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執筆跡地II  作者: ポップP
ガーディアン・ナイト編
3/3

episode:03 衝突する影の思惑

―another title:troopers of clones―


 クレーターの中心に、彼は立っていた。

 凛々しい顔立ちに、黒髪が短く切り揃えられて風になびいていた。

 背は一七五センチほどで信吾よりもやや高い。しかし、それよりも威圧感を発しているものが、右手に握られていた。

 黒い刀。

 刃以外の場所が全て塗りつぶされたように黒光りする、刃渡り一メートル弱の見事な日本刀だった。

 「実験動物の保護なんて、()()()も面倒なことを引き受けたものだ。」

 深くため息を一度ついて、依頼人の女の顔を思い浮かべる。十七歳、同学年のくせに一つ年上のそいつは、スパイの仕事を引き受けては、手伝わせるのだった。

 「しっかし、一人の人間に大層な装備だなあ?」

 近代兵器の集大成のような戦闘員に、剣を片手に持って挑発する。

 左手で携帯電話をいじる余裕っぷりだった。

 「もしもし、恵理か。目標とやらを発見したぞ。」

 なぜか流暢な外国語が返ってきた。

 まあ、どこか適当な組織との会話にでも見せかけているんだろうと考えて、報告を続ける。

 「これより戦闘員と戦闘に入る。目的は目標の保護。そのためなら、多少の犠牲を払っても構わないか?」

 「ええ。こちらでどうにかするわ。」

 外国語に見せかけたまともな返事を聞き、そっと剣を鞘に納める。

 「さあ、面白いものを見せてやろう。」

 そういうと、稽古カバンの中から風呂敷を取り出した。四枚の風呂敷を丁寧に折り畳んでいく。

 戦闘員が訝しんでいる間に、簡単なシャツとスカートが、布を結んだり破いたりすることで出来上がった。

 それらを命からがら立っている二人に投げつけると、後は任せな、と呟いて、右手に持った剣の腹を、左手の指で撫でた。

 彼らがとりあえず裸ではなくなった。

 それは、保護の第一歩に過ぎなかった。

 「さあ、行こうか」

 一気に、しかし優しく鞘から引き抜いた黒い剣に夕焼けの光が反射して、一瞬眩しく輝いたと思ったら、剣が闇色のオーラを纏い始めた。

 「マスター。行きましょう」

 確かにはっきりと、少女のような声が聞こえた。

 砂を踏みしめる音が聞こえて、戦闘が始まった。


 剣を持った男、霧咲鶴城(きりさきつるぎ)が走り出した。

 まず一人。戦闘員が撃つライフルの弾丸を横に飛ぶことで回避し、飛んだ勢いを活かして剣で薙いだ。不意をつかれた別の戦闘員が苦しげに倒れたのを横目で少しだけ見たら、次の戦闘に意識を移す。

 剣を振って血や脂を落とすと、先ほど自分を撃った戦闘員に突撃する。

 再び放たれる弾丸が足を掠める。しかし、そこに驚愕の表情はない。まるで初めからこうなるのを知っているかのように、足の向きを変えながら確実に距離を削り取っていく。

 背後から四人の戦闘員が銃を構えた。

 それに気づいた鶴城は、鋭い目つきで後ろを睨み付けた。

 その眼差しと、ほんの数センチこちらに動いた剣の切っ先を見て、戦闘員たちは銃を落として、その場にへたり込んだ。

 走っていた先にいる戦闘員が、見当違いの方向に弾丸を発射した。

 歩調を緩めることなく間合いを詰めようとした矢先、地面に当たった弾丸が、鶴城の方向へ進路を変えた。

 (ッ!?)

 跳弾。弾丸のような硬い物質は、地面に当たったあと、必ずしもその場に埋め込まれたり、動きを止めたりするわけではない。弾丸が地面に当たったあと、思いもよらぬ方向に跳ね返ることがある。

 しかし、彼が跳ね返る弾丸を認識したのは、腕が弾丸に吸い込まれるように動き、その手に握られた剣が弾丸を引き裂いたからだ。

 鶴城の腕、正確にはそこに握られた剣が、鶴城の脳よりも早く、弾丸を認識して鶴城を守った。

 (マスター、ご無事ですか?)

 闇の剣から、確かに声が聞こえた。

 魂を持つ剣。それが彼の持つ『闇剣・ダークソード』の特徴だった。

 (ああ、助かった)

 止まらない歩みは確実に敵との間合いを零に縮めていく。

 黒板を爪で引っ掻いたような痛々しい音が響き、戦闘員が血の池に沈んでいく。

 わずか二人を倒す間に、五〇人があまりの実力差に戦意を失った。

 二分未満で、そこにいた特殊部隊の半分以上が戦闘不能に陥っていた。

 「これが、霧咲流だ。」

 一四世紀からの系譜を持つ、日本剣術の由緒正しき流派の一つにして、積極的に強さを求める名門『霧咲流』の第二四代当主の手に、愛刀が誇らしく輝いていた。

 実際には、愛刀はもう一つあるのだが、彼は今、それを探している最中である。


 戦う気をなくしていた五〇人が、操られたように戦意を取り戻して、ロケットランチャーや鎌、ナイフなどを鶴城に向けてきた。

 上等だ、と呟いて手近な一人に振りかぶる。

 直後、我先にと一〇人ほどの戦闘員がなだれ込んできた。

 間一髪で戦闘員の波を躱すと、それを踏み台にして空高くから一人を両断した。

 さらにその余波で三人が吹き飛ばされていく。

 それでも、果てしなかった。

 まだ八〇人以上が残っている。

 それに、命を粗末にしている連中とは言え、こう何人も人を斬っているのは、あまりいい気分ではなかった。

 「まだ来るのか…」

 迷いを振り切るように剣を光にかざすと、一度深く呼吸して、眼差しを鋭くとがらせる。そして、また無言で相手の懐へと潜り込んでいく。


 鶴城が戦闘員と戦っている所に急ぐ、一つの人影があった。

 右手の人差し指に拳銃をひっかけて、路地裏の入り組んだ道を器用に通り抜けながら、最短ルートで戦場へと駆けていたのは、一七歳の少女だった。

 赤っぽい茶髪が肩まで伸びているのを無機質なヘアゴムでポニーテールに束ね、前髪はヘアピンで留めている。

 戦闘に備えたその姿の中に、一つだけ戦闘に合理的でない部分があった。

 胸。高校生にしては、少し大きめの胸が、スポーツ用の下着に押さえつけられていた。

 もっとも、本人としては戦う上で大した問題ではない。それに、不本意ではあるが、スパイ活動では交渉の道具として役立つのも事実だった。

 彼女の名は羽島恵理(はしまえり)

