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第7章 helibone――連戦5

1.


 真紀の眼覚めは、最悪だった。もっとぐっすり寝ていたかったのに、ドアを殴打する音で目覚めさせられたのだ。仕方なく、重い体を奮い立たせてベッドの脇に腰掛け、起床していることを声に出す。

 鍵を開ける音に続いて扉が引き開けられ、男が入ってきた。片手に金属製のトレイを提げている。その堂々たる、あるいは尊大さを隠さない顔立ちには見覚えがあった。

「おはよう、マドモワゼル」

「ボンジュール、アルマーレ」

 思いっきりの棒台詞に、男は一瞬立ち尽くした。だがすぐに大口を開けて笑い出す。

「分かっているなら話が早い。お目覚めの気分はどうかな?」

「最悪やね。捕虜の身分てのを差っ引いても」

 そう、彼女は仲間たちが倒れた次の瞬間、得物を振りかぶって倉庫の屋根から飛び降り、アルマーレとオーガを相手に殿しんがりを自ら買って出たのだ。

 散々に暴れまわって追撃を一部遮断したものの、ついにアルマーレの剣がその身を捉え、彼女の意識はそこで途切れた。

「一つ、訊いていい?」

 男がうなずくのを待って、口を再び開く。

「なんでみんなを殺さへんかったの? うちも含めて」

「殺せという命令を受けていない……というのは杓子定規に過ぎるかな。良き相手を殺すつもりが無かったこと、あの黒いエンデュミオールが愚者の石を持って来ていないようだったこと、それに――」

「かわいい女の子を殺すに忍びない?」

 男は、にやりと笑った。

「ではどうかね? かわいいマドモワゼル。仲間が来るまで、まだ時間はあるぞ?」

「なかなか魅力的な提案やけど、敵と寝る趣味はないわ」

 肩を大仰にすくめて、トレイを入り口付近の床に置く男。

(ちっ、隙が無いな)

 せっかく腰を少し浮かして、飛びかかれるようにしていたのに。

「では、ごゆっくり。気が変わったら呼んでくれ。失望はさせないよ」

 最後のひとこととダメ押しのウィンクが、実にアムールの国の人らしい。憮然とした表情でいらぬ期待を封じて、真紀は扉の鍵が閉まる音が聞こえるまで待った。

 無音でトイレに向かう。普通は、捕虜を収容する部屋にこんな設備は無い。20畳ほどの広さ。床に積もった埃に付いた、ベッドの足の跡。どうやら雑魚寝部屋からベッドを一つだけ残して撤去し、臨時に使用しているようだ。

 用を足したあと、目を閉じて聞き耳を澄ます。あの男のものと思しき足音しかしない。

(ここで地脈とやらをいじくってるんちゃうの? それとも重役出勤? にしては人の気配がしなさ過ぎる。重機の音も聞こえない……)

 怪しい。まさかとは思うが、真紀は手早く考えをまとめた。

 そして、真紀はほくそ笑む。

(気づかなかったな、あの男)

 最終的に彼の剣に果てた真紀が、なぜ仲間が全員生還したことを知っているのか。

 トイレを出て、ベッドに寝転ぶ。何が混入されているか分からない食事を摂るつもりはないし、水ならトイレので事足りる。よって体力を温存しなければならない。仲間たちが救出に来る時まで。

(代返は頼んだで、美紀)

 その他諸々を念じながら、真紀は目を閉じた。



2.


 今日の目覚めは、またベッドの上。昨日とは違う、病院の匂い。隼人はぼんやりと実は見慣れた天井を眺めた。

 ここは浅間会病院だろう。『あおぞら』本来の業務のことを理解してくれている"わけ知り"の病院だ。自分以外にも、どこかの病室に仲間たちが入院しているはず。はず、というのは、いくら"わけ知り"とはいっても、男である隼人をほかの女子たちと同室にはしてくれないのだから。

 ベッドの周囲に廻らされた間仕切りカーテンの向こうに、人の気配はしない。どうやら大部屋に独りきりのようだ。狭っ苦しいのは嫌いなので、点滴の針が刺さっていないのを幸いとベッドを出て、カーテンを撤去する。

 また寝転ぶ前に、ベッド脇の棚にきちんと畳まれた衣服の中から携帯を探し出した。パカリと開いて現在時刻を確認。

(ありゃ、もう10時か)

