第4章 愚者の石――連戦2
1.
エンデュミオールたちはいかに戦い、いかに負けたのか。
突破口に選んだのは、中心部に一番近い倉庫街北側の出入り口だった。ロートの火柱で金属壁に穴を開けて、内部に踏み込む。文字どおり列をなすバリケードに一瞬怯んだものの、すぐにスキルを駆使しての破壊を始めた。
ブラック、ブランシュ、ロートは直接破壊を行い、イエローとアンバー、トゥオーノは電撃によるプラスチック部分の融解を狙う。グリーンは持ち上げては他のバリケードに打ち付けて破壊。それをひたすら繰り返して、中心部を目指した。
黙々と破壊し続けて、10分ほど経ったことを指揮所からの通信で知った時、アスールの叫び声が上がった。
「来たよ! 3匹!」
さっと空を見上げると、中心部の方向から飛来するのが見えた。
(やっぱり、あそこにいる……!)
ニコラ・ド・ヴァイユーが地脈から噴出するエネルギーをその身に取り込むため、鳥人が飛んできたほうにいる。ブラックが認識を新たにした時、鳥人が光弾を一斉に発射した。それらは迎撃体制を取ろうとしたブラックたちではなく、アスールに向かう!
アスールの悲鳴に、破壊音が重なった。下からはよく見えなかったが、光弾のどれか、あるいは複数が倉庫の屋根を破壊したのだろう。
『アスール! アスール! 応答して!』
指揮所――エンデュミオールたちに続いて倉庫街に進出して、無線機を設営しただけの簡易なもの――からの応答に返事無く、グリーンとイエローがすぐさま倉庫の扉をぶち抜いて突入していった。鳥人の1体が倉庫内に舞い降りようとしていたからだ。
残りの鳥人2体はブラックたちのほうに旋回すると、バリケードに近接して破壊を行っていたブランシュの退路をちょうどさえぎる位置に舞い降りた。
鳥人の登場にもかかわらず、雪化スキル『ネージュ』を使ってバリケードを雪と散らせていたブランシュ。彼女の背中に鳥人の剣が迫る。
「させねぇ!」
ブラックのラディウス光線とロートの火柱が狙った鳥人の背中は、別の鳥人が護った。その光弾で、攻撃が相殺されてしまったのだ。さら剣を抜き、こちらに斬りかかってくる。1対2でもどうということはない、という態度に闘志を燃やしてこちらも三段ロッドと光盾で迎え撃つ!
「ブラック!」「ロート、援護よろしく!」
ロートは同じ炎系のルージュと違い、近接系の攻撃スキルを持たない。ここは俺が体を張るしかない、といきなりシールドバッシュを仕掛けた! これは読まれて避けられたが、たまたまブランシュの槍を避けて後退してきた別の鳥人と接触し、転倒させることに成功した。
「ファイヤー・ゾイラ!」
ロートの放った極太の火柱が、転倒した鳥人と、それをカバーしようとした別固体が一塊になったところを襲う! 別固体は飛び退いて避けたが、転倒した鳥人はまた転がろうとするも間に合わず、上半身の右半分を焼かれて絶叫した。
「ブランシュ! そっちの立ってるほう頼む!」「了解!」
一瞬返事が遅れたが、ブランシュは指示に従ってくれた。あの子に人殺しをさせるくらいなら、俺がやる――
『ロート! アンバーたちを援護して! 新手よ!』
指揮所からの切迫した通信に、ブラックは思わず鳥人にとどめを刺そうとした手を止めて、振り向いてしまった。
その視線の先には、奇妙な1人のバルディオールがいた。
上着に走るストライプの色から見て、水系だろう。黒を基調としたブラウスに、ロングスカート。そこはいつものバルディオールだ。こちらに向けている背に翼を背負っているのも、アンヌが変身している時の姿を思い起こせば何もおかしくはない。
違和感は、コスチュームから露出した部分にあった。全て、白い羽毛で覆われているのだ。とどめに頭部は猛禽類のそれで、
「あれが、鳥人バルディオール……?」
「ブラック危ない!」
鳥人バルディオールに気を取られているあいだに、別固体に詰め寄られてしまっていた。とっさに体をひねりつつ倒れようとしたものの間に合わず、肩口をざっくり切られてしまった。
「ブラック!!――このぉぉぉぉぉ!!」
激高したブランシュを鳥人が迎え撃つ。そのあいだに、ロートがアンバーたちの救援を後回しにしてブラックに駆け寄り、治癒を施してくれた。
「ありがとう、俺は大丈夫だから、あっちを頼みます」
ロートがうなずいた時には、既に遅かった。
鳥人バルディオールの眼前に、光が溜まる。それを見たアンバーとトゥオーノも白水晶を輝かせつつ、左右に開いた。
どちらを攻撃されても残った片方が反撃できる連携で、さすがは同じ支部の仲間――という感嘆を、鳥人バルディオールの取った行動が打ち砕く。
光を溜めたままのトゥオーノが、突然前によろめいた。反時計回りに回るつもりが、壁にぶつかってしまったのだ。敵がそこに向かって突進! ハプニングに戸惑う彼女に斬りつけて、その流れのままにアンバーのほうを向いた。
「くらえ!」
鳥人バルディオールの光弾発射態勢が整う前に、アンバーのスキルが発動!
