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第2章 巨魁

1.


 不動尊国際空港は平日ということもあって、バックパッカーやビジネスマンなどでそれなりの混雑振りを呈していた。

 その入国審査出口の前に佇立して、ミシェルは空調など全く効いていないかのような大汗を書いていた。

 ついに、摂政閣下が乗り込んでこられる。長きに渡る日本侵略もいよいよ大詰め。そのことに発奮しているだけではない。

 先日の戦闘で、アンヌ主従を取り逃がしてしまった。しかもそれを手助けしたエンデュミオールになんらの損害を与えられず、逆に当方の損害は戦死2名、攻撃を受けて行方不明1名という体たらく。ミシェルでなくとも冷や汗が流れるというものだ。

 いや、ミシェルならではの冷や汗の理由もあった。戦闘当日、彼は何をしていたのかというと、例の日本人女性の部屋で逢瀬を楽しんでいたのだ。アンヌ幽閉の責任者であるという自覚はあり、早めに切り上げて帰るつもりだった。

 それが散々引き止められて、連絡を受けて現場に急行したときには、もう既にアンヌもエンデュミオールも影も形もなかった。

 リシャールめ、と今さらながらの歯噛みをする。なんとなれば、あの無能者は手柄を立てようと焦って、他の捜索者やミシェルに『アンヌ発見』を速報しなかったのだ。

 思い出すだに腹が立つ。そんな怒気をはらんだミシェルの赤黒い面を恐れて、旅行者たちが周囲を遠巻きに避けていく。おかげで邪魔者扱いだけはされず、ミシェルはその時を迎えた。

 入国審査出口を抜けて、まずニコラ直属の家臣が4名現れたのだ。辺りに闇雲に眼を配るのではなく、さりげないフォーメーションで死角を補い合っている。ミシェルを見ても知らぬ振りだ。

 そして、ぱりっとしたダークスーツに身を包み、同系統色のソフト帽を深めに被ったニコラ摂政閣下が、ついにその姿を現した。そのいでたちと配下の警戒振りは、前後して出口を通った旅行者たちの眼には『どこぞの、有体に言えばマフィアのボス』としか映っていない。

 だが、ミシェルにはそんな観察をする余裕などなかった。素早く走り寄り、直前であいさつをする――前に直臣に遮られる。

「ミシェル殿、わきまえられよ」

 その冷たい対応にカッとなったが、ニコラが悠然と手を挙げたので控えた。

「よい。久しいな、ミシェル」

 変わらずの鷹揚な態度に安堵して、謝罪をしようと口を開きかけたが、

「ここで立ち話もなんだな。まずは本拠に案内せよ」

 恐縮して、ミシェルは先頭に立った。



 伯爵家の本拠たる高級マンションに一行が到着して1時間。ミシェルはまた汗を掻きながら、摂政閣下ご一行の接待と状況説明に努めていた。長旅の疲れを癒す前に、必要な情報は一通り目を通しておきたい。そう要望されたのだ。

 リシャールをアシスタントに、現在掴んでいる情報をレクチャーしていく。敵の配置。当面の主敵である西東京支部の戦力、特に黒いエンデュミオールについて。『あおぞら』会長の足取りが依然として掴めないこと。地脈の噴出ポイントの位置。日本政府を初めとする権力筋の動向。そして、鷹取家の動向……

「ということは、戦力的には当方が上回っていると見ていいのだな?」

 金髪をオールバックに撫でつけながら、クロードが発言した。ニコラ第一の側近として、重臣であるニコラですら敬意をもって接せねばならない相手である。

「はい、わずかではありますが。それも、鷹取家が出てこなければの話です」

「ならば摂政閣下――」とクロードが進言する。

「うむ。速攻だ」

 畏まって、既に準備は整えてあることを報告した。明朝から早速工事を開始することが決まって、レクチャーは終了となった。今しかない。

 立ち上がろうとするニコラの前にひざまずく。不快感を露わにするクロードを手で制して、ニコラは待ってくれた。

「恐れながら申し上げます。私に対する罰をお与えください」

 ニコラの答えは明快だった。

「罰は与えない。私にこれ以上大事な家臣を失えと言うのかね?」

 思わず見上げた摂政閣下の顔は笑みで緩んでいた。

「しっかり働け。ただそれだけが、そなたの名誉を挽回する手段である」

 頭を下げて、リシャールの案内で一同がそれぞれの寝所に案内されていくのをじっと待つ。足音が十分に去ったのを見計らってミシェルは立ち、部屋を去り際に振り返って見つめた。

 机上の地図に記された倉庫街を。



2.