 午前中は講義もバイトもない。たまたまの幸運にほっとして、そして疲労感が押し寄せてきた。白水晶が致命傷を負った変身者を救う代わりに押し付けてくる副作用のせいではない。

(いつまで続くのかな、これ……)

 学校行ってバイト行って支部に行って戦闘。このところ、ずっとその繰り返しで毎日が過ぎている。

(ロールプレイングゲームのキャラって、これをずっとやってんだよな……)

 などと下らないことを考えても、このうんざりし始めた現実は変わらない。変えようと思って、昨夜は強攻策に出て……

(みんなに申しわけないことしちゃったな)

 先に目が覚めた誰かから、メールでも来ていないか。そういえば、着信アイコンはあったな。そう思って液晶画面を再び開いた隼人は、自分の顔から血の気が引く音を聞いた。

 夜11時にかけてきていたのは、なごみだったのだ。しかも3回も。

 そして、4回目の恐怖がやって来た。

『もしもしお兄ちゃん? 今どこにいるの?』

 ツレ、もしくは伊藤の部屋ということにしようか。一瞬だけそう考えて、隼人は思い直した。あの通知のことを思い出したのだ。

 『健康保険使用履歴通知』とかいう、役所からのお節介な通知。あれが義父のところに送られてきて、浅間会病院を使ったことがばれてしまう。

 商いは正直申告。

「今、病院」と声を潜めて、

「またボランティアで頭くらくらしちゃってさ、一晩病院で寝てたんだ」

 突然病室の戸が開いて、千早と圭が入ってきた。仰天しつつも『声を出すな』というジェスチャーをして、携帯の画面を素早く見せる。さすがは幼馴染、察してくれた。顔色は青くなってしまったが。

『また? お兄ちゃん、そこに千早姉と圭ちゃんいない?』

 何という勘の良さか。顔を寄せて通話に聞き耳を立てていた二人の顔が、青を超えて白くなる。

「いねぇよ。病院だっつーの」

『そうなの? あの二人にも連絡が取れなかったんだけど』

 でしょうね。

『お兄ちゃん――』

「なんでしょう?」

 思わず丁寧語になってしまう自分が悲しい。

『……なんでもない』

 その後の内容はお決まりの、食事面や睡眠面の心配とお小言に終始して、切れた。

 3人で、盛大に息を吐く。心からの。

 気分を変えたくて、談話室に向かう。だがそこでは患者の家族らしき4人組が、深刻そうな表情でぼそぼそと話をしていた。仕方がない、屋上にしよう。

 そこかしこに干してあるシーツをなぶっていく秋風。それを心地良く受け止めながら、しかし用心深くほかに人がいないことを確認して、隼人たちはベンチに腰を下ろした。

「ヤバイなぁ」と圭が顔をしかめる。

「なごみちゃん、気づいてんじゃないの?」

 否定できず苦笑いしかできないでいると、千早が不思議でたまらないという顔をした。

「別にいいじゃん。そろそろ打ち明けたら? 隠してるのも心苦しいんでしょ?」

「分かってないなぁ。家族にも秘密にして戦う戦士、ってのがいいんじゃん。なあ隼人?」

 そのとおりだ、と圭と顔を見合わせて、にやりと笑う。千早は呆れ始めた。

「まったく、あんたらはほんとそーゆーとこ……」

 ヤレヤレ顔もほどほどに、千早は話題を変えた。

「るいちゃんたちはまだ寝てるよ。優菜ちゃんも。美紀ちゃん、部屋に来なかった?」

 熟睡していて、全く気付かなかった。

「タフだね、あの子。『ねーやんの代返しなきゃ』とか言って帰っちゃった」

「俺も帰るか」

 その腕を、千早が掴む。

「ダメだよ。午前中は寝てな」

「そうだよ」と圭も声を合わせる。

「女の子たちもそう言ってたけど、ダメ出ししたよ。顔色悪いんだもん。みんな昨日も動き鈍かったし、ここでゆっくり休みなって」

 お礼を言うと、2人ににっこり笑って返された。そのまま3人で隼人の病室に戻るべく、ベンチから腰を上げた。



3.


