第14章 会長の告白
1.
最終決戦の翌日。夜9時を迎えた西東京支部の会議室には、支部長以下フロント・サポートを問わず、スタッフ全員の姿があった。食堂で働く女性の姿も見える。彼らの雰囲気はいたって和やかで、勝利に終わった充実感が大きく作用しているのは否めないだろう。
一方で、複雑な表情ながらこちらも落ち着いた雰囲気を醸し出している者たちもいる。アンヌ主従だ。ベルゾーイとクララも臨席を許され、しかし職業柄どうしてもできないと立ったまま、今日の主役の登場を待っている。
会議室の前には演壇が据えられていた。鷹取家が持ち込んだ放送機材まであって、その周りはなかなかに狭苦しい。
鷹取家といえば、先遣隊の4人に加えて霧乃も来ていた。小学生2人は食堂のおばちゃんたちからこれ以上ないほど構われて、きゃいきゃい言いながら2人でこの場を楽しんでいる。
やがて、時間が来た。
会議室の扉を開けて入ってきたのは、会長だった。もはやあの姿――エンデュミオール・カラミティではなく、変身者たる鷹取沙良としての姿だ。一同の視線が集中しても臆さない歩み。それに連れて揺れるツインテールを見て、隼人の胸中はある種の感慨が沸き起こっていた。
自分の比較的身近に、会長がいた。その言動は時折不可思議なものだったが、今にして思うと全てを分かった上でのあれこれだったのだ。
言動といえば、
『わたし、あきらめませんから』
……まさか、な?
そんなことを考えているうちに、沙良は演壇に到達した。さっと上ってこちらに正対する彼女に、スポットライトが浴びせられる。まぶしげに少しだけ目を細めたあと、沙良はマイクをオンにした。
「西東京支部の皆さん。そして、この映像を各支部で見ている皆さん。始めまして。会長の、鷹取沙良です」
その声音も表情も、隼人が塾で見聞きしてきたものとは違う、大人の雰囲気だった。
「これから、私の過去をお話します。私の犯した過ちと、それによって生まれた騒動の顛末を」
そこで、彼女は言葉を切った。目を閉じ、言い出しかねているかのように口を硬く引き結んだまま、数秒が流れて。
「私の生まれ年は、元暦2年。西暦で言うと、1185年になります」
告白は、最初から一同の動転を呼ぶものだった。
「……800歳を越えてるってこと?」「いやいやいや」「嘘でしょ? あの姿……」
皆の囁きは予期したものだったのだろう。会長は顔色一つ変えず、場の動揺が収まるのを待って再開した。
「私は鷹取家に生まれ、順調にその血力を伸ばしていきました」
当時は宗家と分家という区別も無く、力の強い巫女が祝言を挙げた時点で総領職を襲う慣習であった。ゆえに、沙良もその有力な候補者として期待されていたようだ。
「なにより私には……将来を誓い合った公達もいましたから」
照れくさそうな沙良を横目に、アンヌが優菜に顔を寄せてきた。
「キンダチ、とはなんだ?」
「さあ……」
「貴族の若様のことだよ」と教えてあげると、華やいだ声が上がった。
「へえ、セレブじゃん」「うらやましい……」
照れくささはそのままに、沙良は笑って手を振る。
「公達って言ったって、下級官人だし」
また分からないというアンヌに、今度はミキマキが教えた。
「「下っ端役人のことですよ」」
「……事実なんだけど、はっきり言われるとむかつくわね」
沙良に軽くにらまれて、おどけるミキマキ。ひとしきり笑いを誘ったあと、沙良は会話を引き取った。表情を引き締めて。
「祝言まであと半年、というところで、事態が急変したの」
都を襲った流行り病に、その公達が罹った。幸い大事には至らなかったものの、気力も体力も回復しない。ゆえに祝言は日延べを繰り返す有様であった。
「……私は、焦ったわ。当時の適齢期は10代半ばまで……わたしはその時14だったから……」
その言葉に、相変わらず場の雰囲気を全く考慮しない声が反応した。