 翌朝の鷹取屋敷。自室で書き物をしていた鷹取沙耶は、海原琴音、蔵之浦鈴香、仙道たずなの来訪を受けた。少しだけ考えた彼女が選んだのは、会議室の一つ。たずなの頭に参謀部のベレー帽を見とめて、世間話ではないと察したのだ。

 全員が席に収まって冒頭、琴音が切り出した。

「ニコラ・ド・ヴァイユーが来日しました。配下を6名伴って。これであちらの本拠における戦力は、ニコラを含めて11名となりました」

 鈴香が嘆息して、身を椅子に投げ出した。

「総領様が直接あっちに行って警告したのに、どうして来ちゃうんだろ?」

「私も出したわよ、お手紙」と沙耶は机に頬杖を突いた。

「来るなってはっきり書きましたか?」

「ええ。『その脂ぎった面を殴るのは不愉快だし、家臣の方々の端正な顔が歪むのも可哀想だから、来ないでください』って」

「どうして諌めるふりして煽るかな……」

 鈴香の嘆きに皆で笑い、たずなが姿勢を正した。

「ま、来てしまったことは事実です。よって、準臨戦態勢への移行を進言します」

 もちろんよと答えて、総領への伝達を約束した。

 琴音が話を戻そうと空咳をして、

「先日浅間市街で行われた『あおぞら』と伯爵家との戦闘についてですが、墜落して当方が回収した伯爵家家臣については、いまだ意識不明のままです。それから、あの戦闘に関するネット上の情報については、『あおぞら』側で沈静化に成功したので、当方は静観しています」

「へー! そんなすごいことできるんだ」

 鈴香が驚いている。確かに、『あおぞら』には不思議なことが多い。情報操作が行えるほどの組織と資金力があること、その資金もボランティア組織としては不釣合いなほど大きいこと、そして会長の過去が不明であること……

 考え込む沙耶の向こうで、鈴香がこちらに顔を向けた。何か話があるようだ。

「鷹取としては、どうされるんですか? この件に関して」

「様子見よ、まだ」

「もう敵のボスが攻めてきてるのに? そんな悠長なことでいいのかなぁ?」

 その時、会議室のドアが静かに開いた。

「悠長に構えてるつもりは無いのよ」

「総領様!」

 他の会議に出るため通りかかったら、中の会話が聞こえたらしい。沙耶が譲った上座に座ると、鈴香に笑いかけた。

「ごめんなさいね、立ち聞きするつもりは無かったのよ。でも、今言ったことは事実よ」

 総領は鈴香をまっすぐ見て、諭すような口調で続けた。

「あちらの会長さんのメンツを潰さず、かつ手遅れにならないタイミングで介入することになるわ。あちらから要請があるのが、うちとしては一番いい形だけどね」

 次に、たずなを見る。

「準臨戦体制に移行します。一族に今日付で通知をお願い。プランは、そうね……Cでいいわ」

 即座に立ち上がって敬礼したたずなが参謀部に電話をかけに行くのを確認して、今度は琴音に話を向ける。

「準臨戦体制に移行して、もう潜行させておく理由もないわ。例のトラップを発動させてちょうだい」

「トラップ? ああ、ハニトラかぁ」

 事前に聞かされているのだろう、たちまち渋面になる鈴香。どうも彼女は男女のことに関して、潔癖症のきらいがあると沙耶は思う。

「ねぇ琴音」

「なぁに?」

「フランクの人ってさ、このあいだの戦争の時、ジャーマニア人と仲良くした女の人にひどいことしたよね? 頭丸刈りにしたりとかさ。自分たちが日本人の女の子と仲良くして、そういうことになるかもって思わないのかな?」