槍状の電撃が敵目がけて、放電の音をバチバチと撒き散らしながら飛ぶ。その敵は、慌てなかった。攻撃を食らう寸前まで溜めた光弾を発射したのだ。放射状の青い渦を頂点から巻きながら、光弾は電槍と衝突し、回転で弾き飛ばしながら四散させてしまった。そのまま唸りを上げて飛び、アンバーに直撃する!
吹き飛ばされたアンバーの白水晶が輝き、致命傷を負ったエンデュミオールにエネルギーを注ぎ込む。そのさまを、まるでスローモーションのようにブラックは感じていた。
(アンバーは今までダメージ受けてないはず……それを一撃で……!)
そして、鳥人バルディオールの剣が、倒れ伏して呻くトゥオーノへと近づいていく。
「やめろぉぉぉぉ!」
「ロート! 行っちゃだめだ!」
近接スキルが無い身で、かの敵に特攻をかけようと走るロート。止めようと声を絞るが、こちらも鳥人に大立ち回りされて手が回らない。そこへ。
「ゴーマー・パイル!」「フラン・フレシュ!」
アクアの放ったジェルが鳥人バルディオールの眼を狙って飛んできた。鋭い反射神経で斬り飛ばそうとしたが、そこは高粘性のジェル、べったり刃筋に貼り付いてしまった。
それを気にした敵にできたわずかな隙に、炎の矢が突き刺さる。これも敵ながらあっぱれな身のこなしを見せたが避けきれず、右胸にくらってうずくまった。
倉庫の扉が破られて、イエローと、変身解除してぐったりしている万梨亜――エンデュミオール・アスール――を肩に担いで、グリーンが飛び出してきた。
『イエロー! 中に入った鳥人間は?』
「撃破しました。ちゅうかこれ――」
「うん」とアクアはトゥオーノに治癒を掛けてから言った。
「逃げるよ! みんな!」
トライアドを避けようとした鳥人は大きくバックステップしたところを、ブランシュの槍に右腿を貫かれてひざまずいた。勢い込んだブランシュが叫ぶ。
「これで敵は全部無力化したじゃない。いけるわ!」
「あかんよ、ブランシュ」とグリーンが夜空を指さして、
「新手が来たで。しかも、強敵や」
ブラックも振り仰ぐと、悠然と羽ばたく1体の敵が空にいた。その敵が胸に付けた黒水晶から光が溢れ出す。
「攻撃来るぞ!」
ブラックはラ・プラス フォールトで迎撃するべく、両拳のあいだに光を溜めた。少し遠いかもしれないが、やってやる!
「いっけぇぇぇぇ!」
放った光は、しかし敵を捉えることはなかった。
敵は黒水晶の光を炎の塊に変えると空へ、つまり自分よりもさらに上空へと放った。そしてすぐさま右ロールして、ブラックの放った光線を避けたのだ。
炎はすぐに分散して地上に落ちてくる。拡散型の範囲攻撃スキルかと身構えたブラックたちだったが、
「違う……これ……」
炎は地に伏す敵の身に舞い降り、その傷を治癒した……!