「じゃあ、るいたちみんな行かず後家……?」
衝撃を受ける女子たちに、隼人は呆れた。
「価値基準が違うから、そんなことで一喜一憂されてもなあ」
「まったく、あいつは賢いんだかバカなんだか、よく分からんな」
「アンヌさんたちのこともちょっと考えろよ」
「待て隼人」とアンヌににらまれる。もちろんソフィーにも。
「貴様、さっきの価値基準がどうとかはなんだったんだ!」
「……意外と気にしてるんすね」
率直な感想にいきり立つ主従だったが、沙良の咳払いで渋々席に戻った。
「漫才は外でやってくれない? 今深刻な話してるんだから」
みんなで頭を下げて――るいは理佐が無理やり下げさせて――話が戻った。
沙良は、今の人たちも苦労してるみたいだけどと沙耶たちを見やって、
「当時はまだ世間に、うちが鬼の末裔だっていう記憶が薄れてなかったから、そういう面でもなかなか受け入れてもらえなかったのよ。ヒトじゃない、っていうのは高い壁よね」
アンヌとソフィーが微かに身じろぎした。彼女たちは自らを『ヒトだ』と言っていたが、心の奥底ではそう思っていないのかもしれない。あるいは彼女たちに触れ合い、真実を告白された人々が。
「このままでは、いたずらに歳を重ねてしまう……その思いがどんどん私の頭の中に積もっていって――」
再び都に流行り始めた病。男はまだ罹患したわけではなかった。だが、沙良の心が暴走するきっかけには十分な出来事だったのだ。
男の回復を祈願すると称して、二人で籠もったとある山寺。そこで沙良は、禁断の秘術を我が身と彼に掛けようと謀った。それすなわち、"不老の呪い"である。
歳を取らなければ、行き遅れにはならない。そんな発想が既におかしかったのだが、沙良には振り返って熟慮する余裕が無く、男には逆らう気力も体力も無かった。
「でも――」
沙良はうつむいた。それが零れ落ちようとしている自分の涙を必死でこらえているのだということが分かったのは、しばらく経ってからだった。
「――でも、駄目だった……」
公達には呪いが掛からなかった。そして彼は力尽き、ここで生を終える絶望と、沙良への怨嗟を抱きながら冷たくなっていった。そして、その怨念と命が対価となって、呪いという形で沙良に襲い掛かったのだ。彼女の想定とは違い、
「不老を越え、不老不死になってしまったの……」
誰も、言葉を発せられない。暗い表情の沙良も反応をはかっているわけではないようで、また訥々と語り始めた。
沙良の行動が暴走であったことは、事後処置を全く考えていなかったことでも明白であった。数日を待たずして都中に噂が広がり、鷹取家へも知れた。親族寄合での詮議の結果は、一族からの追放であった。
「それから、諸国を巡っていろいろな所に住んだわ。それでも最初のころは都に近いところにいたけど、都で大戦があってからは、鷹取の人たちがだんだん地方にも移住してくるようになって、それを避けるためにちょっと苦労したかな」
やがて明治の御世になり、海外へも行くようになった。むしろ海外に滞在している期間のほうが、断然長くなった。鷹取も海原も財閥と呼ばれるほどの盛業を成しつつあり、日本各地に支社ができて行動しづらくなったためだ。
「それで赦免の通知が届かなかったんですね……日本中をお探ししたんですよ、ご先祖様たち……」
沙耶の慨嘆に苦笑いして、沙良は付け足した。
「まあ、今さら御家の人と接触したって仕方がないって思ってたしね。あれだけのことをしたんですもの、許してくれるはずがないって思い込んでたし」
また表情を改めて、沙良は続けた。
「そう、海外に出たことが、今回のこの騒動の直接の発端と言えるかもしれない。彼にさえ会わなければ……」
「彼?」
沙良は、迷う様子もなく明かした。
「アルマン・ド・ヴァイユー。アンヌさんのお父上よ」
2.