「思わないんでしょ?」と耳の辺りの髪を掻き上げながら、琴音はしれっと言ってのけた。

「勝てばいいんですもの。ね? たずなさん」

「……コメントは控えさせていただきます」

 連絡を終えてちょうど席に戻ってきたたずなは、ぷいとそっぽを向いてしまった。

 琴音にはさほどたずなをいじめる気は無いらしい。別の話題に転換した。

「これを見ていただきたいんですけど」

 そう言って取り出したのは、3枚の写真。いずれにも写っているのは、金剛の死体だ。

 一目見て、総領は看破した。

「これ、大月輪おおがちりん?」

「はい」と琴音の顔が真剣なものになり、

「しかも、3本同時攻撃による撃破と思われます」

 そう言われて、沙耶は総領に顔を寄せて写真を凝視した。

「確かに……」

 とつぶやく総領は、眉間に皺寄せている。その理由も沙耶には分かる。無論、分からない者もいる。

「それがどうかしたんですか?」

 鈴香の問いに、総領がまたも諭すように答えた。そういえば、会議とやらに出なくていいのだろうか。沙耶はもう少ししたら促そうと心に決めた。

「大月輪を複数同時に放てる巫女は、多くないのよ」

 それを受けて、琴音が名前を挙げ始める。

「沙耶様、わたし、福岡の美津様、札幌の静流ねえさま、それから、朱莉ちゃんが先月できるようになったって聞きました」

「え? もうできるのあの子。さすが小学生最強巫女ね」

 沙耶は素直に感嘆する。朱莉が属する浜松海原家は過去3世代全て男子であったため、待望の巫女誕生なのだ。後進がしっかり育っている様子がうれしくまた頼もしい。

「そのいずれも――」

「はい。それ以前に、この現場に巫女は一人も出動していないんです」

 沈思する一同。やがて、総領がポツリと漏らした。

「もしや、伝説のあの方では……」

 そこで総領には会議出席の催促が来て、沙耶にも大学出勤の時間が来た。

 皆と別れてリムジンに乗り込んで、沙耶は大学への道を揺られながら考えに沈む。

 伝説のあの方。日本にいるのかどうか、生きているのか死んでいるのかすら定かではない、一人の巫女。

 彼女が幼いころ教えられたところによると、その巫女が伝説となったのは、恋愛絡みの凶行の果てらしい。

「凶行、か……」

 自らを省みるに、沙耶もまた、同じような凶状持ちと言える。

 自分はまた、同じことを繰り返すのだろうか。今度はいつ、鷹取のことを、私のことを理解してくれる人に出会えるのだろう。

「出会えないのなら、いっそ――「いっそ、なんですか?」

 背後から突然かけられた言葉に飛び上がって、沙耶は躍る胸を押さえながらそっと振り返った。

 そこには、同僚の長壁順次郎おさかべ じゅんじろうが、いつもの爽やかな笑顔に疑問符を乗せて立っていた。どうやら沙耶は自分でも気づかぬ間に到着したリムジンを降り、ここまで無意識に歩いて来たらしい。

 彼の疑問を笑ってごまかすと、また笑いかけてくれて、胸がまた躍る。その笑顔のまま、彼女の意中の人は彼女と並んで歩き始めた。

「そういえば、おうちのほう、ようやくお籠りから出られたんですって? おめでとうございます」

 素直に返して、でもまぶしくて彼の顔が見られなくて。沙耶は顔を上気させたまま、幸せな道程を踏んだ。大学には彼女の蟄居は『家のしきたりで2年間、大学以外は御籠りするよう命じられた』ことになっていたのだ。

 そう、やっと、この人と並んで歩ける。それだけじゃないわ、と彼女は一歩踏み込もうとした。彼の顔を横から見上げて、

「あの、お昼は――」

「あ、長壁先生! 千鶴がクッキー焼いて来たんですけど、どうですか? 鷹取先生も」

 うんもちろんと女子学生にも人気の長壁は断るはずもない。その背後に隠れて、沙耶は一瞬だけぐっと唇を噛むと、努めて明るい声を出した。無理やり。

「私もいただくわ」

 まだこれから。これから。自分にそう言い聞かせて。



3.