 人文学部棟への坂を上る。足取りが軽いとは言えなかったが、とにかく上る。美紀は昼食後の腹ごなしを兼ねて、軽くランニングがてら午後の講義へ向かっていた。

 そして、

「はやとくーん! おっはよー!」

「重い!」

 ここで優菜が怒り出すところまで、昨日と同じ。違うのは場所と、ユニゾンの相方がいないこと。

 真紀の存在。それが自分にどれほどの影響を与えているのか、想像だにしなかった。朝起きて、ベッドの横に姉が寝ていない。そのことに気がついて、目から涙がこぼれたのだ。オトコの部屋にお泊りでいないことなど、度々あったのに。

 助けに行きたい。今すぐにでも。必要なら、実家の弟たちの力を借りてでも。しかし、

「支部長からのメール、見た?」

 優菜の問いに、現実を思い出す。支部長から、『今夜の戦闘開始をできるだけ遅らせてほしい』旨のメールが来ていたのだ。それに、

「メールとは別に電話来たで。お姉さんの件もあるけど、こらえてくださいって」

 そこまでされては、受け入れざるをえないではないか。

「真紀ちゃん、大丈夫なのかな?」

 そう言って曇る隼人の表情を見ると、つい安心させたくなる。

「大丈夫やで。今寝てるし」

「……どこで?」

「敵のアジト。あの中心部やな」

 視線が2つ。

『お前は何を言ってるんだ』という優奈の胡乱げな視線。

『またかよ』という隼人の、遠くを見ているような美紀の心をのぞいているような視線。

 内心で怖気を振るった美紀は、笑ってセルフフォローに走った。

「いややな、双子の勘だってば」

「バスセンター脇の影でキ――」と思い出した隼人の脇腹に拳を繰り込んで忘れさせる。今団子串の手持ちがないから。

(なるほど、こういう記憶が溜まってフラッシュバックするんやね)

 気を付けなきゃ。まだ怪訝そうな表情のままの優菜には曖昧な笑いを浮かべたまま別れて、さあゼミの時間だ。

「おっはー。あれ? 真紀ちゃんは?」

「体調悪化で休み」

 委員長に投げ返すと、また返ってきた。予期しない事態を再確認させられる形で。

「え?! 真紀ちゃん、今日発表じゃん」

「ははーん、逃げたな?」「なんやとこら」

 杉木には、これが一番効く。ガタガタ震え始めた顔面蒼白男を放置して、美紀は努めて明るい声を出した。

「大丈夫。うち、ちゃんと聞いてきてるから」

「美紀ちゃん、分かんないところあったらフォローするよ」

 隼人の申し出が嬉しくて、立ち直って冷やかそうとした杉木の腿にローキックを叩き込むことで照れ隠しをした。

 さて、

(起きろ、ずる休みねーやん)

 美紀は二階堂先生が来るまで緊急事態メーデーを発信し続けた。



4.


 るいのスマホは、男女の友達からの通信を受けるためにできている。しかし、特に男は時々忘れていることがある。彼女のスマホは、いや、スマホの持ち主たる彼女は、自分の都合を押し付ける男が大嫌いであることを。