彼との出会いは、本当に偶然だった。
そもそも向こうは血筋と格式を誇る伯爵家の若き当主。こちらは流浪の一日本人。身分が違いすぎて、すれ違うことすら稀である。その彼に呼ばれた。といっても鷹取沙良としてではなく、『東洋の神秘の国・日本から来た占い師』としてである。
長い流浪の生活で習い覚えた占いの技を駆使して、店は結構繁盛していた。その噂が伯爵の耳に達したのだ。
「……なんか、ツインテールの占い師って軽そうなんですけど」と祐希がつぶやき、
「これは"坂本沙良"としての髪型よ」と返された。
「いかにも日本人女性風に髪を結って、振袖を着てやってたわよ」
最初は貴族仲間とのお遊びで呼ばれたのであり、占いも早々に館を辞した。というか、
「娼婦と勘違いされて、やれ酒を注げだの――「沙良様?」
説明を遮ったのは、鈴香だった。険しい横目――琴音が言うには、どうもこの手の話には厳しい子らしい――で指すその先には、小学生が2人。しまったという顔の沙良にはなぜか行かず、
「隼人さん、ショーフってなんですか?」
「なんで俺に聞くの?」
美玖はいたってにこやかに、
「だって隼人さん、さっきも難しい言葉知ってたじゃないですか」
いや、そうなんだけどさ……と詰まっていると、助け舟が双子から来た。
「「男の人を楽しませてお金をもらうお仕事のことやで」」
ふーん、と納得して前を向く小学生たち。真紀と美紀にこっそり頭を下げた隼人であった。
「ま、まあそういうお仕事してると勘違いされたから、怒って帰ったのよ」
最悪、店を畳んで地方に移住することも考えたのだが、意外にもほがらかなお忍び訪問を受けたのはその3日後のことだった。
「素直に謝られて、今度は真面目に占ってほしいと言われたの。それから――」
2ヶ月に1回程度だった来店が1ヶ月になり、2週間になり、親密度は徐々に増していった。
(かなりプライベートな話になってきたな……)
沙良は平然と話しているが、表面上そう見えるだけで、実際は違うのではないか。隼人はそう思う。なぜなら、騒動というのがこれから起こるのだから。
話を続けようとした沙良を遮ったのは、アンヌだった。失礼を承知でお聞きしたいと丁寧な口調でまず詫びて、おずおずと切り出す。
「あなたは、その……父と一緒に写真に収まったことはあるだろうか?」
「……あるわ。洋装でだけど。髪もその時は……多分、長く後ろに流していたわ」
アンヌは、ぼそりとつぶやいた。隼人にはなんとも形容しようのない表情で。
「……あなただったのか」
沙良に物問い顔を向けられて、アンヌはためらいがちに語り始めた。子どものころ、父伯爵のつけていたロケットに収められていた写真を見たのだと。
「父がなぜアジア人の女性と写真に収まっているのか、理解できなかった。まさか父に聞くわけにも行かないしな。そのまま忘れていたのだが……そうか、そういうことだったのか……」
「アンヌ様……そんなはしたないことを……」
とソフィーが信じられないものを見る目で主君を見つめている。
(はしたないですか?)
(まあ、やっていいことじゃないと思うぞ)
万梨亜と小森のヒソヒソ声が聞こえたのか、アンヌは慌てた。
「わ、私が見たかったわけじゃないぞ。ミレーヌ――様が持ち出してきたのだ」
たちまち起こるからかいの渦を、沙良の平板な声が圧した。
「アンヌさんには悪いけど、正直言っていい気分じゃないわ」
だって、と言葉を継ぐ沙良の表情も声も硬い。
「この騒動の元凶なのよ。彼が私の持っていた石を奪った、それが全ての始まりなんだから」
逃げた彼を追って、伯爵家の本拠にまで乗り込んで、奪還に成功した。だが、そこで仲間の裏切りに遭う。それでも白いほうを確保して脱出したのだが、
「追撃されて、深手を負った私はしばらく隠れ家で静養するしかなかった。そして傷がようやく癒えた時、知ったの。彼が身分けの術式を使って黒水晶を作り出し、配下に与えていることを。それを使って日本を侵略しようとしていることを」
そして、沙良は決意した。彼女も身分けの術式を使って白水晶を作り出し、信じられる仲間に与えたのだ。
「それが22年前、前回の防衛戦ということになるわ……あとは、皆さん御存じのとおりとなります」
説明を終えて、沙良は微笑んだ。だが、隠しようのない寂しさが見て取れるさまに、みんなすぐには口を開けない。
その雰囲気を割って、ソフィーが立ち上がった。
