表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/76

010、解く者と秘する者

挿絵(By みてみん)

 低血圧であるπの朝は遅い。勤め人や学生が起き出して、会社やら学校やらにあくせく出向いた後、ようやくのっそりと起きる。布団は最高級の羽毛布団。晴れた日にxが干すのでお日様の匂いがしてふかふかだ。

 身を起こしたπは伸びと欠伸を同時にして、紫水晶の目尻に涙が滲む。畳の八畳間には和紙で出来た近代的なデザインのスタンドライト、机、本棚、箪笥などがある。障子の向こうからは既に昇り切った太陽の光が燦々と射し込んでいる。その光がπの双眸にまで届き、きらきらとした輝きが零れ本当の宝玉のようだ。

 πは白いシャツに紺色のスラックスを合わせると、一考の後、シャツの上に生成色のカーディガンを羽織った。最近、秋から冬に移ろい冷えてきた。π自身は薄着で全く構わないのだが、xが煩いだろう。とかくxはπの身辺に関して口煩く、あれは世に言う母親と呼ばれる生き物の類と同義だとπは考えている。

 顔を洗って歯を磨き、ダイニングキッチンと隣接する居間にのろのろ歩み入ると、台所に立っていたxが振り返った。右手に菜箸を持っている。



挿絵(By みてみん)



「おはよう、π」

「おはよ」

「もう少し早く起きれば、他の連中とも朝を一緒に出来るんだがな」

「俺の勝手だ」


 この遣り取りもお約束になっている。


「フレンチトースト、何枚食べる?」

「1、2、3枚」

「3枚な」

「いや、1+2+3、つまり6枚だ」

「――――食べ過ぎじゃないの。育ち盛りとは言え」

「今日は数学統監府に潜る積りだから、腹拵えはしっかりしておきたい」

「ああ。そういうことか。しかしよくその華奢な身体に入るね。ブラックホールみたいだ」

「x。そもそもどうして番号持ちや記号持ちが現れるようになったか解るか」

 

 世間話の延長のように気負わない口調でπがxに問いかける。xはアレクサンドライトの瞳を少し細めて、首を傾げて見せる。


「どうだろうな」

「俺は必要とされたからだと思う。何者かに。何かに。それは或いは『最適解』かもしれないし、アテナのような数学の神かもしれない。結果として世は数字至上主義となり、番号持ちを頂点としたピラミッドが各国に生まれた。この、じゅわっとした卵液の味わいが良い。ふわふわの食感も絶妙だ、x」

「有難いが、話の先を続けてくれ、π」

「なぜ番号持ちが優遇されるか解るか。恐れているからだ。番号持ちの持つ異能を。そしてまた、番号持ちは各分野で必ずと言って良い程に突出した能力を発揮する。使えるモンスターは手懐けるに限る。各国の首脳の考えは正しい」

「その言い方で行くと、番号持ちも持たない人間も、それぞれが差別を受けているようだな。ベクトルが違うだけで」

「正解だよ、x。そして俺たちは……三枚目、まだ?」

「今、焼いてる」

「俺たち記号持ちは、彼らの定めた枠に収まり切らない異分子。切り離された存在だ。流浪しているとも干渉を受けないとも言える」

「それで?」


 三枚目と四枚目のフレンチトーストをπの目の前の丸皿に置いてやりながら、xは続きを促す。


「俺はこう思う。これ、ちょっと焦げてるぞ。不干渉の存在のままを貫き生きたいと。その為には秘められた謎は解いておく必要がある。数美の能力も、征爾の居場所も、数学統監府の地下も、そして『最適解』も」


 焦げているというのはフレンチトーストのことだとして、πの語ったことは軽い内容ではなかった。xは黒いエプロンを取り、冷蔵庫を開けて牛乳を硝子コップに注ぐ。カルシウムは何事にも有効な栄養素だ。仲間内からもπのお目付け役として見られているxは自らもそれを認識しており、ゆえにこそ、これから無茶をしでかすぞと言わんばかりのπの発言は容易に聴き流せるものではなかった。