 今夜もまた、彼女のスマホはそんな男のすねたような懇願しているような、しかし確実に自分の言うことを聞かせようとしている声を持ち主に聞かせていた。

『なあ、今から来いよ。いいだろ?』

「だーかーら、今日も明日も明後日も、夜は行けないっつってんじゃん!」

 最近、持ち主の機嫌が悪い。言葉の端々に、微かな苛立ちが混じるのだ。通話を切るタップもどこか荒っぽい。

 原因は通信デバイスたるスマホの知るところではないが。

 また電話がかかってきた。受信先を表示してやると、持ち主は考え深げな眼をした。

『あ、るいちゃん? 美紀やけど』

 持ち主の友人の、関西弁の女性。なぜかたまに別の電話番号で、別のよく似た名前を名乗る、変わった女性。やや声を潜めたその調子に、持ち主の眼が光った。

「どーしたの? 今どこ?」

 さっきゼミが終わって、外で電話をかけていると説明された。

『あのな、これは真紀の双子の妹としての勘なんやけど――』

 ああ、あの女性の声は双子なのか。スマホにまたいらぬ知識が溜まる。

『倉庫街の中心部、もぬけの殻やで。あのアルマーレ以外』

「……ふーん」と持ち主の眼が光を増した。

「美紀ちゃん、それ、可奈さんに話した?」

『まだ』

「伝えて。今すぐ」

 持ち主の声に、微かな苛立ちが泡立つ。

「可奈さんが企んでる何かに、影響があるかもしれないし」

『了解……なあ、るいちゃん』

「ん?」

 その時、スマホは別の通話を受信した。先ほど通話を切られた男の電話番号だ。もちろん、現在の通話者優先である。持ち主を敢えて怒らせる必要もないし。

『もうあっこを攻める必要ないんちゃう?』

「それはなんとも言えないよ。今日たまたま不在なのかもしれないし、これから団体さんのご到着なのかもしれないし」

 即答したあと、持ち主は言葉を継いだ。

「もし敵が別の動きを見せてるなら、るいたちはアルマーレをあそこで引き止めとかなきゃいけないね」

『そっか、せっかく敵が分散してるんやもんな。でもなぁ……』

「なに?」

『支部長さんに、今夜の出動は遅くしろって言われてるやん? もたもたしてると、アルマーレがあっこを出て行ってまうかも』

 持ち主と向こうと、2人して唸って考え込んでいたが、しばらくして美紀がつぶやいた。

『……真紀に騒いでもらおか』

「んふふ」

 持ち主独特の含み笑いに続いて、

「双子の勘で、だね?」

『そ、双子の勘』

 ほな、支部長さんに電話するわ。そう言って美紀からの通話は遮断された。

「さてと、隼人君に電話電話っと」

 持ち主の声に喜色が乗る。例の男は、また待ちぼうけを食らわされることになるだろう。

 通信デバイスの知ったことではないが。



5.


 夜10時を回って、『あおぞら』スタッフたちが出動していった控室に、2人の女性のくぐもった息遣いが聞こえる。激しい衣擦れの音も。2人とも部屋に忍び寄る秋の冷気に抗うかのようにその白い肌から湯気を発し、滝のような汗を流している。やがて、

「ふぅ、ここまでにするか」

「はい」

 アンヌとソフィーは体力トレーニング・夜の部を終えて、タオルで汗をぬぐった。

 わざわざスタッフがいなくなるのを待って控室でトレーニングをするのは、もちろんシャワー室がそこに併設されているからだ。せっかく使用許可が出ているものを、利用しない手はない。

 ついでに髪も身体も洗ってさっぱりしたアンヌは、ソフィーが身づくろいし終えるのを待って、室外に待機していた執事とメイドを呼び入れた。執事が淹れてくれたぬるめのグリーンティーを一気に飲み干して、お代わりをリクエストする。

「もう少し落ち着いて飲んでください」

「まるで母親だな、ソフィー」

 などとたわいもないことを言い合っていると、クララから報告があった。アンヌたちが欲しがっていた品物を、サポートスタッフの女性が購入してきてくれたとのこと。

 ベルゾーイとクララが買い物に出るのは目立ちすぎる。まさか商店街でニコラの一党と鉢合わせすることはないだろうが、噂が回りまわってその耳に届く可能性もなくはない。それに、男性には頼みづらい品々というものもある。よって、サポートスタッフの女性に買い出しに行ってもらうことになっていた。

「そういえば――」とクララがマグカップを置いた。

「なぜ『あおぞら』には女性スタッフが多い、というかほとんどがそうなのでしょう?」

「そう言われればそうだな……」

 力仕事がないわけではない。いやむしろ、先日アンヌたちが体験した"表の仕事"のように、腕力必須の作業もあるのだ。そして、どれほど男女同権だの協働だのが叫ばれようが、力仕事において男性が女性に勝るのは世の理である。