ゆらりと起き上がる敵たちをもう一度倒そうとしたエンデュミオールたちは、低い女声をすぐ近くで聞くことになる。
「ふむ。生き残りは7人か。せいぜい楽しませてもらう」
炎系のバルディオールは、エンデュミオールたちの退路を断つ位置に立ち塞がっていた。不敵に、敢然と笑って。
そしてその声に気を取られた隙に、鳥人たちはなんと空へと飛びあがって、倉庫街の中心部へと頭を巡らしたではないか。
「逃げる……いや、撤退した……?」
「ルージュ! アスールを頼むで!」
誰よりも早く、グリーンが動いた。万梨亜を路面にそっと下ろすと、妹に笑いかけたのだ。
「「いくで! アネクゼーション・ドライブ!」」
グリーンとイエローの融合スキル詠唱をきっかけに、全員走り出した。ルージュがアスールを担ぎ上げて、トゥオーノに肩を貸したアクアとともに走る。ブラックは傷ついたブランシュを治癒する暇もなく、彼女と、出遅れて必死に走るロートを急き立てて走った。
そんなみんなをカバーしながら、エンデュミオール・ヴェルデもまた走る。手に持つは、破壊したバリケードの部品である金属棒。
「ふむ、報告にあった黄緑か。さあこい!」
ヴェルデの雷をまとった棒と、バルディオールの死の旋風を巻いた剣が、お互いの命を奪わんと唸りを上げる。触れれば大事になることは百も承知ゆえ、ぎりぎりでかわしている。いや、お互いにスキルを発動させる余裕が無いのか。
ヴェルデが稼いでくれた隙間を抜けて、走る。出口まであと50メートルというところで、それは起こった。これほど走るのが遅いとは思っていなかったロートが、つまづいて転んでしまったのだ。
「ブランシュ! 先に行け!」「でも!」
ためらうブランシュに笑いかけて先を促し、ブラックはロートが立ち上がるまで彼女をカバーする位置に占位した。
そしてそれが、生死を分けた。
バルディオールが突如翼を羽ばたかせると、ヴェルデの横薙ぎをかわして飛び上がったのだ。くるりと振り返った時には、既に黒水晶の光が紅蓮の炎へと姿を変えつつある。その宿りし手は、逃走で背中を見せている者にはっきりと向けられている……!
「プリズムウォール!」「みんな、伏せて!」「ライトニング・バニッシャー!」
こちら側に残ったエンデュミオール3人が三様の反応で仲間を護ろうとした。だが、
「Coup de flamme de dragon(炎龍撃)」
打ち出された炎の龍は唸り声のような轟音まで上げながら急降下し、プリズムウォールをその口から放射した劫火で大穴を開けてしまった。そのままその穴から突入し、その巨体でバリバリと縁を破壊しながらそのまま光壁の向こうへ突き抜けたのだ!
「逃げろ!」
「ゼロ・スクリーム……!」
ブランシュは逃げない。既に槍の穂を十文字に展開させ、それに溜めていた大量の光を氷球に変えて放ったのだ。目前に迫った炎龍目がけて。
炎龍の吐く火炎と激突した氷球は、火炎の酷熱によって収縮しながらその腔内へ吸い込まれていった。そして炎龍自身を収縮させる。しかしそこまでが限界で、ブランシュは酷熱の直撃を受けて致命傷を負った。
一方、バルディオールも無事ではすまなかった。ヴェルデの放った雷散弾を回避しきれず、左腕と左翼に複数被弾したのだ。激痛が走っているのだろう、顔を歪ませながらも声高らかに言い放つ。
「俺はアルマーレ。バルディオール・アルマーレだ。今日のところはこれで止めてやる。こいつらから逃げ切れたら、だがな」
アルマーレの背後に、新手の鳥人たちが見えてきている。
「良き敵よ、また攻めて来い。待っているぞ」
ブランシュの身柄をヴェルデが担いで、降りしきる光弾を防ぎながら、今度こそ総員撤退した。これからの厳しき戦いを胸中に予感しながら……
2.