 沙耶が去った鷹取屋敷。その敷地内にある鴻池の隠れ家に、長野で投降した紫月と、浅間市内の公園で倒されて転向した樹鞠が訪れていた。特に何をするでもなく、ただお茶を飲んでしゃべるだけなのだが、今日はほやほやのトピックスがあった。

「ニコラが来たらしいぞ」

 鴻池の投げかけに、樹鞠は形だけ反応して、あとは供された湯呑をひねくり回している。紫月の反応は――

「きゃー! ついにいらっしゃったのね!」

「……お前なぁ」

 鴻池はお茶を飲もうとした手を止めて、紫月をにらんだ。

「監禁されるぞ」

 そう言って鴻池が指を指す先には、女性の庭師が休めの姿勢で立っていた。元バルディオールが3名に増えたことで、彼女たちが集まる時には念のため監視がつくことになったのだ。黒水晶を取り上げられた身で何ができるわけでもないが、3人寄ればなんとやら。思わぬ方向に議論が行きかねない。

「ふんだ、裏切り者め。ニコラ様のあの魅力が分からないから、そんなことができるんだ」

「ああ、さっぱり分からんな」

 言って、紫月とにらみ合う。鴻池が身体の保護を条件に『あおぞら』に協力していることは、樹鞠経由であっさり紫月にバレ、つい先日ひと悶着あったばかりなのだ。鴻池の頬に張ってある絆創膏で隠されているのは、その時についた傷である。

「なんで分かんないのさ。あの渋くて素敵なお声、物腰、んでもって独身でお金持ち。最高じゃん」

「最後の部分だけだろ? お前の心に響いたのは」

「んなことないって!」とむくれる紫月。お茶をぐいっと飲み干すと、反撃に転じた。

「つか、親しくお言葉をかけていただいといて――「無いぞ」と打ち消す。

「私はあの男とほとんど話したことが無い。だからどんな奴かは伝聞でしか知らないんだよ」

 だめだこりゃという顔をして、紫月は勢いよく味方を求めた。

「樹鞠! あんたもなんとか言いなよ!」

「ん? あたし?」

 湯飲みを眺めるのを止めることなく、樹鞠は本当に興味がなさそうに答えた。

「どーでもいい。あたし、あいつ嫌いだし」

「何かあったのか?」

「あいつ、フランクにいた時、なにかと近寄ってきてあたしの体触るんだよ! 気持ち悪かったから、『今度触ったら、1回100万円な!』って怒鳴ってやったらすっげぇ嫌な顔して逃げてってさ」

「なるほど」と鴻池は腕組みをして考えた。

「私に寄って来なかったのは、40過ぎの女に用が無かったからだな……」

 紫月が苦笑して、

「ま、まあ確かにセクハラオヤジではあったけどさ」

「そこは否定しないんだな」

「つまんない」

 こいつは何を言ってるんだ? と思う間もなく、樹鞠は手にしていた湯呑を放り出してしまった。

「あのー、器物損壊は困るんですけど」

 女性庭師が控えめながら抗議するが、樹鞠は聞く耳を持たない。

「財閥のお屋敷で出てくる湯呑がこんな安手のもんなのが、つまんないって言ってるの」

「そりゃそーだろ」と紫月が頬杖を突く。

「あたしら、半分捕虜だぜ?」

 樹鞠は割れて転がったままの湯呑を拾おうともせず、立ち上がると伸びをした。

「依頼の作品も引き渡したし、次は焼き物がやりたいな。器物損壊には実物弁償してあげるよ」

「お前に実用に耐える湯呑が作れるのか……?」

 樹鞠の作品は鴻池が見る限り、妙に精神的に不安を与えるブツなのだ。

 庭師が電話をかけ始めた。掃除の人間を呼ぶようだ。それを見た紫月が聞こえない程度に軽く舌打ちをしたのを、鴻池は聞き逃さなかった。物問いたげな視線を向けると、小声で愚痴ってくる。

「湯呑の破片を拾ってるところを襲って人質にしようと思ったのに、隙が無い」

「お前なぁ……」



4.


「まさか貴様が寝返っていたとはな、ミラー!」

 夜。西東京支部の会議室では、スクリーンに映し出された元バルディオール・ミラーに向かって、ソフィーがアンヌとともに怒りを露わにしていた。

「なぜだ! なぜ裏切った!」

『負けて黒水晶を奪われた身でそちらへ復帰しても、身の安全は確保できないと思いまして。白々しいことは承知の上ですが、祖国を護るほうに鞍替えすることにしました』

「身の安全だと? 世迷言を言うな!」

(お嬢様たちってさー)とルイがハヤトに顔を寄せている。

(日本語の語彙に、なんか偏りが無い? 時代劇っぽいっつーかさ)

(お金持ちだから、きっとまともなレッスンを受けてると思うけどな)