 エンデュミオールの変身者が女性、という理由はよく分かる。バルディオールに変身する男性たちは、一様に恥ずかしがり、半ばやけくそで変身していた。

「あのハヤトという男は、どうなのだろうな」

 聞いて、さらりと視線を外に向けるソフィー。その仕草をからかい気味に揶揄していると、ベルゾーイがその場を収めようと、無理やり話題を逸らしにきた。

「そういえば、先日ハヤト君に頼まれて、執事の挙措について少しレクチャーしたのですが――」

「……あの男はなぜそんなことを」

 執事にでもなる気なのだろうか。フランクも他人事ではないが、この国も就職難と聞いているし。

 ベルゾーイは笑って説明をしてくれた。

「アルバイトで執事役をやっているそうです。だから、ちゃんとした執事に教えてもらって、少しでもまともに見えるようにと志願してきたのです」

 アルバイトで執事役。よく分からないが、少しでも本物に近づこうとするその姿勢は好もしい。

 ベルゾーイが空咳をした。まだ話の続きがあるようだ。

「その時に、少し尋ねてみたのです。なぜ、エンデュミオールになったのかを」

 お茶をもう一杯リクエストして、聴く体勢を取る。

「真顔で言われましたよ。『女の子がピンチになると、自然に体が動くんです』と」

「……真顔で?」

「はい」

「からかわれたのではないか? ベルゾーイ」

 ソフィーが、なぜか苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「さて、どうでしょう。彼の周りのマドモワゼルたちのことも、その話題の流れで確認してみました」

 どうも偶然他人の変身を見てしまい、それがきっかけで興味を持って(半ばは秘密を共有することでの口封じも兼ねて)スタッフになった人間がほとんどらしい。

「……そんなことでいいのか?」

 呆れた。祖国を守るという気概が、そんなことで生まれるのか。

 だが謎が一つ、解けた気がした。エンデュミオールたちを含むスタッフの、あの屈託のなさというか、気負いの無さはそれが一因なのだろう。

「イトウという青年がサポートにおりますこと、ご存じかと思いますが」

 男性サポートスタッフの若いほうだな。

「彼はブラックの活動している姿を見て、ここに志願したそうです。変身者が男だったことを知って激しく落ち込んだそうですが」

 不意打ちに激しくむせた。ソフィーも、普段はめったに動揺しないクララまで吹き出している。

「それは……不憫だな」

 我々もここに来るまで女性だと思い込んでいたのだから、無理もないか。そう思いながら冷めたお茶をすする。

 ソフィーが声を上げた。見れば、執事が何か含んでいるような表情をしている。

「どうした? お嬢様に対して何かあるのか?」

「その……ナガタさんのことなのですが――」

 先ほど、『ほとんど』のスタッフとベルゾーイは言った。それはハヤトの説明を繰り返しただけなのだが、

『永田さんはちょっと違いますけど』

 そう言ってすぐ、後悔するようなそぶりを見せたそうだ。あえて踏み込んで訊いてみたが、謝られるのみで埒が明かなかった。

「なんだろう……」「なんでしょうね……」

 先日のあの不思議な雰囲気といい、気になる。

「それにしても、彼らは苦戦しているようですね」

 ソフィーが自分の手をじっと見つめて言う。アンヌとしては、どうにもしようがないところである。彼らの味方をするわけにはいかない。だが、苦戦しているのは彼らを見ていれば分かる。

 特にハヤトのやつれ具合が激しいのは、彼の信条に従って周りの小娘たちの救援に走り回っているのだろう。そして、それが実を結んでいないことも見て取れる。

 そろそろ、決断をすべき時が来ている。

 ニコラを討つために『あおぞら』に加担するか。あるいはこの緊急避難を続けるか。

 アンヌは自らの優柔不断を呪いながら、目を閉じて考え続けた。



6.


 エンデュミオール・ルージュとその仲間たちの目の前にいるのは、ただアルマーレのみ。しかし、その力は攻防にわたって絶大で、エンデュミオールたちの攻撃は一つとして通っていない。

 黒水晶の力は白水晶のそれに優越する。その代わり、使用した力が元に復するのに日数を要する――はずなのに。

「くそっ、鳥人化しなくてこれかよ」

 火柱も炎壁で無効化されたロートの悔しさを隠せないつぶやきに、ぞっとする。このままでは、またあの絶望的な攻撃が来る。

 鳥人の援軍が、いまだ来ない。そのことが、美紀の『双子の勘』を裏付けた。ならばこそ、こいつをここに引き止める。いや、倒さなければ。フルメンバーで出動したからには、今日ここで奴を倒さねば。

 アクアの声が、通信機越しに来た。アルマーレに聞かせないための、密やかな声で。

『ブランシュ、ゼロ・スクリーム撃って。たぶん壁作って防ぐから。ルージュはヘビ作って壁を回りこませて拘束よろしく』

 ブラックが前に出た。ゼロ・スクリーム発動まで、敵の攻撃を食い止めるつもりだろう。

「さあ来い黒いの!」

 この言葉につられたのか、光剣を伸張させながら挑んでいくブラックに、また心臓が跳ねる。少し遅れて、アクアたちが援護射撃を始めた。それをあるいは斬り飛ばし、あるいはかわしながらブラックの接近を待つ。だめだ……

「ブラック! 下がって!」

「いやだ」

 ブラックの言葉に口の端を上げて、ゆらりと長剣を構え直したアルマーレは、しかしブラックの急停止に戸惑い、

「プリズム・ウォール!」

 ブラックが作り出した光の壁に取り巻かれた!