 数学統監府の第三課は主に番号持ちを中心とした異能力者全般の事項を取り扱う。当然、その中には荒事も入っており、課員は全員が戦闘員として動ける人間が揃っている。それは一班班長である青鎬も然り、そして二班班長・早良波(さわらは)()(みち)、三班班長・()()楠美(くすみ)然りだった。それぞれが戦闘に特化した能力を持ち、班員たちに心酔されている。強さこそが絶対の職場だった。


「おい、青鎬」


 居丈高に呼ばわったのは妙齢の美女。カールした髪は先端が紫で、グロスで艶めいた唇は扇情的、胸は豊かで腰は細くくびれスカートには深いスリットが入っており、美脚を惜しげもなく晒している。最も特徴的なのはその全身に巻き付けた太い金色の鎖だ。それが彼女のゴージャスな存在感を否応なく引き立てている。

 三班班長、砂嘴楠美である。この美女の前で相好を崩さない男は少ないのだが、残念ながら青鎬はその少ない男の一人だった。寧ろげんなりした顔で彼女を見る。一瞬、凍上に押し付けての逃亡も考えたが、ガタン、と大きな物音をさせて立ち上がった凍上が紅茶を淹れますねと言った為、それも叶わなくなった。要は凍上に上手く逃げられたのだ。紅茶というチョイスも、砂嘴を意識したものである。裏切者めと思いながら、青鎬は顔面に笑顔を貼りつけた。


「何ですか、砂嘴班長」

「興味深い話があるが、聴くか」

「あんた、どうしてそんなに偉そうなんだよ」

「聴くか聴かないかと尋ねている。答えろ」


 頑張れ、俺の表情筋、と言い聞かせながら青鎬は止む無く砂嘴を促した。


「何でしょう」

「地下に潜入する鼠が出るらしいぞ」


 一気に青鎬の表情が引き締まる。二人の前に紅茶の入ったマグカップを置いた凍上の表情も同様だった。


「――――占いですか」

「そうだ」


 砂嘴の異能の一つであるこの占いは、的中率ほぼ100%。予言と言っても差し支えない。


「相手は」

「金髪に紫の瞳の少年」

「……? 異能持ちですか」

「そこまでは解らない。しかし私の占いの結果だ。一班、空いている者は総員で地下待機の後、鼠を迎え撃つべきだろう」

「砂嘴班長。班員はほとんどが案件を抱えています。ここは少数精鋭で行くべきかと」


 横から口を挟んだ凍上を、砂嘴が冷えた目で眺める。


「自分が〝氷漬け〟した場所に人を寄せ付けたくないか? 凍上よ」

「――――いえ、そういう訳では」

「ふん、まあ良い。早良には既に話を通してある。一班からは青鎬と凍上だけで構わん」


 砂嘴は凍上の淹れた紅茶を一口飲み、お前は紅茶を淹れるのが上手いなと褒めた。ティーバッグでなかったところも彼女のお気に召したらしい。飲み終えて悠然と立ち去る砂嘴の後ろ姿にはサバンナの雌ライオンにも似た風格があった。



次回は大晦日か元旦に投稿予定です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=135533523&s
― 新着の感想 ―
[良い点] 頑張れ、俺の表情筋、と言い聞かせながら青鎬は止む無く砂嘴を促した。 …頑張れ、俺の表情筋!いいですね! 青鎬の人間味ある必死さが伝わってきます。 フレンチトーストを待ちながら、π(パイ)…
[良い点] 新キャラがどんどん出てきますね! 少年漫画のワクワク感を感じます。 人物たちの軽妙なやり取りとともに、世界観も自然に掘り下げられていて、読者に優しい書き方をされているなと感じました。 [一…
[良い点] πはフレンチトーストが好きなのでしょうか。 難しい話をしているのに、パクパク食べているのが、微笑ましいです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