表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/16

第3章 苦闘の始まり――連戦1

1.


 隼人がその現場を見かけたのは、ただの偶然だった。

 スーパーでの駐車場誘導バイトを終えて現地解散となり、原付にまたがった彼は空腹を満たすため、近くのコンビニへと愛車を走らせた。もうすぐ目的地というところで彼の耳に、原付のエンジン音やその他のロードノイズなどとは比較にならない轟音が聞こえてきたのだ。

 そこは、いつものあの閉鎖された倉庫街だった。全体をぐるりと囲う5メートルほどの金属製の薄壁の中で照明を煌々と点け、重機が唸りを上げている。

 人の声が複数飛び交っているようにも聞こえる。なんらかの大掛かりな作業を、夜の10時少し前という非常識な時間帯まで使って突貫工事をしている。その事実に、隼人は原付を降りてしばし呆然としていた。

 その時、暗がりから人の気配を感じて隼人は凝視した。やがて姿を現したのは、街灯の薄明かりにも明らかな白人男性2人。ダークスーツを着こなしたそのピリピリした容貌は、隼人にあることを連想させた。

(こいつら、もしかして鳥人間……?)

 別に鳥っぽいわけではないが、どことなくアンヌやソフィーに似ているのだ。

「なんの用だ?」

 開口一番の強面発揮に、隼人の疑念は確信へと変わった。

 ここで突っ張っても勝ち目は薄い。仲間を呼ばれたら、薄い勝ち目は絶望的に無くなる。幸い隼人が被っているフルフェイスヘルメットのおかげで、人相はばれていない。となれば素直に逃げて、支部へ通報。これが最善だ。

 そこまで考えて、隼人はわざと焦る感じの声色を出した。自分でも心中密かに失笑するくらい、甲高い感じで。

「い、いやぁ、通りかかったらスッゲェ音してたんで、何かなぁって」

「失せろ」

 肩口を軽く押されて、隼人はすぐにキーを回した。こういう時に限ってなかなかかからず焦ったが、5回目でようやくいうことを聞いてくれたエンジンをぶん回してロケットスタート。隼人は当初の目的も忘れてコンビニを素通りし、少し先の暗がりに滑り込んだ。



2.


 アンヌが夜食を食べようと食堂に入ると、女性の先客がいた。

「ああ、お嬢様も夜食ですか?」

 この女性、確かナガタとかいうサポートスタッフのリーダー補佐であろう。

「なぜ残っているのだ?」

 と訊いてみる。先ほどスタッフたちが出動していったのを見たのだ。

「お留守番ですよ。お年寄りから電話がかかってきたら、対応しなきゃいけないもの」

 『あおぞら』が、表向きは夜間の介護ボランティアであることを思い出した。

「一応はちゃんとやっているのだな……」

「うふふ、そりゃもう。夜中に人や車が出入りするための方便も兼ねてますから。コロッケ定食でいいですか?」

 ナガタが冷蔵庫から取り出したプレートを、クララが受け取って温め始めた。

 ソフィーはしばらくきょろきょろしていたが、やっとお目当ての物――コーヒーポットを見つけると、2人分を注いできた。アンヌの対面に腰を下ろすと一口飲んで、電子レンジの順番待ちをしているナガタを振り返る。

「もしわたしたちがここから脱走しようとしたら、いったいどうするつもりなんだ? あなたしか残っていないようだが」

「どこへ逃げるの?」

 直接的ではないが的を得た投げ返しを受けて、ソフィーは黙ってしまった。

 クララがプレートを、アンヌの前に恭しく供してくれた。さて、いただくとするか。

 目の前にあるコロッケ定食は、伯爵家の基準で言えばジャンクフードである。だが今のアンヌにとってはご馳走だ。いや、ここの食堂で出される食事は、時々アンヌやソフィーの常識に挑戦してくる奇妙な品もあったが、概ね満足できるものであった。

 自分のプレートを温め終わったナガタが、それを持ってソフィーの横に座った。手を合わせて祈ったあと、早速箸をつけ始める。しばらく無言で食事を進めたが、ふと思い出したことをナガタに訊いてみようと思い、