「あなたにとってはいい気分ではないかもしれない。でも、伯爵様にとっては、あなたはロケットに写真を収めて持つに足る存在だったのだ……臣下の身でその御心の内を勝手に推し量るなど僭越の極みだが、どうか分かってほしい」
この人は、真面目な人なんだな。隼人はソフィーの立ち姿を眺めながら思う。アンヌが悄然としてしまったことが耐えられなかったのだろう。
一方で、どうにも不真面目というか、笑いに流そうとする輩もいる。ねーやん、お前だお前。笑っている眼が隼人に向けられているのだ。
「なんでオトコっちゅうのは、そーゆーもんを後生大事に取っとくのかねぇ、隼人君?」
「なぜ俺に振る」
「ああそういえば――」と伊藤。そこで乗っかってくるなよ、と止める暇もなく、
「隼人先輩、千早さんからもらった手作り薩摩切子、まだ使ってますもんね」
室内のどよめきに負けない絶叫が響き渡った。
「なななななんであんたそんなの持ってんのよ捨てなさいよ!」
「いやまだ使えるし」
あーあれかーとニヤニヤし始めた圭を制圧した千早だったが、
「「伊藤君、詳しく」」
「千早から隼人へってバッチリ刻んである――「ぎゃーやめてぇぇぇぇ!!」
と一言叫んだっきり、
「うわー千早さん、真っ赤だ」
モトカノは深く沈んでしまった。
さんざめく声をくぐるように、理佐の低い声が聞こえる。
「隼人君、わたし、それ見せてもらったことないんだけど」
「見せたら割るよね? 理佐ちゃん」
ぐっと言葉に詰まった理佐に、様々なコメントが飛んできた。
「理佐ちゃん、否定できないときはね、泣けばいいのよ?」と支部長が声を潜め、
「アー見える見える、拳をべしゃべしゃと叩きつけてるサイコちゃんの姿が」
と圭が一人うなずいている。
「「なんでわざわざ火踊りするための燃料を自分で投下するかな?」」
ミキマキは相変わらず。だが理佐はもにょもにょとつぶやき始めた。
「……わたしが買ってあげた服は?」
「あるよ。もうシーズンオフだから、衣装ケースにしまっちゃったけど」
それを聞いた理佐は安堵した様子でうつむいた。
「で、なんであの人は平然としてるの?」
「わたしに聞かないで、本人に聞けばいいじゃないですか」
沙耶と琴音が軽く揉めているが、コメントすると長引きそうだ。隼人はこの会を進めるほうを選択した。
「なあ、こっから質疑のコーナーだろ? いい加減止めろよ」
それでも収まらない若干名の視線を、とある方向に導いてやる。
「これ以上、おませさんたちにエサを与え続けることもないと思うんだが」
ああ、キラキラも4つあるとますます綺麗だなあ。
3.
いったん休憩したあと、質疑に入った。ただし西東京支部の、つまりこの場にいる人限定で。
小森が先陣を切った。
「会長の火力なら、独りで十分戦えると思ったんですけど。いや、居場所を特定されたくないとか、そういう縛りがあったのは聞きましたけど」
会長の回答は明快だった。
「私のスキル"カラミティ"はね、ほかのエンデュミオールのスキルを反射する過程で災厄に変換して全体攻撃。そういうものなの。それ以外のスキルは、どうしてもうまくいかなかった。治癒スキルですらね。だから私のコードネームは災厄、すなわちカラミティなのよ」
「なるほど」と小森は納得した様子で腕を組む。
「鷹取の技を使ったら、おうちの人に存在がばれちゃうから使えない、と」
「このあいだ、つい使っちゃったけどね」と笑い顔が優菜に向けられた。
「?――あ! あの時!」
優菜から手短に顛末を聞かされた。同時に琴音から、そのことがきっかけで沙良が日本にいるのではないかと推察できたことも。
「あの時はありがとうございました」
「どういたしまして。私も焼きが回ったもんだわ。以前なら見捨ててたのに」
隼人が手を挙げかけたが、祐希のほうが速かった。
「素朴な疑問なんですけど――」と首をひねる。
「不老はともかく、不死なんですよね? 会長。敵に特攻掛ければ勝てたんじゃ……」
「あなたが考えるような素敵体質なら、こんな苦労しないのよ。確かに」
それが、会長の答えだった。不死とは『病気や老衰では死なない』という意味であり、負傷が過ぎれば致命傷となるのだそうだ。もちろん創作物でよくある不死設定のように、傷を負うやみるみる治るわけでもない。
「あ、そか。そういえば深手を負って静養してたって言ってましたっけさっき」
と頭を掻く祐希。ここ最近の言動を見ていると、超常現象系というかオカルト系への食いつきがいいように思える。
(琴音ちゃんと話が合うかもな。それとも同族嫌悪で険悪になるかな?)