午後。隼人は西東京支部の外付け階段を、重い足取りで上った。
昨日の戦闘の反省会と、今後の対策を検討するための会議があるのだ。これが終わったら早めの夕飯を食って、バイトして、また戻ってくるから気が重いわけじゃない。
もちろん、上った先に祐希がいたからでもない――つもりだ。
自販機でジュースを買っていた祐希は、隼人を見てすぐプイと横を向いてしまった。その横顔におはようと声を掛けて、会議室へと急ぐ。そんなに嫌ならよせばいいのに、全速力で追いついてきて横に並んでくる彼女がおかしい。
「……なんで私を助けたんですか」
それが、お礼をきっちり言ったあとの彼女からの質問だった。
最後の撤退の時、彼女に向かって飛んできた光弾を横薙ぎにインフィニティ・ブレイドで払って防いだのだ。爆発の余波でダメージを食らったが、撤退してからすぐアクアに治癒してもらったので、すっかり忘れていた。
少し歩く速度を緩めて、祐希に笑いかける。怒っているような戸惑っているような、ちょっと赤い童顔を。
「祐希ちゃん、くるみの手術にカンパしてくれたろ? お返しだよ、お返し」
眼を見張って立ち止まった彼女を今度こそ置き去りにして、会議室へと先着する。
会議室には、西東京支部のメンツが揃っていた。昨夜の戦闘で致命傷を負った万梨亜と京子――エンデュミオール・アンバー――は退院したが体調が万全ではないため、今夜の戦闘には参加しない。小森――同じくロート――は必修の講義を抜けられず、会議は欠席と連絡が来ていた。
「理佐ちゃん、大丈夫なのか?」
「あ、うん! 大丈夫よ。今日も任せて」
隼人に気づかってもらったことが嬉しいのか、声が弾む理佐。かつてのいつもの光景は、しかし今は皆が曖昧に微笑むだけの、理佐だけが浮かれる情景と化している。それをあえて流して、隼人は空いた席に着席した。
祐希が走って入ってきて、遅れたことを皆に詫びると、不承不承といった顔で隼人の横に座った。理佐がにらんでいる気がするが、会議が始まる。
立ち上がった支部長の顔を見ると、寝ていないのだろうか、やつれているように見えた。声も少しかすれている。
「倉庫街の所有者については、調べてもらっています」
その一言だけで、報告は終わってしまった。支部長の説明は、時々言葉足らずになる。『誰に頼んだのか、誰が調べているのか』がすっぽりと抜け落ちているのだ。もちろん、訊いても教えてくれない。
「では、昨夜の戦闘の記録を視ましょう」
部屋が暗くされて、スクリーンに映写された戦闘記録を見つめる。自分たちが負けて逃げていく映像が面白いわけはないが、今夜の戦闘に向けて、反省点を議論するためには必要なことだ。
一同押し黙って、自分たちが攻撃されている映像を見つめ続ける。音声は抑えてあるため、飲み物をすする音だけが時々聞こえるなか、隼人は改めて自分の"いたらなさ"に気落ちしていた。
(護れてないな、俺……)
足取りが重い原因は、これだったのだ。
隼人のポリシーがどうであろうと、集団戦闘で自分ができることなんて限られている。そんなことは分かってる。
でも、こうしてレンズを通して俯瞰してみると『あそこでこうすればよかった』『あの時こう動いていれば』という思いだけが心の中に積もっていくばかりである。
どうする?
もっと訓練をして、力を底上げする?
全員で連携の訓練をして、集団としての戦闘力を上げる?
画期的なスキルの開発に血道を上げる?
どれも時間的な制約がありすぎて、現実的じゃない。
でも、なんとかしないと。みんなを護るための、方法を手に入れないと。
忸怩たる思いを抱いたまま記録の視聴は終わり、部屋が明るくなった。
そして隼人は、いや一同は、支部長の顔を凝視する。
「私は、反対したわ……でも、もうこれしかないって……希望者に貸し出しなさいって……」
支部長は泣いていた。彼女の顔のやつれは、会議の始める前に既に一度泣いていたからなのだ、と隼人は悟った。
そして、彼女の前の机上に持ち出された代物、それは、
「……愚者の、石よ」
それは、不恰好ながらティアラのような形をした、白水晶の5倍ほどの体積がありそうな石だった。白く鈍く光を放っているのは、会議室の照明の照り返しではない。
それを見て、もう一つ悟ったことがある。この場にアンヌ主従が招かれていない理由だ。伯爵家から追われる身とはいえ、いやだからこそ、あれを目の当たりにして大人しくしている保障は無い。奪って祖国に帰れば、逆転の凱旋なのだ。
「私には……選べない……あんな、あんなこと――」
涙にくれる支部長にみなまで言わせず、
「じゃあみんなで話し合おうよ。気分を変えて、スタッフ控室で」
隼人は素早く立つと、フロントスタッフたちを促すため会議室の戸を開けた。
3.