「そういえば、ここで働いている女性たちがみな、盛んに話しかけてくれるのだが、我々が何者か教えていないのか?」

 ナガタは頬張ったコロッケをお茶で流し込むと、さらりと言った。

「そんなわけないじゃないですか。だってここの人たち、バルディオールに生活をめちゃくちゃにされた人たちなんですよ?」

 ソフィーも、背後に控えるクララも、息を飲む。

「そういう人たちを会長が各支部に雇ってるんです。サポートに横田っていう男性がいるのご存知ですか? あの人の奥さん、ここで働いてたんです。バルディオールに家を燃やされて、家族がばらばらになっちゃって」

 コロッケもコーヒーも、まるで鉛が目の前にあるように食欲が失せてしまった。

「……それならば、なぜ?」

 とようやく搾り出したアンヌの声は、ひび割れていた。

「お嬢様方がここに来るって聞いた時、支部長がおばちゃんたちに訊いたんです。『バルディオールの親玉の一人がここに逃げ込みたいって言ってきています。それでも通常どおりの業務をしていただけますか?』って」

 ソフィーが青い顔で、ナガタを直視した。

「……なんて言われたのですか?」

「『許せません。でも、努力します』って」

 甘いな、と唇は動かなかった。だがアンヌの表情を読んだのだろう、ナガタは笑う。

「ま、正直甘いと思いますよ、あたしも」

 そう言ってお茶を飲み干すと、ナガタは机に頬杖を突いてしゃべり出した。

「そういうあたしも、お嬢様と一緒のテーブルでご飯食べておしゃべりなんてしてるんですけどね。ま、これも仕事ですから」

 さっきまでできたのに、ナガタを直視できない。なぜだ?

 ナガタが首から提げている携帯が鳴った。すっと立ち上がると通話をしに離席したナガタを目で追って、思わず息をつく。気がつくと、握り締めた両手は汗でじっとりと濡れていた。

 うろうろしながら通話を続けるナガタを見やりながら、気分を変えようとソフィーをいじることにする。

「今なら脱走できそうだぞ?」

「御冗談は止めてください。アンヌ様を置いて独り脱走するなんて、できるわけありません」

 置いていけとは言っていないのだが。

 クララがさりげなく淹れ直してくれたコーヒーの温かみに浸って、ようやく食事を再開することができた。そのことに礼を言うと、柔らかい笑みを返してくれる。

 そうだ。

(たとえ許してくれなくても、コロッケ定食が美味しかったことには、ちゃんと礼を言おう)

 アンヌが食事を終えてもなおしていた通話をやっと終えたナガタが、アンヌに向かって話しかけてきた。

「お嬢様、ボランティアしません?」


3.


 隼人が通報のため滑り込んだ暗がりは、今はエンデュミオールたちの待機場所と化していた。

 時々立ち位置を変えながら世間話に興じている者、体操座りでじっとしている者、ここからも聞こえる突貫工事の音を心配げに聞く者。それぞれの過ごし方をしながら、彼女たちは待っていた。

 それは、空から降ってきた。

「お待たせ~」

 ふわりと着地したエンデュミオール・グリーンが手に持っていたビデオカメラを横田に差し出す。それをモニターに繋いで、映像のチェックが始まった。

 グリーンは支部長の指示で、この辺りで最も高い鉄塔に登り、倉庫街の様子をビデオに収めてきたのだ。

「うわ、なにこれ?!」

 目を見張ったのはエンデュミオール・ロートだけではない。みんな大なり小なり驚嘆の声を上げながら、モニターに見入っている。

 倉庫街というからには当然敷地内は倉庫が林立している。その倉庫のあいだを縫って碁盤目状に縦横に走るアスファルト通路の上に、大きなバリケード状の物が並べられているのだ。唸る重機はそれを通路に並べているというわけだ。

「よそ様の土地に、こんなことしちゃっていいわけ……?」

「もうなりふり構ってられないってことじゃないかな?」

 自然と湧き上がった会話を聞いて、ブラックはふと疑問を口にした。

「もしかして、ここ、伯爵家の土地になったんじゃ……」

 横田がそれを聞いて頭を掻く。

「まずいなぁ……」

 今までは攻防ともに『不法侵入者』で、そういう意味ではグレーであった。その立ち位置が変わってくる。グリーンがそれを聞いて笑いながら言った。

「まあ、だからってウチらをサツに突き出すような真似はしないでしょうけどね」

 支部長がグリーンに、先ほど撮影していた鉄塔からみんなに指示が可能かと尋ねた。バリケードが邪魔して見通しが悪いと思われるため、高い位置から見張り役をしてもらおうとしたのだが、

