の毛がボサボサになる。
「お前は良かったのか? お嬢ちゃんと一緒にいないで」
「数美には誘われたけど」
「行けば良かったじゃん」
「影蔵創と飛鳥井亜希が漏れなくセットでついてくる」
「良いと思うけどね~。お前の年頃ならそのくらい」
「俺はこれでも十八だ。数美よりは年長なんだぞ。大人のイブを過ごしたいと思って何が悪い」
「大人のイブって何よ。嫌らしいなあ」
「Ω」
リビングで男三人が集うのも空しいと言うか切ない。αは家にいるものの、部屋に専ら籠っているし、yもいない。全体に華やぎが足りないのは、この家を構成する女性メンバーが今日は出払っているからである。そこで独身・恋人なしの野郎たちが必然的に残ることになった。zはこの惨状を懸念して、残ろうかと最後まで言っていたが、ここで彼女の情けに縋ればそれこそ男がすたるというものだ。
結果としてxが鶏の丸焼き、コーンクリームスープ、鮪とアボカドのサラダやブッシュドノエルなどクリスマスらしいメニューをテーブルに並べ、体面を繕っている。言い合いを続けるのも飽きたので、空腹な彼らはテーブルにつき、それぞれxの心尽くしに舌鼓を打った。αも食卓に加わり、黙々と食べている。未成年であるπを除き、シャンパンを呑んでそれなりに良いクリスマスとなる筈であった。
πは一人、食べ終えて、自室に戻った。と言っても、彼が少量しか食べなかったのではなく、食べるスピードが居並ぶ面々の中、最も早かっただけの話である。畳敷きの和室に戻るとほっとする。数美は今頃、どうしているだろうと〝視て〟みると、案の定、創や亜希と一緒に楽しいクリスマスパーティーをしているようだった。形の良い唇が弧を描く。
呼ばれたのはその時だった。
強化結界。周囲はどこまでも白い。雪のようなやわやわとした白ではなく、無機質な白だ。強制的にπは呼ばれたのだ。先日のΩのように。僥倖だったのは、猩々緋王を携えていたことである。
「誰だ、俺を呼んだのは」
聖夜にまでこんな殺伐とした世界に身を置くことを、πは多少、嘆かわしく思った。自分で選んだ生き方ではある。
「あい。あちきでありんす」
すう、と現れたのは着物を肩まで大胆にはだけさせた日本髪の女性。
「何者だ」
「影守の茨。以後、死ぬまでよしなに」
まるで花魁のような出で立ちで、艶美な女性は含み笑い、手にしていた日本刀をすらりと抜いた。それは舞踊の一動作にも似て、πがこうした状況でなければ称賛する美しさだった。殺到する刀。弾く。
凄まじい打ち合いになった。影守が何なのかπは知らないが、女性にして恐るべき膂力である。それは彼に砂嘴楠美を連想させ、多少げんなりした。
(俺は怪力の女に縁があるのか)
数美が莫迦力でなくて良かった、と思いは明後日に飛ぶ。これでも戦いに集中してはいるのだ。πは猩々緋王をくるりと旋回させ、肘を茨の頭部に当てた。真っ向から当たった茨はぐらり、と身体を傾がせるも踏みとどまり、余裕で刃を返してきた。πの顔から表情が抜け落ちる。
相手が女でも手加減無用。やらねばこちらがやられるのみ。
「円の加護。強化その一」
猩々緋王の強度を高める。πがイメージし得る極限まで。茨の剥き出しの肩を凪ぐと鮮血が散った。そのことにπの眉根が僅かに寄る。人外ではないかと思うのだが、人と同じ血を持つのだ。その事実はπの心の深奥を暗澹とさせた。しかし面には出さず次なる刃を繰り出す。茨がπに回し蹴りを仕掛け、πはこれを後方に跳躍して避けたがすぐに茨も追撃する。再び刀の打ち合う澄んだ金属音が響く。
「円の加護。強化その三」
猩々緋王で何重にも円を描く。描く端から炎が爆ぜて行く。
火は茨の着物にも燃え移り、茨は大きく後退することを余儀なくされた。だが、今度はπがすぐに追撃する。吐息と吐息が触れ合うくらいまで接近する。
刃が円を描く。爆ぜる炎、炎。
その炎を目くらましに使い、πは茨の腹部を刺し貫いた。
ずるりと引き抜く。
茨の息は荒い。
「勝負あった。これ以上の戦いは無用だ」
ヒュン、と猩々緋王を振る。銀の刃に付着していた血が飛散する。
唇を鮮血が彩る茨が、凄絶に微笑む。
「――――それはどうかえ」
「何?」
πはそこで、視界がおかしいことに気づく。茨が〝複数に〟増えて見える。
「π。あっちの能力は、傷を受ければその分、〝自分の分身〟を増やせる能力」
「……成程。捨て身な攻撃を、命を軽んじる攻撃を許すお前の主は誰だ」
「言えません」
「そうだろうな」
そしてπは、自分の脈が異様に早くなっていることに気づく。
「篝どのの毒、お借りいたしました。細かな傷からも侵入する毒え。避けられはしませんわなあ」
「αをやった毒か」
言いながらもπは〝茨たち〟の刀を捌いた。弱った相手でも捨て身の五対一は、決してπにも分が良いとは言えない。最初に毒を想定してガードしていなかった自分も甘い。
その時、強化結界の天高くから現れ、着地する者があった。
新手の敵かと身構えるπに、彼女は凛として名乗りを上げた。
「影蔵創が影守、夕凪。πどのに助太刀いたす」
茜色の刺繍が隈なく施されたパンツスーツを着た小柄な女性は、ふわりとしたセミロングを耳に掻き遣り、小太刀の刃を黒漆の鞘から抜いた。
彼女の動きは俊敏な獣のようだった。素早い動きで茨たちを攪乱する。それでいて、攻めの姿勢の中にもπを守り盾になろうとする心配りが見て取れた。それは常人の腕では成し得ない業だった。
茨の分身が消えていく。
夕凪が茨の本体に向けて真っ直ぐ小太刀の切っ先を突き付けた。
「退きなさい。影守同士、無用な殺生は致したくなし。帰って主どのに伝えよ。πどのを襲う時には影蔵創の影守であるこの夕凪も相手取ると思え、と」
茨は口惜しそうに唇を噛み締めていたが、やがてふいと姿を消した。
それを見届けてπは地に膝をつけた。夕凪が駆け寄る。
「毒を盛られましたな。卑怯な奴め。有栖どのに診てもらわなければ」
「待て、影守とは何だ。影蔵創は、どうして君を遣わすことが出来た」
「質問は後です。転移出来ますか」
「余力はある。が、どこへ」
「蓮森家へです」
「しかし」
πは躊躇した。クリスマスパーティーで賑わっているであろう蓮森家に、血の臭いを持ち込みたくはない。
「πどの。貴方に盛られた毒は、先だってのαどのに盛られたものより強力だ。言い争う余裕はない」
「……」
πは猩々緋王の切っ先で円を描くと、自らの脚で歩き、夕凪を伴ってそれを潜った。
数美に見っともないところを見せる。とんだ聖夜だと思いながら。
絵はヤシロヒトセさんにいただきました。