「どうしたもんだかな……」と優菜がうなる。
「ジャンケンってわけにもいかへんしね」と美紀も暗い顔で同調する。
スタッフ控室への道は、いつもより暗く、遠かった。
「じゃあ、持ち回り? ルーレットで決める?」
真紀の精一杯のおふざけを無視して、理佐は優菜の腕を掴んだ。
「あなたまさか、志願するつもり?」
「だから、どうしたもんだかな、って……」
祐希はだんまり。薮蛇を恐れているのか、思考が現実に追いついていないのか。うつむき加減で歩いている。その時。
「やられた……」
みんなが振り向くと、るいが顔にべったり右手を張り付かせていた。
「隼人君がいない」
「じゃ、そういうことで」
隼人が愚者の石を手に取った時、優菜を先頭に仲間たちが会議室に飛び込んできた。
「隼人、お前、なに考えてんだ!」
「みんなを護るための最善の手段だよ。シンプルな選択だろ?」
そう、支部長は以前、一度きりしか話してくれなかった。今確認した時も嫌々ではあったが、この愚者の石を使えば大幅な力の増大が得られることを教えてくれた。
だからこそ、隼人はこれを選んだのだ。自分の力で、みんなを護るために。
「「やめて! そんなん間違ってる!」」
真紀と美紀が飛んできて、隼人の両腕にすがった。
「そうよ! わたし、がんばるから! なにも隼人君が――」
理佐の懇願を、首を振って遮る。
「前々から言ってるじゃん? 女の子がピンチになると、体が自然に動くんだって」
「笑えない冗談だね」
るいは怒っているのだろうか、珍しく眼を釣り上げてにらんでいる。
「そうだ! そんなこと、そんなこと……」
と怒りで震え始める優菜を皮切りに、みんな口々に止めようとし始めた。
それでも、止めるわけにはいかない。
「冗談を言ってるわけじゃないよ。みんなを護りたいんだ。くるみの命を繋いでくれた、みんなを」
そう、くるみの手術は2日前に成功裏に終わっていた。担当医師からそう告げられたときのなごみの号泣と、義父の心からの安堵の吐息と。それらを聞きながら、隼人は医師に深々と頭を下げた。
そして、心に誓ったのだ。みんなに恩返しをしなきゃ。
「あたし、あたし、そんなつもりで……」
優菜はついに泣き始めた。涙を拭って、まだ粘る。
「お前が、お前がそんなことしなくたって、みんなで……」
「みんな、本当にそう思ってる? 噂に聞く副作用を食らってまで使いたいって、そう思ってる?」
愚者の石が外れた時、激烈な副作用が使用者の身を襲う。みんなが黙ってしまったのは、薄々そのことが頭にあったからだろう。
その沈黙を是認として、隼人はにっこり笑うと、愚者の石をズボンのポケットにねじ込んだ。
4.
夕方。鷹取屋敷では、前夜の通報を受けて急遽調査を行った傘下企業からの速報を、琴音が総領に報告していた。
「その倉庫街は、昨年初めに企業倒産で放置されていたのを伯爵系の企業が取得したそうです。ですので、一応は民有地内での工事ということになりますが」
「騒音防止条例違反よ。地域の反応は?」
総領の質問に、報告書のページを繰って答えを見つける。
「鈍いようです。町内会長や有力者が鼻薬をかがされているのかもしれません」
次に、日本各地に点在する伯爵家のアジトについて。監視班からの報告によると、人員が引き上げている箇所が多いようだ。ただし、その行先は調査中であった。
「地下に潜伏しているのでしょうか? この日本で」
「この日本でも、東京や大阪なら、外国人が多数居住しているわ。そこに紛れている可能性はあるわね」
報告がひと段落して、総領は思わず肩を回した。
「お疲れですか?」
「午後一番で月例の儀だったから。だんだん肩が凝るようになったわ」
一族の祭祀を執り行うのが仕事とはいえ、愚痴の一つも言いたくなる。
「あの子、早く総領職もらってくれないかしら」
琴音は曖昧な微笑のまま一礼して、退出していった。
独り、静かに残りのお茶を飲む。日がな誰かと会っている――もちろん家族を含む――総領にとっては、落ち着くひと時である。
……思わずあんなことを言ってしまった。沙耶に伝わって、余計なプレッシャーにならなければいいのだが。
まだ24歳。十分に時間はある。だが、異性との人付き合いがあまり上手とは言えない娘の人となりを考えると、そろそろ誰かいないのかと焦り始めている母である。
内線電話が鳴って、総領の思念は破られた。受話器の向こうから、押し殺した、しかし弾む声が聞こえる。
ハニートラップが発動しました、と。
5.