(セレブ専門の講師とかいるんちゃう? あんまりはすっぱな言葉は使われへんやろうし)

 とは双子の片割れの推測。そのあいだにも会話は進む。

『アンヌ様ご自身がおっしゃったこと、お忘れになられたようですね』

 そう言ってミラーが、日本へ出発する日の会話を話し出した。

『こう言われましたよ? 『サルとサルの戦い、せいぜい頑張るがいい。だが、もし負けたらば、この天地に身の置き所は無くなろう』と』

 ぐっと言葉に詰まって、アンヌともどもスクリーンをにらみつけることしかできない。会議室の日本人たちもサル呼ばわりされているわけで、そちらを向くのも気まずいのだ。

 すると、スクリーンの向こうに異変が起こった。ミラーの腕が突然2本増えたのだ。ソフィーだけでなく日本人たちまでざわめく事態に、

『ん? ――こら、キマリ! ふざけるな!』

 ダブルピースまで始めた腕の持ち主は、

「! 貴様はアルテ! 貴様まで……」

『おひさー、おじょーさまと金魚の糞』

「き、きんぎょの……?」

 意味が分からずユウナに顔を向けると、ものすごく憂鬱そうな顔と声で翻訳してくれた。

「わ、私はアンヌ様の側近く使えているのだ! それをそのような汚らしい表現で――」

『だって、いっつもぺったりぺたぺたしてんじゃん』とニヤニヤするアルテ。

『実は気があるんじゃないの? おじょーさまに』

「ば、ばかなことを……!」

(なるほど、顔真っ赤だな)

(近いよね、いつも立ち位置)

(女騎士主従のイケナイ日本亡命生活かぁ、捗るねそれ!)

 ヒソヒソ話を繰り広げる日本人たちをにらみつけて黙らせると、ソフィーはむっつり黙ったままのあるじをちらりとだけ盗み見て、本題に戻った。

「貴様はなぜ裏切ったのだ!」

『ん? あたし? 自由だからだよ、こっちのほうが』

「自由……?」

 アンヌが鸚鵡返しをして首をかしげると、アルテはミラーを押しのけてウェブカメラのレンズに顔をぐんぐん近づけてきた。

『そ、自由。こっちで創作活動、好きにやらせてもらえるんだ。パトロンもついたし、もうあんたらは用済みなの』

 ピントが合わないほど接近して好き放題述べるアルテに、日本人たちも呆れ始めた。

『あとはあんたらが負けていなくなれば、移動と居住の自由ももらえるんだ。というわけで、さっさと出て行けフランク人!』

 そこまで声高らかに叫んで、アルテは奇声と共に飛び跳ねながらフレームアウトした。

「「別の自由を行使して、フェードアウトしたで」」

「なんかちょっと、るいに似てるわね」

「えーるいあんなんじゃなーい」

 ソフィーは屈辱でうつむいた。

(くっ、こんな奴らに、ここまでバカにされて……)

「さ、本題に入りましょうか」と支部長が手を叩いた。

「とてもそんな気分ではないのだが」

 アンヌの気持ちはソフィーも同じ。だが、

「鴻池さんを非難して、脱線させたのはどなたでしたっけ?」

 指摘されればごもっともで、黙るしかない。

 ニコラが来日したこと。その対策を協議するのが今夜の主題である。

 まずニコラとその配下の特徴をと問われたミラーが、少し困った様子で答えた。

『実は、ニコラやその家臣にはほとんど面識が無くてね。又聞きの情報ということになるんだが――』

 ニコラの家臣は、ニコラがスキルを放つための溜めを行っているあいだ、防御に徹することが主な任務である。といっても、強固な防御スキルを駆使するというわけではなく、いわば攻勢防御とでもいうべきものらしい。そう鴻池は説明を終えた。