 四歳の時に魔術の才能を開花させると、その幼い身を戦場の中心に置いて、くるぶしが血に染まるほど人間を殺してきた人間だ。もっとも、自分でも覚えていないのでデータの記録で知ったことだが。

 戦争の後は捕虜やスパイなどの身分を転々としているうちに、気づけば世界の裏側にある二四の組織に所属し、それぞれの間で情報を操作してきた。

 ある意味では、世界中にはびこっている思惑に最も詳しいかもしれない人間が、情報の中心地へと走る。

 そんな、世界一の情報通が今求めている情報は、魔の実験施設から生存した二人についてだった。

 世界のあらゆる組織が彼らの情報を狙っている。

 ひとまず、彼女の思惑としては、現地に赴いた工作員よりも早く情報を独り占めすることで、それを外交の上でのワイルドカードにするのが理想だ。

 「そうすれば、いつか、奴らにも…」

 復讐できるかも、という思考は中断された。

 彼女の後ろから、重い足音が聞こえてきたからだ。

 

 重々しい装備を身に着けて戦闘員が追いかけてくる。

 横目にそれを見て速度を上げるが、その先には、別の戦闘員の銃口があった。

 軽く舌打ちをすると、彼女は短いズボンのポケットから、チョークを取り出しました。

 全速力で走ったあとにもかかわらず、チョークはどこも欠けていないし、汗に濡れてもいない。

 チョークを右手に持ち、彼女はうずくまった。

 いや、よく見ると地面に何かを書いている。

 (こいつ、魔術を使う気か…!?)

 彼女を挟んでいた二人の戦闘員が、ほぼ同時に弾丸を発射した。

 しかし、その弾丸が彼女の肉に当たるより早く、彼女の姿が虚空に消えた。

 戦闘員に、それに驚くだけの余裕は無かった。

 それまであまり見えなかった向かい側の戦闘員から放たれた弾丸が、お互いに向かってくるのに気づく前に、双方の戦闘員たちが吹き飛んだ。

 (…敵対組織より被弾。これを宣戦布告と認定する。)

 陽も落ちかけて、薄暗かったのが本格的に暗くなろうとしている路地裏で、約五メートルの距離を置いて、物騒な大型銃を構える四人ずつが、睨み合っている。

 そこから先は、陰惨な殺戮の嵐だった。

 結果としては共倒れ。誰一人生き残ることなく、赤い水たまりと『teleport(テレポート)』というチョークの文字だけが路地裏の地面に残されていた。

 一方で、彼女は路地裏から少し離れた民家のブロック塀の上に立っていた。

 先ほどの路地裏の場所を確かめ、方向を見定めて、彼女はブロック塀から飛び降りる。

 そしてまた、その足を戦場に向けて走らせていく。


 「…キリがない」

 霧咲鶴城は、続々と戦闘員を斬り伏せていった。

 だが、まだ五〇人は残っているだろう。

 いくら一人にかかる時間や体力が少ない雑魚だとしても、これだけの数を相手にするのは骨が折れる。

 まして、相手はそれなりの訓練を積んだ人間だった。

 (数の暴力っていうのは、案外バカにできないな)

 しかし、数が多いというのは、単純な体力や時間だけが問題ではない。

 一人を斬り伏せる。そして近くにいた次の獲物に斬りかかった時に、背後から七発の弾丸が飛んでいた。

 これが、数の暴力のうち、最も彼を疲弊させているものだった。

 一対一なら、相手の動きだけに注意すればいい。一対二や一対三くらいなら、霧咲鶴城にとって、相手の動きを認識・予測するのは難しくない。

 しかし。

 (ダークソード、背中を合わせるぞ)

 相手が何十人もいれば、動きを目で追うのは不可能だ。予測するにしても、位置情報くらいは捕捉しないといけない。

 だから、ダークソードに命じる。自分と背中を合わせて戦え、と。

 その頼みに呼応して、ダークソードという名の剣が、一人の女の子に変身した。

 彼より一〇センチほど背丈が低く、暗い紫色の和服を身にまとった少女だった。その腰に届きそうで届かない長さを持つ黒髪が艷やかに沈みかけの夕日を反射していた。

 その手には剣を持っていた。

 ダークソードの黒とは違う、全体が銀色の光沢を帯びた、いわゆる普通の日本刀だ。

 「マスター、これを。」

 ダークソードが鶴城に日本刀を手渡す。鶴城がそれを受け取ると、ダークソードの背中から、黒い翼が伸びてきた。

 片方の翼だけでも、五〇センチに達しそうな、黒い羽根で作られた黒い翼だった。

 その翼に鶴城が背中を合わせる。

 (ダークソード、俺の背後はお前に任せる)

 (任されました、マスター)

 直後、意を決したように鶴城が剣を構えて突っ込む。

 背後から放たれる無数の弾丸と、前から放たれる跳弾の嵐をダークソードの翼から抜け落ちた羽根が消していく。

 弾丸に羽根が触れた途端に、弾丸が羽根に包まれて、紫色の小さな花火のように弾け飛ぶ。

 そうして一人、また一人と斬り裂いていく。

 しかし、二人は思う。

 (キリがない…)


