012、そして彼と彼女は出逢う
またこれは始末書ものかなと青鎬は頭が痛くなった。一応、今回の件は課長の許可を得ての行動ではあるが、課長は青鎬に侵入者を捕らえるよう指示した。だが敵もさるもので、まんまと逃げられた。次回の〝怪盗予告〟までして。
ちらりと砂嘴を見ると凍上が差し出したハンカチで目元を拭っている。マスカラや化粧でハンカチが汚れるであろうことを厭わない凍上の騎士道精神は見上げたものだが。
「凍上」
「はい」
「こいつら、眠らせたのお前か」
問いかけには少しの力みもなく、ごく柔らかなボールを投げたような口調だった。そしてそうした柔和な口調の青鎬を、避ける術はないと凍上は知っている。
「――――はい」
「いつだ」
「十四年前です。俺が入府して直後のことでした。1、2、3が、何を思ったか我々に牙を剥いた。彼らの異能は桁外れでした。また、死なせるには惜しい人材だった」
「それで、お前の能力で〝凍結〟したと」
「そうです。上層部からの直接の指示で」
シリアスな会話が交わされているが、その間にも青鎬と凍上、砂嘴を除いた職員は部屋の惨状を何とか誤魔化せないものかと四苦八苦している。
「奴らの思惑は解らねえんだな」
「解りません。氷漬けにされたまま、彼らの真意も知られないところとなりました」
数学統監府の周囲は当然のように包囲網が敷かれていたが、πとxにとっては児戯のようなものだった。πは空間を透過する力を持っていた。円を描き、潜る。その繰り返しで拠点まで戻る途中。
「俺、もうあのおば、姉さんとは会いたくない。今度仕合う時はxに任せた」
「何でだよ。あの人は美少年が好きなんだろ。俺じゃ喜ばれないよ」
「喜ばせたい訳じゃないし」
xが溜息を吐いてアレクサンドライトの双眸を夜空に向けた。角度により青にも赤にも緑にも見えるxの目はπの気に入るところだった。二人が呑気に会話出来るのは、数学統監府の網から遠く離れたことを意味している。
だからその遭遇は全くの偶然だった。
数美は夜にお菓子をつまむ癖がある。それはクッキーであったりチョコレートだったり、海苔巻き煎餅だったりする。この日は丁度、備蓄がなくなったので、塔子に断りを入れてから最寄りのコンビニに向かっていた。
街灯が点々と並ぶ住宅街を、少女が一人で歩くのは不用心だが、数美の場合は体術に加えて異能というスペックがあった。塔子が年頃の娘に夜の外出を許可した理由もそこにある。
横断歩道が赤だったので、立ち止まる。
道路を挟んだ向かいには少年と青年の二人連れがいた。
数美の中の何かが彼らの姿に目を縫い留めさせた。二人も数美を見ている。とりわけ少年のほうは珍しい紫色の瞳を大きく瞠り、数美を凝視している。車が彼らの間を川の流れのように通り過ぎて行く。世にも稀なる芸術品のような少年が、含羞の色を宿し、紫の目を左右に彷徨わせている。よく見れば青年のほうの目も、とても変わった色合いだ。
(……朱塗りの鞘)
数美は少年の佩刀を見据えた。銃刀法違反に引っ掛からないのであれば、特別に許可された番号持ちか、或いは――――レジスタンスの類。車の信号が黄色になる。赤になる。車の流れが止まり、歩行者の信号が青になった。
しかし、次の瞬間、少年と青年の二人連れは数美の視界から忽然と消えた。数美は呆然と立ち尽くし、気づけば歩行者の信号はまた赤になっていた。
拠点の和風民家に帰り着いたところで、πは風呂に入ると言って掃除を始め、紅茶を飲むと言って牛乳を飲んだ。この明らかな狼狽は、蓮森数美と図らずも遭遇したことによるものだろうとxは腕組みしてπのちぐはぐな動きを見ていた。
のんびり声を掛けてみる。
「可愛かったな。蓮森数美」
「不用心じゃないかっ!? もう十時だぞ。うら若い女性が一人でうろうろ……。しかも数美は美少女なんだから、どんな輩に目をつけられないとも限らない! もっと自衛の意識を持つべきだ」
「番号持ちだが」
「だとしてもだ!」
控え目に差し挟んだ意見はあっさり退けられた。盲目になっているなと冷静に判断したxは、πにはマシュマロ入りのココアを、自分にはカルーアミルクを用意した。大きな冷蔵庫にはこの家に住まうそれぞれの今日の予定が書かれたメモが玩具のようなマグネットで留められている。中には今度、自分も統監府に行きたい旨の希望が書かれたメモも数枚あった。これはπの判断するところであり、xの領分ではない。
大きな生成の革張りソファーに身を沈めて、xはカルーアミルクを飲みつつ今夜の出来事を反芻した。専ら戦ったのは派手な鎖持ちの女と、氷の銃を持つ男だったが、その男の横にいた男も、相当な遣い手であるとxは判断する。戦闘に参加しなかったのは、能力の相性が悪いとか、相応の事情があった為だろう。
「π。1から3を盗み出せたとして、彼らが俺たちに迎合するとは限らないぞ」
「解っている。……征爾を早く捜し出さないと」
「どうして」
「彼らは征爾に心酔していたらしい。だから、征爾の言うことなら聴くだろう」
「もしくは、その娘の言うことなら?」
「……数美はなるべく巻き込みたくないが、もしそうなったなら俺が全力でガードする」
「いよ! 男前!」
「ココアぶっかけて良いか?」
「飲み物を粗末にしちゃ駄目だぞ」
「パリブレスト作れよ」
憶えていたか、と、xは内心で舌打ちした。
コンビニから帰り、ココアを飲みチーズ風味のクッキーを摘まみながら、数美の思いは遠いところにあった。
余りに異質な二人組の男。恐らくは相当な訳ありの。自分への敵意は感じられなかった。どちらかと言うと求めていた知己に逢ったような表情だった。一体、何者だったのか。部屋のテレビを点けると、ニュースで数学統監府内に侵入者があり、未だ逃走中と告げていた。監視カメラが撮影した映像に数美は息を呑む。黄金色の髪、白いコート、朱塗りの鞘の剣に紫色の瞳の少年。そして黒髪にアレクサンドライトの瞳の青年。
彼らだ、と思うと同時に、何だかひどく腑に落ちた。
いつかまた逢う日が来るような、そんな気がした。
ロゴはふーみんさんより頂きました。