ミシェルは、この窓から眺める夕陽が好きだった。見下ろすビル群が徐々に茜色――色の名称は女に教えてもらった――に染まっていくのを見ると、得も言われぬ感覚に襲われるのだ。
その茜色を眺める心は、しかし今日は不満に満たされていた。
倉庫街を守備する人員は、2交代のローテーションを組んでいる。今日の彼は非番なのだ。それが口惜しい。昨夜の良き敵どもと、また戦いたい。それなのに。休息が必要なことは理解していても、心は逸るばかりだ。
ミシェルは室内を振り返った。その視線の先にあるベッドには日本人の女がしどけない恰好で寝そべっている。既に一戦交えたあとのけだるい表情で、爪のマニキュアなんぞをしきりに気にしている。
非番だからこそ、こうして女の所に通える。そのことをさっぱり忘れて、ミシェルは歯噛みをした。クロードたちの態度に、言い知れぬ不快感を覚えたのだ。まるでミシェルがお役目をさぼって出かけようとしているかのような眼つきでニヤニヤされて。全く腹が立つ。
むしゃくしゃした気分をぶつけようと、ミシェルはベッドへ大股で歩み寄った。自分を無視して爪を眺める女に腹を立てて、上からのしかかる。
「ちょっと、嫌よ」
女の表情にも声にも、今までにない忌避感が見える。それは男の怒りの炎に油となって注がれた。
女の両肩をきつく掴んで、ベッドに押し付ける。か細い悲鳴が上がるが気にしない。片手を離してキャミソールを引き剥がそうとした時、リビングに取り付けられたインターホンが鳴った。1階のエントランスに誰か来たようだ。
仕方なく女を解放して、応対に行かせる。Tシャツを手早く着て、よろけながら、しかし早足でリビングへと消えていくその背中を横目に、ベッドの脇に腰かけたミシェルは独りごちた。
「どいつもこいつも……」
誰が主人なのか、あの女はまったく分かっていない。誰が摂政ニコラの重臣なのか、あのオールバックどもはまったく分かっていない。
思い知らせてやる。女にも。クロードらにも。そして、この国の生きとし生ける全ての者に。摂政閣下がこの国を制圧したあかつきには――
独りよがりな思念に浸る男は、女がエントランスの集中ロックを密かに解除したことも、これまた密かに玄関に回ってドアを開けたことも気づかなかった。
寝室に入り込んできた制服姿の男たちを見て、ミシェルは仰天した。ブリーフ1枚の半裸であることも忘れ、警官に向かってどなる。
「何の用だ!」
「こちらで未成年に対する買春が行われていると通報がありまして」
「未成年?」
どこの誰だか知らないが、酷い言いがかりもあったものだ。ミシェルは余裕を取り戻すと、女に命じた。
「免許証を見せてやれ」
さては行きにエレベーターの中であった老婆だな。服を身に付けながらまた腹が立ってきた男の耳に、冷や水が浴びせかけられた。
「んー、16歳……? これはいかんなぁ」
「な、ばかな!?」
女が免許証を入れているパスカード入れを警官からひったくろうとして失敗し、ミシェルはもんどりうって倒れた。その鼻っ面に、パスカード入れが突きつけられる。
「学…生…証? そ、そんな……」
「なるほど、ちゃんと読めると」
警官はにやりと笑った。
立ち上がりしなに、別の警官に腕を取られる。
「ひどいんですよこの人、嫌だって言ったのに、むりやり肩掴んで――」
女がTシャツの肩をはだけて、ミシェルの手が掴んだあとを警官に見せている。
「詳しいことは、署のほうで伺いましょうかね」
罠だ。俺は、罠に嵌められたのだ。
ミシェルは連行されながら、ただ弁護士に連絡することを連呼するのが精一杯だった。
6.