ま、それは置いておいて、
「あの、いいですか?」と隼人は今朝ふと思いついた疑問を口にしてみた。
「坂本って名字はともかく、なんで本名で塾に通ってたんですか? 偽名を使おうって思わなかったんですか?」
沙良は、困ったというように首を振った。なぜ本名を書いてしまったのか、自分でもよく分からないのだという。
「それも最初、『鷹取沙良』って思いっきり書いちゃってたのよ」
湧き起こる苦笑を共有して、沙良は続けた。
「帰りの電車の中で気づいて、真っ青になっちゃったわ。急いで塾にとんぼ返りして、親が離婚する前の名字を書いちゃったってことにしてごまかしたけど、しばらく『御家に通報されたんじゃないか』ってドキドキだったわね」
そして彼女は、低くつぶやいた。
「やっぱり、焼きが回った……あるいは、逃げ回るのに疲れてたってことなのかもしれないわね。悩んでた隼人せんせーに白水晶も渡しちゃったし」
「? あれ? 坂本さんから直接もらってないですけど」
「いくらなんでもそんな際どいことしないわよ」とにらまれる。
「隼人せんせーにお熱だった入院患者の子、憶えてます?」
ああ、みるみる空気が悪化していくなぁ……もちろん憶えてるけど。
偶然を装ってその子と親しくなり、隼人へのプレゼントを探していた彼女に白水晶を渡した。気後れする彼女に、集めていたカードゲームのカードを譲渡することを約束して尻を叩くという複雑な手順を踏んだらしい。
「港ごとに女がいる人だねぇ」
「港どころか立ち回り先全てにいるような……」
「『ヴィオレット』にも一人いるしね」
鈴香が琴音を小突き、口喧嘩が始まった。それを見て見ぬふりをする場の中から、今度は横田が手を挙げる。
「確保した黒水晶をすぐにブラックに潰させなかったのはなぜですか? あれを潰すと伯爵にダメージが行くって支部長さんが説明してて、ずっと不思議だったんですが」
横田からアンヌに視線を移して、会長は説明した。その声はまた最初の大人びた口調に戻っている。
「確かに、短期的に見れば、確保次第滅失させるべきだったわ」
「ではなぜ?」
アンヌも負けじと会長を見つめ返す。
「あれを滅失させ続けて、伯爵が死んだ場合――」
アンヌの表情が険しくなるのも構わない。
「ニコラが横槍を挟む間もなく、アンヌさんが爵位を継ぐことになる。若くて活発な新当主誕生。それは望ましいことではなかったのよ」
「動き、鈍かったですもんね」とるいがうなずき、
「そんなに鈍かったのか? そちらから見て」とソフィーが驚いた。
「んーなんかさぁ、攻撃が途切れ途切れというか、やる気があるのかないのかよく分からないというか」
「一番きつかったのは、バルディオール・フレイムのときだったな。あと、ここ数週間くらい」
そう優菜も述懐し、ほかのスタッフも同意の声を上げた。ソフィーは唇を噛んで聞いていたが、
「ニコラ殿さえ余計なことをしなければ……」
「そう」と沙良もうなずく。
「アルマンの衰えに乗じて、ニコラがあんな強硬手段に出てくるとは思わなかったわ。それが私の誤算」
演壇に置かれたペットボトルの水をこくりと飲むと、話を継ぐ。
「アンヌさんが継いで困る理由はもう一つ。また黒水晶が量産されてしまうことだったの」
会長の発言に少し困惑する。アンヌが爵位を継承すると、なぜ黒水晶が量産されるのだろう。アンヌを見やると、彼女にも分からないようだ。
答えは、沙耶から来た。
「そうか、有限ですものね」
沙良はうなずくと、解説を始めた。
愚者の石から黒水晶(もしくは白水晶)を生み出す『身分けの術式』。それは愚者の石に願文を捧げて行う呪いの儀式の一種なのだ。
「呪いには対価が必要。身分けの術式に必要な対価は――」
沙耶が言葉を受けた。
「愚者の石所有者の魂ですね?」