「ウチ、帰投する時にその旨通信しましたけど、届いてました?」

 首を振る支部長と永田。それなら、とトゥオーノがおずおずと手を挙げた。

「倉庫の屋根に上って、わたしがやります。わたしが一番弱いし」

「俺がやるよ」とブラックも手を挙げた。

「鳥人が空から襲ってくるから、トゥオーノのスキルでは対処しきれないだろ?」

 余計なことを言うなという目でにらむトゥオーノ。その横で、今度は青いエンデュミオールが手を挙げた。北東京支部のアスールだ。

「ブラックの光線はバリケードの破壊に使ってもらわないと。わたしのスキルは押し流すとかはできるけど、破壊まではちょっと……だからわたしが見張り役やります」

 ここでイエローが口を開いた。

「で、今から行く? それとも残る2人を待つ?」

 その投げ掛けをきっかけに、エンデュミオールを二分する議論が始まった。

 ブラックは、今すぐ攻撃して要塞化を妨害するべきだと主張した。今日はアクアとルージュがいない。同じゼミに所属している彼女たちは、間の悪いことに、ゼミの教官の結婚祝いに呼ばれている。早めに切り上げてくるとは言っていたが、こんな近所迷惑上等の突貫工事を、指をくわえて見てるわけにはいかない。

 一方、全員揃ってからの攻撃を主張したのはブランシュ。敵の戦力が分からない以上、ちゃんとこちらは戦力をそろえて攻撃にかかるべきだ。

 両方の主張にそれぞれが意見を述べたあと、支部長は決断を迫られた。目を閉じてしばらく沈思してからの決断は、

「今から攻撃しましょう」

 ただし、と付け加えられる。

「敵の戦力が分からない以上、深入りはできないわ。敵の動向いかんによっては、即撤退もありうることを考えに入れておいて」

 支部長の目には、夜闇にも分かる憂愁が宿っていた。

「いい? これは、確かにこの国を護るための戦いよ。でも、あなたたちが命を賭けるべきものではないわ。手は、まだあるから」

 そして、エンデュミオールたちは動き出した。



4.


 西東京支部のライトバンに乗ってアンヌたちが向かったのは、ナガタの話によると北東京支部に程近い住宅街の1軒だった。

 その家に住む老人男性が夕方帰宅した時、玄関で鍵を落とした。かがみこんだのが運の尽き、腰痛を再発させて動けなくなってしまったのだ。夜遅くに帰宅した老妻では夫を移動させることはできず、かつて介護の補助をしてもらったことのある『あおぞら』に泣きついてきた、というのが経緯である。

 もちろんナガタ一人が行ったところで動かせるわけもなく、当初は他のボランティア団体に当たってみた。だが、どこも人手が足りなかったり、そもそも業務終了していたり。万策尽きたナガタがアンヌにダメ元で依頼してみたというわけだ。

 特徴的なとんがり屋根の家の前に車を止めて降り立つと、妻と思しき老女が飛び出してきて、ぎょっとした顔になった。

(であろうな)

 とアンヌは苦笑する。『あおぞら』から借りた作業用のつなぎを着て帽子を目深にかぶっていても、アンヌとソフィーはどう見てもガイジンなのだから。

 日本特有の狭い玄関を完全に塞ぐようにして、夫はうずくまっていた。かなりの巨漢だが、こちらには抑縛呪が掛けられていても一般人には出せない腕力がある。

 ソフィーがアンヌを手で制すると、軽やかに夫を飛び越えた。眼を見張る妻に笑いかけて、さっそくベッドへの搬送を始めたのだが……

『申しわけありません……申しわけありません……』

『大丈夫……大丈夫……』

 お嬢様に飛び越えさせるのをはばかったソフィーの配慮は、裏目に出た。下半身のほうが断然重かったのだ。それもブヨブヨの贅肉とあいまって、運びにくいことこの上ない。夫のわめく日本語の罵声がアンヌの語彙を超越していて、さっぱり分からなかったことが救いか。