 あの後にも三回、戦闘員や諜報員を相討ちにしてきた。あるいは、見殺しにしたと言ってもいいかもしれない。

 そして、また彼女は板挟みになっている。

 ギリギリまで相手の攻撃のタイミングを合わせていく。

 そのための動きは、とっくに心得ていた。

 「可憐に舞うは呪いの花弁、漆黒に散るは少しの詭弁」

 適当なことを口走る。相手は基本的に魔術に無知だ、と彼女は既に知っていた。

 そろそろ痺れを切らして撃ってくる、そのタイミングを測ってチョークを走らせる。

 ナイフを隠し持った相手が突撃し、あと一歩で届く瞬間に、テレポートを発動する。

 路地裏に、胸を刺された二人の絶叫が響いた。

 テレポート先はある程度ランダムだ。半径三〇メートル以内の、差し迫った死の危険が無い座標に飛ぶ。

 知り合いの学者の研究の賜物だった。

 だから、飛んだあとは、どこか命の危険は無い安全な所にいる。

 そのはすだった。

 テレポート先の景色を見て、彼女は冷や汗をかく。

 道路だった。その中央分離帯の芝生の上に彼女は立っていた。

 (なるほど。道路のど真ん中に行くことは無いけど、中央分離帯は有りえるのね)

 とは言っても、もともと交通量が少ない道路だった。さっさと歩道に戻って走ろうと思っていた直後、高速道路を走る車と見間違うほどのスピードで、黒い車が走ってきた。

 その後部座席から一人の男が中央分離帯に転がり込んだ。

 サングラスで目元を隠し、いかにもどこかの組織の者です、と名乗るような格好。

 殺し屋なのは間違いなかった。

 殺し屋の世界にもルールはある。一般人を装ってターゲットを殺すのは、卑怯な手にあたる、というわけだ。

 無言の睨み合い。

 そして、両者ほぼ同時に引き金を引き、そして体を斜めに傾けた。

 しかし、両者の考えは同じだった。ガーンという脳天を揺らす金属の音とともに、拳銃の銃口がひしゃげていた。

 忌々しく舌打ちをして、一七歳のスパイは拳銃を投げ捨てた。一方で、三〇代に見える殺し屋は、至って冷静に拳銃を握り潰して、ニタッと笑った。

 まるで、肉弾戦ならば負けることはない、と勝利を確信したように。

 まるで、相手の武器を封じた、と魔術の存在すら知らないかのように。

 あるいは、拳銃が無いと発動できない魔術だと思われたのかもしれない。

 (舐められたものね)

 少しフッと笑って、ボクシングでよく見るような、殴り合いに備えたポーズを取る。

 風の音が聞こえた。それほどまでに無言。息の音すらも殺すように、二人の裏の人間が対峙していた。

 音を全て消しながら、相手が恵理に殴りかかる。恵理がしゃがんでそれを避ける。

 それを見越した肘打ちが炸裂する。後ろに飛ぶことで極限までダメージを減らす。

 その後も恵理に攻撃は当たらないが、恵理も攻撃を繰り出す暇がない。

 膠着状態のまま、肉弾戦が続いた。

 (そろそろ疲れてきた頃かしら…?)

 相手が距離をとった隙を突いて、チョークがでこぼこした分離帯の地面を引っ掻いていく。

 テレポートが発動した。

 運良く、相手の背後に回ることができた。

 (ラッキーね。三〇メートルなら走れると思って使ったのだけれど)