うなずく沙良を、思わず見つめてしまう。その顔には憂鬱の色が濃い。
「正確に言うと、寿命よ。そしてフランクの伯爵は長命とはいっても、しょせん有限の寿命」
「父は……寿命を削ってこれを……」
アンヌの手にした黒水晶に、彼女の涙が落ちた。
「アンヌ様……」
ソフィーもまた泣いていた。侵略してきた相手とはいえ、父と娘、主君と臣下の情は古今東西変わらないのだな、というのは感傷的に過ぎるだろうか。隼人には判断がつかない。
「なるほど、動きが鈍くなるはずだわ」と支部長が足を組み替えながら溜め息をついた。
「もう彼の人には、新たに黒水晶を生み出す寿命が残っていないのね……」
22年前に伯爵とあいまみえた彼女にとっては、感慨もひとしおなのだろう。各支部で放送を見ている人々の中にいる、支部長のかつての仲間にとっても。その側で、永田が何かを思いついたように口を開いた。
「会長は大丈夫なんですか? 会長だって、寿命を削って……」
「私は大丈夫。だって、不老不死だったんだもの。寿命は無限に沸いてきてたわ」
そう言って、じっと手のひらを見つめる沙良。
「でももう、それも終わり。愚者の石は2つとも浄化されて消えた。ということは、私に掛かったあの呪いも……」
そう、あの光の中で、隼人自身が体験したのだ。頭を締め付けていた愚者の石が次第におぼろげになり、細かな光の粒となって消えていくのを。身分けの術式で生まれたがゆえか、ブラックとカラミティの装着していた白水晶も道連れに。
「そういえば、どこか身体に変化はありますか?」
優菜の気遣いのこもった問いに、沙良は笑顔を見せた。
「とりあえず、今のところはないわね。……実は、怖かったわ」
小首を傾げる優菜にまた笑いかけて、
「寝たらもう眼が覚めないんじゃないかとか、起きたらしわくちゃのお婆さんになっちゃうんじゃないかとか」
確かにそれは怖い。そう考えていると、沙良の視線がこちらに向けられていることに気づいた。
「でもこのとおり! というわけで隼人さん?」
「……なんでしょう会長」
沙良はにっこり。
「身体で払ってくださいね?」
さあ、このまた集中する視線が痛みを増す中、俺が取るべき選択肢は――
< え? なんだって? >
一択かよ! しかもそれさいあ……もとい、高感度ダダ下がり選択肢じゃん!
というわけで、隼人は満面の笑みで逃げた。
「はい、これからもボランティアがんばります!」
(……逃げたね)
(逃げたな)
(合法ロリは、隼人さん的には無し、と……)
(琴音、隼人さんがにらんでる! 早くメモ帳しまって)
「あの、会長――」と横田が慌てて手を挙げた。
「これからこのボランティア、どうなるんですか?」
正規職員の横田(と支部長や永田)としては、今まで質問が出なかったのが不思議なくらいだ。事実それを受けて、会長の顔が引き締まった。
「そう、最後にお話しようと思ってたんだけど」と前置きして、
「この『あおぞら』は、介護ボランティアとしての看板はそのまま、鷹取家の妖魔討伐を補助する組織として存続したいと思っています」
告知は半ば予想されたものであり、会議室にいる一同のざわめきは低かった。
しかし、他支部ではそうではないかもしれない。そこで、2週間の猶予期間を置く。各支部長はそれまでに、自身の進退も含めて、所属スタッフの意向を聴取してほしい。
「退職される正規職員の方については、会社都合による退職として扱います。でも、できれば、みんな残ってほしい。この『あおぞら』には力がある。それは、みんなの存在があってこそだから」
それで支部長会議の日程を説明し出した会長には大変申し訳ないが、
「ちょっといいですか?」
「なに?」
「その日は全国統一模試の日なんだがね、坂本さん」
4.