 それでもどうにかベッドに到達して、アンヌは心から安堵の吐息を漏らした。全く同じ仕草で額の汗を拭うソフィーを見て、互いに笑う。その後、お茶をしきりに勧める老妻の言葉を固辞して、アンヌたちは帰途に着いた。

「あのような巨漢が、日本人にもいるんですね」

 ソフィーの声は、久しぶりの外出のせいか、はしゃいでいるように聞こえる。

「うむ。アメリゴ人のようであったな」と和すと、

「あちらさんほど多くはないですけどね」とナガタも運転しながら笑っている。

「ナガタサン、一つ訊けなかったことがあるのですが」

 ソフィーがナガタを"さん"付けで呼んでいるのに吹き出すと、軽くにらまれてしまった。

「あれはもう、この国の、ええと、119に電話する案件だと思うのですが」

「それがねぇ――」とバックミラーに映る永田の顔には苦笑いが溢れている。

 かかりつけの医者以外に自分の腰を見せたくない。老人特有の頑迷さで、妻も手を焼いているらしい。

 笑おうとして手を口の前にもっていった時、自分がまだ軍手をしていたことに気づいた。そしてそれから臭う異臭にも。

 慌てて脱ぎながら、アンヌは老人のズボンがぐっしょり濡れていたことを思い出した。あれは、

「……我慢できなかったのだな」

 そのつぶやきに気づいたのか、ちょうど信号で止まったため、ナガタが助手席上のボックスからおしぼりをくれた。なんというか、反応が早いというか、見張られているというか……気のせいだろうか。

 唐突に、去り際の光景が思い出された。

 ベッドに収まってとりあえず安堵した夫からの矢継ぎ早の催促を、なだめすかしつつさばく妻。その表情は輝かんばかりの笑顔で、こちらが気恥ずかしくて眼を逸らしてしまったほどだった。

 そして、車に乗り込もうとした時。

『ありがとうございました』

 老妻が手を合わせ、こちらを拝んできた。まるでそう、仏か神に感謝するように。どうリアクションしていいか困って、ああうむなどと口ごもりながら急いでしまった。

 気持ちが昂ぶり、しかし、温かみに浸っている自分がいる。

 思えば、無私の奉仕をして、誰かに感謝されたことなどなかった。家業であるディアーブル討伐は当然の義務であり、感謝されても当然のことと考えていた。また、彼女が取締役を勤める企業ではむしろ奉仕をされて、感謝こそすれされたことなどない。

(祖国に帰ったら、もう少し奉仕活動というものに興味を割いてみるか)

 『祖国』という単語は、次に父のことを連想して暗転した。

 父は今、確実に衰えてきている。アンヌが日本に出立する際には、それでも精力を振り絞って正装し、アンヌのあいさつに応えていた。そのおぼつかなさに、かえって発奮して旅立ったのだったのだが。

 父は、あのような陋屋で独りうずくまってうめいているなどということはないだろう。介護の者も付き、器具だって充実しているはずだ。

 だが、あの老妻のように心から奉仕してくれる者が、周りにどれだけいるのだろうか。

 それに最も心を砕くべきアンヌも、ミレーヌも、ニコラたち親族も皆、日本侵略にかまけて。

 父は、幸せなのか。あの老人より、幸福なのだろうか。

 ソフィーが気遣わしげな顔を向けてくるが、返してあげる余裕が無い。アンヌは前方のフロントガラスに視線を漂わせながら、ひたすら考え続けていた。



 帰り着いた駐車場には、まだ1台も車がなかった。

「あれ? まだ帰って来てないんだ」

 ナガタが首を捻りながらスマホを見るが、メールも届いていないようだ。

 車を降りて、ふぅっと大きく息を吐く。星空を見上げるが、答えは帰ってきそうもない。

「アンヌ様、お疲れですか?」

「ん? ああ、そうかも知れぬ――」

 突然、アンヌは振り返った。背中に無数の棘が刺さったような感触を覚えたのだ。

 ナガタが、こちらを見ていた。ボランティアに出発してから変わらない曖昧な微笑で。アルカイックスマイルというには、眼の光が強すぎる。

 やがて、ゆっくりとナガタは2階への外付け階段を上っていった。

 アンヌたちは、翌日の朝、知ることになる。

 エンデュミオールたちが敗北したということを。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