 「逃げたのか?」

 単純な疑問にも、恵理を嘲っているようにも聞こえる声に、

 「後ろよ」

 と、返した。その顔には笑みが浮かんでいる。

 チョークが何もない空間に文字を書き出していく。

 『trigger(トリガー)hand(ハンド)』と描かれた文字から、円の中に五芒星が内接しているだけの、簡単な魔法陣が自動展開される。

 相手が攻撃を止めようと距離を詰めていた。

 恵理は指で拳銃の形を作り、魔法陣に腕を通した。

 相手の体当たりを、後ろに飛びながら受け止める。

 女の子っぽい柔らかさの中に筋肉質な(つよ)さを内包する腕が、殺し屋の首をつかむ。同時に彼女が足を乗せて、殺し屋の動きを封じた。

 「私が魔術師だってこと、忘れてた?」

 拳銃の形をした右手。その人差し指で、殺し屋の脇腹をつついた。

 そして、引き金にしていた中指を思いっきり引いた。

 直後、得体の知れない力の塊が、殺し屋の腹を貫通した。

 「化け…物が…!」

 「そうね。聞き飽きた言葉だわ。」

 もう一度チョークが空間に走る。魔法陣が展開される。

 「終わりよ。」

 魔力の弾丸が発射されて、敵の心臓を貫いた。

 羽島恵理の手によって引き金を引かれた惨劇が、そこにあった。

 自分の心の中で何か言葉を反芻すると、また顔を上げて場所を確認した。

 「さて、先を急ぎましょうか。」


 彼女が急いで走っていく先では、ダークソードが空を舞い、鶴城が剣を振るっていた。

 ダークソードに向けて追尾弾が放たれる。

 翼を翻して飛ぶダークソードの後ろを、赤外線が放つ熱を追って、自動制御の弾丸が加速しながら近づいていった。

 同じような追尾弾が八発、彼女を狙っていた。

 鶴城が走って近づくが、剣先は弾丸にかすりもしない。

 ダークソードが羽根を落としても、その羽根を撃ち落とすように小型の拳銃から正確に弾丸が放たれる。

 絶体絶命もいいところだった。

 ダークソードの表情が引きつる。鶴城がダークソードの名前を叫ぶ。

 追尾弾が更に速度を上げたその時だった。

 追尾弾の一つに別の弾丸が当たって爆発した。

 その爆発が別の追尾弾を巻き込むようにして、追尾弾が全て消滅した。

 その炎がダークソードの顔に触れる前に、水の壁にせき止められて消えた。

 「お待たせ」

 羽島恵理が、戦場に到着した。

 「後は任せなさい。あなたたちは、彼らを逃がして」

 地面に倒れている信吾と、その上に乗っかるようにして地面に頭をつけずに倒れている来海を指差した。

 「大丈夫なのか?」

 「もちろん。クローン戦闘員が何体いようと、同じことよ。」

 クローン。それが、魔術師たちと戦闘を繰り返していた戦闘員の正体だった。

 第三世代(サードステージ)複製人間(クローン)。クローンはかつて身のこなしを覚え、戦術を覚え、そして第三世代(サードステージ)に至って、完璧な戦術や対処法と、行動パターンを凝り固めないための自律思考を手に入れた。

 クローンたちは今、経験を積み重ねた人間の兵士よりも、ずっとずっと強く、そして安い。

 しかし、それは所詮は人間が創りだした兵器の力。

 魔術師・羽島恵理はクローンの戦闘部隊に語りかける。

 「学者の中には、魔術師を第四世代(フォースステージ)の戦力とみなす人もいるそうよ。」

 自律思考のために、第三世代のクローンは、ヒトの心の一部を数値パラメーター化して搭載している。

 「あなたたち型落ちが、最新世代に勝てるかしらね?」

 心の欠片を揺らすように、微笑みかけた。


 一方で、霧咲鶴城は、和紙の上に墨で何かを書いていた。

 その背中を、ダークソードが守っている。

 あの二人の体の上に書き上げた紙を置くと、術名を読み上げた。

 『忍法・木の葉隠れの術』

 突風が巻き起こり、木々の葉を摘み取ってつむじ風を巻いた。その風が、四人を乗せて吹いていった。

 行き先は霧咲家の屋敷。

 そこで一緒に住む二人の妹に彼らを看病させて、恵理ともそこで合流することになっていた。


 やはり、クローンの心を揺るがすことは出来ないようだ。

 顔色ひとつ変えずに、クローンが戦闘行動を取る。

 ならばこちらも、と思いながら、恵理もチョークを構えて筆記体を書いていく。

 拳銃の形をした右手の引き金を引くと、五秒後に人差し指が火を吹いた。

 倒れている相手から大型の銃を奪うと、今度は発動とほぼ同時に炎やら突風やらが吹き荒れた。

 魔術『trigger(トリガー)hand(ハンド)』は、右手を魔法陣に通すことで、そこから火・水・風・雷・闇などの属性(エレメント)を帯びた弾丸を発射する魔術だ。

 右手を拳銃の形にするのは、拳銃の形という分かりやすい形を通すことで、時間と脳にかかる負担とを減らすためだ。

 ならば、銃の実物を使うことで、時間や負担を大幅に減らすことができる。

 大型銃からバカスカと魔術が繰り出され、ものの五分で特殊部隊は壊滅した。


 霧咲家の屋敷は、かなり広い日本風の家だった。

 一階建てではあるが、台所や食卓、居間の他に、十は部屋があった。

 そんな家の、これまた広い庭に、四人は到着した。

 それを見るなり、鶴城の妹が二人、窓を開けて駆けてきた。

 「お帰りなさい、兄上。とりあえず二人を寝かせる準備はできています」

 「お帰りなさい、お兄様。お風呂も湧いています」

 「やっほー、お帰り。ちょっと鶴クンの部屋のコンセント借りてるよ」

 鶴城を兄上と呼ぶのが、一つ下の妹の霧咲一葉(きりさきひとは)、お兄様と呼ぶのがさらに一つ下の妹の霧咲真葉(きりさきまのは)だ。

 そして、勝手にコンセントを使っているのは、恵理が協力してもらっている研究員だった。あのテレポートを始めとして、何十の戦略魔術を開発している、相葉紗希(あいばさき)という一六歳の若き天才である。

 床に敷かれた二つの布団に、それぞれ信吾と来海が寝かされた。

 二人が規則的な寝息を立てているのを見て、鶴城はそっと胸を撫で下ろした。

 恵理が霧咲家にやって来たのは、それからすぐのことだった。

 目が醒めない二人はさておいて、いつもどおりの日常が流れていく。

 妹たちが二人で食事を作っていて、ダークソードが洗濯物を畳んでいて、恵理がパソコンを使って何かをしていて、紗希がよくわからない数式を紙に書いていて、鶴城が床を雑巾がけしている。

 いつもどおり、六人で送る日常だった。

 つまり、霧咲家はシェアハウスのように使われていた。

 言うまでもないが、家主である鶴城の立場は弱い。男女比を考えれば、誰でも分かることである。


 霧咲家の明かりが消える。

 夜になり、各人がそれぞれの部屋に戻り、タオルケットを掛けて眠りについた。

 夜の零時を回った頃に、一応は家主である鶴城が部屋の見回りをする。

 現代となってはあまり必要のないことだが、かつて殺し屋の忍者が潜んでいた時代からのしきたりだった。とはいえ、サボりがちではあったが。

 寝静まった廊下に、声が届いた。

 「あの二人に関する情報はもう少し待ちなさい。出し惜しみ?していないわ。さっき送った分で全部よ。」

 恵理の声だった。裏世界の連中は、よほど彼らの情報が欲しいらしい。

 その向かい側に、電気がついている部屋があった。紗希の部屋だ。

 (消し忘れか?まったく…)

 電気のスイッチを押そうとして襖を開けると、紗希がいた。

 赤いフチの眼鏡を掛けているのはいつも通りだが、下着とパンツだけの姿で、ぺたんと座布団に乗っかって足を伸ばし、ちゃぶ台の上にある紙と格闘していた。

 「ここのパラメーターをこれに代入して…」

 バレる前に逃げろ、と本能が叫ぶ。

 (落ち着け、俺は忍者の端くれだ。音を出さずに立ち去るくらい、造作もない!)