 ソフィーは密かにほくそ笑む。敵に伯爵家の情報が渡らないということは、こちらにアドバンテージがあることになるからだ。

 同時に、憂鬱にもなる。ニコラ一党があのような真似をせず、アンヌを尊重し、共同歩調を取れていれば……

 ふと気がつけば、出席者一同の視線を集めていた。ベリーショートの小娘、ルイが悪い笑顔を見せる。

「ソフィーさん、何か知ってそうな顔してるね」

「ほほぅ」と呼応して、ハヤトがゆらりと立ち上がった。

 ビクッ、と自分の身体が痙攣するのが悔しくて、ソフィーは身構える――その前に、

「ソフィーはやらせない!」

 アンヌが雄々しくも立ち塞がった。

「アンヌ様……!」と感激したソフィーだったが、それは違う意味でぬか喜びに終わる。

 決然と起立したリサ――口惜しいが、アンヌより器量は上と認めざるをえないほど美しいと言える女が、ハヤトを殴り飛ばしたのだ。

 床に吹き飛んでくたりと伸びてしまった隼人に、優菜と双子の片割れ――見分け方のレクチャーをスタッフの一人から受けたが、さっぱり分からない――が慌てて駈け寄る。どうやらこれは日常茶飯事らしく、会議は進む。

『ニコラ自身は電撃系だ。かなり強力な使い手らしいが、そちらのお嬢様たちに聞いても無駄だろうな』

 それより先に、と憮然とした表情の鴻池は机に頬杖を突く。

『奴が連れてきた家臣は全てバルディオールだろうな』

「どうしてそう思うんです?」

 席に残ったほうの双子が尋ねた。ふざけた小娘たちだが、年長者に対する時はきちんと姿勢を正し、言葉遣いも丁寧だ。その点だけは評価できる。

『ただ単に、強力だからだ。いくら伯爵家と言えども使える駒は限られている。本国の護りにいくらかは置いてこなければならないしな』

「強力な、バルディオール……」

『違う』

 鴻池の否定に、心臓が跳ねる。

『鳥人化した上で変身するのだ。バルディオールに。双方の力が合わさって、とんでもない戦闘力になる。奴らが出て来たら、注意したほうがいい』

「なるほど……そうなんですか? アンヌさん、ソフィーさん」

 アンヌとソフィーは、お互いの顔を見合わせた。主君の顔には、逡巡の色が現れている。その瞳に映る自分の顔にも。

 情報を伝えることは、家への裏切りだ。しかし、『あおぞら』が負ければ、ソフィーとアンヌはどこへ身を置けばよいのか。

「そういえば――」とリサが支部長に問いかけた。

「22年前はどうだったんですか?」

 支部長は少し記憶をたどるような仕草を見せて、ゆっくりと答えた。

「22年前は、ニコラは来なかったわ。伯爵とその家臣だけだった。人数も4人だったし。鳥人化してバルディオールになる奴は……いなかったと思うけど」

 会話を聞いて、アンヌが横から問いただしたところ、支部長は22年前に伯爵と交戦しているのだと分かった。

「父上と! では、あなたが父に傷を……」

 支部長は悲しげにかぶりを振った。

「いえ、別の者です。先日、亡くなりました。レーヌにやられて……」

「! すまない。無遠慮な質問だった」

 アンヌは立ち上がり、黙礼した。支部長も少し微笑みを見せて返礼し、

「今回、人数をかけてきているのは、前回の反省からかもしれませんね」

 その直後、安堵したような声に振り向くと、ハヤトが床からむっくりと起き上がっていた。

「お、蘇るオーク」

「もうやめろよ」とハヤトはルイの言葉に反応して、

「ソフィーさん、怯えてるじゃん」

「ば、馬鹿なことを! 怯えてなんかないぞ!」

「じゃあ、教えてください」

「なんでそうなる?」

 双子の席に残ったほうが笑って言った。

「ま、そこまでむきになって隠すということは、大したことないっちゅうことやろ? ニコラも手下も」

「そうならいいんだけど……」と席に戻ったユウナだが、納得しかねる風情だ。

「お前たちは勘違いをしている」とアンヌが突然口を開いた。

「鳥人バルディオールの戦闘力も、ニコラの力も。殊にニコラの雷撃は――」

「アンヌ様!」

 ソフィーは家臣の分を越えて、叫んだ。

「! 分かっている。そうだな……」

 アンヌの沈黙により、会議は閉じた。『敵の出方を待つ』という結論で。



5.