「貴様! 剣士が逃げるか!」

「俺、アマチュアなんで」

 そう言いながら、すっと後退してくる黒いエンデュミオール。そうこうしているあいだに氷球と炎蛇は準備が整っていた。今度は指揮所から指示が飛んでくる。

『撃って! ブランシュ! 壁はブラックが解除してくれるから!』

「あ、そうか。よし!」

 ブランシュは槍を振り下ろして氷球を飛ばした。遅れてやっとルージュも気づく。

「行け!」

 氷球とは逆に、地を這うようにくねって突き進む炎蛇を眼で追う。

(プリズム・ウォールの解除が早くてゼロ・スクリームが避けられても、奴の足に絡み付ければ……)

 ほかのエンデュミオールたちも同じ発想なのだろう、各自白水晶を輝かせて、一気に畳み掛ける準備に入った。

 氷球と炎蛇が光壁に激突するまで、あと3秒、2、1、今だ!

 ブラックが左手をさっと振る。だが――

「! 鳥人化?!」

 アルマーレは最善手を打っていた。しかも炎をまとわせた光弾まで膨らませて。彼女の至近で、発射された炎光弾と氷球が激突し、お互いを食い合う。

「みんな、伏せろ!」

 昨夜とは違って十分溜められなかったのか威力が弱く、半分弱になりながらも氷球を消滅させた炎光弾は直進し、ブラックの警報が間に合って地に伏せた仲間たちの上をぎりぎりで通過した。

「ティロ・エレクトリカ!」

 立ち上がりしなにトゥオーノが放った電撃を皮切りに、仲間たちが次々とスキルを五月雨撃ちする。一方、足に絡みついた炎蛇を剣先で払っていたアルマーレは、炎壁を眼前に展開したのち、翼を大きく広げた。

「飛ぶぞ!」「任せて!」

 プロテスとゼフテロス、2人の質量操作系がバリケードの大振りな残骸を持って倉庫の上に待機していた。奴が上がってきたらぶっ叩くつもりなのだろう。

 しかし、アルマーレの翼は、その身を浮かばせることはなかった。

「La vague de la flamme du dragon(炎龍波)!」

 黒水晶を光らせたアルマーレのスキル名詠唱に呼応するかのように、翼が炎をまとう。味方の攻撃はもう少しで炎壁を消滅させられる。速く、速く……!

「ラ・プラス フォールト!」

 ブラックの最大攻撃スキルが発射され、炎の壁を突き崩すのと、燃えているようなアルマーレの翼が大きく前に羽ばたかれるのと、どちらが先であったか。

 翼から羽ばたきの勢いそのままに、いや明らかに加速を付けて放たれたのは、赤子ほどの大きさの炎龍だった。その数、ざっと20ほどか。

 一直線に、あるいは弧を描いて、黄金色の光線があるじに向かうことなど意に介さぬように無視して、ドラゴンたちは翔ぶ。そして、エンデュミオールたちをくまなく襲った!

 1体がルージュにも襲いかかってくる。とっさにフラン・フラシュを唱え、炎の矢を引き絞って放つ。溜めの時間がほとんどなかった炎矢は、逆にギリギリまで引き付けて放った結果炎龍を射抜くことに成功した。勢いを減じた炎龍の体当たりを、両腕で顔をかばって耐える。

「く……」

 敵味方ともに、同系の攻撃には耐性がある。それゆえに、ルージュとロートはさしたるダメージを受けずに済んだ。逆に手ひどい痛手を受けたのが相性の悪い氷雪系のブランシュだ。