 彼が覚悟を決めて一歩立ち去る前に、紗希が異変に気づいた。

 「んー?何か気流が乱れてる気がする。もしかして、襖が開いてる?」

 彼女が振り向いた先には、顔を赤くして呆然と立っている霧咲鶴城がいた。

 終わった。

 この女だらけの俺の家で、もう生きていけない。


 「鶴クン、そこに正座して?」

 完全に怒鳴られると思っていたのだが、この落ち着きは逆に、とんでもなく怖い。

 恐れるあまり、へ?というクッソ情けない声が出た。

 「いいからそこに正座しろぉ!」

 何とも威厳に欠ける声だ。

 とりあえず、黙って従うしか生き残る道は無い。

 なるべく、紗希とは目を合わせないようにしよう。

 「まずね?なんで鶴クンは女の子の部屋に入ってきたのかな?」

 「いや、だって電気が付けっぱなしだったから」

 「だとしてもさ?ノックとかするよね、普通?」

 「ごめんなさい」

 こうなってしまったら、謝るより他に無い。

 ただ、頭を下げることで、紗希を直視しなくて済むのは助かった。

 このまま帰してくれないかなぁ、とは思う。が、そんなに甘くはないのだろう。

 紗希が言う。

 「もう顔上げてもいいよ?別に怒ってないし」

 いや、ここで顔を上げるといろいろとマズいことになるだろ、とは言えず、黙って項垂れていると、さらに誤解が生まれてしまうのだった。

 「いやさ?確かに私はそこそこぺったんこだよ?」

 何を言ってるんだ、というのが正直な感想だった。

 「でもさ?だからって見たくもないっていうのはヒドいんじゃないかな?」

 そして、気づく。こいつ、盛大に勘違いしてやがる。

 「ねえ、聞いてる?」

 「聞いてますともハイ!ですがね紗希さん。さすがに女性のそういう姿を見るのは慣れていないと言いますか何と言いますか。その、ですね。あの…だって太ももとかその…下着、とか。色々もろもろ丸見えですよ?」

 自分でも思う。キャラ崩壊もいいところだ。

 「だってさ?服着てると集中の邪魔なんだもん。」

 ますます訳が分からない。

 鶴城は理解を諦めることにした。

 「とりあえず、もう帰ってもいいかな。」

 「あっ、うん。どうぞ?」

 「早く寝ろよ。もう日付変わってるんだから。」

 「えっ、うん。ありがと?」

 「おう」

 自分の部屋に戻っていく鶴城の背中を見て、なんて良い人なんだろうと呟いた。

 「あーあ。結局集中力切れちゃったし、また明日かな?」

 ちゃぶ台の上の紙を片付けて、ピンク色のパジャマを着て、ベッドの上に寝転んだ。

 「っていうか、もう今日なんだっけ?」

 どうでもいいやと思って電気を消した。

 午前零時三七分、霧咲家から全ての明かりが消えた。


 朝は、全員に平等に訪れる。

 霧咲鶴城の朝は早かった。

 朝の五時半に目を覚まし、軽装に着替えると、外へジョギングをしに行った。

 街が眠りから覚める前に、心地良い朝の風を浴びながら颯爽と走っていく後ろ姿を見ている、薄紫のパジャマを着た和風美少女がいた。ダークソードだ。

 彼女は洗濯機のスイッチを押すと、洗濯物で洗えない自分の和服を、丁寧に手洗いした。

 洗濯機が乾燥に入った午前六時ごろ、廊下の方から話し声が聞こえてきた。

 「おはようございます、恵理さん。」

 「ええ、おはよう、一葉。」

 一葉は真っすぐに台所の方に向かい、恵理は走ってくる、と言って外へ出て行ってしまった。

 洗濯機が作業を完遂した合図(アラーム)をし終えると、ダークソードは洗濯物をカゴにいれてベランダに向かう。

 その頃、真葉が可愛らしいあくびをしながら台所に向かっていた。

 洗濯物をカゴから引っ張り出して、南の窓際に立っている物干し竿にハンガーを引っ掛けて吊るしていく。

 型崩れしないようにハンガーの大きさを変えながら、器用な手つきで洗濯物を干していく。

 (六人分ともなると色々と大変ですね)

 しかし彼女にとって、それはなかなか楽しいことだった。

 鼻歌交じりに洗濯物を干していると、家の中から美味しそうな朝ごはんの匂いがしてきた。

 (これは…味噌汁と、ホッケでしょうか?)

 そこに紗希が手伝いに来た。

 「その鼻歌、なんて曲?」

 「いえっ、その…大したものでは…」

 恥ずかしさに顔を赤くして狼狽えるダークソードを見て、紗希がニヤニヤとする。

 「紗希さんこそ、なかなかの寝癖ですよ?」

 ささやかな反撃。

 パジャマのポケットに入っていた手鏡を紗希に向ける。こういう手鏡は、あると何かと便利だ。

 何か叫び声をあげながら、紗希が洗面台に飛び込んでいく。

 (本当に、騒がしくて…賑やかで、良いことです。)

 しかも、なんだかんだ一人で干し終わりそうだ。

 最後に自分の和服を干したその時、鶴城と恵理がランニングから帰ってきた。

 「マスター、恵理さん、お疲れ様です」

 「ああ、お疲れ」

 「そっちこそ、お疲れ様」

 そろそろ朝食の時間だ。


 朝の食卓には、紗希以外の五人が座っていた。

 食卓に向かってくる足音がしたと思ったら、食卓には誰も来ないうちに足音が止まった。

 「紗希、早く座んなよ。」

 恵理が言う。えーっと、という困惑の声が。ちょっと待って、と紗希が張り上げた声に掻き消された。

 「えっ、じゃあそこにいるのは…」

 恵理が振り返る。そこには、その場しのぎの手拭いの服を着た穂村来海(ほむらくるみ)が立っていた。

 ほんの短い間だけ、全員の思考が止まった。

 「服、貸してあげるから早く着替えておいで。」

 恵理と紗希がほぼ同時に似たようなことを言った。彼女たちは身長は一五六センチくらいでほぼ同じだ。体格も胸以外は近い。

 そして問題なのは、来海の胸は平均的で、恵理と紗希のほぼ中間だったことだ。

 (どうしようかな)