今夜も、北側出入り口から侵入する。中心部に何かがある以上、最短距離を攻略したい。
アスールとアンバーは休み。体力の回復はできたが、どうしてもキャンセルできない用事があるとの連絡に、それならば希望者が2人まで休める変則ローテーション制にしようとロートが提案し、採用されたのだ。
だから西東京支部は全員出動。ご丁寧に再建されたゲートを、昨日と同じくロートが破壊してすぐ、ブラックたちは飛び込んだ。
「うわ、こちらもご丁寧なこって」
アクアが顔をしかめる。通路に隙間なく並べられたバリケードまで、昨夜と同じなのだ。
「まさか、デジャヴ?」
「んなこたぁない」
とルージュが指差したのは、通路の隅。前日ブラックが破壊したバリケードの破片が残っていた。
ならばバリケードだけ壊して、鳥人たちが出動してきたら逃げるか。そうはいかないと打ち合わせで結論が出ていた。
ニコラがここに籠もる目的は、地脈のエネルギーをその身に取り込むためと聞いている。バリケードだけの破壊では、中心部までこちらが到達するのに時間がかかりすぎる。鴻池の記憶と支部長情報――相変わらず出所不明の――によると、取り込みが完了するのは5日から1週間ほどだという。ニコラが来日してから、今日で3日目。時間が無いのだ。
倉庫の屋根を伝って一気に中心部へ進む案も出た。だがそれでは、迎撃されてバリケードの隙間に落ちた時、あの狭さでは危険度が一気に増す。そういう結論が出た。
よって、バリケードを破壊して進む。そして、進むたびにみんなの視線が自分に向けられる回数が増えていく。まだ愚者の石を使っていないのに。いや、使っていないからこそか。
出動前に、優菜にお願いされたのだ。
『それは、もうどうにもならなくなった時だけ使って。お願いだから』
敵が来た。今夜は鳥人バルディオールが3体。例の赤い奴はまだいない。あの尊大な話し方からすると、偉い人なんだろう。重役出勤ってやつか、と勝手に推測して、バリケードの破壊を止める。
今夜の課題は、『敵の攻勢防御とやらをどう突破するか』というもの。敵はある程度までこちらに侵入させておいてから迎撃に出てきた。防御系のスキルを全く使わないところが『攻勢防御』なのだろうが、こちらはともかくあちらも被害が出ているのはいいのだろうか。
ま、敵に同情してやる義理も無い。こちらとしては効率的に敵に出血を強いて、抵抗が弱まったところを一気に踏み破る。そういう目標を立てた。
光弾が飛んでくる。昨日アンバーを一撃で屠ったヤバい攻撃は、しかし鳥人体の時より飛来速度が遅い。身をもって体感したアンバーからの報告は、戦闘記録を見返した時の検討で確認されていた。
それを、できるだけ身体ごと避ける。バリア系は避けきれなくなった時の緊急手段だ。
埒が明かない状況に飽きたのか、鳥人バルディオールたちは下に降りてきた。長剣を振りかざして、怪鳥音を上げながら斬りかかってくる。
ブラックとブランシュ、グリーンがそれぞれの得物で迎え撃ち、丁々発止の打ち合いが始まる。ブラックを除いて。
「ブラック危ない!」
トゥオーノの叫びとほぼ同時に電撃が飛んできて、きりきり舞いしていたところを助けてくれた。
お礼を言う暇はなかった。アクアが警戒の声を上げたのだ。
「バリケードがおかしい――」
次の瞬間、バリケードの向こうが発光したかと思うと、ブランシュとグリーンが光弾に弾き飛ばされた。通路のアスファルトに叩きつけられて、動かなくなる。
バリケードの向こうには、鳥人が2体いた。正確に言うならば、彼らの手で開けられたバリケードの隙間の向こうに。
近接戦闘要員を失って、ルージュが拳を握り締めるのをブラックは見た。だが、ルージュ(とアクア)は徒手空拳。長剣の使い手を相手に無手で戦う――なんて、空想の世界でしかありえない。まして、どこぞの古武術と違って、彼女たちはそんな修練をしていないのだ。
やるしかない。
「お前らの相手は俺だ」
光剣も、光盾すら消して、ブラックは鳥人バルディオールの追撃に立ち塞がった。倒れた2人――変身が強制解除されないところをみると、まだそれだけの体力は残っているようだ――の前に立ち、仲間が彼女たちを引きずるのを邪魔させないために。