 ゆえに炎系の2人が――援護射撃専門のロートにとっては不本意だろうが――みんなの前を張り、ブラックまで駆け戻って負傷者の治癒に当たった。

 アルマーレはと見れば、左脚を押さえてうずくまっている。急発射したラ・プラス フォールトは射線が下にぶれていたようだ。

 そのアルマーレから、絶望的な言葉が発せられた。

「レイズ・アップ」

「しまった……!」とアクアが叫んだ。

 治癒などせず、一気に畳み掛けるべきだったのか。だが、負傷した身では……

「悪いが、遊びは終わりだ」

 アルマーレ自身への治癒を阻害したくても、オーガに阻まれてしまうだろう。どうする、どうする、どうする……

 大きなため息が、すぐ近くで聞こえた。反射的に振り向くのは、聞き慣れた声の主の、聞きたくないため息だったから。

「やめて、ブラック!」

「お願い! あれはダメ! お願い!」とブランシュも腕にすがって懇願するのだが。

 ブラックは、いつものあの心を弾ませる笑顔など見せなかった。いや、もはや口の端を上げることすらせず、彼方の鳥人バルディオールをにらみつけてつぶやく。あくまで低く。

「またあいつにやられて、みんなでぶっ倒れるのか? このオーガの群れすら片付けられないのに? みんなを護れないのに?」

 ブラックの決然とした声が、耳に響く。

「そんなの、俺は嫌だ」

 まだ腕にすがっているブランシュを振りほどいて、ブラックが愚者の石を取り出そうとする。やめて、やめて――

 後方の上空から異音が響いたのは、その時だった。

 思わず振り返ったルージュやその仲間の眼に映ったもの、それは、見慣れないずんぐりした機体形状のヘリだった。2機で編隊を組むそれはルージュたちの頭上をあっさりと飛び越え、同じく見上げるオーガの群れとアルマーレをも越え……ここでルージュはあることに思い至った。

 今まで自分たちの戦場に、何かが飛来したことなど無かった。警察が付近を封鎖している関係上、報道のヘリだって飛んできたことはない。じゃあ、あれは一体なに?

 呆然と見上げる仲間たちの中で、ただアクアのみのつぶやきが聞こえてくる

「CH-47(チヌーク)……なにあの部隊章エンブレム……自衛隊じゃない……」

 闇夜にふさわしき黒々とした機影は、一旦倉庫街の向こうまで通過したあと、2機とも旋回して戻ってきつつあった。



 機体が旋回をかける時、海原琴音は側部の丸窓から戦場を俯瞰することができた。そこに、かつて提供された記録映像で見た人影を複数見出す。

「あれね」

 確かに"魔法少女"たちだ。

 琴音は対面のシートに腰かける少女に言葉を投げかけた。

「さあ、行くよ、美玖ちゃん」

「はい!」

 鷹取美玖の顔を凝視する。フライト当初は仄見えていた緊張した面持ちも、今は既に影もない。未知の戦場に、鬼の血が騒いでいるのだろう。小学2年生とは思えない頼もしさに頬を緩めて、琴音は僚機の搭乗員に呼びかけるべくマイクを握った。

 一方、その僚機では。

「あの、あのっ!」

 蔵之浦鈴香が内面の動転を押し出して、向かいの席に泰然自若と座る鷹取沙耶に呼びかけていた。

「ほんとにこっから飛び降りるんですか?!」

 沙耶の回答は、至って平静なもの。

「飛び降りるんじゃないわ。空挺降下ヘリボーンよ」

 沙耶の眼が、疑わしげに細まる。

「このあいだ訓練したでしょ?」

「そ、そりゃしましたけど……」

 その直後、機内に親友の声がスピーカーを通して響いてきた。

『さあ、行きますよ!』

 その急き立てるような声に続いて、後部カーゴランプが開いたことによる風切り音と、ヘリの出す騒音が流れ込んでくる。それを脳で受け止め、鈴香の動転は極みに達した。訓練に従って勝手に動き、シートベルトを外してしまう自分の身体を呪いながら。

「あ、あのっ! 実はその、わたし、自信が無いんですけど……」

 鈴香と同じくシートベルトを、こちらは落ち着いた手つきで外しながら、沙耶はそっけない。

「そ」

 沙耶は、カーゴランプの向こうに広がる闇を指さした。

「じゃあ、あなたからよ」

「うううやっぱりィ……」

『3、2、1、GO!!』

「うわあああああああ琴音のバカァァァァァァァァァ!!」

 鈴香は親友への罵倒をわめき散らししながら、カーゴランプの端を蹴って闇へと飛び出した。

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