話を終えて、カメラとスポットライトがオフになると、沙良は大きく息をついた。その彼女に近づいて、声を掛ける。
「いろいろ大変だったんだね。今までお疲れ様」と。
笑顔で首を振られて、
「いえいえ、これからもよろしくお願いします。それと――」
答えはもう決まっているというのに。
「沙良、って呼んでください」
「受験がんばろうね、坂本さん」
悲しげな眼をした沙良だったが、すぐに笑顔になった。今度はさっきと違って、少し悪い笑顔で。
「はい! 大学生になって再チャレンジです!」
諦めてねぇ……
京子と祐希が寄ってきた。
「ていうか会長、なんで大学生になりたいんです?」
「通ったことないからよ。今まで一度も」
なぜかふんぞり返る800歳超の受験生。隼人は首をかしげた。
「このあいだの模試の成績では、旧帝大はおぼつかないぞ?」
「大丈夫! こっから挽回しますから!」
「なんでみんな、同じような言いわけをするのかしらねぇ……」
沙良の言いわけを聞きつけた沙耶が、そう聞こえよがしにつぶやく。その視線の先にいた琴音と鈴香が笑いだした。
「いやほら、そこはやっぱり一族ってことで……」
『一族』という単語に、沙良は新たな感慨を抱いたようだ。揶揄するような口調ながらも、その声には湿り気が感じられる。
「驚いたわ本当に。私のことなんて、気の狂った一族の面汚しって認識でいるとばっかり思ってたのに」
沙耶はゆっくり首を振ると、口を開いた。隼人たちが今まで聞いたことのない、温かみのある声で。
「沙良様のお辛かった境遇は、他人事ではありませんもの。あなたは私たちと同じ、鷹取の巫女。それはあれから800年以上経っても、変わりませんわ」
「……本当に?」
「ええ。だって、私の名前は沙良様から一字をいただいてるんですよ?」
笑みを返しあう、沙良と沙耶。同じく微笑みを交わす、琴音たち鷹取の人々。それを眺めながら、京子がつぶやいた。
「どう見ても、歳の離れた姉妹なのに……」
「現実は伝説の巫女と子孫っていうね……」と祐希が受けたが、
「京子ちゃん?」と巫女2人の横目は怖い。
「それは私が幼く見えるのか――」「私が老けて見えるのか――」
「どっち?」
脂汗を流し始めた京子に笑っていると、永田が伊藤を引き連れてやって来た。永田は早々に『あおぞら』残留を決めたため、会長に挨拶に来たらしい。
「素早いっすね、永田さん」
「まあね」
と胸を張る永田は、このざわめく会議室内を一発で静寂に塗り替える発言を放った。
「今から職探しするの大変だもん。つわりもまだ治まってないし」
……えーと、
「隼人さん、まさか……」
祐希の視線だけで呪殺されそうなんだが、幸い次の一言で、災い為す眼は別人に逸れた。
「ほら、尚吾くん、ちゃんと会長に報告して」
「えーと、その、来年の6月くらいにですね……」
隼人は、自分でも惚れ惚れするくらい素早く動いて、伊藤の腕をつかんだ。
「伊藤」
「は、はい?!」
「台に上らせてやるよ」
戸惑う伊藤は、素っ頓狂な声を出した。
「い、いや俺、別に報告とかあいさつとかがしたいわけじゃなくて……」
「はあ?」
まだ俺には、強面の演技が必要だ。
「誰がそんなことしろって言った?」
「え?! でも隼人先輩、台に上れって……」
「何言ってんだお前――」さあ、乗ってきてくれよミキマキちゃん。
「三尺高い台に決まってんだろうが」
日本史学ゼミの仲間は、ありがたくも意図を理解してくれた。
「「そーやね、これはもうしようがないよね」」
真紀がまず動いて、
「理佐ちゃん、槍2本作って」
「え?! え? 槍?!」
傍らで美紀が槍を斜め上にしごくジェスチャーをする。