 少し戸惑っていた少女に、彼女よりほんの少し身長が高い女の子が服を差し出した。

 「はい、どうぞ。」

 「ありがとう。」

 一葉から服を借りて着替えている間に、真葉が来海の分の朝食をテーブルに運んできた。

 (鶴城お兄ちゃんは誇らしいよ)

 優しい子に育ったな、と思わず笑みを浮かべた。

 一方で、恵理と紗希はしゅんとして、しおれたように椅子に座っていた。

 信吾は、まだ目覚めない。


 食卓には、白米が程よく盛られた茶碗と、油揚げと豆腐の味噌汁、一人に一匹ずつのホッケの干物、わかめとキュウリの酢の物、それから大皿に筑前煮という、逆に滅多にお目にかかれないような『ザ・日本の朝ごはん』が並んでいた。

 ちなみに、味噌汁と筑前煮は鰹節と昆布でダシをとるほどの気合の入れようである。

 食卓に信吾を除く全員がついた。

 とりあえず簡単に自己紹介をすると、家主である鶴城の一声で、全員が手を合わせた。

 「いただきます!」

 一人ひとりの声はそうでもなくても、これだけの人数がいれば、自然と賑やかな挨拶になった。

 ダークソードが大皿から筑前煮を全員の小皿に配り始めると、紗希が来海に質問を始めた。

 「どう?体調がおかしいとかない?」

 「はい、一応。」

 「んもう、敬語なんて使わないでいいんだよ?」

 「そうですか?」

 「そうだよ。せっかくタメなんだから仲良くしようよ。」

 恵理が同調すると、来海もそれじゃあ、と前置きして

 「うん、体は平気。」

 ありのままの笑顔で、友達に接するように、返事をした。いや、もしかしたらもう、彼女たちは友達なのかもしれない。


 和やかな朝食の後で、紗希は自分の部屋に来海を呼んだ。

 ちゃぶ台の上の紙には数式の嵐が吹き荒れて、古っぽいコンピューターが熱を部屋に吐き出していた。そして何よりも異質なのは、押し入れの中へと何十本というコードが伸びていることだった。

 「ちょっと失礼するね?」

 来海の細くて白い腕に電極パッチがつけられる。

 そのパッチからは太いコードがコンセントやらコンピューターやらに枝分かれしてつながっていた。そして、電極パッチのもう片方が、来海の首筋につけられる。

 「うん。」

 来海が深呼吸をするように息をした。その瞳には恐怖の色はない。

 (あれだけ実験者の汚い部分を見た後で、なんであんなに純粋なんだろ?)

 こんなこと聞けないな、と思った。大多数の人間は忘れたい記憶を忘れていく生き物だ。それがすぐににしろ、時間がかかるにしろ、記憶の封印は珍しいことではない。

 中には物事を忘れられないという性質の人間もいるが、何となく違う気がした。

 「ところでこれ、何の装置なの。」

 来海に聞かれて、正直に紗希が答える。

 「魔術のランクを測る装置だけど、ランクって分かる?」

 「ううん。」

 コンピューターと電極の接続が確認された。

 「ランクっていうのはね、魔術師が取り込める魔力の量を対数的に表す指標なんだけど、だから、つまり…えっとー?」

 研究者のサガだ。普段、彼女は一人で実験をしていた。たまに共同研究や発表をするにしても、相手はプロなので、専門用語の解説は必要ない。

 つまるところ、彼女にとって来海にランクを噛み砕いて説明するのは、今までで一番難しい課題かもしれなかった。

 「身体的キャパシティの上限値を…えっと、能力、つまり、その、なんていうのかな?その、オーバーアブソーブするときの魔力がどれだけなのかを…」

 来海が目を回しそうな表情で、首をかしげている。

 その瞳が泣きそうに感じられて、紗希の脳みそがフル回転を超え始めた。

 あらゆる単語とその意味が頭の中を駆け巡る。

 ランク。魔力の指標。魔力とは魔術に必要な力。指標、すなわち目安。実際は少し違うけど。対数的、ランクにおいて底は十だから、桁数とほぼ同義。ちょっと違うけど。ランクの使用目的、戦闘力の換算。上限。魔術の強さ。正の相関関係。例外もあるけど。