イエローが何か叫んでいるが、耳に入らない。ほかの仲間は固唾を呑んで見守っているのだろう。
「何の茶番だ?」
「まあいいじゃないか」
青い奴が黄色い奴を抑えて、耳障りな声で笑った。
「奴らの地獄へ一番乗りしたいんだろうよ。俺たちにとっては天国だがな」
別の青い鳥人バルディオールが大口を開けて笑った。もはや剣の構えさえ解いている。
「何か一発逆転の策でもあるのか? サル」
「あるさ」鳥野郎、と続けようとして思いとどまる。やられた2人がもう少し遠くで治癒を受けられるように。
……そろそろ、やるか。
ブラックが取り出したブツを見て、猛禽類を思わせる顔が3つとも奇妙に歪んだ。
一度だけ、後ろを振り返る。みんなの心配げな顔に笑いかけてから元に戻って、
「変身」
愚者の石を額に押し当てた。たちまちのうちにそれから溢れ出た光が総身を包み込む。光が消えた時、エンデュミオール・ブラックの姿は様変わりしていた。
あえて一言で表現すれば、『和風』となろうか。それも、黒い裃を着ているようななりで、通常変身時の白黒が逆転したかのように、全体的に黒っぽさが際立っている。
ボトムスも、白いフリルがすそを飾っていたミニスカートなど消え失せ、神社の巫女さんが履いている袴に似たものに変わっているのが『和風』の印象を強くしている一因だろう。
が、ブラックはそんな外見の変化などに構っている余裕は無かった。体中を、言い表せないほどのエネルギーの奔流が駆け巡っているのだ。
鳥人バルディオールたちが、ブラックの額を指差して何事かわめいている。さっぱり分からないが、言いたい事はよく分かる。
「そう、愚者の石だ」
エネルギーの奔流を押さえてそう告げると、ブラックは人差し指で、クイクイと敵を招いた。
「獲りに来いよ」
黄色い奴が無言で疾駆してくる。長剣を横に構えて、間合いに入りしざまに首でも刎ねようというのか。
遅い。
ブラックが無言で踏み込んで放った逆袈裟は、抑えていた奔流を解き放ち、インフィニティ・ブレイドとして具現化させたもの。思ってた以上に黒い刀身は伸び、アスファルトまでバリバリと削った果てに黄色い奴を斬って捨てた。
斃れゆく黄色の驚愕を共有した青2体も動いた。青い螺旋が渦巻く光弾を、時間差をつけて放ってきたのだ。
「こっち来るよ!」「避けて、ブラック!」
だが、今の彼女にはそれすら生ぬるい攻撃にしか思えない。
気合を一声発して、平手をくるりと前で回し、円を形作る。実に簡易な、ただのバリアー。それが青い光弾を2つとも受け止め、夜空の彼方へ弾いてしまった。
そして、余裕をもって放ったラディウス光線は、それぞれ水壁を張って防ごうとした敵の意図を易々と噛み破り、2体に致命傷を負わせることに成功した。
「すごい……」
イエローのつぶやきを背に受けて、ブラックはバリケードを盾にして怯む鳥人たちに告げる。
「そいつらを連れて帰れ。30秒以内だ。さもなくば……」
ラ・プラス フォールトの構えを取る。みるみる溜まる黄金色の――しかし通常とは違って、どこか禍々しさを感じる――光を見て、慌てふためいた鳥人たちは2人で3人の仲間をどうにか担いだ。そのままヨタヨタと飛び去っていく。
「3、2、1――」
そして、放たれた光線は、
「!! なにあの太さ……!」
背後からの声に違わない、まるで巨大な丸太のような太さの光の束が、バリケードを瞬く間に消滅させてしまった。撃ち終って見透かしても、暗がりの中とはいえ破壊の終端が見えないほどの戦果に、我ながら震える。
「よし、行くぞ!」
この調子で一気に。そう思って一歩を踏み出したブラックの額から、突然愚者の石が外れたのはその時だった。
唖然として見送る地面に鈍い音を立てて愚者の石が落ちた瞬間。
「ぐ……ううううううぎゃああああああああああああああああああああ!!!」
さっきまで体中を駆け巡っていたエネルギーの奔流は、突如として激痛を伴う針の流れと化した。それが頭の天辺から爪先まで駆け巡る。同時に、倦怠感と吐き気が沸き起こった。それが胸と腹を押しまくるのだ。
だが、通常なら――いや、常人なら起こるはずの失神という救いは起こらず、ブラックは絶望の悲鳴を上げながら地面を転がり回り続けた。呆然から立ち直って介護に駈け寄った仲間たちを跳ね飛ばしながら、いつまでもいつまでも。