「隼人君、掛け声は『アリャリャ』だったよね確か」
「いやあの、隼人君?」「意味分かんないっすよ先輩」
永田と伊藤の疑問は、ゼミ仲間以外の全ての人の疑問であろう。それに答えを与えてくれたのは、さすがだてに800年も生きてない――口に出したら殴られそうな――沙良だった。
「三尺高い台って、磔台のことだよ?」
正解を明かされた場は、むしろ笑いより追い込みが大勢を占めつつあった。もちろん冗談なのだろうが。
「ああ、じゃあ、ご遺体の火葬はあたしと小森さんで」と優菜がにやりと笑い、
「あ! るい、般若心経なら唱えれるよ!」
とるいは元気一杯。さっそく千早や圭と一緒にナムナムーとやり始めて、小森にそれは違うだろとツッコまれてる。
祐希と京子は隼人をにらんできた。
「隼人さんはひどい人ですね」
伊藤が救い主を見つけたように振り向いた。
「さすが祐希ちゃん! その調子で――」
「なんで?」
と一応聞いてあげる。二人とも口の端がピクピクしていているのが見えたから。実際それは、口調に笑いが混じって現れた。
「磔なんて苦痛が長引くじゃないですか」
「その点、わたしたちなら電撃で一瞬にして黒焦げに」
「全然救いがない!」
と嘆く伊藤に、ネックレスの十字架を前に掲げた万梨亜が声をかけた。その瞳孔が微妙に開き気味なのは、演技なのか?
「では、救いを求めましょう。あたしが神の御許に送ってあげますから」
「いやあの、俺、仏教徒なんで……」
「じゃあ――」と、とどめが来た。
「法事はうちの実家の寺、使っていいから」
「横田さんまで……」
その後、改めてみんなから祝福されたうえで、伊藤は全てを吐かされた。永田と2人で呑みに行って、盛り上がった結果らしい。
いつの間にか、アンヌとソフィーが目を潤ませて、永田の側に来ていた。そっと永田の肩に手が置かれる。
「おめでとう。本当に……わたしにはそれしか言えないが……」
「おめでとうございます、ナガタサン……」
永田はふっと息を抜くと、2人を見すえた。
「そんな言葉だけで許されると思ってもらっては困ります」
「ちょっと、絵里さん?」
驚愕で静まり返ってしまった室内の雰囲気に押されたか、伊藤が止めようとする手を払って、永田は続けた。
「だから、お二人にはやってもらいたいことがあります」
「……どんなことを?」
隼人は沙耶たちを見た。止めに入るかと思ったのに、動きがないからだ。じっと会話の行方を見定めて入るように見えるのだが。
永田は口の端を吊り上げた。お腹にそっと右手を置いて。
「この子の名前をつけてください。お二人でよく考えて」
茫然自失は少しのあいだだけ。アンヌとソフィーは大きくうなずいた。
「いやあの、父親としての俺の意見は――「伊藤君や」
空気読めよ。隼人は伊藤の首に腕を巻きつけた。
「十三階段との選択にしてやろうか?」
「コールドスリープで目覚めたら成人したお子様とご対面、はどうかしら?」
「それいいね、理佐ちゃん」
笑いに流れて、サポートスタッフの女子連がさえずり始めた。
「手が早かったんだね、伊藤君」「ていうか、一発必中?」
慌てて支部長と横田が止めに入るのがおかしい。小学生がまだ場に残ってんだよと。
「大丈夫です! 聞こえない聞こえない。ねー霧乃ちゃん!」「うん美玖ちゃん!」
「このあいだ、あの2人は相方だって聞きましたけど、それはあれですか? 漫才コンビ的な」
沙耶に訊いてみたが、否定も肯定もされなかった。
「つくづく、こんな奴らに……」
ソフィーのつぶやきは、きっと本心からなのだろう。
だがそれも、
「勝ったんだな、俺たち」
隼人は生まれてこの方したことがないほど、大きな安堵の吐息をついた。