 本当は必要な情報を削ぎ落す。その決断に必要な勇気を振り絞る。なるべく簡単な言葉に、簡単な関係に置き換えて、文章を洗練する。

 研究者として本当に必要なプライドは、理解されないけれど正しい真理を伝えることよりも、むしろ。

 理解してもらえるように、しかし誤解が無いように、言葉を引き延ばして、ぶった切って、根幹の一部を、最も大事なところだけを伝える。

 私なら、できる。

 文章の洗練は、もう終わっていた。

 「紗希ちゃん?おーい、紗希ちゃーん。」

 来海ちゃんの声が聞こえる。私の説明を心待ちにする来海ちゃんの声が。

 「あのね、来海ちゃん!」

 「は、はい!」

 「ランクっていうのはね…」

 導き出した答えを告げる。その表情は、歓喜に満ちていた。

 「高ければ高いほど、強い魔術が使えるってことよ!」

 「な、なるほど。」

 若干引かれている気がするが、まあ気にすまい。

 全ての装置が、準備完了・オールグリーンになった。


 熱すぎる夏の日差しのおかげで道場が暑い。

 剣を持った三兄妹が、それぞれの剣技に磨きをかけていた。

 「真葉、降り抜く時には、ここで手首を返すんだ。」

 「なるほど…はい、お兄様。」

 鶴城がもう一度剣を振ろうとしたとき、道場の柱に矢が突き刺さった。

 伝令の矢。いわゆる矢文である。差出人は、あらかた恵理だろう。きっと一発だけ、的外れの弾丸を発射したに違いない。

 『機械の龍がそちらを襲うかもしれない』

 訳が分からないが、警戒しておくに越したことはなさそうだ。


 「ありゃ?おかしいな、不具合かな?」

 紗希の瞳には、ランク〇という表示が映っていた。

 こんなことをいうのは心が痛むが、目の前で電極につながれているのは、特殊部隊を壊滅させるだけの炎の海の魔術を使った少女のはずである。ましてや、ワールドエンド系の魔術を使ったという報告もある。

 それなのに、ありえないほどに魔術の才能なし、とのことである。

 「どうしたの?」

 「いや、思ってたのと違う結果なんだよねー。異常は無いんだけどなー?」

 「そっか。なんか、ごめんね。」

 「ううん、謝ることないよ。もしかしたら、来海ちゃんの命が狙われることは無くなるかもしれないし?」

 「そっか。」

 世界中の研究者にとって、初めてのケースだ。研究したいのは誰も一緒だろう。もちろん、紗希の中にもそんな気持ちはあった。

 だけど、それ以上に、二人はもう友達だった。

 「とりあえず、このことは私たちだけの内緒にしよう?」

 どうして、と返事が返ってきた。無理もない。

 「ランク〇っていうのは逆に希少価値が高い…えっと、珍しいから、研究者の実験材料にされちゃうかもしれないから。ね?」

 「うん…紗希ちゃんはどうするの?」

 「私は、来海ちゃんの研究はとりあえず大丈夫かな。それより今は、別の研究で忙しいんだよねー」

 別の研究。それは、神を排除して魔術の世界を記述すること。

 神話を経由せずに科学の力のみで魔術を使えるようにするのが、当面の彼女の目標だった。


 羽島恵理は、カラオケルームの中にいた。

 別に歌いに来たわけではない。一応、不自然にならないように曲を流してマイクを握っているが、していることは電話だった。

 「なるほど、来海ちゃんはランク〇だったんだ。」

 「そーなんだよー。恵理ちゃん的に、これってどんな感じ?」

 電話の相手は研究を終えた紗希だ。

 「これで来海ちゃんは襲撃対象から外れそうかな。ありがと、紗希。」

 「いえいえー。ところで、今どこにいるのさ、何か聞こえてくるけど?」

 「カラオケ店だけど。」

 「なんで誘ってくれなかったのさー?」

 「いや、フェイクだから。カラオケルームなら基本誰も入ってこないし、声がしててもおかしくないし。」

 曲がサビに入ったのを見越して、少しだけ前のめりになる。

 「ってことは、お仕事中?」

 「うん。」

 申し訳なさそうな声が返ってきた。

 「電話しちゃ悪かった?」

 「全然。むしろ報告待ちだった。」

 「そっか。ならよかった?」

 「よかったよかった。切るね。」

 「はいよー」

 実際は別に報告待ちでも何でもなかった。一方的に電話を切ろうとしたのは、別の連絡が入ってきたからだ。向こうは専属スパイだと思っているので、別のところと長時間連絡しているのは良く思われない。