 会議室を出て仮寝所に戻る途中、アンヌはソフィーに頭を下げられた。

『申しわけありません、出すぎた真似をいたしました』

『いや、あれでいい』と肩を叩く。

『あの双子の片割れ、今にして思うと、わざとああいう言葉を吐いて、こちらが図に乗るよう謀ったのだな。うかうかと乗ってしまうところだった。これからも頼む』

『……それだけですか?』

 家臣の目は、アンヌを見すえている。

『アンヌ様、お叱りを承知の上で申し上げますが、アンヌ様はあのユウナという小娘に思い入れが強すぎます』

『そんなことは、ないぞ』

 冷静な表情を保とうとして失敗し、アンヌは仮寝所への道を再開した。ソフィーが追従してくる。

『いいえ、明らかにあいさつの時の声色や、話しかける時のお顔の色が違います』

 その時、背後からそのユウナの声がした。

「アンヌ、ちょっと待って」

 心臓が跳ねて、でも今度は表情を取り繕うことに成功して、アンヌはゆっくりと振り向いた。自分とユウナになぜか刺すような視線を送るソフィーを無視して。

 ユウナとルイ、リサ、そしてハヤトがそこにいた。アンヌが振り返るのを待っていたのか、そろって軽く一礼する。

「会議に出てくれて、ありがとうございます」

「それなんだが――」と出席前からの疑念を口にする。

「なぜ我々を呼んだ? 会議になぜ敵を出席させる?」

 ルイが代わって口を開いた。

「支部長はアンヌさんたちに、現状を認識してほしかったんだと思いますよ。真紀ちゃんはああ言ってましたけど、うちが劣勢なのは事実なので」

「そりゃ、女騎士さん2人に参戦してもらえりゃ言うことないんですけどね」

 ハヤトの口にした"女騎士"というキーワードに、ソフィーが痙攣した。アンヌは思わずカッとなって、

「なんなんだお前たちは! このあいだからわけの分からんことを! 『くっ殺せ』とか女騎士とか!」

「では解説しましょう!」

 と言いながらルイがメッセンジャーバッグから取り出したのは、カラー刷りの冊子だった。それを手渡されて、一読を薦められる。

「なんだこれは? 手作りっぽいが――」

 嫌な予感に襲われながらも、なぜか閉じられない。パラパラと読み進めた主従の脳髄は、

「な、な、なっ――!」

 件の台詞の使用法が理解でき過ぎて、沸騰してしまった。

「るい、あなたなんであんなもの持ってるのよ」

「カレシから押収しました」

「またろくでもない奴と付き合ってんな、お前……」

「ろくでもなさすぎる!」

 アンヌは薄い本を隼人に向かって投げつけた!

「なぜ俺に?」

「貴様がこんな汚らわしい役を振られて、乗ってくるからだ!」

 アンヌの怒声に、ユウナが乗っかってきた。その声には、今まで聞いたことのないいらつきが混ざっているように感じる。

「そういえばお前、嫌がらないなこの話題」

「ん? ああ」とハヤトが真顔で、

「ソフィーさんなら俺、イケるな、と」

 言い放った彼の背が、鈍い音とともに突然低くなった。前のめりに倒れたのだ。

 彼の後頭部を殴ったのは、リサだった。拳を握り締め、荒い息で吐き捨てる。

「まったく、あなたって人は……」

「リサ、そーゆーことするから振られたんだよ?」

「振られてない!」

 ルイの指摘に、リサは言い返した。

「私はあきらめたわけじゃない! だから振られてない!」

「ルイ――」

 アンヌはルイに顔を寄せた。ユウナにしたかったが、涙目でハヤトの介抱を始めたから仕方がない。

(あの女は何を言ってるんだ? 日本語の意味が取れないんだが)

(奇遇ですねアンヌ様、わたしもさっぱりです)

(分かっちゃうとそれはそれでまずいから、だいじょーぶです)

 ま、いいか。リサは怒ったまま帰っていくし。

 ハヤトがまだ眼を覚まさないので、アンヌとソフィーは仮寝所に戻ることにした。お休みのあいさつを2人にして、階段を上る。

「よかったな、ソフィー」

「……何がですか?」

 横に並んできた家臣に揶揄の言葉を飛ばす。

「イケる、とは多分異性として興味があるという意味だろう?」

 主君として、というか自分のことはさておいて、この家臣の身に浮いた話を最近聞いたことがなかったのだから、心配半分からかい半分にもなろうというものではないか。

「あんな軽い言葉、どうせ時候のあいさつ程度ですよ。というかそれ以前に、……」

 ソフィーはそっぽを向くと、仮寝所の扉を開けるために足を速めて行ってしまった。

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