 『もしもし、恵理か。』

 この声の主はどこの誰だっただろう。

 そして、思い出す。確か、六〇キロくらい離れた国会議事堂に潜伏していだはずだ。

 「ええ。あの件かしら。」

 『奴ら、本気でDOFAM(ドーファム)を使うつもりだ。今、大臣・総理大臣・天皇の三人が署名した。』

 「わかった。こちらで何とかするわ。」

 『頼むぞ、あの実験動物の重要性を、国は分かっていない。』

 「その実験動物についてだけど。」

 心が痛んだ。だが、ここで怪しまれるわけにはいかない。

 「片方、女のほうはランク()だそうよ。おそらく、強制的に覚醒したから、魔術を発動するファクターが失われたのね。」

 『それは本当か。』

 「ええ。」

 『速やかに拡散しておく。無駄な労力は割けないからな。』

 「よろしく頼むわ。」

 通信を切る。

 ランクの数値を一つごまかしたのは、純粋なランク〇は希少性が高いので、結局どこの研究者も欲しがるオチが見えたからだ。

 〇と〇ではない数の間には、とんでもなく深い溝がある。それこそ、住んでいる場所を分けるほどの隔たりがある。

 だが、ランクの数字よりも強く心を引いたのは、やはりDOFAM(ドーファム)だ。

 まだ曲は途中だが、とりあえず、霧咲家に戻ろう。


 「ねえ、紗希ちゃん。」

 「どした?」

 「なんか、ちょっと具合悪いかも。」

 慌てて来海を見たが、すぐに納得した。彼女の手には、丸めたティッシュが握られていた。そして、若干顔が火照っている。

 「どれどれ?」

 額に手を当てると、暖かいを通り越して熱かった。

 「うーん。風邪かな?あっ、ゴミ箱はそっちね。」

 そういうと、タンスの中から粉や液体が入ったビンを何本か引っ張り出してきて、台所から適当なボウルと泡だて器を引っ張り出すと、それらを全てちゃぶ台の上に置いた。

 そして、鼻歌交じりにボウルの中に粉や液体を入れて、泡だて器でかき混ぜていく。

 「サイエンスな感じだね。」

 来海がよく分からないリアクションをしているが、どう返していいかよくわからない。返事の代わりに、おとなしく待っててね、と言って台所に急いだ。

 台所に出ていたまな板に冷蔵庫から取り出したプチトマトを取り出し、ヘタを取り、縦に半分に割る。炊飯器から米粒を二つ三つ拝借する。

 中に入っている果実を指でこそぎ取り、自分の部屋に持っていく。トマトの汁が垂れているが、気にしない気にしない。

 トマトの色素のリコピンは~市販の漂白剤で落ちるのだ~♪とかいうヘンテコな歌と一緒に、紗希は部屋に入った。

 そして、トマトの中に調合したペースト状の薬品を入れて、米粒でくっつける。タンスから蒸留水を引っ張ってくる。

 「はい、即席風邪薬だよ。飲んでみ?」

 明らかに見た目はプチトマト。だが、中に入れる薬品を作るのを見ていたし、何より、薬品ビンの中の水が怖い。

 「効くの、これ?っていうか、飲めるの?」

 「飲める飲める!成分は市販のやつより効くよ?」

 「でも、この水…」

 「ただの蒸留水だから問題ないよ?水素イオン濃度がジャスト七!しかも新しいやつだから安心して?こないだ作ってやつだから!」

 「あっ、うん。」

 もう飲むしかない。風邪薬とは正反対ともいえるそれを飲み込んだ。プチトマトは大きくて飲み込むのは大変だったが、なんとか怪しい水で押し込んだ。

 紗希はなぜか嬉しそうだった。


 「紗希と来海いる?」

 恵理が入っていくと、そこは異様な光景だった。

 いくつもの薬品ビンが散乱し、来海が何かを薬品ビンの中の液体で、喉に流し込んでいた。なんとなく具合も悪そうだ。

 「ちょっと紗希!何してんの!」

 「え?いやー、来海ちゃんが風邪引いたっぽいから、風邪薬作って飲ませてたんだよ?」

 「あっ、そうなの。」

 「うん!」

 なんだか嫌な笑顔である。

 「来海、何飲まされたの?」

 「風邪薬…らしいです。」

 元気が半分という感じの調子で返ってきた。

 「どんな?」

 「普通のだよ?」

 紗希が答えた。ということは、何かやましいことがあるはずだ、と勘が働いた。

 「来海、どんなだった?」

 「ミニトマトになんかを入れて、ご飯粒でくっつけて、変なビンの中の水で飲まされた。」

 「紗希?」

 恐ろしい顔をしていた。たぶん、戦場でも彼女はこんな顔はしないと思う。

 「いやー、成分は市販の薬と一緒だし、ビンの中身は蒸留水…正真正銘のH2Oだからね?」

 「普通の薬じゃダメだったの?」

 「自分で作ることに意味があるんじゃん?」

 このマッドサイエンティストには何を言っても無駄そうなので、これ以上の追及はしないことにした。

 「あれ?もう行っちゃうの?」

 「うん。」

 「またカラオケ?」

 「違うわよ。」

 恵理は自分の部屋に移動しようと背中を向けて、

 「ちゃんとそれ、片づけておいてね。あと、床に垂れたトマトの汁も早めに処理してね?」

 釘を刺して行った。


 その頃、霧咲家の裏庭から少し離れたところに、日本の自衛隊のヘリコプターが何かを落として飛んで行った。

 その落下物は、形は何かの種か卵のように見えたが、色は金属のような光沢を帯びた銀色である。

 そして、ヘリコプターが空中で旋回し、動きを止めた。

 羽を休めた鋼鉄の塊が地上に降ってきた。


 恵理は自分の部屋でコンピューターに電源を付けた。

 紗希の部屋にあったそれとは違い、最新型のコンピューターだ。紗希にもプレゼントしようとしたこともあったが、彼女は中古品の愛好家(アンティークフィリア)だとか何だかいって、受け取ろうとしなかった。

 コンピューターが立ち上がると、DOFAM(ドーファム)についての情報を探す。

 対魔術師(Dragon)(Of)力駆動(Force)式龍型自(Against)律兵器(Magic)、通称ドーファム。

 金属で作られ、全身に兵器をまとい、原子力で動くドラゴン。

 その製造目的は、魔術勢力の排除。

 自衛隊本部の地下深くに秘匿され、作戦行動の実施時には、卵のような状態のカプセルを先行させ、専用のヘリコプターをその上に落とすことで、データをインストールさせてドラゴンに変形させる。

 専用のヘリコプターそのものがドーファムに変形するが、その頭脳といえる戦闘データはカプセルに守られているということらしい。

 また、カプセルには第三次世界大戦で捕虜となった魔術師により、関係のない一般人を戦場から遠ざける魔術を発動できるらしい。

 「素直に第四世代(フォースステージ)と名乗ればいいのに、よっぽど私たち魔術師が嫌いなのね。」

 そのデータベースの最後の一行を見て呟く。

 『非魔術使用の第三世代(サードステージ)兵器において、最大戦力である。(二〇四五年七月現在)』と書かれていた。

 魔術を、使っているくせに。

 (そういえば、外が静かね)


 「マスター、何か嫌な予感がします。」

 道場で日課の鍛錬を続けていた鶴城にダークソードが言う。

 その直後、締め切った道場の中に、風が吹いた。

 足が浮きそうなほどの猛風に抗うように黒い翼を広げて、ダークソードが三兄妹を守った。

 おかげで、頭をぶつけずに済んだ。

 猛風で壊れた道場の扉から見える、眩しいほどに夏の日差しを跳ね返しているそれは、機械の龍だった。

 「あれが、DOFAM(ドーファム)よ。」

 恵理が言いながら駆けつけて、発砲する。

 炎の渦が体の目の前で爆発したにもかかわらず、龍は傷一つ負うことなく、甲高く咆哮した。

 そして、金属の刃でできた翼を広げると、ジェット噴射で空に翔け上がり、どこかへと飛んで行った。

 あんなものを野放しにするわけにはいかない。

 「恵理、追えるか?」

 「ええ、現在DOFAMを追跡中よ。」

 二人は、臨戦態勢に入っていた。

 信吾はまだ、目覚めない。

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